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平生業成

〔題意〕
第十九・第二十の方便両願の法は、臨終を待って往生の業因が成就するか否かが定まるのに対し、第十八願真実の法は、平生聞信のとき往生成仏の業因が成就する旨を明らかにする。
〔出拠〕
蓮如上人の『御文章』一帖目第二通に、
さればこの信をえたるくらゐを、経には「即得往生住不退転」ととき、釈には「一念発起入正定之聚」ともいへり。これすなはち不来迎の談、平生業成の義なり。同一帖目第四通には、おほよそ当家には、一念発起平生業成と談じて、覚如上人の『改邪鈔』に、もし「即得往生住不退転」等の経文をもて、平生業成の他力の心行獲得の時刻をきゝたがへて、存覚師の『浄土真要抄』に、「親鸞聖人の一流にをいては、平生業成の義にして臨終往生ののぞみを本とせず、不来迎の談にして来迎の義を執せず。」等とある。
〔釈名〕
「平生」とは臨終に対する語であり、「業成」とは業事成弁・業因成就の義である。よって、「平生業成」とは、平生の聞信の一念に得果の因が衆生の上に成就することである。
〔義相〕
第十九願の諸行往生は、己の行功を往因とするから、生涯の行功を積むことによって臨終に業困の成・不成が定まる。
故に臨終をまち来迎を期する。第二十願の自力念仏も行功をたのむもので、願文には臨終来迎は示されていないけれども、二十願開説の『小経』に臨終来迎が説かれているから、第十九願と同様に臨終に業因の成・不成が定まる。
これら方便の法に対して、第十八願の他力真実の法は、本願成就の名号を業因とするから、平生聞信のとき業因が成就する(平生業成)。よって、臨終を期せず来迎をたのまないのである。
浄土異流では三願真仮を分かたず、第十九願の臨終来迎を第十八願の念仏の利益と見るが、当流は三願真仮を分かち、平生業成をもって第十八願の特色とする。
平生業成の義は、本願成就文の聞信一念即得往生に基づいて、宗祖の釈義に明示せられるところであるが、「平生業成」という名目は、覚如・存覚両師に用いられ、蓮如上人にいたって盛んに用いられたものである。
〔結び〕
第十八願は聞信一念に仏因円満する法であって、浄士異流の生涯行功を積み、臨終来迎を侍って往生が定まるとするに対し、平生聞信のとき往生成仏の業困が成就することをもって当流の特色とする。