ハンセン病療養所を訪問して

有光顕澄(北豊教区京仲組真行寺)

1・「ハンセン病」問題を知る

私が最初に「ハンセン病」問題を知ることとなったのは、1988年2月、同朋運動を考える会の集い(テーマ:糾弾に学ぶ〜同朋運動の再生をめざしして〜)が岡山(本願寺備後会館・専明寺)で開催され、2日目の学習会の席だったと記憶しています。その時、お話ししてくださったのが今回訪問した、長島愛生園真宗同朋会の多田会長さんでした。その時のお話の記憶は殆どありませんが、差別の根底にあるその事柄の本質(貴賤・浄穢の観念)を垣間見ることが出来たように記憶しています。
  その後、1990年6月に本山で開催された、第6回の全国布教使大会における第2分科会「差別の問題」で、長島愛生園同朋会導使の藤井善さんから、所謂、「S布教使ハンセン病差別法話」に関する問題提起がありました(布教団通信第13号)。
その時の印象はハンセン病差別法話の問題もさることながら、S布教使に対する、酷い嫌悪感だった。本願寺派に身を置く立場の者ならばS布教使が教団の中でつとに著名な人物であることは知らない人はいないだろう。

2・西本願寺教団の取り組みと私の現在置

一方、教団においては「布教使ハンセン病差別法話」問題に関して、88年3月に布教団連合は“当該人の問題であると同時に布教使全体がかかえている体質の問題として厳しく受け止める”“ハンセン病などの社会問題について消極的であった”“この問題を機縁に布教団連合あげて差別問題を具体的に学習する”などを決意表明した。
そして、研修啓発資料として『共にあゆむーハンセン病に学ぶー』の刊行。基幹運動の重点項目の中に、「私と教団の差別の現実を改め、真の同朋教団を確立しよう」と、明示されて、布教団及び運動本部などが、積極的に取り組んでいくべき方向を提示し、各ブロックでの研修会が持たれることとなった。
更に、S布教使の所属する教区では、本人の学習と自己変革が組・教区が協力体制をつくるなかで指導がなされ、その後、実名で『本願寺新報』への「偏見と差別に慚愧と決意と題する」投稿をつうじて差別責任が吐露された。
また、同和教育振興会では『論究』(第9号・13号)で、この問題を取り上げた。
その中で、「差別法話」の意味するもの、当該人所属教区での取り組み、教学上の問題提起がなされた。
  私の今日までの認識は、こうした一連のハンセン病差別問題に関する総括の大半と同じく、布教使や布教団のかかえている体質、そしてそれを下支えしてきた伝統教学の問題に終始したものであった。残念ながら、熊本地裁で争われた「らい予防法」と言う、ハンセン病差別の根元に迫り、国の犯罪性を問うまでには至らなかった。
そればかりか、私は、85年5月本土(故郷)と長島(隔離所)を隔てきた30メートルの海峡に「人間回復の橋」が架けられた事を後に思い出して、この問題は解決していっているとばかり思い込んでいたのでした。
  そして、その後、元患者の藤井善さんこと、伊奈教勝氏が“亡き母十四回目の命日に、すべての人々の人間解放を願いつつ”『ハンセン病隔絶四十年―人間解放のメッセージ―』(明石書店94年8月)を発刊されたので、早速、購入し学習することとなった。そこには、ハッキリと「国辱」の名の下で《らい予防法》によってもたらされた、隔離と排除による人間の抑圧と差別の問題性が切々と語られたあった。「日本文化の中に占める『血』の伝承に対する信仰は、それを唯一純粋なものとし、犯すことのできないものとしてきた歴史は、それ故に血肉相克(けつにくそうこく)のまさに血みどろの闘争の歴史でもあります。『血』に対する反逆は、それを制裁することもまた過酷でありました。『国辱』と表現し、『家のけがれ』として排除し、『恥』として隠蔽(いんぺい)しました。遺伝病、血すじとして長い歴史をもつ『らい』が『血』を尊ぶ日本の精神的風土の中において、悲惨な状況の中に存在したことは歴史が示すところです。」(14p)と、告発されている。

3・裁かれざるもう一つの罪

  2001年5月11日10時、ハンセン病差別の元凶であった《らい予防法》による、人権侵害・人生被害の総体を糺す、「らい予防法」国家賠償訴訟の地裁判決が下った。それは、告発者(元患者)や弁護団・支援者の人々の予想を超えて、厚生省と国会の不作為を認定した画期的な判決であった。
前日、熊本の白川公園で判決前夜祭が持たれた。その場で、非常に衝撃的な告発があった。「明日は、国(政府と国会)の責任が裁かれる。しかし、裁かれざるもう一つの罪がある。」と。それは、無知と無関心によって、民族浄化を支え、強制隔離(絶対隔離・絶滅政策)を認め、永年にわたって人権侵害を放置してきた、国民の差別と偏見への罪責であったにのです。
  ハンセン病政策の歴史の中で、明治40年、1907年以来、国のハンセン病政策の過ちの原点を国の「らい根絶策」と「無らい県運動」であると熊本地裁は明確に言い切っています。「無らい県運動」とは、私たちが住んでいるこの地域にひとりたりとも療養所に入っていないハンセン病患者の存在を許さないという運動を厚生省が先頭に立って、全国の都道府県を鼓舞して、官民一体となった運動を推進しました。多くのハンセン病と診断された人たちは隣近所に住んでいる人たちの通報を受けたり、「村十分」としか言いようがない迫害を受けていく中で、自分が暮らしていた生活の場では、もし自分の家族が平穏に暮らしつづけていくということを願うならば、「自分がそこにいることは許されない。ハンセン病療養所に収容されていくしか術がない」と思わざるをえない状況が全国津々浦々につくられていきました。
  「らい予防法」の被害者の方々は、まさしく、自分の家族のためには自分が療養所に入るしかないと自分から市役所に名乗り出て療養所に行く道を選ぶしかありませんでした。
  そういう「無らい県運動」は国が組織し、地方自治体が先頭に立ち、ハンセン病患者をあぶり出していく役割を担ったのは私たちその地域を構成している住民であるし、学校で子どもたちの健康診断を把握していた先生方であったのです。この判決は、まさに「無らい県運動」こそハンセン病についての差別や偏見を生み出した原点であると明確に認めています。
更に深刻な問題として、仏教者の罪み深さです。この問題について、伊奈教勝氏は『法華経(普賢菩薩勧発品第二十六)』や『大智度論(巻五十九)』などが、「諸病のうち癩病もっとも重く、宿命の罪の因縁の故に治し難し」と説く教えが、民衆に広く、宿命の罪・業病は不治の病として恐怖心を増幅させていった事を指摘しておられる。(『ハンセン病隔絶四十年―人間解放のメッセージ―』36P)
因みに、鎌倉仏教の研究者で知られる、平雅行氏の著書の『親鸞とその時代』を参照すれば、鎌倉時代の代表的な医学者に性全(1266〜1337)という医僧がいて、彼は『頓医抄』という医学書を著している。それは、『摩訶止観』に従って、病の原因に触れていて、その四番目に業病(自分が前世や現世で犯した罪の報いとして病が現れてくる)。5番が魔病。そして最後の6番目に鬼病(これらは、本人の身体に病の原因があるのではなく、外部の悪霊の仕業によって病が引き起こされる)を上げています。そして、性全ら医僧は、病人に対して、漢方薬を与え、養生の仕方を教え、さらに宗教的要因の場合は、罪を懺悔させたり、あるいは祈祷の力でもって魔・鬼などの魑魅魍魎(ちみもうりょう)を調伏し治療を行っていたと言う。
このように、仏教の開祖釈迦は医王とも呼ばれ、仏陀の教えは慈悲にあるのであって、身体を病んで苦しんでいる人々に対し、その病気の原因をさぐり治癒させることを願いとしているのです。
  翻って、歴史を見つめるとき、獅子身中の虫として語られるように、仏陀の慈悲の教説は、常に仏教者自身の手による、祈祷や祈願、呪詛の行為などによって破られるのです。それは、絶えず民衆善導の名の下に、大衆に背く形で行われてきた悲惨な歴史でもあったのです。
  その結果、仏教は絶えず、国家の庇護下に置かれ、権力者の民衆支配の手足となって機能する事が、第一義となっていくのでした。
  改めて、私につきつけられた来た問題は、国家という問題です。藤野豊さん言葉をお借りすれば「国家はどんなに民主的な装いを凝らそうと、その本質は社会的多数者の利益を保護し、社会的小数者を抑圧する暴力機構装置の側面を持つ。」(『「いのち」の近代史』かわがわ出版)
つまり、人間の尊厳を圧迫する国家(権力)に対し「異議あり」と、抗する批判的原理と行動を放置すれば、国家(権力)はこれを抹殺する。それは、時として「公共の福祉」の美名の下で行われる。
我が西本願寺教団は宗門の最高規則として『宗制』、『宗法』とする、と、定めています。その「宗法」第2条には、「他力信仰の本義の開顕に努め、人類永遠の福祉に貢献することを目的とする」と、謳っていますが、人類永遠の福祉への貢献も、一歩誤まれば、近代国家の福祉施策に取り込まれていく、いわば、第二の「無らい県運動」に荷担する素地を十二分内包させていることを決して見誤ってはならないということであるう。

4・大乗相応の地に、如来の大悲は流れていた

私は、最近、大変感銘深い言葉に出会った。それは、禅者でありつつ、妙好人の研究者で念仏者でもあった、鈴木大拙が「日本の国の国土の底に、大悲が流れている」と、語った言葉です。この“国土の底に如来の大悲が流れている”という事を、改めて認識させられたのが、この度、訪問させていただいた長島愛生園の同朋会の方々との出会いでした。

民族浄化の名も下に、故郷を奪われ、名前も奪われ、そして、人間の尊厳をも奪われていった、ハンセン病患者の筆舌につくしがたい苦悩のただ中にあって、同朋会の方々は、楽土建設の礎となることを決意して、初代園長の光田健輔氏と共に多磨の全生園から移住してこられた栗下信策氏(故人)を敬慕されておられた。それは、転園9日後に、栗下氏は数十名の真宗門徒を集め「真宗同朋会」を設立させて、今日の真宗信仰運動を形成されたからです。

  視力障害者の詩人田端明さんの短歌に

「たとえ眼は見えぬとも  み仏さまを信ずれば
慈悲の瞼がひらかれて  光の中に生かされる」
があります。

今回、京仲組の伝因寺毛利ご夫妻のお世話で、愛生園を訪れることができました。そして、同朋会の多田導使と、念仏者詩人・田端明さんからは、文字通り、ハンセン病という極苦と生死を彷徨う苦悩の只中から獲得してゆかれた、求道と獲信への歩みを聴聞させていだだくことが出来ました。そのなかで特に感じたことは、“如来によって救済される者は、必ず他者を救う働きを持つ”、“救われた者に、救われぱなしということはない“と言うことでした。つまらぬ学問沙汰を100年するよりも、真に如来によって救われた人に出会うことの大切さを、これ程までに証明してくれた人々はいないであろう。
終わりに、田端さんの詩を紹介し、そのことを共有できればこの上なきことです。

「生」

得がき人間に
生まれさせていただいたのだから
生き甲斐のある人生にしていこう
二度ない人生だから
明るく行きていこう
ハンセン病になったのだから
人生を見直していこう
折角盲人になったのだから
問題を自分に問いかけて
心の眼を開いていこう
自然の法に生かされているのだから
生きるとは死ぬとは命とは
何かを考えていこう
与えられた命だから
白骨になる迄汗を拭きながら
法の鏡に照らされて浄土への道を
一歩一歩間違いなく踏みしめて行こう
良き種を蒔いて育てて
良き花を咲かせていこう
  田端  明『石蕗の花』より

5・むすび  〜仏教者の不作為ということ〜

今回の裁判で、国や行政の違法性や立法不作為と言うことが大変大きな問題となりました。
判決文には「ハンセン病が恐ろしい伝染病でありハンセン病患者は隔離されるべき危険な存在であるとの認識を放置したことにつき、法的責任を負うものというべきであり、厚生大臣の公権力の行使たる職務行為に国家賠償法上の違法性がある」と判じ、また国会議員の立法不作為については、「人件被害の重大性とこれに対する司法的救済の必要性をかんがみれば、(略)新法(1953年改正の「らい予防法」)の隔離規定を改廃しなかった国会議員の立法上の不作為につき、国家賠償法上の違法性を認めるのが相当でがある」と、断じています。
  私は、この度のハンセン病国賠訴訟判決に臨み、また、収容所という名の療養所長島愛生園を尋ね、開口一番「原告団に入っていない人の本当の声を聞いてほしい。同朋会の中には訴訟と言ったようなことは考えていない。」との声を聞き、色々と考えさせられ、また教えられました。
その中でも、特に、いまは故人となられた、伊奈教勝さんが指摘されたことに関係して言えば、真宗僧侶として、如来の慈悲による法的救済への違法性と、親鸞の御同朋なる精神よって樹立された親鸞教学。所謂“業・宿業“に対する(教)学責任を負うものである、と言うことでした。
元患者の藤井善さんこと、伊奈教勝氏は、「仏教の根本思想であるこの『縁起』の理法は、「らい」を患う者にとっては、過酷な重石となった。永い歴史のいずれの時代も、常にその社会体制の最底辺に位置付けられ、遺伝、血筋と定義されて排除されてきた。この仏教の『縁起』の理法の曲解によって、差別された患者は、さらに民族信仰でもある神道の影響を受けて「穢」「けがれ」として疎外されきた歴史がある。」と糾明されています。(『ハンセン病隔絶四十年―人間解放のメッセージ―』49p〜50p)
つまり、「薬害」と言うことが医学会にあるならば、仏教界には「(仏教)学害」ということがあると言うことでしょう。布教・伝道においても同等です。如来より賜りたる真実信心・浄土往生の観念化が厳しく斬罪されているのが今日の状況と思うのは私ひとりなのでしょうか。



第十期中央実修で一緒だった北豊教区の有光さんから上記のメールをいただきました。
私一人が読むメールにしてはもったいないと思い、有光さんの許可を得て公開します。

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