半年をふりかえって

2001年 4月 〜 2001年 9月


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 2001 3月 胸部撮影

 3月にお世話になった金沢大学医学部附属病院の技師さん達や、教授・助教授・助手の方々の謝恩会があった次の週から仕事が始まる前に少しでも仕事を覚えようと思い、Mくんとともに実習にいくことにしました。実習生の頃と同じ8時50分に撮影室の方に行くと「遅いぞ!」と怒られました。

最初に覚えた仕事は『胸部撮影』で特に難しい撮影ではなんだけど、患者さんが次から次へと来てびっくりしました。

月曜日は特に患者さんが多いってことは後になって気がついたんだけど、その時はまったくそんなことを知りませんでした。学生実習の時は月曜日に実習がなかったので結構衝撃的でした。でも、一番最初に大変な思いをしたから、仕事が忙しくても「仕事ってこんなものなんだな」ってことが早く気がつくことができたような気がします。その後覚えた仕事が胸部撮影に比べると楽に思えました。その時は担当はMさんで患者さんがたまってくるまで僕に任せてくれて、患者さんが10人くらいたまってくると、「そろそろ代わろうか?」と言ってくれます。患者さんがたまってくると、いや〜な汗をかいて気持ちがすごく焦ってしまいました。Mさんが撮影を始めるとたくさんたまっていた患者さんがみるみるうちに減っていきさすがだなと思いました。どうしたらMさんのように早く撮影できるのだろう?とMさんのしていることをじっくり観察して早く仕事ができるようになりたいと思いました。



 2001年 4月 一般撮影 その1

 胸部撮影は1週間で卒業し、4月2週目からは一般撮影でした。技師さん達は実習で一回会った人ばかりなので、質問したりしやすいんだけど、「実習の時、教えたのになぁ・・」と言われると、言い返す言葉がありません。最初の1週間はどの技師さんもやさしかったけど、だんだん厳しくなってきました。だんだん一人で任せてもらえる撮影が増えてくるのはのはうれしいことだけど、4月3週からはまったく一人で撮影室を任されるようになりかなり動揺しました。その頃は撮影ミスをしたら「またか?」と思われていました(今でもそうだけど・・)。Mさんが失敗したフィルムを撮影室に持ってきて「取り直し!」といって入ってきたり、Mさんにフィルム処理室で長々と説教されたり・・

自分はもう実習生じゃなくなったんだなと実感しました。

4月は新しいことばかりだったしよく叱られたりしたしストレスが多い月でした。でも、叱られることで「緊張感を保つ」ことができたような気がします。叱られるたびに「なにくそ!」気持ちを奮い起こし、撮影が上手になっていったのです。スキーは転ぶたびに上手になるというけど撮影も同じだなと思いました。見てるだけとわからないけど一般撮影は見た目以上に難しく、技師さんたちはいろいろなことに気をつけているのだなと実感しました。撮影には「リズム」があり、リズムよく撮影しているときはミスも少ないのだけど、大きな失敗をしてしまうと一気にリズムをくずしてしまい、いままで保ってきた緊張の糸が切れることがあります。そんなときのあとは普段では考えられないようなミスをして深みにはまっていくのです。蟻地獄にはまっていくみたいにもがけばもがくほどミスをくりかえしてしまいます。こういうときは開き直ることも必要だと知りました。


 2001年 4月 ポータブル その1 

 4月の頃一番苦戦していたのは、腰椎6方向でも膝4方向でもなく「ポータブル撮影」でした。最初の日は技師長さんと一緒にポータブルに行き、教えてもらうという貴重な経験をしました。初めて一人で行った日は撮りなおしギリギリの写真しかとることができず、最初の日は9人中3人ほど撮りなおしで患者さんや、撮りなしの手伝いをしてくれたYさんやMさんにも迷惑をかけました。Tさんに「3割3分3厘はかなり高い確率だな。」と言われ、Nさんに「甘く見とったやろ〜。フォトタイマなしやから実力がでるんやよ」と言われました。撮影条件があってなかったみたいで、白い写真や黒い写真がいっぱいでした。Nさんが「こういうのを『白タブル』『黒タブル』というんや」と言っていました。「これは肺尖撮影?」聞かれたくらいカセッテが奥まで入ってない写真や左右がかけている写真もありました。4月頃はポータブルに行くのが怖くて、いつ患者さんから苦情がくるかとおびえていました。

撮りなおしに行った時の患者さんや家族の人は非常に冷たい態度をとります。

「もうこんな状態だからやめてあげてください!!」という言葉は胸にグサリとつきささりました。他の技師さんからもからかわれるし辛い思いをしたことを覚えています。でも、唯一Nさんが「ポーダブル」と呼ぶ、同じフィルムで2人患者さんを撮影してしまう2重曝射のミスはしたことがないのはせめてもの救いでした。



 2001年 4月 実習生

 4月2週目くらいから実習生がやってきました。まだ仕事もまともに覚えていないのに実習生がきたので、とにかく必死に仕事を覚えました。そのせいか早く撮影法を覚えることができました。実習生に何を教えるというマニュアルは一切なく、2〜3人の実習生を任されました。最初はとにかく自分が実習生だったことを思い出してそのとき技師さんから教わったことを「受け売り」していたような気がします。最初は教えるのに緊張したけど、だんだん慣れてきました。

でも、仕事をしながら実習生に教えるのは思った以上に大変でした。

実習の時は気がつかなかったけど、他の技師さんは教えるのがすごい上手だなと思いました。話しながら仕事をするとやっぱりミスしやすくなります。1つのことに集中すると周りが見えなくなる性格だから、2つのことを同時にしようとするとどこかにボロがでます。実習生に教えるときにはなるべく「自分の失敗談」を話してから説明をするようにしています。その方が実習生が耳を傾けてくれるのです。「前にこんな失敗をしたからこの撮影をする時はこんなことに気をつけないといけないよ」といった感じで話すとすごく興味をもってくれます。でも、Yさんには「もっと威厳もって教えた方がいいよ」と笑いながら言われました。「今年の実習生には(自分には威厳がないことが)もうバレてしまったから、来年から頑張ります!」と言い返しておきました。実習生が質問をしてくることもよくあります。でも、自分も実習生みたいなものだから実習生の質問に全部答えられるはずもなく、「今教えたらきっと頭に入らないから明日までに調べてきて!」とか言ってごまかすこともありました。その日に教科書などでこっそり調べ知識を仕入れていました。



 2001年 4月 初任給

 17日に初任給をもらいました。まだ放射線技師ではないので、17万ちょっとでした。

てどりで14万ちょっと。。それでもかなり満足でした。

初任給をもらった日に技師さん達に「毎年、初任給をもらった次の日にイチゴ大福を技師のみんなにもってくることになっているんだよ。Nもちゃ〜んと持ってきてたぞ。」と言われました。Nさんも「そうやよ〜。私なんかお母さんに『明日までにイチゴ大福みんなにあげんといかんらしいんやけどどうしよう?』って相談までしたやよ!」と言っていました。結局、Nさんが「別に持ってこなくていいよ。」と暖かい言葉をかけてくれたので助かりました。あとになってみんなでグルになって僕をからかっていたんだなってことに気がついたんだけどその時は本気で「どうしよう・・」と思いました。


 2001年 5月 検診

 5月には角間で検診があります。自分も学生時代検診を受けたのでなんか不思議な気分でした。検診は放射線部から2人かりだされます。撮影方法は胸部の間接撮影なので、フィルムの交換は200人に1回くらいですみます。とにかく1時から5時までの間に400人くらい撮影しないといけないので単純計算で1時間に100人、一人30秒ちょっとで撮影しなければいけません。学生がくるタイミングにムラがあるから忙しい時はとにかく忙しかったです。

声が枯れて、口が回らなくなることもしばしばでした。

1時から2時半くらいまで男子で後半から女子でした。女子の時は一緒にいったNさんが撮影の体位をきめました。僕はX線を発生させる係でした。女子の方がブラジャーを外さない子とかアクセサリー(ネックレスとか)をしている子とか髪の長い子がいて手間どりました。「ブラジャーを外してください!」といってもホックだけ外してくる子がいて、後になって「ブラジャーとってないんですけど?」と聞いてきたので困りました。他には「風邪気味なんですけど検査してもいいですか?」と聞く人もいました。その人には「そりゃよけいにいいんじゃない?」と言っていました。検診には毎年放射線部を定年した大先輩Yさんが応援にきてくれるらしく、まずは戦争の話をしてくれます。自分が満州にいった時の話とか足をやられたこと、その足の古傷が今でも残っている事、その時の病院の様子などいろいろ話してくれました。その話が終わると次は「園芸」の話をしてくれるのが定番なのだそうです。Yさんは女子がうるさいと「うるさいぞ!」と注意しに行きます。Yさんが注意するとその場がシーンとなるのでさすがでした。Yさんは「街では短いスカートはいているのに、こんなときだけ恥ずかしがるんだよな」と言っていました。



 2001年 5月 一般撮影 その2

 一般撮影の方法が一通り慣れてきてもまだまだわからない撮影がいっぱいきます。そんな時他の技師さんに習いにいくのですが、他の技師さんも忙しいのでなかなか相手にしてもらいません。仕方なく自分で本を読んで調べながら撮影すると、Mさんが

「なにとったのこれ?まったく問題外!こんなの出せると思うの??」と厳しい言葉が返ってきます。。

こんなことが続いたからMさんも機嫌が悪くなって、少しでも白かったり黒かったする写真はすべて撮りなおし、少しでもかけたところがある写真も容赦なく撮りなおしにする日もありました。別に忙しくない日なら撮りなおしてもいいと思うけど,患者さんが撮影室の前に3人も4人も待っている時にかぎって厳しく撮りなおしを命じてくるのでついついくちごたえしたくもなります。でも、言い訳をすればするほど採点が厳しくなって「悪循環」になることをその時は気付かなかったのです。昼ご飯の時に、他の技師さんにこんなに厳しいんですよ!という話をすると「最初の3年は上司が『からすは白い!』と言ったら『白いです』って言わないといけないんだよ。」と笑いながら言われました。「別に木津が憎くてそういっているわけじゃなくて、撮影が上手になって欲しいと思ってわざと厳しくしてるんだよ、きっと。」と言ってくれて救われました。「撮りなおしさせてよけいに写真が悪くなる人には撮りなおしさせないと思うよ。」と言われてそうだなと思い、また一つ勉強になったなと思いました。



 2001年 6月 初当直

 初当直は6月20日でした。初当直までに一般撮影(頭頚部を含む)CT・ポータブル・オペ場を必死になって覚えました。CTは5時過ぎに撮影が終わったあとで習いに行きました。オペ場は午後の仕事がポータブルだったときなどで時間のあるときに時間を作ってオペ場に行きました。でもCTもオペ場もほとんど一人で撮影した経験がなかったので不安がいっぱいでした。初当直の日は水曜日だったので、抄読会のある日でした。抄読会の終わる頃、電話のベルが鳴りました。「オペ場で腰椎だって。」という声を聞いて心臓がドキドキしてきました。Kさんに「一緒にきてください!」と頼みましたが「一緒に行くとどうしても頼ってしまうから」と言って断られました。みんなにも一人で行くように言われました。技師長さんだけは「オペ場の人たちに迷惑をかけたらこまるでしょう〜」と独特の口調で言っていましたが、みんなの意見におしきられてしまいました。その日のオペ場の仕事はかなり残っていて、腰椎(正面・側面)が2枚ずつ、頚椎(正面・側面)、骨盤、胸部3枚くらいとたくさん撮影しました。現像のするときうまく現像機が動かなくて暗室で動揺してしまい、現像に時間がかかってドクターや看護婦に迷惑をかけたり、撮影条件が合わなくて何度も撮りなおしたり、カセッテの位置が悪くて撮りなおしたりと冷汗をだらだらかきました。・・・覚えているだけでも山ほど失敗をしました。ドクターに何度か怒鳴られたことはしっかり覚えています。オペ場での撮影は7時頃から始めて9時半頃までかかりました。その日の残り番のMさんに僕のオペ場が終わるまで待ってもらったのでかなり迷惑をかけました。

次の日技師長さんから「ちょっと・・」と技師長室に呼ばれました。

そして案の定、長々と説教をされました。そうなるのがわかっているんだったら一人でオペ場にだすなよな・・と思いましたが、その時は何も言えずただただ「早く終わってくれ!!」と思いながら説教を聞いていました。


 2001年 6月 断層撮影

 初当直が終わりホッとしたのもつかの間のことで、次は「断層撮影」を覚える事になりました。断層撮影はX線管球とカセッテを同時に動かし、目的とする部位以外をボカすことで断面の画像を得る撮影法です。学生時代からなにをしてるのかさっぱりわからなかったのにいきなり覚えるように言われてとまどいました。なにしろ、どんな画像をドクターがもとめているのか、どんな写真ならOKでどんな写真だったらダメなのかすらわかりませんでした。Yさんに教わりながら顎関節や副鼻腔、臭裂、胸骨など頻度の高く難易度の低い撮影法を最初にならいました。そのあと,頚椎・胸椎・腰椎などの脊柱、手関節・膝など時間のかかる撮影を覚えました。でも、教わりながら撮影をするほど余裕がなかったのですぐに一人でやらされることになりました。まるで、放し飼いにされた犬のような気持ちでした。自分でもたくましくそだてられたんだなと思ってます。とにかく、自分なりに撮影してみて断層を知ってる技師さんに見せて怒られて・・また泣きそうになりながら再撮影といった感じでした。

「どこ撮っとるんや!?そんな写真で患者さんからお金もらうつもりか??いいかげんなことばっかりしとったらダメやぞ!」

こんな感じで怒られてばかりでした。断層は一般撮影と違い深さの位置関係もしらないといけないので慣れないうちは大変でした。そんな僕のことを知ってか知らずかNさんが自分が一般撮影をしていた頃に作った「断層撮影ノート」を貸してくれました。このノートのおかげでだいぶ断層撮影が楽になりました。一難さってまた一難。7月から同じ部屋に骨塩定量の機械が来て、朝の10時まで断層撮影ができなくなりました。そのことがきっかけで骨塩定量の担当の技師Uさんや撮影の主任Mさんと口論になったりしました。Mさんは断層の多い日は朝の早くから撮影した方がいいというし、UさんはUさんなりに言い分があるし・・。どの人のいうことももっともなんだけど、いろんな上司のいうことをすべて聞こうとするとどこかに無理が出てきて最後に怒られるのは僕になります。言われたとおりにしただけなのに・・と思いながら歯がゆい気持ちをかみしめるのでした。。










〜 つづく 〜






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