トップページへ に戻る
勧学寮トップページへ


信一念義

〔題意〕
本願成就文の一念について宗祖の釈義を窺い、名号を聞信せる一念の時に往生成仏の困が円満して、即得往生住不退転の利益を得る旨を明らかにする。
〔出拠〕
信文類 信一念釈に、それ真実の信楽を案ずるに、信楽に一念あり。一念とはこれ信
楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を顕すなり。と示され、『大経』の本願成就文には、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。とある。
〔釈名〕
「信」とは無疑の義で、本願の三心の中では信楽を指す。
「一」とは極促(最初)の義で、延(相続)に対する。
「念」とは時剋の義である。よって、「信一念」とは本願に対して疑い暗れた最初の時をいう。すなわち初起の一念である。
〔義相〕
本願成就文の「乃至一念」というのは、「乃至」は一生涯の信相続であり、「一念」とは信心聞発の最初の時をいう。
その信一念の即時に往生すぺき身に定まるのを「即得往生住不退転」という。よって成就文の「一念」は、上に向かえば「聞其名号信心歓喜」と受法した最初の時であり、下に向かえば「即得往生住不退転」の得益の時であって、受法得益同時の義を顕わすこととなる。受法と得益とが一念同時であれば、その間に衆生の三業の造作などの介入する余地はまったくない。
称名の初一声といえども信一念以後であって、往因決定後の業作である。故に、名号を聞信する以外に因がないこととなり、ここに唯信正因の義を極成する。
成就文の「一念」は、「乃至」を冠する一念であるから、右の通り時剋の釈をその当分とするのであるが、また宗祖は心相に約する釈をもなされている。「言一念者、信心无二心故日一念是名一心」とあるのがこれである。
この場合の「一」は無二の義、「念」は心の義で、「一念」とは無二心(ぷたごころがない)という無疑の心相を示すこととなる。これは宗義を顕わす釈で、一念の時(受法の初際)にあるものは無疑心のほかはない、と知らしめられるのである。
〔結び〕
本願成就文の一念は信初発の時を指すもので、受法と得益の同時なる義を顕わし、もって信心正因の義を極成する。