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正定業義

〔題意〕
正定業の名義とその体について窺い、名号が往生成仏の業因なることを明らかにする。
〔出拠〕
『散善義』深心釈における第七深信に、就行立信の義を述べて、「一心専念弥陀名号行住坐臥、不問時節久近念念不捨者、是名正定之業順彼仏願』とあり、宗祖は『正信偈』に、「本願名号正定業」と示されている。
〔釈名〕
正定業の「業」とは果に対する業因の義であり、「正定」とはまさしく定まることである。よって、「正定業」とは、往生成仏の果を得ることに対してまさしく定まる業因という意味である。
〔義相〕
正定業の釈名に、古来三種が語られる。
一つには、正選定の業。これは衆生の能称に約する称名を指すのではなくて、その体名号に約するのである。すなわち法蔵因位のとき、諸仏の法の中から往生浄土の業因として、正しく名号を選定せられたるをいう。
二つには、正決定の業。果に対して正しく決定する業因という義である。『散善義』の深心釈の就行立信(前揚)には、往生の行について正雑二行を分け、その五正行中の前三後一は助業として、第四の称名を正しく往生の決定する業因とされる。
『選択集』はこれを承けて、「正定之業者、即是称仏名司称名必得生、依仏本願故。」といわれている。宗祖は善導・法然両師のこの釈義を承けて、「一心専念弥陀名号」とある一心に対向する場合は、信心が往生即成仏の証果のまさしく決定する業因なる旨を開顕されたのである。
すなわち衆生の往生は信心によって決定するをいう。
三つには、正定聚者の作業。信後の称名をいう。
『正信偈』龍樹章に、「憶念弥陀仏本願 自然却時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」ことあるごとぎで、宗義上の意味からいわれる。
以上三種の中で、
第一の正選定の業という場合は名号である。
業には、業作・業因の面義があるが、名号には万行業作の徳を具して、よく衆生を得果せしむる業因の義(力用)を具する。
ゆえにこれを正定業というのである。宗祖が『正信偈』に「本願名号正定業」と示されたのはこれであり、行文類一巻の釈義がそれである。
第二に信心の場合は、名号は衆生の果に向かっての業因であるが、これが衆生に領受せられて信心となるとき、所謂当果決定するのである。ゆえに信心を正定業という。
「一念多念文意」に、「弘誓を信ずるを報土の業因とさだまるを、正定の業となづくといふ。」と釈されるごときがこれである。
第三の信後の称名の場合は、称名の業因と業作の両義のうち、これは業作の義で、信獲得の行者の動舌発声に現われる業作に名づけて正定業という。
以上、善導・法然は浄土門外の諸行に対して、称名念仏を正定業といわれるが、能称の功をもって正定の業とされるのではなく、名号の徳を称名のところで語られるのである。
また、宗祖が信心のところで正定業を語られるのも、名号の徳を具有する辺からこれをいわれるので、正定業の体は名号である。
〔結び〕
正定業とは、往生即成仏に対する業因の義で、その体は名号である。善導大師や法然上人は称名について正定業の義を語られるが、その能称の功を指して正定業とするのではない。