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五重義相

〔題意〕
蓮如上人の立てられた五重の義について窺い、獲信の始終を明らかにして、十劫安心や善知識だのみの邪義を破する。
〔出拠〕
『御文章』二帖目第十一通に、十劫安心と善知識だのみの邪義を破し、獲信の相状の始終を詳らかにして、「これによりて五重の義をたてたり。一には宿善、二には善知識、三には光明、四には信心、五には名号、この五重の義成就せずぱ往生はかなふべからずとみえたり。」等という。
〔釈名〕
「五重」とは、次の五つである。
一、宿善、宿世の善根の意。弘願の法を聞信するための縁由となった過去の善根をさす。二、善知識、弘願の法を教え伝えて信に導入してくださる人。三、光明、第十二願成就の阿弥陀仏の光明で、その体は仏智である。これに照有と摂取の力用がある。四、信心、弘願の信楽。五、名号、ここでは信相続の称名である。
この五つが、順次に前を承けて後を生ずるから「五重」といわれる。
〔義相〕
ここに示ざれた五重の順序によると、過去世からの善根によって、今生に人界に生をうけて善知識に遇い、仏の光明の照育を蒙って、信心を獲得する。その信心が相続の上には称名となって生活に顕現するという趣旨である。
五重の中、前三重の宿善と善知識と光明とは、弘願の信心を得るについての縁由であり、第五重の名号は「真実信心必具名号」の義で、相続の称名をもって信心の如実なることを示される。蓮如上人はこの五重の義を立てて、十劫安心と善知識だのみの邪義を破し、信心正因の旨を明らかにされるのである。まず、十劫安心は「十劫正覚の始め我等の往生を定めたまいしを知るのみ」とするのに対し、弘願の信はそのような単なる知解ではなくて、獲信についてはその縁由があり、また報恩の称名として相続する信なることを明らかにせられる。
次に、善知識だのみが「善知識ぱかりをたのむぺし」とするのに対し、善知識は弥陀に帰命せよと勧める人であって、獲信の縁由の一であり、弥陀をたのむ信こそ肝要なりと示されるのである。
なお、「五重の義」として示されたのは蓮如上人の『御文章』であるが、その意は覚如上人(ロ伝鈔)(執持抄)(本願抄)や、存覚師・浄土見聞集、の上に示されてあり、更にその本は宗祖の両重因縁釈(行文類)や、善導大師の『礼讃』前序、にも窺われる。ゆえに、蓮如上人は「…とみえたり」といわれるのである。また五重の順序は、それぞれの出典によってその顕わし方は必ずしも一様ではない。
〔結び〕
五重の義は、獲信の縁由から信後の相続相に至るまで、如実の獲信の相状を詳らかにして、十劫安心と善知識だのみの邪義を破し、信心正因の旨を明示せられたものである。