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脳波コントロールによるロボットアームが、四肢麻痺の女性の手となる日

 

ヤン・ショイエルマンは、13年前に退行性脳障害と診断された。現在は、首から下が麻痺している状態だ。52歳になる彼女は、ピッツバーグ大学医療センター(UPMC)の医師 と相談し、ブレイン・コンピュータ・インター フェース(BCI)のための電極を脳に埋め込んだ。

同センターと、同大学医学部(UPSOM)の研究チームは、ブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)の先に、きわめて自由度の高いロボットアームをつなぎ、ヤンの脳波コントロールでそれを意思どおりに動かすことに成功した。

脳波は、脳から生じる微弱な電気活動だ。活動の種類によって周波数が変化する。その性質を利用し、人の意思を読み取る目的で開発の進められているのが、ブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)である。本来は、意思を読み取るだけではなく、脳への情報の伝達も行える双方向が望ましいが、現状では脳から命令を送る一方通行のシステムとなっている。

そのブレイン・コンピュータ・インターフェースのトレーニングを始めて1年足らず、ヤンは「見てて、このロボットアームを使って、チョコレートを食べてみせるから」と言うと、研究チームの目の前でそれまでの成果を披露した。言葉通り、見事に口へと運んだチョコレートを味わう彼女のそばで、研究チームは次のように喜んだ。

「彼女にとっては小さなひとかじりかもしれないが、ブレイン・コンピュータ・インターフェースにとってはとても大きな一口だ」

ご存知、人類初の月面着陸時にアームストロング船長が発した名言 「1人の人間にとっては小さな1歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」 をもじったものだ。この成功は、それほど待ち望まれたものだったのである。

「これは、ブレイン・コンピュータ・インターフェースの実用化につながる、大きな成果です。手の不自由な人にとっても、朗報となるでしょう」

治験責任医師である、アンドリュー・B・シュワルツ 教授(ミネソタ大学)は誇らしげに語る。

「わたしたちが研究を進めている、ロボットアームを意思どおりに動かすための、脳波を解析する技術は、とても大きな可能性を秘めています。身体能力を取り戻すことが、技術的に可能であるとわかったのですから。ブレイン・コンピュータ・インターフェースの将来への期待が、多くの人の口から漏れ聞こえてくるようになりました。」

今回の成果の立役者であるヤン・ショイエルマンは、2人の子を持つ母親だ。麻痺を発症したのは、1996年、36歳のときだった。当時はカリフォルニア に住んでおり、人気のマーダーミステリーパーティを主催するイベント会社の経営者だった。そんなある日、自分が足を引きずっていることに気がついた。 その後、2年を待たずして、彼女の腕と足は弱体化した。移動には車椅子が必要となり、食事や着替え、入浴など、毎日の生活すべてが介助なしでは行えなくなった。やむをえず親族の暮らすピッツバーグに戻った彼女は、改めて脊髄小脳変性症と診断された。その間も、脳と筋肉の接続状態の悪化は止めようがなかった。

「今は、腕や足をまったく動かすことができません。肩をすくめることすら無理です」

ヤンは続ける。

「もちろん、不安です。でも、心配していても何の解決にもつながりません。それがわかったので、ちゃんと働いている“頭”を使うことにしました」

ヤンの友人は、次のような動画をネットで見つけた。ピッツバーグ大学医学部(UPSOM)と同大学医療センター(UPMC)によるブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)の研究に関する映像資料である。そこには、ペンシルバニア州で聖職者を勤めるティム・エムズが映っていた。彼の見た目は普通の人と変りないが、脊髄に損傷を負っており、四肢は麻痺していた。そんな彼が、パソコンを 操作し、ロボットアームを動かし、ガールフレンドとハンドタッチしていたのだ。

「まぁ、すごい」

その様子を目にしたヤンは、思わずつぶやいた。

「わたしもやってみたい」

すぐさま付き人に連絡をとってもらった彼女は、自分が四肢麻痺であることを電話口で告げ、「どうすれば、あれをやらせてもらえますか?」と担当者にせっついた。

2012年2月10日、ヤンが被験者に適しているかどうかを確認するための、選別試験が行われた。立ち会ったのは、シュワルツ教授の共同研究者である、ピッツバーグ大学医療センターの神経外科医、エリザベス・タイラー-キャベラ助教授(ピッツバーグ大学医学部)だ。 約1ミリ四方の格子状の電極2つをヤンの頭に設置し、それぞれ96の接点から右手と右腕を動かす際の脳波が調べられたのである。

「手術をする前に、脳の機能分布を確認しました」

助教授は続けて説明する。

「得られたデータは画像処理され、手術室での正確な電極位置決定に用いられます。頭に埋め込まれた電極の一部は、頭蓋骨を貫通して、頭皮まで達します。大きさは1.5ミリくらいのもので、それを介して脳波が検出されることになります」

頭に表出した電極ポイントは、神経細胞からの信号を拾う。たとえば、腕を上げたり下げたり、手首を回したりすれば、それに応じた信号パターンが神経細胞から発せられる。そうしたさまざまな信号のパターンと、身体に動きを指示する脳波との関連を、コンピュータで解析するのだと、主任研究員のジェニファー・コーリンジャー助教授(ピッツバーグ大学物理療法リハビリテーション科)は説明する。

そうして解析された脳波からの情報が、ロボットアームの動きに反映されるのである。ロボットアームは、ジョンズ・ホプキンス大学応用物理学研究所で開発された ものだ。

手術から2日後、ヤンの頭蓋骨から突き出している2つの端子がコンピュータにつながれた。

「(動かない手を)握ろうと彼女が考えたとき、神経細胞のきらめきがディスプレイに表示されました」と、コーリンジャー助教授は振り返る。「彼女がそれをやめると、その表示は消えました。つまり、わたしたちのブレイン・コンピュータ・インターフェースに適応していることがわかったのです」

ヤンは、それから1週間で、ヘクターと名付けられたロボットアームの腕全体を、上下左右に動かせるようになった。それは、思わずハイタッチしてまわりたくなるほどの上出来な結果だった。

「ひと月はかかるだろうと考えていたのですが、それを彼女は1週間でやってのけたのです」

コーリンジャー助教授は、当時の驚きを伝える。

3か月を過ぎる頃には、今度はロボットアームの手首を前後左右に動かせるようになり、回転させることもできるようになった。最終的には、なんとか物もつかめるようになった。専門用語で言うところの、7軸制御まで行えるようになったのである。

簡単な上肢機能の評価手段として広く用いられる「アクション・リサーチ・アーム・テスト(ARAT)」も実施された。この評価テストでは、木質ブロックやクリケットボール、砥石、大きさの異なる2種類の合金菅などのアイテムが使われ、腕と手の「つかむ」「握る」「はさむ」などの動きがテストされる。ヤンさんは、ロボットアームを脳波コントロールして、約10センチのテーブルの上から、いくつかのアイテムを近くのトレイへと移してみせた。その他にも、円錐形のアイテムを拾い上げて 重ね直すなどの作業もこなした。

「さまざまな調査の結果が示すように、日を追うごとに彼女のロボットアーム制御能力は向上しました」

シュワルツ教授は説明を続ける。

「一連のトレーニングの方法と手順は、猿を使った実験で確認されたものですが、ヤンさんにも効果がありました。ロボットアームによる義手をちゃんと動かすには、直感的な信号を脳から送らなければならないのですが、四肢麻痺が長期に渡る人であっても、トレーニング次第でそれが可能だと立証されたのです」

ブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)については、並行して別の研究も進められている。用いられているのは、ヤンにも使われている、皮質電図を調べるための格子状の電極だ。頭蓋内の大脳皮質に接触させるのではなく、脳波電極を刺入する。

いずれの研究にも共通する目標がある。

「脳内の電気的な活動を記録し、それぞれが何を意味するのかを解読します。そして、それをロボットアームなどの制御に用いるのです」

上級研究者であるマイケル・ボーニジャー教授は、今後の構想をそう話す。

ピッツバーグ大学医療センター(UPMC)のリハビリテーション研究所の所長でもある、ボーニジャー教授はさらに続ける。

「わたしたちは、脳がどのように運動活動を制御しているのかについて、非常にたくさんのことを知り得ました。すべては、実験につきあってくれている、参加者の努力と献身のお かげです。おそらく今後5年から10年で、この成果は一つの実を結ぶでしょう。それは、自分の腕を使えない人の日々の生活に、きっと役立つものになるはずです」

ブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)の次のステップは、人の意思を取り込むだけではなく、双方向で情報を伝達することになるだろう。一方通行で脳から発信するのではなく、ロボットアームなどからの感覚情報を脳に返すのだ。この双方向が実現すれば、ギュっと握ってドアノブを回したり、そっと包み込むように卵を運ぶなど、繊細な握力コントロールがロボットアームでも可能となる。

「いずれは、わたしたちのような専門家抜きで使えるシステムになることを期待しています」

コーリンジャー助教授は、さらなる展望も胸に秘める。

「ブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)でコントロールするのは、ロボットアームなどの機械には限られません。麻痺している四肢の筋肉を直接刺激して、再び動かせるようにできるかもしれないのです」

今後2カ月の間、ブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)の性能を、ヤンはさらに試すことになっている。その後、頭の中に埋め込まれた装置がいったん取り除かれ、別の実験に参加する。

「こんな、めまぐるしい体験は生まれて初めて!」と、ヤンは興奮を隠さない。「まるでジェットコースター、ううん、スカイダイビングかしら! とっても素晴らしい体験だし、わたしは1分1秒を本当に楽しんでるのよ!」