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正定滅度

〔題意〕
真宗は現生正定聚・彼土滅度の二益であって、此土において滅度の果を一分たりとも証得するのではない旨を明らかにする。
〔出拠〕
『御文章』一帖目第四通に、「問ていはく、正定と滅度とは一益とこゝろうぺきか、また二益とこゝろうぺきや。答ていはく、一念発起のかたは正定聚なり。これは穢土の益なり。つぎに滅度は浄土にてうべき益にてあるなりとこゝろうぺきなり。されば二益なりとおもふぺきものなり。」とある。
その他、存覚師の『六要鈔』にも、
「問、定聚。滅度是二益歟、又一益歟。答、是二益也。」
等と釈されている。
〔釈名〕
「正定」とは正定聚の略であって、正定聚とは邪定聚・不定聚に対し、滅度に至ることに正しく定まった聚類の義である。
「滅度」とは大涅槃であって、生死の迷いの因果を滅した仏果をいう。
〔義相〕
第十一願には正定聚と滅度が誓われてあり、その成就丈には正定聚が説かれているが、第十一願の当面では正定聚も滅度も、共に彼土の益として示されてある。
然るに宗祖は、第十一願の滅度は第十八願の因によって彼土において得る究竟仏果とし、その正定聚は第十八願の機の現生における得益とせられる。なぜ現生正定・彼土滅度とせられるかというに、名号は悲智万行を円其せる法であるから、これを領受したとき、その機の上に仏因が円満して、彼土に往生すると同時に滅度の大果を得る。したがって、滅度に至るまでの困の位、すなわち正定聚は現生で語られるわけである。
ところで、名号を領受することは、仏果を開くぺき因徳が衆生に具したことであって、現生にあって滅度の果を一分たりとも証得することではない。ゆえに滅度密得・一益法門(一益達解)の義は宗祖の意に反する。また、経釈の上に彼土における正定聚を示されてあるのは、滅度の果を得た後の広門示現の相とするのである。
〔結び〕
真宗は、現生正定聚・彼土滅度の二益を説くのであって、此土において滅度の果を証得するとは解しない。
なお、正定聚は彼土にもいわれるが、それは果後の広門示現の相であるとする。