お礼

この浅井先生の講演録を公開にあたって、公開を快く承諾して頂きました、浅井先生並びに北海道教区の方々、先生や教区とのバイプ役をして下さった方々に感謝申し上げます。

信 心 の 社 会 性

教学研究紀要  第5号
浄土真宗本願寺派北海道教区・基幹運動推進委員会
同和教育振興会客員研究員・龍谷大学教授−浅井成海

はじめに

「信心の社会性」で問われていること
基幹運動の理念についての問題提起

○親鸞聖人の信心のおさえ

親鸞聖人の信心のおさえについて
二種深信についての問題提起
二種深信の受け止め方
二種深信における「個」と「全体」の問題
二種深信における「我」と「我等」の問題
「我」と「我等」の具体性
常行大悲についての踏まえ
二種深信によってかえられる生き方について
智慧の信心

○大菩提心と信心の社会性

大菩提心と信心の社会性について
還相回向について
往生は還浄ではない

○終わりに

○註釈

北海道教区基幹運動推進委員会  第一専門部会 北海道教区基幹運動推進教学研修会
  2000年2月28日 於  札幌別院ホール




 

「信心の社会性」

浅井成海

はじめに

《「信心の社会性」についての基本的な踏まえ》

  「信心の社会性」につきましては、教団の中において色々な見解がなされていることはご承知のとおりであります。「信心の社会性とはいったいどういうことなのか」「信心者の社会性ではないのか」というような問いかけがよくなされています。
  「信心の社会性」が基幹運動の中心のテーマとして取り上げられましたのは、「信心の社会性」だけではなく、「業・宿業」、「真俗二諦」と、教学の根幹に関わる三つの問いかけがなされたところの、そのひとつであるわけです。
「業・宿業」でも。「真俗二諦」の問題でも、親鸞聖人の教行信証の要である、信心正因、あるいは称名報恩へ特に信心正因に関わってまいります。「業・宿業」の問題もしぼられてくるところは信心であり、「真俗二諦」もつめると信心ということが関わってまいります。
  「信心の社会性」という場合も、信心そのものの社会性が問題になっているのであって「信心者の社会性ではないのか」という考え方とは少しずれがあるように思います。どういうずれかといいますと、「業・宿業」、「真俗二諦」、「信心の社会性」は、「浄土真宗の信心とは何か」という浄土真宗の一番根幹に関わることが問われているテーマであります。つめますと「親鸞聖人の信心とは何か、浄土真宗の信心とは何か」という一番基本的なところがこの「信心の社会性」というところに関わってきていると考えることができると思います。
  「信心者の社会性ではないのですか」という質問も念仏者の生き方として問われてくるのですが、根幹的なところで「親鸞聖人の信心とは何ですか」「教学の要の信心とはどういうことですか」ということを「信心の社会性」というところで問題にしていかなければなりません。信心の根幹を問われているのがこの問題であると、受けとめていくべきではないでしょうか。
 

《「信心の社会性」で問われていること》

  具体的に問われていることについて例えば、私たちが日常に使わせていただきます「おかげさまで。
ありがとうございます。報恩感謝の生活であります。生かされております」と使う場合の「おかげさまで」あるいは「ありがとうございます」という内容が問われてきていると考えることができます。
  この問題に関わって、妙好人について考えてみますと現在賛否両論があります。妙好人は確かに信心の生涯を過ごされた方でしたが、江戸時代の末期に『妙好人伝』という伝記が成立し、それについて体制順応型の妙好人が作られた形になっているのではないかという批判がでてきていますから、妙好人についてその評価が分かれてくるところです。
  妙好人の言行録は、「おかげさまで。ありがとうございます。生かされております」という生活であります。その「ありがとうございます。生かされています」という基本において、すべてのことに目をつぶってしまい、批判すべきことも受け入れていってしまい、「ありがとうございます、おかげさまです」ということであってはならないとの批判がそこにはあります。
  私は時々ご縁をいただいて、ご法話をさせていただくことがありますが、教義が難しいためその教義をかみ砕いてわかりやすい表現をいたします。しかし、現代はかみ砕いた表現がもう一つ問われてきていると思います。「おかげさまでというのはどういう内容なんですか」「生かされて生きるということはどういう内容なんですか」という問いに、それは「光に包まれて色々な人生の問題を乗り越えていくのです」とあるところでご法話をさせていただきました。そこで「先生の乗り越えるというのは一体どういう内容なんですか。乗り越えるということをもう一つ掘り下げて聞かせでいただかないと、抽象的な逃げになってしまうのではないですか」と質問を受けたことがあります。
  親鸞聖人は特に教行信証の化巻に念仏の弾圧について、
「主上臣下、法に背き義に違し」(『浄土真宗聖典(註釈版)」四七一頁)
と厳しい批判の目をもっておられます。又、晩年の『正像末和讃』に、
  「悲しきかなや道俗の良時吉日えらばしめ」  (『浄土真宗聖典(註釈版)』六一八頁)
という真の念仏者の生き方、あるいは真の仏教徒の生き方から、生き方がはずれる場合には、「それはまちがっております」ということをおっしゃっておられます。そういう批判の心と「ありがとうございます。生かされて生きぬきます」ということがどういう内容になっているのか問われる必要があると思います。それはもちろん自分に対し、又、我々念仏者一人一人に対する批判を持ちながら、間違ったことを厳しく問うていく批判の心がそこにはあります。
 

《基幹運動の理念についての問題提起》

  基幹運動の基本理念のところで「現場から教学を問う」ことが出されています。「今までは教学から現場を問う形になっているのではないか。それよりも現場から教学を問うていくことが基幹運動の基本の教学として考えていくことだ」と問題提起がなされています。
  「現場から教学を問う」ことについて森本覚修先生が通信教育のテキストに一つの例を出されております。小学校五年生の子供が家に帰って「お母さん、ぼくはどうして友達の誕生会に誘われないの。
いつも仲良くしているのにあの友達もこの友達も誕生会に声がかかっているのにぼくにはどうして声がかからないの」とお母さんに言った。また、その小学生は自分の誕生会に友達に声をかけると、友達が「家へ帰って相談する。多分行けると思うからとにかく一度お母さんに相談する」と言っていたが、家へ帰って待っていると、友達が次々と「行かれない」あるいは「他に用事ができたから行かれない」と返事があり、「お母さんどうしてぼくの誕生日にみんな来てくれないの」というような具体的な例を種々あげておられます。
  「本当に厳しい差別の具体的な現実のところからお念仏の教えと私達とどういうように関わっていくのか。あるいはそういう生きざまのところで念仏者はどう関わっていくのか」ということが基本的に問われています。「現場から教学を問う」ことはこういうことであります。ただこの点について私自身は教学の場におり特に思いますが、「現場から教学を問う」ことと「教学からまた現場を問う」ことの相互の営みがなければならないと考えます。
  「現場から教学を問う」だけでは、お聖教の問題がおろそかになりがちになります。「お聖教から現場を問う」ことが中心になりすぎると、今申し上げました現実のさまざまな悩みや悲しみや傷みという問題について教学が関わらない、と、こういうことになるわけであります。
  福岡の研修会の時に、戦時教学を例に出させていただきました。戦時教学は私達が教えを受けました先生方が、本当に当時としては一生懸命に時代の要請に応じていかれたわけであります。真宗学あるいは教学は、戦争の真っ只中において「いかにそれに答えていくべきか」という営みをされたのです。しかしへそこに出されたのは全く現実にひきずられ、現実に対応していった「戦時教学」といわれる教学が形成されたことになりました。そういうことをお話し申し上げたときに、「先生、戦時教学について現場から教学を問うていく事と、今、同朋運動の同和の問題、差別の問題について現実から教学を問うている事とは基本的に違うため、そこを一緒にしてはならない」という質問がありました。それは大変的確な質問ではありますが、しかし、一人でも多くの方々に基幹運動の理念が受け入れられ、そして我々の同朋教団の基本的な学びを考えていきますと、今申し上げました「現場から教学を間う」と同時に、「教学から現場を問うていく」ことが大事なことではないでしょうか。
 

《親鸞聖人の信心のおさえについて》

親鸞聖人は、二十九歳のときに法然上人に出遇われて、
  「雑行を棄てて本願に帰す」(『浄土真宗聖典(註釈版)』四七二頁)
とおっしゃられています。親鸞聖人がお書きになられた『教行信証』は、だいたい現在の考え方では七十六歳ぐらいに一応完成しただろうといわれ、八十四、五歳まで手を加えていかれただろうと考えられています。そうしますと選択本願に帰依された二十九歳の後、親鸞聖人は、越後、関東、そして京都へ帰っていかれる中で『教行信証』に手を加えられ、又、和語の聖教が書かれ、『正像末和讃』が書かれていった。その両方の営みがなされています。
  「信心の社会性」を問うていく場合に、特に、二種深信で「親鸞聖人の信心とは何か」をおさえ、そこから社会性の問題を考えていくことができるのではないかと思います。
  親鸞聖人の信心をどこでおさえるのか。それは信心とは何かということの詰めになります。そのおさえかたは「信巻」の問題であります。そのおさえかたについては種々ありますが、まず「信巻」はどういうようになっているのかと申しますと、三心即一心についての問答があり、三心即一心のその一心は、疑いの晴れる心というところでおさえられているわけです。その疑いの晴れる心とは何かを、信一念の輝では、
  「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」(『浄土真宗聖典(註釈版)』二五一頁)
とおさえますから疑いの晴れる心が名号のいわれを聞くことであり、「聞即信」であります。
  「聞即信」にいたしましても疑いの晴れる心にいたしましても、我々親鸞聖人のみ教えを聞かせていただくものにとりましては、すべて仏様から与えられる回向の信心であります。すなわち「如来回向の賜りたる信心であります」とおさえられるわけですが、どこをおさえてもそれは親鸞聖人の信心をあらわすことであります。
 

《二種深信についての問題提起》

  それでは社会性という問題になってきますと、どこから「信心の社会性」ということが考えられてくるのかが問題になります。まず二種深信についてどういうように受けとめられてきたのでしょうか。
  善導大師が二種深信を明らかにされました、そしてその二種深信は法然上人の『選択集』の「三心章」に引用され、(それは信疑決判といわれています)。「疑いのものは涅槃の城に入ることができず迷いの世界を流転していく」けれども、「よく信心のものは涅槃の城に入ることができる」と、そこに二種の深信が出てくるので、信と疑とに関わって二種深信が考えられてきたことが知られます。それを親鸞聖人は善導大師からお受けになられ、「信巻」の三心の解釈にいたしましても、さきほどの「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」というおさえにいたしましても、従来の教学では仏願の生起は機の深信、本末は法の深信をあらわすとみます。
  三業惑乱の中で、広島の大瀛師の書かれたものを読みますと、「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」を二種深信でおさえ、「それは聞即信ということなのだ」と考えています。そうしますと、現在の安心論題で二種深信をおさえていきますと、「疑いの晴れる心ということだからそれは自力無効であり、まったく私のはからいが役に立たない。私のはからいが役に立たないということが知らされてくることが、如来の願力のはたらきでありました。又如来の願力のはたらきでありましたということが知らされてくることは、まったく私のはからいは役に立たないことでありました」と「自力無効」のところで、疑いの晴れる心の一点を明かにしていくことが二種深信のすわりなのだとこれが安心論題の要になっています。
  しかし最近の教学の一つの流れとして、無疑心のところで二種深信を受けとめるため、主体的なめざめ、あるいは信心の受けとめ方がなまぬるくなってしまいもっと二種深信はどこまでも相矛盾するものが一つなんだから「相矛盾するものが一つになっていく厳しさを親鸞聖人の信心のところに受けとめていくべきだ」という、このような二種深信の教学的な問題提起がなされてきています。別の言い方をしますと「あまりに法の深信が中心になりすぎてしまい、もっと機の深信の問題を徹底的に問い、しかも機と法とが緊張関係のところにあるのだ」というように二種深信を受けとめていく必要があると問題提起がなされています。
 

《二種深信の受け止め方》

  私の申し上げたいことはやはり二種深信については疑いの晴れる心(願力におまかせしていくという心)をおさえないといけないと思います。その上で二種深信の緊張関係という厳しい二種深信の受けとめ方が大事になってくるということです。
  自力無効とか捨機托法とは疑いの晴れる心であり、願力にまかせる心でありますから、機の深信と法の深信と一つですけれども、一つであるといいながら間違いないお救いの上にすわるという、直線的な考え方になりやすいのではないかと思われますが、私は桐渓先生の影響を受けておりますので、他の先生方からそんなことではないと批判を受けるかもわかりませんが、桐渓先生がいつもおっしゃっていたことは、二種深信というのは円環構造で考えていかなければならないと教えていただきました。
  その二種深信の考え方というのは、「必ずお救いにあずかっていく、必ずお救いにあずかるのだけれども、お救いにあずかればあずかるほど、地獄必定の私であるということもそこに知らされてくる。
地獄必定の私が知らされてくればくるほどその私に、間違いなく如来の願力のはたらきでありましたということが知らされてくる」ということをおっしゃられました。その願力におまかせし、疑いのはれる心の中で絶えず、緊張関係と申しますか、そういう内容があることになるわけであります。
  二種深信は理屈ではありませんので、「機の深信とはこういうもので、法の深信とはこういうものです。そしてその両者が円環関係にあるんですよ。あるいは願力のはたらきに救われていくのですよ」というと、それは説明であり、この身には本当にそれはまだ聞こえてきていないことになります。それが本当にこの身に聞こえてくることについては、念仏申すことがあると思います。念仏申すことは、念仏に聞くということです。念仏に聞くことにおいて二種深信は述べられます。
  法然上人のお念仏と親鸞聖人のお念仏のどこが違うのかといいますと、「法然上人のお念仏も親鸞聖人のお念仏も同じだ」というように教学的に受けとめられる方もありますし、「いやそれは念仏往生から信心往生に展開したのだから違うのだ」と、そういうように受けとめられる方もあります。種々でありますけれども、私は、称える念仏から聞く念仏に展開しておられると考えます。称える念仏ですがそこに聞く念仏が、親鸞聖人の場合は特にお念仏としておさえられるのです。機の深信といい法の深信といっても、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏を聞いていく私、お念仏を申していく私、そういうところをはずしてしまいますと二種深信の問題が、机の上の理論になってしまうと思います。
 

《二種深信における「個と全体」の問題》

  もう一つは善導大師の機の深信から法然上人を経て親鸞聖人の機の深信に展開をしています。そこに信心の社会性のところでも申し上げましたけれども、一番今我々が考えていかなければならない問題に「個と全体」という問題があります。
善導大師は、
  「自身は現にごれ罪悪生死の凡夫暖劫よりこのかた常に没し常に流転して出離の縁あることなし」  (『浄土真宗聖典(註釈版・七祖篇)』四五七頁)
と、おさえておられます。ところが信巻では、「信巻」の至心釈、信楽釈、欲生釈、特に信楽釈、至心釈がわかりやすいのですが、
  「一切群生海、無始よりこのかた」  (『浄土真宗聖典(註釈版)」二三一頁)
と示されます。   「親鸞一人なり」  (『浄土真宗聖典(註釈版)」八五三頁)
のうけとめが、また一切群生海と語られます。
  この生きとし生けるものを、そういうように述べておられることであります。
  「個と全体」の考え方をどういうように従来受けとめてきたかと申しますと、
  「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば親鸞一人がためなりけり」  (『浄土真宗聖典(註釈版)』八五三頁)
というおさえであるから、「個」から「全体」へ受けとめても、もう一度そこに「個」へかえしていく受けとめ方があったと思います。
  桐渓先生に我々が教えていただいたときには、善導大師から親鸞聖人の機の深信の展開は、一切群生海への展開になっている、一切群生海の展開になってはいるけれども、それはもう一度私のところへかえっていく、私一人をぬきにしてはならないとお教えいただいたことであります。ここのところの受けとめは、一切群生海と私、私と一切群生海というのが親鸞聖人のみ教においてはそれはイコールになっているのだと考えていくことができます。
  これも従来批判を受けていることですけれども、あまりに個人の救いを問い、説き続け、個人の救いのところが強調されているのではないかという問いかけがあります。そうではなくて、個人の救いが一切群生海の救いであり、一切群生海の救いが個人の救いになっているという、ひとつのこととして考えられてきています。
 

《二種深信における「我」と「我等」の問題》

  そこで何を問題としでいるのかというと、そこに「我」と「我ら」の問題があるわけです。機の深信と法の深信の展開において「我」と「我ら」ということが問題になるわけです。
  「我」の方はへ「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば親鸞一人がためなりけり」と、こういうお言葉があります。「我ら」の方は、『唯信鈔文意」のなかに、
「いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり」  (『浄土真宗聖典(註釈版)』七〇八頁)
  と出てまいります『唯信鈔』の解釈と『唯信鈔文意』の解釈の中には展開があります。その救いの対象を聖覚法印師は、その周利槃特(『阿弥陀経』の中には十大弟子の周利槃陀伽という名前が出てまいります)の例を出しておられるのを受けて、親鸞聖人は『唯信紗文意』のところでは、これはすでに「信巻」に引かれていますが、ものの命を奪ったり商いをする、
  「屠沽の下類」  (『浄土真宗聖典(註釈版)』七〇七頁)
の例を出してそれを「いし、かわら、つぶて」とおっしゃって、「いし、かわら、つぶてのごとくなる我ら」が信心によって「こがね」にかえらさしめられていくようにおっしゃっています。そこに一人の救いが「我ら」の問題に展開してきていることを考えていく必要があると思います。
  そこのところで二種深信の問題を考えますと、「地獄必定の身であり、片方では必ずお救いにあずかっていく」という、問題を親鸞聖人の具体的な味わいで種々考えさせていただきますと、機の深信では、
  「名利に人師をこのむなり」  (『浄十真宗聖典(註釈版)』六二二頁)
という言葉がございます。別なところでは、
  「弟子一人ももたず候ふ」  (『浄十真宗聖典(註釈版)』八三五頁)
という言葉があります。前者はご和讃であり、後者は『歎異紗」でありますが、「名利に人師をこのむ」とは、私の心の中に名誉や利益を求める心が働いて、先生として敬われたい、誉められたい心が「名利に人師をこのむ」ということであります。「弟子一人ももたず候ふ」とは、「師はおりませんよ。
みんな平等であって私もその中の一人ですよ」ということです。矛盾いたしますが、その矛盾する心が矛盾しないのは、実は念仏に聞き念仏申すところであります。
  もう一つ非常にわかりやすいのは、
  「小慈小悲もなき身にて有情利益はおもふまじ」  (『浄土真宗聖典(註釈版)」六一七頁)
という言葉があります。また他方では現生十種の益で常行人悲の益を我々は得ていくとおっしゃっておられます。
  常行大悲の益とは、それは社会奉仕をしていき、社会実践をしていくということの前におさえておかなければならないのはへ自信教人信ということです。自ら信じ人に教えを勧めていくということが常行大悲の益のおさえになっています。それは現生十種の益のあとに「真仏弟子釈」の引文があり、そこに『安楽集」が引かれてあってその中の大悲の行は、教えを伝えていくというおさえがあって、そのあとに善導大師の自信教人信の文がきておりますので、まずそのことをおさえておかなければなりません。
  「小慈、小悲もなき身」とは、大悲どころか、小悲さえ無い。慈悲には、小悲、中悲、大悲とありますが、信心の人は常行大悲とおさえながら、信心の人はまた小悲もないというように説かれてきていることになるわけです。
  そして先ほどから申し上げました念仏申していく私、それを円環構造のところで考えさせていただきますと、「名利に人師をこのむ」私が「弟子一人ももたず候」という、その教えに出遇わしていただき、人間の平等性に気づかせていただきます。平等性というものに気づかせていただきながら、私の中にある「人師をこのむ」ような心がおこる、そしてこれはごまかさない、「やむをえない凡夫なんだからどうしようもないんです」ということではないと思うのであります。こういう表現をとってこられるときに、
  「恥づべし、傷むべし」  (『浄土真宗聖典(註釈版)」二六六頁)
という言葉がそこにあることになります。
  「恥づべし、傷むべし」というその念仏に聞き、念仏申すところから円環構造になりそこに「小慈小悲なき身」だから、み教えを伝えていくために凡夫だから何をしてもしょうがないということではなく、その私が大悲を行じていくのである。二種深信はそういう内容になっていると考えていくことができると思います。
 

《「我」と「我等」の具体性》

ただ、どうしてもつめていかなければならない問題は、「我」と「我ら」がそんなに簡単に重ならないということです。
  「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば親鸞一人がためなりけり」と受けとめられて、そして「一切群生海」その「個」と「全体」が重なっていくことは、一体何なのだろうか。どうして親鸞聖人は「いし、かわら、つぶてのごとくなる我らなり」とおっしゃられたのか。なぜ「我らなり」とおっしゃられたのかが問題になってきていると思います。そこには、「我」と「我ら」が共に生活し歩いていくことにおいて、「我」が「我ら」になっていく問題があるのではないでしょうか。具体的には、ものを売り買いし、ものの命を奪って生活している人が我らだという言い方の中には、そこには関東なり京都なり、共に生活し、共に痛み悲しんでいかれた親鸞聖人の歩みがあると受け止めることができるわけです。「我」が「我ら」になっていくことが、そこにお念仏に聞きお念仏申していくのですが、そこに学んでいくという世界があり、聞いていく世界がある。その聞いたり学んだりしていくことがなければ「我」が「我ら」になっていくことはなく、どこまでも我は我であり、あなた方はあなた方ですよというようになります。その我らの世界、個が一切群生海と受けとめていく中に、学びがあり、聞法があり、拝んでいく世界があることではないでしょうか。
 

《常行大悲についての踏まえ》

  それから常行大悲の問題ですが、教えを伝えていくということほど難しいことはありません。なぜ難しいかというと、そこに生き方が関わってきているからと思います。
  法然上人は、法に遇われるだけではなくてお念仏申していかれ、八十歳で亡くなられます。親鸞聖人が法然上人に出遇われたのは、年は四十歳違われますから法然上人六十九歳から七十五歳までが親鸞聖人の二十九歳から三十五歳までの時にあたり、それが吉水の生活であります。法然上人の最晩年であります。そのときの「共にお念仏して人も我も共に救われていきましょう」とおっしゃるその生き方が、「この人のおっしゃることについていこう」ということだったと思います。『歎異紗』にいたしましても、
  「十余箇国のさかひをこえて」  (『浄土真宗聖典(註釈版)』八三二頁)
来るというのは、そこに自信教人信の世界である自ら信じ人に伝えていく生き方が関わってきていると思うのです。
  あまり適切な表現ではなくまた、これは自分に言い聞かせないといけないのですが、「上手に話しをするなあ、うまく筋道をたてて面白おかしく、あるいは胸迫る話しを聞かせていただいたなと思う反面、生き方と重なっているか、口ばっかり上手ではないか、上手に説法されるけれどしかし生き方はどうなってるのか」という内容が常行大悲に関わってきています。逆に申しますと「小慈小悲もなきに身にで有情利益はおもふまじ」とおっしゃりながら、「共に生きましょう」「弟子一人も持たず候」と生きていかれました。だからこそ多くの人々が親鸞聖人の教えを聞いていくことになるのです。
  特にお手紙を読みますと一人一人を大切にしておられる。お名前に必ず「御」という字がついております。乗信房といわれずに例えば『末灯妙』には、
「乗信御房」  (『浄十真宗聖典(註釈版)』七七二頁)
と書かれてあります。そこには、一人ひとりを人切にして「弟子一人ももたず候」と常行大悲の利益を実践すると同時に「小慈小悲もなきに身にて」ということがある。そこに基本の問題があると思います。同じことですが「私には差別心はないのです」と云うことではなく、「名利に人師をこのむ」心があるのです。名利に人師をこのむ心がある私を見極めていきつつ、それを当たり前にしないで、そのことを悲しみ痛みを共に「弟子一人ももたず候」と念仏に聞いていくことを常行大悲のなかに受けとめていく必要があるのではないでしょうか。
 

《二種深信によってかえられる生き方について》

  二種深信の念仏に聞き念仏申していく生活は変わっていくのか、そういう問題が出てまいります。
それについて親鸞聖人のお聖教の中には二通りの表現があります。「臨終の一念まで煩悩は絶えない」と、おっしゃりながら、特にお手紙では、「言うまじきことを言ってはならない、行ってはならないことをなしてはならない」と決して煩悩の身が救われていくのだからといって、煩悩に甘えるのではないのだというみかたがなされております。これは転成思想であります。親鸞聖人の教えは転の思想であり、転ぜられているという内容があります。二河白道の例を出させていただきますと、火の河、水の河の白道を歩いていきます。だんだんとお浄土の方へ行くほど火の河、水の河の火が消えたり水の逆巻く波が穏やかになるとは書いておられません。煩悩の真っ只中に乗り出して行き、煩悩の真っ只中に乗り出して行くことは私の自己中心性がますます厳しく知らされてくると同時に、そこに、そうであってはならない仏からのはたらきが示されてきていることであります。ここに親鸞聖人の信心の特色があると思います。また私が変わったんだということになりますと、やはり他の人を裁くということが出てくると思います。「あなたはまだかわってないのじゃないですか」ということが出てきますので、変わらない私に気付かせていただく世界を持ちつつ、共に変わっていこうという内容になっていると思います。そして、「煩悩の身ですよ。それから願力の働きですよ」という基本のところには、権威というもの(親鸞聖人ご自身が決して権威になっていかれない)、私が権威になっているのではないかという問いかけが基本の中にあると受けとめる必要があります。そしてこういう信心を「智慧の信心」とあらわしていかれます。
 

《智慧の信心》

晩年のご和讃では智慧の信心が特に述べられています。ところがその智慧の信心の場合も(正像末のご和讃でありますが)勢至菩薩の勧めによって智慧の念仏あるいは信心の智慧を私が受け入れていくとおっしゃられながら、又「智眼くらしとかなしむな」という内容になっております。私はこの、
  「智眼くらしとかなしむな」  (『浄土真宗聖典(註釈版)」六〇六頁)
というところに非常に深い問題があると思います。「信心は智慧であり、信心の生活をさせていただくといろんなことが見えてきます。いろんなことがわかってくるのですよ」という言い方ではなくて、そこにどうしても智慧の眼が開かれてこない悲しみ痛みが問題になっていて、願力のはたらきを述べながら、どこまでも凡夫性が問題になっています。
  宿業の問題につきましても智慧の信心でおさえていくわけであります。
  宿業を信心でおさえていくと、智慧の信心ということになります。「親の因果が子に報い、あるいは私が差別を受けていかなければならないのは私の宿業なんですか」という問題の受けとめや問いかけがありますが、そうではなくて、種々な条件や原因の噛み合わせによって様々な問題が生じてきている。その様々な問題や原因が噛み合って生じてきているその一つ一つを取り除くものは取り除き、種々工夫をし解決していくものは解決をしていく内容が、宿業の基本になっているわけです。これもずっと申し上げてきましたように、従来は一因一果で考えたり、因果応報と考えたり、過去現在未来という時間の流れで考えていく考え方を、今という一点においてあらゆる条件の原因や条件の噛み合わせにおいて、様々な問題が今私の上にふりかかってきている。その一つ一つに目を開き、それを乗り越えていく。そのところに念仏に聞き念仏を申していくことをはずしてはいけないと受けとめることです。
 

《大菩提心と信心の社会性について》

  信心の社会性というときに菩提心が問題になってまいります。菩提心は仏教の基本であり、悟りを求める心、悟りそのものの心、そして悟りを求め、悟りそのものの心の中に私が仏になっていくと同時に、他の人々を仏にしていく自利即利他ということがあります。他の人々のために尽くしていくことが菩提心であります。このことについて一番基本は四弘誓願でおさえられています。
  親鸞聖人は自力の菩提心と他力の菩提心を示し、他力の菩提心は如来から賜る信心というところで述べられています。これを大菩提心とあらわします。
  従来は自ら信じ人にも教えを伝えていき、また様々に仏教の菩薩の行業が信心の人のところに願作仏心、度衆生心として語られてくることは、それはお浄土において実現されるところであり、それは信心の徳であるというおさえでした。信心の中に非常にすぐれたお徳があって、そのお徳を私がいただいてお浄土に生まれてはじめて完全な利他のはたらきが成就する。「そのところを願作仏心、度衆生心と受けとめるのです」と信心の徳が語られてきたのであります。
  しかし、これが「信巻」に菩提心の解釈が出てきて、しかも『正像末和讃』の中には願作仏心、度衆生心と述べられ、自ら浄土に生まれていくことを願い自ら仏になり、それを他の人々にも勧めていくことをこれだけ積極的にお説きになっておられるということは、やはり今、問題としているところで申しますと、信心の社会性、つまり他へのはたらきかけを菩提心の上で考えていくことができます。
二種深信でおさえていくことができると同時に、菩提心でまた信心の社会性が考えられます。具体的には還相の菩薩の「願作仏心、度衆生心」の信心をこの身に受けて、つまり還相の菩薩がそこに常に往相の往生人と関わりを持ってきている内容になっているわけであります。ですから私がお念仏に聞きお念仏申していくことは、先立つていかれた還相の菩薩から「それでいいのか、それでいいのか」と云う念仏者の願作仏心、度衆生心のありようを問い続けられてきているということになるわけであります。
  信心の徳である願作仏心、度衆生心は、浄土に生まれた還相の菩薩の願作仏心、度衆生心とすぐ重ねてしまい、私が常行大悲の利益を行じ、私が利他の活動をなしていくのだというように端的に考えずに、還相の菩薩から絶えず問われていく中で、「こうでいいのか、こうでいいのか」ということがそこに問われているわけであります。
  差別の問題を一つ考えますと、本当に悲しいことや胸痛むことや、充分学んでいかなければならない教団の中の様々な歴史があると同時に、我々の先人が様々に差別を否定して差別を乗り越えていくために様々な活動、運動をしてきている内容を私たちが学んでいくというように、絶えず我々のそういう関わりについてのありようが問われてきていると、考えることができます。
 

《還相回向について》

  還相回向については三つの考え方があり、一つは往相即還相。もう一つは往生即成仏して、そこで還相回向が考えられてくるのです。このように考える考え方に対して、往生していく私のありようを絶えず還相の菩薩から問われてきている中での私の菩提心のありようを説くという考え方がありますが、もっと積極的に考えていくべきではないかと思います。ずっと申し上げてきましたことは、機の深信と法の深信に関わりますので、白か黒かという内容が非常にわかりにくい。あるいは出にくいことになっています。常行大悲の利益を、どこまでも自分の生き方の中で教えを伝え、また教えが私の生き方の中で伝わって行くのか、そうしながら絶えず「小慈小悲もなき身」と聞いていく。非常に複雑な内容になっておりますので、そこに「浄十真宗は難しいな、わかりにくいな」と言われるわけであります。わかりにくく、難しいのではなくて、私は浄土真宗の教え、親鸞聖人の教えの深さが、凡夫の上においてこの教えを受けとめ、生と死を乗り越えていくことの深さがそこにあるのだと考えていくことができます。
 

《往生は還浄ではない》

  最近へ還浄ということが還相回向と関わらせて問題になってきております。還浄という場合の教学の基本的なすわりを真如縁起にすると、還浄を語っていく進め方になります。もともとは悟りの内容から、迷いの私達ができて、つまり悟りの内容から忽然として、迷いがでてきたと考えていきますと、お浄土に帰るんだというそれが受け入れられていくことになると思います。ところが教学の全体的な流れはその真如縁起的なそれをとりません。とられる先生もあるわけでありますが、一番基本的なところでは二元論と批判を受けますが、「無始よりこのかた迷い続けてきた私であります」というおさえがあります。
片一方のところでは、
「塵点久遠劫よりもひさしき仏とみえたまふ」  (『浄土真宗聖典(註釈版)」五六六頁)
と云うおさえがあるわけであります。だから「私が浄土から生まれてきたのだ、だから浄土に帰っていくんだ」と、言いきれない内容をもっていることになるわけであります。
  往生に対するイメージが充分でないので、お浄土が非常に誤解を受けやすいから還浄という言葉で新しく積極的な考え方をしていこうという問題提起であります。しかし、基本的なところでは、「往生」、つまり、私がお浄土に生まれさせていただくことが親鸞聖人の教義の基本になっているのだと受けとめているのです。
 

《終わりに》

  種々のことを申し上げたいのでありますが、整理いたしますと、問題は信心の要めのところで社会的実践なり、社会との対応を考えていくのかという考え方と、信心は往生浄土の歩みなのだから往生浄土の歩みをまずおさえておいて、そしてそこから現生正定聚の利益とか、次に信心者の生活を考えていくべきだと云う考え方が基本のところでくい違ってきていることです。「あくまでも信心は往生浄土の問題であり、私が成仏していくことが語られていくのであって、それが人間の生活とどう関わってくるのか」というような考え方ではなく、今日申し上げたのはそうではなくて、信心そのものの社会性、つまり二種深信の厳しいありようが、そこに問われてきているのだということを申し上げたことです。 

※注釈

〇  三業惑乱

    浄十真宗本願寺派における安心上の異義事件をいう。教義上の論争が感情問題に発展し、騒動がおこり、最終結論は、幕府の裁決をうけて終結した。龍谷大学の前身にあたる学林の最高責任者を能化というが、第六代能化「功存」の著『願生帰命弁』明和元年(一七六四年)刊行に端を発し、これを継承する第七代能化「智洞」は、身口意の三業をあげて、如来に帰命していくべきだと説き、信心の心相も本願の三信の中の欲生に中心があると強調した。これに対して、さまざまな疑義が生じ、なかでも、安芸の大瀛は『横超直道金剛鉾」を著し聞信の一念のところに如来より名号を廻施されるので、三業の入る余地はなく、三信の関係も信楽の一心におさまると説いたのである。両者の主張は論争の中で歩みよっているが、騒動の中で幕府の介入するところとなり、文化二(一八〇五)年四月、三業帰命の不正義たることの結論を決断した。関係者それぞれに処罰が下され、本願寺も百日の閉門となった。(智洞は遠島のところすでに病死し、大瀛もまた裁判中に病死している)  文化三年十一月、本願寺は開門され、「御裁断御書」が披露され、学林の教学が誤りであったことを明示した。これ以後、能化は置かず、代講時代を経て、勧学制度が設けられた。(龍谷大学三百五十年史参照)
○  『妙好人伝』

    近世の末期に成立した浄土真宗の篤言者の信行をまとめた説集である。初篇より五篇までと続編の6篇より成る。初篇は、石州の「仰誓」が記述したものであり、二篇より五篇までは濃州の「僧純」が編纂し、続篇は松前の「象王」の著したものである。妙好人という呼び名は「善導」の『観経疏』散善義をよりどころとする。その篤信の人の言行を讃えるとともに末世の人々がこれを見習うようにまとめられた。はじめにまとめられた、「仰誓」の選述になる『妙好人伝』についてみると二巻より成り、第一巻に十人の物語が、第二巻には二十六人の物語が述べられている。「仰誓」が直接的、間接的に伝聞したものであるり世の人の軌範となる事柄を集め、後の世の法に志しある人の信心を深めるために編集されたのである。なお編集意図や内容について詳細な研究が進められている。土井順一『妙好人伝の研究』、朝枝善照『妙好人伝基礎研究』など研究書も多い。



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