目を光らせて NO.69




         連獅子の「毛振り」や いかに



                      アオウ ヒコ



 前に福岡の友人H・とくじゅうろう君から歌舞伎万歳とするメールが届いていた。それにはこうある。

 猿之助もいいねえ〜。博多座へはたしか昨年と一昨年、博多座へきたようにおもいますが。??
 一昔まえに京都の南座で、猿之助は観劇したように思います。

 2月、6月、9月に歌舞伎が中州へもやってくるようになって、ほんとうに楽しいねえ〜。
 この6月には、11代目市川海老蔵襲名披露がやってきます。一昨年、玉三郎が来たときは、かぶりつきを2枚入手していたけれど、上京の用件があり、観劇できずに残念。こんどきたら、是非観たいものです。

 ニコンの8倍の双眼鏡(オペラグラスでは見えない)をもって、天井桟敷からイヤホーンで説明ききながら観劇するのもまた楽しいものです。女形のほんとうにきらびやかなこと、筋書きもいいけれど眼の保養にもなりますねえ〜。

 
昨年の勘九郎親子の獅子舞もよかったね〜。歌舞伎は顔もさることながら手、腕、体全体の所作がほんとうに鍛えられていて、美しくてすばらしい。歌舞伎万歳! とある。

 私がスーパー歌舞伎ヤマトタケルを随想コラムで取り上げたのを読んでのことだった。
そしてまた、「川くだり」と題して、彼、フクトク君(ペンネーム)から再び たよりが届いた。

1.博多座はお江戸の歌舞伎座のように、左右両側には桟敷席というような作りにはなっていませんね。一階席、二階席、三階席に分かれていて左側も右側も全席椅子席ですね。

2.歌舞伎役者の家系図をみていると、結構養子と表示された役者がおりますね。名跡を伝えるということで、その名前を絶やさぬように、また実子があっても、その子がその名跡に適した資質をもっていない場合には、他家から養子をもらうようですね。歌舞伎の俳優は襲名に恥じないように努力を積み重ね、歌舞伎の家、名跡、芸、はつぎの世代に伝えられているのですね。

3.出し物を大きく分けると;

  イ.荒事(あらごと)怪力無双で正義感に満ち溢れています。

勧進帳(かんじんちょう)、鳴神(なるかみ)
         十八番の役者 市川団十郎(成田屋)

  ロ.和事(わごと)色男、金と力はなかりけり

        心中天網島 しんじゅうてんのあみじま)
         中村贋治郎(成駒屋)チョットふるいかなあ〜

  ハ.所作事(しょさごと) 動作 身のふるまい 舞踊 舞踊劇

京鹿子娘道成寺 (きょうかのこむすめどうじょうじ)
         中村富十郎(天王寺屋)

  ニ.時代物    江戸時代以前のもの 武士の社会に題材を得ている。
               三大歌舞伎ともいわれる。

      仮名手本忠臣蔵 (かなてほんちゅうしんぐら)
        菅原伝授手習鑑 (すがはらでんじゅてならいかがみ)
        義経千本桜    (よしつねせんぼんざくら)
               中村吉右衛門  (播磨屋)

  ホ.世話物  江戸時代の町人社会に題材をとり、そこに生きる人達を描いた芝居

     白波五人男 (しらなみごにんおとこ)
               沢村藤十郎 (紀伊国屋)

上記のような出し物に、BGとして長唄がはいり、また独吟の場面はシ〜ンとしていいねえ〜。坂東玉三郎(大和屋)尾上菊五郎(音羽屋)などなど、観てて楽しいねえ〜!!!

 とある。歌舞伎を大きく分類しての解説なのだが、それぞれに贔屓の役者を見立てて、いいねえ、いいねえ、楽しいねえ、と自ら歌舞伎に酔っているかのような便りだった。
                     
 彼とは、高校の同期であるが、出会ったのは卒業後の、もうかれこれ10年も前、福岡在住のM高校仲間と和合CCでゴルフをしたときに始まる。以来、何度か顔を合わせたことであるが、そのときどきの話題には歌舞伎のかの字も出なかった。したがって彼が歌舞伎愛好者で造詣が深いことなどには、まったく気付かなかった。

 しかし、人それぞれに、永い年月の間には、趣味も悦楽の対象もいろいろと多岐にわたり、ついには深厚に至り、人知れず薀蓄を極めることになる。

 彼の場合、博多座ができてからは地の利を得ていることもある。なにか、目ぼしい演目がかかれば、すぐに博多座へ駆けつけるというのであろう。

 私も、帰省の際に、博多に寄ることが多いが、この博多座には、柿(こけら)落とし後まもなく、劇場の外観を見に行ったことがある。残念ながら、いまだに、ここで観劇する機会にはめぐまれていないが、歌舞伎役者連が川舟に乗って劇場に乗り込んだときの賑わいも耳にしたことであり、その舟着き場あたりまで降りて、実地検分らしきものをしたことがある。

 博多も、こういう立派な劇場を持つようになって、土地の歌舞伎好きにはたまらないであろう。ふくとく君が、いいねえ、いいねえ、楽しいねえ、と言う気持ちは判るというものである。ゴルフも上手いし、歌舞伎も楽しんでいる。これにすぐるものはないではないか。
                      
 ただ、彼からの便りを見ると、ただ、漫然と歌舞伎の歴史と分類をしてきたわけでもないようだ。スーパー歌舞伎はいいですよ、とばかりに猿之助歌舞伎の肩を持ったことへのアンチテーゼとして、彼が正統歌舞伎の良さも忘れるなよ、とするエールを送っていることに気付いた。もっともなことである。

 私とて、歌舞伎十八番を中心に、世話物、所作事の伝統歌舞伎をないがしろにする気持はない。おりおりに、歌舞伎座を覗いたり、とり貯めたTV録画を見たりして楽しんだり、貶したりしていることである。

 心配することなかれ、ほくとく君。回数では伝統歌舞伎の舞台の方を渉猟することがはるかに多いことです。いまでは故人となった贔屓の先代の役者を想い描きつつも、襲名して芸を継承する次代の役者にも目を放さない。彼らの成長に目を細めながら、貴兄のように、いいねえ、いいねえ、楽しいねえ、を連発しているのですよ。

                      
 華やかな衣裳をつけて、松羽目の檜舞台で足踏み鳴らして踊る舞踊ものは、歌舞伎役者の踊りへの修練と伎倆の程度を推し量る恰好な題材である。

 襲名はしたものの、彼は先代に到達しうる才能の持ち主だろうか、いま踊りいる彼の所作は、先代のそれに並びうる所作になっているだろうか。あるいはまた、すでに先代を超える出色な風格を漂わすまでになっているだろうか。それとも、先代のそれと比較するのがおこがましいほどの、お粗末な芸風、芸域にとどまって、目を覆わしめるものであるのか。所作事の舞台を見るときの一つの評価の目安である。

 ふと思い立つ。ふくとく君が紹介してくれた所作事と呼ばれるジャンルの中で、今の観衆はなにを見たいとしているのだろうか。

 少し資料は旧いのだが、歌舞伎好きを対象にその好事度を調べたものがある。
歌舞伎/舞踊 の演目別人気度一覧 (平成十一年版贔屓番付 演目部門)である。

 おそらく現在でもアンケートなどを取れば、これとほとんど変わりない結果が出ることであろう。次のような順位である。( )内は得点の数。

1.京鹿子娘道成寺 (16点)
2.黒塚 (10点)
3.色彩間苅豆 (9点)
4.鷺娘 (5点)
5.達陀 (4点)

6.春興鏡獅子 (3点)
7.連獅子 (3点)
8.積恋雪関扉 (2点)
9.二人椀久 (2点)
10.藤娘 (2点)

11.身替座禅 (2点)
12.素襖落 (1点)
13.高杯 (1点)
14.釣女 (1点)
15.棒しばり (1点)

16.保名 (1点)
                   
 この春、18代中村勘三郎を襲名した中村勘九郎が、息子の七之助と連獅子を踊ると言う。酒酔い、悪酔いの結果、不祥事を惹き起こした七之助は、暫く謹慎して反省の日々を送っていたが、そろそろ潮時か、そのほとぼりも冷めたと判断したのであろうか、最近の舞台には「お詫び口上」で登場しているようだ。

 舞台に正座し、両手をついて「このたびは、誠にご迷惑をおかけ申しましたること、深く深くお詫び申し上げまする。皆様の暖かいご支援をいただき、まことにありがとうござりまする。深く深くお礼を申し上げるしだいにござりまする。」とまずは支持者へ、一方的にお詫びと寛恕を乞い、一転して、その許しを得たことへの深甚なお礼を申し述べている。

 「ああ、これで免責なりとするのか」という思いもすることであるが、観客は一様に拍手で応えているから、ここらあたりで、めでたしではないが、一見落着とするのも時の流れか、まあいいか、とする気持ちにもなってくる。
                    
 さて、その連獅子である。

【連獅子】歌舞伎舞踊の一。長唄。河竹新七(黙阿弥)作詞。能の石橋(しゃっきょう)の小書から出たもの。親子の獅子の舞踊。2世杵屋勝三郎作曲のものと、3世杵屋正二郎作曲のものとがある。(広辞苑)

 明治五年初演の長唄舞踊。手獅子を持った二人の狂言師が踊るうち親子の獅子になり、獅子の厳しい子育ての様を見せる。後半、花道に登場するのは後シテの白い毛をつけた親獅子と赤い毛の仔獅子。勇壮な踊りの間に数々の型を見せる、豪快な毛振りなどが見所のひとつ。実の親子が演じることも多い。(松竹)

 狂言師が、清涼山の石橋の様子を厳かに舞います。手獅子を手にした狂言師が去った後、親獅子と子獅子があらわれて勇壮に毛を振り、獅子の座へと直って舞い納める。親子の情愛を描いていることで人気のある長唄舞踊で、十七世勘三郎と新勘三郎も親子で踊り常に好評を博してきました。前半は獅子の子落とし、後半は豪快な毛振りが見どころです。(Google

連獅子では、親獅子と子獅子の2頭の獅子が出てきます。獅子の毛の色は、普通は白ですが、親子の獅子の場合は、親獅子が白で子獅子が赤になります歌舞伎での見所は、後半の獅子の豪快な毛振りです。獅子の頭から長く後ろへ垂らした毛(足元まで伸びた超ロングヘアーの髪の毛のかつら)を、腰の回転を利かしながら、ぐるぐると廻すのです。歌舞伎役者が自分の背よりも長い獅子の毛を上手に振りまわすのですから、これは結構大変です。相当に体力のいる演技です。獅子は、清涼山の谷川の水で髪を洗い、牡丹の花に戯れ、そして舞い狂う。豪快にして勇猛な獅子の舞です。Google

などとあるように、いわゆる石橋物のひとつで、能から取材したこの歌舞伎舞踊「連獅子」は親獅子が鍛錬のために仔獅子を千仭の谷へ突き落とすという伝説を舞踊化した作品である。舞台は視覚的に実に美しく、また後段のクライマックス、親仔の獅子の精による勇壮な獅子の舞いあってのことである。
 この舞踊は、宗家の親子が組んで演じることが多く、襲名後の記念興行には必ずといっていいほど、この所作事が加えられるようである。

 観客は親と子の舞踊の所作を同時に観る機会に恵まれる。親の所作については年月を経ての完成度を見、子については先代の襲名に値するかを見る。舞台の左と右の親子の動きに忙しく目を転じながらも、親子によるその所作継承の度合いと才能の如何を厳しく判定する儀式が展開するのを見て楽しむ絶好の機会でもある。

 親子の獅子が舞う連獅子も、親獅子1、子獅子2を連ねた「三人連獅子」もあると聞く。しかし、「三人連獅子」の場合は子役二人に目が行き過ぎて、親と子の対比で見る、完成した舞踊の程度を吟味する境地にはならないのではないか、と思われることである。
                     
 さて、獅子が頭に被った長い毛(超ロングヘアーの髪の毛のかつら)や、あのぶん回しのことをなんと言うのか、と考えたが、なかなかうまい言葉が見つからない。まあ、獅子の「毛回し」、「鬣(たてがみ)回し」とでも言うのかと思ったが、関係書類を読むうちに「毛振り」という言葉が出てきて、この呼び方が一般的に承認を得ているようだった。

 よく舞台を見ているとわかることだが、親子の獅子の精が舞台に登場して初めて見せる所作は首を中心に頸毛を細かく振る身震いの所作(shuddershiverquiver)である。これがしばらく続く。確かにこのシーンは「毛振り」という呼称にぴったりであろう。

 しかし、この後に延々と展開する、「長毛廻し」は身震いのそれを大きく超えるものである。あの所作を的確に表現する言葉ではない。こういう場合、確かに長ったらしい呼称は願い下げである。短く、しかも容易に想像しうる呼び名が望ましい。

 この点では「毛振り」は短くて合格である。しかし、この舞台を見たことのない人には、「毛振り」では、あの長毛回しのイメージは伝わらない。頭の毛を細かく振動させ、イヤイヤをするかに、左右にブルブルと振る感じは伝わるが、大きく首を振って回転させる感じは伝わらないのではないか。

 要するに、獅子のうなじから肩の近くまで生えている長い毛、たちがみ。うながみ。総称してのたてがみ(鬣)を模したのが歌舞伎の連獅子の長毛である。

 となると、「鬣回し」(たてがみまわし)か「鬣振り」が無難かなと思う。また「長毛振りまわし」や「長毛ぶん回し」とでも言えば少しはましか、などと思ったりする。難は言葉が長くなることである。多くの人がこの呼称をどうするかについて挑戦して、致し方なく「毛振り」に収斂したことでもあるのか。
                     
 それはさておき。連獅子役者は、あの「毛振り」の所作を繰り返し何回行うのか? 幾たび ぶん回すのか、である。ふと湧いた疑問であった。

 初めてあの舞台を見た人は、美しい舞台に繰り広げられる親仔獅子の勇壮な舞い姿に圧倒されて、それどころではない。連続する感動に酔う一方で、あれよあれよと言う感じで舞台の「鬣回し」を観ているのである。

 が、何度もこの「長毛回し」舞台を見た経験のある人は、少し余裕が出て、歌舞伎役者が演じる姿にさまざまな思いを抱くものである。

 この舞台を観た私の記憶では、「そうだなあ、あの「長毛ぶん回し」は30回もやるかな」であったことだが、つい最近のTVで勘三郎(故人)と勘九郎が演じた連獅子を見たことを思い出し、確かめてみることにした。幸いにもDVD録画をしていたことから、これを再生して確かめてみた。

(伝統の至芸 十七世中村勘三郎 舞踊長唄
連獅子 昭和61年収録版 NHK BS。右近 中村勘三郎(76歳)、左近 中村勘九郎(31歳)。)

 まあ、暇なことよなあ、と言われれば一言もない。ただひたすらに、舞台の両獅子が「たてがみまわし」を何回やるかだけに集中して、その回数を数えてみたことである。

 前半、親獅子に蹴落とされて花道入り口まで仔獅子がすっ飛ぶ過程での準備作業をかねた左右への「毛振り」が11回、そして花道スポットから仔獅子が長毛回転を行いつつ、舞台中央ににじり寄り、左右に並んだ二頭の獅子の精が盛大に、本格的な「鬣回し」の毛振りを行う回数が52。合計63回。

 しかし、ここでは若さと老いの差が出たことである。最初こそ、両獅子とも、同じ間隔とリズムで長毛回転を続けたことであるが、さすがに76歳の親獅子は息切れし始める。

一方の31歳の若獅子はつかれを知らぬ気に、回転度は早くなり、長唄囃子も、嗾(けしか)けるように速度を増して高潮する。

 DVDの画面では、終始親仔獅子双方を画面に捕捉していないこともあり、双方の「気振り」回数を正確に数えることはできなかったが、仔獅子のほうが後半52回、親獅子が後半44回のぶん回し、であったことだ。

 しかし、これは回数が多ければいい、早ければいい、というものではない。どちらかと言えば焦りまくる仔獅子のほうは、長毛の先端までピンと延びきるという風格からは、およそ縁遠いものとなってしまった。
 ここでは、ゆったりと廻す親獅子の「長毛回し」の美しさこそ、この所作事の模範であろうし、規範であろう。それは、後半44回という ぶん回しのリズムである。

 近時はこの回数が多いことだけを熱演と称して賛美する声が目立つが、少し頭を冷やしてもらいたいものである。切れ良く、修練に富んだ若手のばあいでも、後半からの本格「毛振り」の回数は4550に留め、抑えることが求められるべきであろう。

 獅子の精の毛振りだけで、55回やった、60回やったなどとの記述もあるが、伴奏音楽に合わせてのリズムとも関係することから、いたずらに多数回を追い求めるのは愚である。本当に歌舞伎役者の所作芸の粋を期待するのなら、「毛振り」の回数は上限45回程度と知るべきであろう。

(さて、ここで七之助君に伝えておこう。父君18代中村勘三郎と親子で「連獅子」を踊るときの「毛振り」の回数については無理しなさるな。ここで汚名挽回などと長毛ぶんまわしを後段60回以上などと踏ん張る必要はないのですぞ。父君と同じ回数でおやりなさい。父君はおそらく、45回で舞うと思いますよ。)
                      ★
 それにしても、「毛振り」の所作は大変な労働である。これをこなすには相当な肉体の鍛錬が要る。腰骨、背骨を芯に据えて、首頚骨をぐるりと廻して遠心力を付け、身長よりも長い背毛の先を最先端までピンと飛ばさなければならず、このためには、全身の骨格と筋肉を使っての、ものすごい運動量を必要とする。
 この、ぐるぐる廻しは、三半規管にも普段にはない状況を強制することでもあり、これも馴らさねばならないであろう。ちょっとやそっとの練習ではこなせるものではない。
 役者は、このぶん回しをするときには、おそらく、命懸けで取り組んでいることであろう。厳しい芸のありようだな、と思われることである。首の骨がどうにかなるのではないか、と心配する。


 「毛振り」のクライマックスのシーンを観ながら、傍にいる家内に
「役者は両手を両頬に当てて、首が動かぬように、頚骨を守るために支えているようだね。」と言ったことだ。新聞を読みながら、ちらちらTVの画面を見ていた彼女が「ちがいますね。かぶりものの毛を顎で結んだ紐とは別に、両頬に垂れている毛を両手でしっかりと掴んでいるのですよ!毛かつらが飛んでしまったら大変ですからね」とポンと一蹴り。

 そう言われて、よくよく目を凝らすと、なるほど、勘三郎も勘九郎も両頬に垂れている髯(頬髯・whisker)をしっかりと握っているではないか。


 指折り数えて声にまで出して、「毛振り」の回数だけに目を光らせていた男の思わぬ失態だった。 
                      (
2005.4.15

・緑色表記の部分は他からの引用を示す。映像はNHK・TV による。

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 いただいたお便りをご紹介することにしました。
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1.今回も歌舞伎のコラム第2段! 興味深く楽しく拝読いたしました。
 歌舞伎にも造詣がお深いのね。
 アンケートによると所作事のなかでの好事度が連獅子は7位になっていますけど
私なら1位は 京鹿子娘道成寺で納得ですけど、2位鷺娘、3位連獅子です。
 それにしても、毛振りを数えてみるなんて………「へぇー51回も?」と驚きました。
 役者って すごいね〜 わくわくするね〜 尊敬するね〜 と、ふくとくさん流に云いたいです。              (2005.4.16  S・かつこ


2.G会では、懐かしき友多く、お話する時間が足らず失礼しました。ゴルフにも参加せず、申し訳ありませんでした。好天の九重CCの画像を見て、じだんだ踏みました。
 また、「目を光らせて」のご案内ありがとうございました。
              2005.4.16  O・せいいち


3.ご無沙汰していますが、早や桜も散り、また一年しないと花が観られないとは、ものの哀れを感ずるときです。相変わらずお元気そうで安心しています。
 標題の件、熟読玩味しました。有り難う御座いました。私にとって歌舞伎は嫌いではありませんが、好きでもなく、機会があればたまに出かけます。
 
 ただ、標題の『毛ぶり』についてはいつか見たことがあります。貴兄のようにあの動きを固唾をのんで観たことが記憶にあります。ご恵送いただいた写真ご芳情を感謝します。唯、言いにくい事ですが、写真は十分ご留意の上お願いします。最近最新の機械があるので。心配無用かと思いますが。
 
 昨日はゴルフを桜とともにプレーしました。 花吹雪 マーカーとられて 二つ罰

 
 皆さん何時までもお元気で。添付書があります。

 
 歌舞伎に関連して 
 
 人間が存在するところ、必ず心の癒しを求めて歌、踊り、音楽(楽器)が自然発生的に興る。所謂、芸能である。この芸能娯楽は人間にとって無くてはならないものである。

 日本芸能の最初に出てくる文献は;
 701年  大宝律令  雅楽寮  (うたまいのつかさ)であった。
 800年        楽所
 途中をスキップさせる
 明治    宮内省   式部職、 楽部
 1945  宮内庁

 国家が司、つかさで芸能を管理監督していたが、管理力の弱い時、曖昧な時代に日本芸能は勃興し多様になり発展していった。上記のスキップさせた年代が一番芸能にとって重要な時期であった。

 スキップさせた年代を簡単に羅列してみると;

    今様は(いまよう)上流社会ではやされ、白拍子、風流、田楽は庶民が楽しんだ。
   11―12世紀頃であった。

 
    曲舞(くせまい)、観阿弥(足利義満頃)、猿楽、能楽(能と狂言を一緒にして能と言ってい   る)。13−14世紀頃であった。

    散楽:かるわざ、物まね、人形回し、手品などをいう、人を驚かせることを意識している。現   在、TVで大変流行している。散とは正式でない音楽の事、例えば散文は正式な文学ではない   と言う意味。

    神楽:民族芸能、 翁:能にして能ではない神事、祭礼の芸能である。

    歌舞伎:能は主に支配階級の芸能であり、一般大衆も生活に余裕ができ、歌舞伎(1600年   頃)は生まれながら大衆のものとして育成発展していった。

   1200年頃の琵琶系は語り物、1400年頃は能狂言が盛んになった、文楽は1600年頃    人形を通じて物語性をもたせた。

 歌舞伎の特質 

 歌舞伎の大きな特徴は1603年、歌舞伎が日本最初に興行形態をとり有料として、その対象も一般大衆とした。観客は志をだすことが前提となった。従来の能は興行ではなく神社、仏閣に奉納する形をとった。もう一つは三味線の定着であった。

 かくして、歌舞伎は所作事、長唄、義太夫節、三味線、と現在に至っている。唯、現在は時間(録音)、および空間(ビデオ)を超越して共有できるようになった。

 能と歌舞伎の共通点

 揚幕、囃子方の位置、出口囃子、陰囃子、下座音楽とうは同じである。
 雅楽由来の言葉:塩梅、二の舞、二の句、千秋楽、座(職業別に座を設ける)・・・等
                  2005.4.17  T・のぶあき