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3. アルバイト編
愕然としました・・・・。8万円もするなんて・・・・。
中学生にとっての8万円はとてもじゃないけど捻出できる金額ではありません。しかし、私は
どうしてもエレキが欲しくなってしまったのです。エレキを手に入れるためには殺し以外は何
でもやる!という勢いだったのですが、かといって盗みを働くわけにはいきませんし、友達と
知恵を絞った結果出た答えは
”バイト”だったのです(うーん、まじめ)。
そして、友達たちと就職活動をはじめました。いろいろな情報を集めた結果、まずは打ちっぱ
なしのゴルフ場の玉拾いのバイトがいいのではないか、ということになりゴルフ場を5,6件
まわりました。確かに、そのバイトは存在しているのですが中学生はなかなか雇ってくれない
のです。あえなくそのバイトは諦めました。
次に入ってきた情報は、大学の医学部でのバイトです。医学部で何をするかというと、解剖実
験用の人間の死体沈めという仕事です(ほんとにそんなバイトが有ったかどうかは判りません
が)。話によると、医学部には実験用の死体をホルマリンのプールに沈めて保存してあって、
それが浮いてくるらしく、浮いたままにしておくと腐ってしまうので、棒で死体を沈めないと
いけないらしいのです。その、死体を沈めるバイトがかなりのギャラをもらえるらしいのです
が、情報源から”そのバイトは人気が有ってなかなか仕事が回ってこない”と言われ、これも
断念しました。
そして、ようやくありついた仕事が、バイトの定番(当時は)新聞配達だったのです。なかな
か新聞屋さんも中学生は雇ってくれないのですが、一件だけ雇ってくれる所が有り、そこで友
達一同、働くことにしました。私は夕刊100件で月給1万円。日給400円弱です。その仕
事を雨の日も風の日も、半年間(短いですが)続け、ようやくエレキが買えるくらいのお金が
貯まったのです。
そして、そのお金にお年玉をプラスして、ようやく念願のエレキ・ギターとアンプを買いまし
た。中学2年の冬でした。ここから私の音楽生活が始まったのです。
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4. ヘビメタ編
中学2年の冬、ようやく念願のエレキ・ギターを手に入れました。それからは来る日も来る日
もギターばかり、寝てもさめてもギター、ギターの毎日でした。当時、私がギターで演奏して
いた音楽は、私のプロフィールにも有りますように、高中正義の曲だったのです。一番のお気
に入りのアルバムは”サダージ”というLPで、楽譜を買って全曲コピーしたものでした。今で
も好きなレコードですが・・・。
しかし、私の友人達はみなハードロックにぞっこんで、私の出す音とは全くかけ離れた音でギ
ターを弾いていたのです(エフェクターを使ってたなー)。そこで私も”なんでみんなあんな
ウルさい音楽が好きなんやろう?いっぺん、僕も聞いてみようかなー”と思い、ある日、レン
タルレコード屋(当時はアナログLPでした)に行き、ハードロックバンドなんて全然知らない
のにハードロックのコーナーに置いてあるレコードを1枚借りてきたのです。
なぜその1枚を選んだのかというと、ジャケットが気に入ったからでした。そのジャケットは、
巨大なミイラの怪物が地獄でいきまいている、というオドロオドロしいもので、とにかくイン
パクトの強いジャケットが気に入って借りてきたのです。そして、早速そのLPをターンテーブ
ルに乗せてビックリ!!その音もメチャ格好良かったのです!!
今までに聞いたことのないようなギターのサウンドにすっかり参ってしまいました。そのバン
ドが”アイアン・メイデン”だったのです。それからはアイアン・メイデンのレコードを片っ
端から聞いて、片っ端からコピーしました。非常にスピーディーな曲が多かったので苦労した
のですが、なんとかそれ風に弾けるようになり、今考えると私のギターの基礎はそこで作られ
たのかも知れませんね。さらに、そこのギタリストのプレーがブルース・スケールを使ったも
のだったので、そこですでにブルースの音使いが好きになっていたのかも知れません
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5. ジミヘン編
ある日、たまたま雑誌に載っていたアイアンメイデンのギタリストのインタビューを読んでい
ると、その人が”自分はジミ・ヘンドリクスが大好き”と言っていたのです。”ジミ・ヘンド
リクスってジミヘン、ジミヘンと言われてる人かな?”なんて思いながら、次の日、おもむろ
にジミヘンのレコードを買って聞いてみたのです。ちょうど、そのころジミヘンのベスト盤が
デジタル・マスタリングされて出たので、入門には良いだろうと思い買ってみました。
以下、レコード店での会話。
私 :ジミヘンのベストが出たらしいんですけど、置いてますか?
店のおっちゃん : あ、ちょうど今日入りましたよ。これでしょ。
私 :あ、それです。
店のおっちゃん :お兄さんか、お姉さんが聞くんですか?
私 :いえ、僕が聞くんです。
店のおっちゃん:へー!!今の若い子でもこんなん聞くんですか?
これは15,6年前の話ですが、そのころでさえジミヘンはもう過去の人だったのです。ひょ
っとして今のほうが、音源もたくさん発掘されているので、ポピュラーなのかも知れませんね。
そして、そのレコードを聞いてみました。その時の感想は、はっきり言って、よくその音楽が
解らなかったですね。なんやこれ??って感じで。しかし、数曲は解りやすいメロディの歌が
あったので、たとえば、ブードゥー・チャイルドなんかはとても気に入ったと記憶しています。
しかし、そのギターのサウンドが良かったので、解らないまでも、聞きつづけていました。
そうすると、人間はおもしろいもので、だんだんその良さが解ってくるんですね。次第にジミ
ヘンの音楽がとても好きになってしまっていたのです。私はそこでさらにブルースに一歩も二
歩も近づいていたのでしょう。
当時、高校2年生でした。
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6. クラプトン編
ちょうどそのころ、エリック・クラプトンがポップな曲をたくさんやりはじめて、所謂ロック
少年よりも女子大生のファンがつき始めていた頃だったと記憶しています(そんなん有ったん
かい?!)
大学生になると皆クラプトンを聞き始める、と言われていたくらい、大学生アイテムになって
いました。なんか、”自分は大人の音楽を聴いてるんだぞ”とでも言いたい年頃の人にマッチ
した楽曲を多く作っていた時期だったかも知れません(とは言うものの、アルバムには1曲く
らいブルースのカバーは入ってましたが)。そのようにクラプトン人気がより多くの人に浸透
した時期でもあったため、私の耳にももちろん、その音は入ってきてました。
雑誌などでジミヘンとクラプトンの交流の話などを読むうちに、私もクラプトンに興味を持ち
始め、例のごとく、とりあえず聞いてみることにしました。実は、クラプトンは私が中学3年
生のときに友達のお兄さんから”レインボウ・コンサート”というライブ盤を借りて聞いてい
たのですが、その時は全く理解できなくて、そのままになっていたのです。そこで改めてクラ
プトンを聞いてみようと思ったのです。聞いてみると、なるほど、ポップでとっつきやすい音
楽で、さらにギター・プレーが良い!私はクラプトンを再発見(私自身のなかで)したのです。
その頃、先のレインボウ・コンサートを貸してくれた友達のお兄さんと話をしていたのですが、
私 :クラプトン良いですよね。
友兄 :ええやろ。
私 :なんかギターがブルースっぽくて。最近そうなったんですか?
友兄 :どあほ!クラプトンは昔ブルースやっとったんや!
昔クリームっちゅうバンドをやってて、そこでブルースを大音量でやっとったんや。
その前はモロにブルースをやっとったんや。
私 :へー、知らんかった・・・。
そこで私は”昔の”クラプトンを聞いてみようと、レコード屋へ走ったのです。ジミヘンを買
ったときと同じ、商店街のレコード屋さんです。そのお店で私は”クリームライブ Vol2”と
いうライブ盤を買ってきました。
それをターンテーブルに乗せてビックリ!”めちゃ、カッコええやん!!!”
これが私のブルースを弾くクラプトンとの再会でした。
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7. ブルース本格始動編
このようにクラプトンを改めて聞くようになりました。
クラプトンの旧譜をいろいろ聞いてみたり、雑誌のインタビューをかき集めるように読んだり
して、私のクラプトン熱は上がって行ったのでした。
そのようにクラプトンに触れるうちに、クラプトンにまつわる一つのキーワードが浮かび上が
ってきたのです。
それが”ブルース”だったのです。よし、本格的にブルースを聞いてみようか?!
私が浪人生の時でした。
いままで書いてきたように、高校生活はギター一本槍だったので、もちろん(?!)現役で大
学に受かるわけもなく、暗い浪人生活が始まったのです。
高校1年の時は、私の成績も学年で一桁の人数のうちに入る成績だったのですが、高校2年の
頃から坂を転げ落ち、いつしか下から数えたほうが早いくらいの成績になり、そのうち学校が
嫌いになってしまい、更には学校をサボるようになったのです。
弁当を食べ終わったら学校を抜け出し、そのまま映画館にいって映画を見たり、レコード屋さ
んにいって一日中レコードを漁ったり、いまから考えると無駄な時間を随分過ごしていたよう
に思えます。
そんな高校生活が終ると、厳しい浪人生活が当然の如く待っていたのです。
受験勉強に追われる日々のなかで、唯一の楽しみといえば、やはり音楽でした。
先ほど書いたように、ブルースを聞いてみようと思ったのですが、いかんせん誰の何というレ
コードを聞けばよいのか全く見当もつきませんでした。
しかし、そこに神の救いの手が差し伸べられたのです!!
ちょうどその頃読んだギターマガジンで”ブルース特集”なるものが掲載されていたのです。
その特集では、あらゆるブルースが素人にも解りやすく説明されており、ブルース初心者の私
にも絶好のガイドブックになったのでした。
その特集のなかで”まずこれを聞かなければ話にならん!”という勢いで紹介されていたのが、
かのマディ・ウォーターだったのです!!
その紹介の文には”ブルースの超ヘビー級”などとかかれており、私はさっそくそのレコード
を買いにいきました。
これが私のブルース筆卸(ふでおろし:下品で済みません)でした。
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8. ブルース本格始動編(その2)
そのころの行きつけのレコード店は、大阪 梅田のワルツ堂というお店でした。みなさんも大
阪には”北”と”南”があるのはよくご存じだとは思いますが、梅田というのはその”北”の
入り口にあたるところで、大阪でもちょっと洗練された、僕にぴったりの場所なのです。阪急
梅田駅近くのEst(エスト)というファッション系のショッピングモールの中にあるお店で、
その面積はそれほど広くはないのですが、マニアを唸らせる品揃えには定評があり、僕もすっ
かり常連になっていました(お店の人とは特に話したりはしませんでしたが・・・)。
海賊盤もかなりマニアックなものが置いてあり、もちろんブルース系も充実していましたが、
お店の面積の都合上、枚数はやや少なめでしたね。ま、しかしそこへ行けばとりあえず欲しい
ものは揃うといった感じで、大学時代は、帰りにしょっちゅう寄り道をしたものでした。
まだお店にはCDはそれほどなく、LPがたくさん有った時代です。そのお店が、LPを徐々に減
らし、CDに移行していった時にすこし寂しい気がしたのは僕だけではないはず・・・。なんだ
か、今までの自分の音楽とともに歩んできた青春が消えていくような感じがして・・。
僕の家にはまだLPがそこそこ残っており、たまに聞いたりするのですがやはりアナログ盤は面
倒臭いですね!(うーん、人間はすぐに堕落する生き物だ)。すぐにカビも生えるし(とどめ)。
しかし、LPはLPの味があり、なかなか良いものです。
ちょっと話はそれますが、皆さんは”ジャケ買い”という言葉を知ってますでしょうか??知
らなくてもその昔、皆さんやっているはずです。ジャケというのは、そうです、レコードの
ジャケットのことです。ジャケ買いというのは、レコードのジャケットが気に入って思わず買っ
てしまう、もしくは”うーん、どのレコードにしようかなー”と悩んだときに、ジャケットの
良さでとある一枚を選んでしまう、という動作を表わす言葉です。
やったことあるでしょ??
僕はよくやりました。
このジャケ買いという”文化”はLP時代特有のものであると僕は思うのですがいかがでしょ
うか?
CDになってしまうと(MDなんて論外)、もはやジャケットなんて、有るには有りますが、小
さすぎてその意味合いが薄れていると思います。
人間の目には限界があり、色を有する物がとある面積より小さくなると、どんなものでもとあ
る色(一色)に見えるという性質があるので、CDのジャケットは、より人間の視覚という感
覚に対して暗い方向に行っているのは確かです。
LP時代はレコードを作る側のアーティスト達にとっても、とても重要な物だったようです。
LPの内容を間接的に表現するということに使ったり、またジャケットそのもののもつ芸術性を
追及したり・・・。
昔、よくとあるアーティストの新譜の発売が遅れた、その理由はジャケットのデザインが気に
入らないから、とか、ジャケットはいつも10個位の候補を作ってそこから選ぶとか、雑誌の
記事で読んだことがあります。
ジャケットのデザインを生業にしている人も(今でも)もちろん居ます。
LPを買う側の僕達も、LP時代は一粒で二度おいしい時代だったのですが・・。
ジャズバーとか、ブルースバーなんかに行くと、LPが壁に飾ってありますもんね。
CDではやはり絵にならない・・・。
CDの”便利、良質”というものの代償はあまりにも大きかったような気がします。
話を戻しましょう。
僕は早速、ワルツ堂にマディ・ウォーターズの”The Best of Muddy Waters”を買にいき、
もちろんゲットし、とんぼ返りで家に戻ってレコードをターンテーブルに乗せました。
さっきのジャケットの話に戻るわけではないのですが、そのレコードのジャケットもまた強烈
なインパクトを持っていたのです。
油でぎとぎとのマディの横顔のどアップという、なんとも大胆なジャケットなのです。
それまで僕は本物の黒人ブルースマンが演奏するブルースなど真面目に聞いたことが無かった
のですが、なんとなくブルースに対するイメージは持っていて、狭くて暗ーい酒場にピアノ、
ハープなどのバンドがいて、たばこの煙がもーもーとしているなかで演奏しているという、み
なさんがもっているイメージとほとんど同じ様なイメージだったと思います。レコードをかけ
る前に”そういうイメージ通りの音がでてくればいいなー”という期待ももちろんありました。
レコードが回転し始めると、プチ、プチというノイズが2、3回聞こえ、その後、わりと静か
めにピアノのイントロが始まったのです。
うん、なかなかいい感じだ。
と思った次の瞬間、ボワっと、まさにボワっとハープや他の音が入ってきたのです。”うおー、
かっこいい!!”その音の重量感たるや、まさに超ヘビー級でした。
もうその時点で僕の部屋がシカゴの酒場に変わっていたのは言うまでもありません。
更に、さっきまでのはただのジャブさと言わんばかりに、マディのボーカルという重い右スト
レートが飛んできたのでした。
”I Don't Want to・・・・”、ズドン!
僕はもうこの1曲の最初のワン・ツーでK.Oされてしまったのです!
この曲こそ、日本語でいうのはあまりにも恥ずかしい”I Just Want to Make Love to You ”
だったのです。
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9. レコード買い捲り編
みなさん、お待たせいたしました。
少し間があきましたが、僕のブルース体験記の続きです。
前回お話しした事が、僕とシカゴ・ブルースとの出会いだったのです。
あまりにも衝撃的なマディ・ウォーターのレコード・・・。レコードの針が進むにつれて僕は
ブルースという、まさに”泥”沼にはまっていったのでした。
そのLPにはマディの代表曲がたくさん入っていて、それさえ聞いておけば間違いなし!と言っ
ても過言ではないでしょう。そのレコードでマディのバックをつとめているメンバー達もシカ
ゴ・ブルースを代表する有名なプレーヤーばかりなのです(もちろん、そのときはそんなこと
は知りませんでしたが・・・)。そんなレコードが良くないわけがありません!
なかでも、僕が即座に気に入ったのは”LONG DISTANCE CALL”、”HONEY BEE”、
”HOOCHIE COOCHIE MAN”、”I'M READY”・・・・などなどでした。あ、全部ですね!。
このレコードを最初に引き当てたのはラッキーとしか言いようがありません。
このようにすっかりブルースにはまってしまった僕は、もっともっとブルースのレコードを聞
きたくなりました。しかし、誰のどのレコードを買えば良いのか・・・?
そんなときに僕の目に入ったのはレコード店のレコード棚の上に置いてあったブルース・レコ
ードのガイドブックだったのです。厚さは3cmくらいでしょうか?結構厚めの本で、シカゴ・
ブルースはもちろんのことテキサス、サザン、ジャンプ、さらにはジャズまで、ブルースに関
係する音楽はすべて網羅されているといってもいいくらいの、とても有難い本です。その本は
今でも僕の本棚にあります。
その本を買って、説明文の気に入ったもの、ジャケットのカッコ良いもの、マディと関係のあ
りそうなものを片っ端から買ってみたのです。その本にはブルースのレコード店の広告もたく
さん出ていたので、ワルツ堂だけでなく、神戸あたりにあるお店にも行ってみました。なかで
も僕のお気に入りのお店は、神戸・三ノ宮にある”アップル”と”ハックルベリー”という2
つのお店でした。
両方とも、お店の面積はお世辞にも広いといえるものではないのですが、ブルースはもちろん
ロックのレアなものまで、お店中びっしりとレコードが置かあり、一日中そこにいても飽きな
かったのです。ブルースのレコードもとても種類が豊富で、”アップル”さんには”ブルース
定番のコーナーもあり、そこに置かれているレコードはまさにガイドブックそのもののような
レコードばかりで、僕の欲しいレコードはすぐに入ったのです。神戸の2つのお店には毎週末
のように通っていましたね。
僕の住んでいた町は尼崎市の”武庫之荘”という町で、住宅街という以外特になにもない所で
した。阪急・武庫之荘駅の周りには結構な豪邸がたくさんあるのですが、僕の住んでいたとこ
ろは駅よりちょっとサウスサイドで、駅周辺とはちがって、いわゆる”ゲットー”に近いもの
がありましたね。
先日、大阪でいま活躍しているハーピストのウェットマウス・ジョーさんとお話しする機会が
あったのですが、ジョーさんは僕の出身地が尼崎だと聞いて2、3後退りしていました・・・
(大阪人に言わせても、尼崎はガラの悪い所らしい)。かく言うジョーさんも今は西成に住ん
でいるとか・・・。僕は良い勝負だと思いますが・・・。
それはさておき、神戸・三ノ宮は、武庫之荘駅から特急に乗って20分から30分らいの距離
です。三ノ宮に着くまでは、電車の窓から見える景色をよく楽しんだものです。右側には六甲
山、左側には海が見え、天気の良い日はどちらも良い眺めでした。春は線路沿いに咲く桜がと
ても綺麗で、おおよそブルースとは無縁な景色でしたね。神戸はあまりブルースとは接点のな
い所なのでしょうか??
しかし、僕はそんな神戸にブルースを求めて通っていたのでした。
そんな神戸にあるお店で、マディ、ハウリン・ウルフ、ゲイトマウス・ブラウン、エルモア・
ジェイムス、B.Bキング、アルバート・キング・・・・、などなどいろんなレコードを手に入
れました。なかでも、もともとギタリストの僕が一番興味を覚えたのは、これまた定番の
B.Bキ ングだったのです。
マディの次に僕に衝撃を与えたのは、B.Bキングの”ライブ・アット・ザ・リガル”という歴
史的名盤でした。
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10. B.B.KING編
B.B キング。誰でもこの人の名前ぐらいは聞いたことが有ると思います。それほど有名な彼
の魅力を僕は思い知ることになるのです。
僕はその歴史的名盤”ライブ・アット・ザ・リーガル”を買ってきて、早速ターンテーブルに
乗せて見ました。B.Bキングを紹介するMCの後に、軽快なリズムに乗ったホーンのイントロが
始まったのです。ん?今までに聞いたことがないような雰囲気やぞ・・??ちょっとジャズっ
ぽいのかな?と思いきや、B.Bキングのギターが聞こえてきたのです。
おお!音使いはブルースや!音質もいい!
次に始まったボーカルもいい!!
うーん、さすが歴史的名盤!!といった感じでした。
”Everyday,everyday I have the blues・・・”
うーん、これがあの”エブリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース”か・・・。
それにしてもB.Bキングのギターはええなー!!
と感心していると、つぎにスローなあの”スイート・リトル・エンジェル”が流れてきたので
す。
B.Bの魅力はやはりスロー・ブルースなのでしょうか、悶絶するようなギターに僕は完全にノック
アウトされてしまいました。
このように、僕も”例に漏れず”B.Bキングが好きになってしまったのです。B.Bキングの音楽
は今まで僕が聞いた、いわゆるシカゴのブルースとは全然違っていました。なんというか、
ちょっとおしゃれな感じのする音楽だったのです。
シカゴ・ブルースの場合は、仕事が終わって油まみれになって、うー疲れた・・・、酒とブル
ースや!、という感じなのですが、B.Bの音楽は仕事を休んで、朝から美容院に行ってタキシ
ードを着て、ハイヤーに乗ってアポロシアターへお出かけ、という雰囲気だったのです。こん
なブルースもあるんやなーと思いました。
僕はもう何度もB.Bのコンサートに行ってますが、コンサートに来るお客さんはちょっとお金
に余裕のある中年のご夫婦が多いような気がしますね。特に奥様のほうは結構お洒落をして来
ているようでした。
そんな所に僕は汚いカッコで行ってましたね・・・。
そんなお洒落な雰囲気の中で聞くB.Bキングのギターも、とてもカッコ良かったのです。
それから僕はB.Bキングのそのレコードのフレーズをパクリまくったのです。僕は楽譜を書けま
せんので、ギターのいわゆる”タブ譜”をノートに書いてフレーズをメモっていったのです。
B.Bキングの魅力とはなんぞや?!
それはやっぱりそのギター・プレーでしょう。
今のロックは、直接は彼から始まったといっても過言では有りません。
ロックをギター音楽にしてしまったエリック・クラプトンも例に漏れず彼のギターに憧れ、そ
れを自分のギターに取り入れ、大衆に広めた、とも言えるでしょう。
B.Bキングのギター奏法の最大の特徴はチョーキング(ベンディング)だと思います。
ハーモニカでのベンドと同じ様なものですね。キュイーンと音を(音程を)上げるテクニック
のことです(ハーモニカでは音程を下げますが)。
このチョーキングは今やロック・ギターを弾く人でやってない人はいません(まあ、良いチョ
ーキングをしている人も少ないですが・・)。
これをB.Bキングが発明したとは言いませんが、世に広めた人であることは間違いないでしょう。
これがとてもエモーショナルなのです!
また時にはジェントリーに・・。
このニュアンス、わびとさびがたまらなく良いのですよ。
あとはビブラートですが、これは後の機会にでも触れましょう。
また(僕的に)ギターのうまい人は、何故かその音質もとってもクリアです。
やはり演奏にピカッとセンスの光る人は音作りにもセンスが光るのでしょうね。
B.Bキングはエフェクタなんて無用の長物は一切使っていないのです。
アンプもツアー先で調達する(借りる)みたいですし・・・。
百聞は一見にしかず、みなさんも是非”ライブ・アット・ザ・リーガル”、だまされたと思って
聞いてみてください。
まだまだ書き足らないのですが、長くなりましたのでこのへんで。
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11.テキサスの暴れんぼう編
前回は私のB.Bキングとの出会いを書きましたが、今回も、それ以上の衝撃的な出来事を書き
たいと思います。この出来事によって、僕のギター人生が変わってしまったと言っても過言で
は有りません。
それは、僕が大学1年生のときのクソ暑い、ほんとにクソ暑い8月の出来事でした。ある日、
僕は何気なく”ぴあ”という雑誌を立ち読み(ぴあくらい買えってか?)していたときです。
音楽のコンサート情報のコーナーを見ていると”ジャパン・ブルース・カーニバル’88”と
いう文字が目に入ったのです。
’88ってもう11年前になるんですね・・・。ということは今大学1年生の人とは年が11
歳も違うのか!ショック・・・!。
そんなコンサートがあるのか?!と思った僕は、是非行ってみようと、すぐチケットを手にい
れたのです。公演日の数日前にも関わらず、一人ということもあって、前のほうのポツリと空
いた席が手に入ったのでした。
場所は大阪・枚方パーク・野外ステージ。
コンサート当日(8月)は今思ってもほんとに暑かったです。
雲一つ無い空にカンカン照りのお日様、ほんとに死にそうでした。
その日のメインは、かのアルバート・コリンズだったのです。
その他にいろいろ出ていたのですが、僕の眼中にはコリンズおじさんしかいませんでした。
アルバート・コリンズとはテキサスの暴れん坊ブルースマンで、そのギターのサウンドが
”パキーン!!”とくるとてもかっこいいミューシャンなのですが、僕はレコードでしか聞い
たことが無かったので、是非見てみたいと常々思っていたところにタイミングの良い来日。も
う期待でいっぱいでした。
彼が60才そこそこで死んでしまうまでに(肺癌だったと思います)トータル4回位、見にい
きましたね。
コリンズの出番までに3組ほどのステージがあったのですが、ステージが進むに連れ、あまり
の暑さに、あっちでバタっ、こっちでバタッと人が倒れ、そのたびにコンサートスタッフが倒
れた人をおんぶしてかつぎ出していました。僕自身もけっこうヤバかったのですが、コリンズ
おじさん見たさになんとか耐えました、いや、ほんとに辛かった・・・。
それ以後、ブルースカーニバルは5月末にやるようになりましたね。しかし、その時期はちょ
うど梅雨時、僕も何回も雨にたたられましたが。
そうしているうちに、いよいよコリンズおじさんの登場です。
彼がステージに現われた瞬間、会場は総立ちになりました。
そして、ギターを一発、ほんとに1音だけ”パキーン”とやったのです。
”うぉーーー!!”と割れんばかりの歓声、僕は、たった1つの音だけでもこれだけ人に感動
を与えられるんだなーと思いました。
むかしロックをやっていたときは、1拍にいかにたくさんの音数を詰め込めるかで競っていた
こともありましたが、そんなことは全くの無意味だということを思い知らされたのです。その
日から僕は1音の持つ意味を考え、それらをつなげるようにギターを弾くようになりました。
コリンズおじさんのギターのチューニングはオープンDmだのFmだの、普通の人はまず使わな
いチューニングなのです。さらにカポタストを付けて弾くという、まさにワン&オンリーな人
なのです。
そういう自分のスタイルを貫くという姿勢もまたカッコいい!
みなさんも機会があれば是非聞いてみてください。
コリンズおじさんは、僕に、いや、たくさんの人に大きな遺産を残してあまりにも早く逝って
しまいました。
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12.オーティス・ラッシュ編
今回は、現在の僕のギタープレーに一番大きい影響を与えている人物との出会いを書きましょう。
おそらく、2番目に大きく受けている影響の度合いに対しても、ブッちぎりの影響力だといえ
ます。
それほど僕に影響を与えた人物とは??
それはオーティス・ラッシュなのです。
一番好きなギタリストは?と聞かれると迷わずこの人の名前を言います。
今まで書いた体験記と時制が前後しますが、それは僕がくらい浪人生活を始めた春のことでした。
ある日、TVでブルースの特別番組が放送されていたのです。その番組は秋野ようこがシカゴを
旅して、ブルースを聞いて回る、というものでした。なんで秋野ようこやねん?!と思いますが、
とにかく秋野ようこでした。
今でもそのビデオを保存しているのですが、BBキング、アルバート・キング、シュガー・ブルー、
マジック・スリムなどたくさんのブルースマンの演奏シーンが見れたのです。豪華ですね!
その中に、シカゴ・ブルース・フェスティバルで演奏するオーティス・ラッシュの姿がありまし
た(曲はインストのTOPS)。その演奏を見た瞬間、”おー、ええギター弾くなぁー!”ととて
も感動したことを覚えています。
加えて、シュガー・ブルーにも圧倒されましたが・・。
そこで、例のごとく、早速ラッシュのレコードを買ってみたのです。
レコードは、名盤の誉れ高い”Right Place、Wrong Time”。
このレコードには参りましたね・・・。
月並みな表現ですが、それはまさにキュイーンと五臓六腑をまさぐるようなギタープレーが満
載されていたのでした(どんなんや!?)。
それからというもの、僕はラッシュのレコードを片っ端から買いあさったのでした。
”いままで探してたんはこれや!!”という確かな手応えが有りましたね。
ラッシュを聞いた瞬間、BBでもアルバート・キングでも、コリンズでもない!
これや!これや!これやー!といった感じだったのです。
ラッシュのギターの特徴は、やはりチョーキング(ベンディング)&ビブラートです。
それがブッちぎりにエモーショナルなのです。
僕は来る日も来る日もラッシュのビブラートを研究しました。
しかし、やってもやってもラッシュのようには弾けませんでした。
どうすれば同じように弾けるんやろう??
よし、ビデオを見て手のフォームをパクろう!
と、ビデオを見たのですが、ラッシュは左利きで、加えて、弦を左きき用に張り替えず右用そ
のままだったのです。
どういうことかというと、ギターは通常、ネックを握ったときの親指側に太い弦が来るように
張るのです。
左利きの場合もそうでしょう。
しかし、ラッシュは右利き用のギターを単に逆さまに持っただけでちゃんと弾いているのでした!!
つまり弦の張り方が逆なのです!
細い弦が親指側に有るのです。
全然参考になりませんでした・・・・。
うーん、やはり天才はなにか一味違う・・・。
そこで次に考えたのは、名づけて”レコード・シンクロ作戦”。
当時僕が持っていたステレオ・コンポには”MIX 入力”なるものが付いていて、そこにマイク
なりギターなりを差し込むとレコードの音にミックスされて聞こえるのです。
おまけにMIXのレベル調整のツマミまで付いていたのでした。
ここにギターを突っ込んでラッシュのレコードを掛けて録音すると、あたかもラッシュと共演
したように聞こえるのです。
こうするとラッシュの音と僕の音の比較が簡単に出来る!!
そのように、僕は毎日、毎日、ラッシュとの差がなくなるように自分のギタープレーを修正し
たのでした。
まあ、そうやってもすぐには同じように弾ける訳ではなかったですけどね・・・。
大学4年の時、その録音テープを、当時やっていたバンド”近鉄タイガース”のべーシストに
聞かせたところ、”かどちゃん、ギター、ネバいなぁ、ネバいなぁ!( 訳:門脇君、ギターが
キュイン、キュインとネバっこいですね)”と言ってました。
うーん、少しずつキュイーンとくるようになったかと、ちょっと嬉しかったです。
ま、そんな努力の甲斐有って、今では”僕の武器はチョーキング&ビブラート。どこからでも
かかって来なさい”とちょっとは言えるようになったかもしれません。
次からは、ラッシュを生で見た話をしていきたいと思います。
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13.オーティス・ラッシュ ライブ編
今回は僕がオーティス・ラッシュを生で見たときのお話をしましょう。
僕が初めてラッシュのコンサートに行ったのは、たしか’90年の春だったと思います。
レコードも出していないし、話題にすらならないので、来日は無いかな・・と思っていた矢先
に来日の情報をゲットしたのです。
例によって例のごとく、ぴあを立ち読みしていた時のことです(買えってか?!)。
小さく、ほんとに小さくラッシュのチケット発売の告知がありました。
それを見つけた瞬間、僕はおもわず叫びそうになりました。
ライブの会場は大阪アム・ホール。
チケットを買うために、大阪丸ビルのチケット・セゾンに朝早く並びに行きました。
僕が丸ビルに着くと、すでに人がワンサカ並んでいて、”げげっ!これみんなラッシュ??!”
と思ったのですが、全然違いました・・。
なんか日本人のバンドのチケット発売と重なったようでしたね。
僕は全く関係ないのにその列にならばされてしまい、遅々として進まない列に
イライラしましたが、ようやく僕の番が回ってきたのです。
受付で”あの・・・、オーティス・ラッシュのチケットを1枚ください”というと、
受付のネーちゃんは
”は?オ、オ、オーピス?????”
”いえ、オーティスです”
”はぁ?オーティスですか?”
なんともかみ合わない会話でしたが、なんとかチケットを買うことが出来ました。
うー、この時はほんとに嬉しかったですね。
オーティスを生で見れるなんて!また、会場もライブハウスなので至近距離!
わくわくしているうちに当日となったのでした。
会場に着くと、会場の外に結構な人数の人たちが並んでいました。
うー、やはりオーティスの来日を待っていた人は沢山いたんやなーと感心しつつチケットに書
かれてある整理番号のところに並びました。
そして、とうとう開場となったのです。
アム・ホールは普通のライブハウスというよりは多目的ホールという感じで、そこに椅子とテ
ーブルが置かれてありました。
しかし、ちゃんと飲食は出来ましたよ。
そういう意味では大きなライブハウスと言った感じでしょうか。
ちょっと昔のことなので記憶違いかもしれませんが、当時はそういう印象を持ちました。
席は満席で、うしろに立ち見の人も沢山いましたね。
さすが伝説の巨人、オーティス。
オーティスを一目見ようとたくさんの人が詰め掛けたようです。
いよいよ開演です。
最初に出てきたのは、ジミー・ジョンソン・ブルース・バンド。
ジミー・ジョンソンについてはまたの機会に書きましょう。
ジミーのステージが約1時間くらい有ったと記憶しますが、オーティスを早く見たいと言う気
持ちから、長く感じたのかも知れませんね。
実際はもっと短かったかも・・・・?
で、いよいよオーティス・ラッシュ・ブルース・バンドの登場です。
お決まりの、最初はバックバンドのみの演奏が始まりました。
サイド・ギター、ベース、ドラム、ホーンといった編成だったと記憶しています。
2,3曲後に、バンドのメンバーの紹介でオーティスがのそっとステージに現れたのです。
その瞬間、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれました。
オーティスはグレーのスーツにテンガロン・ハットといういつものいでたちでした。
しかし、お腹が、お腹だけがボヨーンと出てました・・・。
後から聞くと、その当時は糖尿病がかなり悪かったようですね。
1曲目はギターを持たずの”クロスカット・ソー”。
うーん、歌はとても良かったです。
2曲目からは赤いES−355を持っての演奏でした。
しかし!ギタープレーがあまり良くなかったのです・・・。
時折、コブラ時代のような切れ込みの鋭いチョーキング&ビブラートを聞かせてくれたのですが、
ソロはほとんど弾かず、SAXにソロを任せていました。
SAX奏者が4コーラスも5コーラスもソロを取って、”いつ終わるねん・・・・”といった感
じでした。
結局、オーティスは5曲くらいで引っ込んで、アンコールもなし。
演奏が終わるや否や、あのアリヨさんがステージに登場して”今日はゴメンナサイ、アンコー
ルなしです”とアナウンスされてました。
先日、ブックス・コアでアリヨさんと共演させていただいたときに、その話をしたら”あのと
きはたまたま見に行ってたらステージに出て行けって言われた”とおっしゃってました。
僕はてっきりアリヨさんがツアー・マネージャーをしていると思ってましたが・・・、違った
んですね。
これが僕の生オーティス初体験でしたが、ちょっとすっきりしない思い出でしたね・・。
しかし、本物のオーティスが見れただけで感激でした。
その次に見たのが’92のジャパン・ブルース・カーニバル(日比谷野音)。
これは凄かった〜!
このお話は次回です。
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14.オーティス・ラッシュ ライブ編その2
皆さん、お久しぶりです。
長い間、体験記の執筆が滞っており、申し訳ございませんでした。
やっと新しいものを書きましたので、よろしければお読みください。
前回は僕が初めてオーティス・ラッシュを見たときのことを書きました。
しかし、あまりラッシュの演奏が良くなかったのでガッカリしたのでした・・・。
今回は、次にラッシュを見たときのことを書きましょう。
それはもう”神を見た!!”という感じでした!
これぞモダン・ブルースの巨人!というステージは、いままで僕が見たライブのなかでも圧巻
の演奏だったのです。
それは1992年のことでした。
僕が就職で厚木に出てきたばかりの年で、まだ関東の地理は全く判らんといった時でした。
そんな春先、例によって例のごとく、ぴあを立ち読みしていると、なんと、今年のブルース・
カーニバルのヘッドライナーはオーティス・ラッシュだと書いてあるではないですか。
これは行かない手はない!と早速チケットを買いに行ったのです。
たしか厚木のビブレがまだビブレでない時のダックシティ時代に、そこにチケットを買いに行
ったと記憶してます(古い話ですなー)。
チケットはあっさり取れたのですが(それも結構前のほう!)、コンサートの会場が馴染みの
無い”日比谷野外音楽堂”だったのです。
大阪では大阪城野外音楽堂でやるのですが、関東は日比谷なのです。
大阪にいたときでも日比谷、日比谷とよく聞いていたので、有名なデカイ野音なのだろうなー
と思っていたのですが、実際に行って見ると大阪城野音とほぼ同じ大きさで、どこに座っても
良く見えるといった感じの、案外こじんまりした会場という印象でしたね。
当日は乗ったことの無い電車を乗り継いでキョロキョロしながら行きました。
大阪城野音は、その名の通り、大阪城の麓にあるのですが、日比谷はオフィス街(役所関係か
な?)のなかにポツンとあるという感じで、大阪城野音とは周りの雰囲気が随分違ってますね。
92年のブルースカーニバルは、メインのオーティス・ラッシュの他に、
なんとジュニア・ウェルズも出るというなんとも豪華な顔触れでした。
ジュニア・ウェルズについてはまた後でゆっくり、じっくり書きたいと思います。
さて、本題のオーティス・ラッシュの演奏について書きましょう。
当日はあいにくのドシャ降りの雨で、5月末というのに寒い、寒い!
レインコートを着てぶるぶる震えながら見たことを覚えています。
ジュニアらの演奏が終わっていよいよラッシュの登場と相成ったのです。
例のごとくバックバンドが数曲演奏したのですが、それが結構長かったように感じました。
僕の心は”ラッシュよ、早く出てこい!”と、はやるばかりでしたね。
そしていよいよラッシュがステージに現われたのです。
この日は近藤房之助さんも出たのですが、”ラッシュのリハを見たんだけどバリバリだった”
とMCで言っていたので、期待はもうふくれるばかり!
ステージに現われたラッシュは機嫌も良さそうでした。
衣装は良く覚えて無いんですが、たしかお馴染みのグレーのスーツだったような気がします。
そしてとうとう待ちに待ったラッシュの演奏が始まったのです。
ギューンと一発ギターを鳴らした瞬間、ウォー!と観客の声が地響きのように鳴り響いたのです。
たった一つの音で満員の観客を魅了するほどラッシュのギターは良かったのでした。
そして、前回大阪で見たときのような元気の無さは微塵も見せず、ギターをスクイーズしまく
ったのでした。
愛用のES 355とメサ/ブギー・アンプで独特のブーミーサウンドを出し、おしげもなくギター
を弾きまくるラッシュの姿にただただ圧倒されるばかりで、それは僕の期待を遥かに上回る演
奏だったのです。
記憶をたどると、2曲目くらいに”ALL YOUR LOVE"をやって会場は興奮のるつぼとなり、さ
らにお得意の”CROSSCUT SAW”や”I WONDER WHY”をやって、極めつけは”GAMBLER'S
BLUES”をぶちかまし、僕はもう完全にK.Oという感じでした。
ドシャ降りの雨が全然気にならないほど、ラッシュの演奏は素晴しかったのです。
これが僕の2回目の生ラッシュ体験でした。
そのあと、パークタワー・ブルース・フェスティバルに来たときに2回見て、その後2回ほど
ブルースカーニバルに来たときも全て見に行ってるのですが、演奏の出来は不思議と全部良か
ったのです。特にパークタワーなんかは今回書いた92年のブルースカーニバルをしのぐ出来
の良さでしたね。
聞くところによると、僕が見に行ったとき以外の日の演奏は余りよくなかったこともあったら
しいです・・・。
それを考えると僕はなんとラッキーだったのでしょう!
92年に見たときは、演奏が終わった後、本人の機嫌がよほど良かったのか、2人の娘をステ
ージに引っぱってきてましたね。
そでにはマサキ夫人の姿も見えました。
去年は新しいアルバムも出たことですし、近々また来日してくれるでしょう。
そのときはまた見にいきたいもんです。
では、長くなりましたが、以上でー。
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15. ジュニア・ウェルズ編
皆さん、こんにちは。新しい体験記です。
今回は、僕の大好きなハーモニカ・プレーヤーのジュニア・ウェルズについて書いてみたいと思い
ます。
僕はギタリストなのですが、シカゴ・ブルースを聞くことにおいては、実はハープとピアノに注目
(注耳?)して聞くのがもっとも好きなのです。
モダン・ブルース系ではギターを聞くのが好きなのですが、シカゴのバンドブルースとなると、
やはりハープとピアノなのです。
そこで今回は、僕が天才パフォーマーと絶賛するジュニア・ウェルズについてお話しましょう。
ブルース・ハーピストと称する人たちは数々いますが、この人ほどの存在感を持っている人はそう
ザラにはいないでしょう。
僕がブルースを聞き始めて1、2年くらい経った時に大阪で妹尾 隆一郎さんのライブを見てとて
も感動し、それををキッカケとして僕もハープを始めたのです。
最初はホーナーのマリンバンドと妹尾さんの教則カセット(CDではない!)を買って、マディ・
ウォーターズのニューポート・ライブに合わせて練習していました。
(そのライブ盤でハープを吹いているのはジェイムス・コットンです。)
ハープを始めると、もっともっとハーピストのレコードが聞きたくなり、一時、ハーピストのレコ
ードを買いあさっていましたね。
その時に出会ったのがジュニア・ウェルズの”Hoodoo Man Blues”というレコードでした。
このレコードは梅田のワルツ堂で買ったという記憶が有りますね。
日本盤です。
そのレコードでジュニア・ウェルズのバックをつとめているのはギターにバディ・ガイ、ベースに
デイブ・マイヤース(ルイスとごっちゃになるので間違っているかも?)、ドラムにフレッド・
ビロウというシカゴのツワモノばかりで、レコード店でそのメンバー構成をみて”これはハズれな
いだろう”と確信したものでした。
今から思うと、このレコードがハズれかどうかと疑ったこと自体がバカなことでしたが・・・。
早速、家に帰ってそのレコードを聞いてみたのです。
そして1曲目のイントロ〜歌の出だしが始まったところで・・、”なんじゃこりゃ!!カッコえ〜!”
となったのです!
”ジャ〜ン:ギター(ドロロロロ:ドラム)・・・・・、Snatch Back It & Hold It! (テケテケテ
ンテン:ギター)、Baby One More Time (テケテケテンテン:ギター)・・・・”
リズムがいわゆるブルースのシャッフルではなくて、なんと言うのだろう??、ズンタタズンタ、ズン
タタズンタ(まぁ、8ビートなのですが)という感じで、今までに聞いたことの無い革新的なリズム
だったのです。
レコード全体的に、ふつーのシャッフルはあまり無くて、とてもセンセーショナルに感じましたね。
その当時の1980年代後半でも斬新に聞こえたのだったら、このレコードがリリースされた頃はとて
つもなく斬新だったことでしょう。
確かこのレコードは1969年か1970年(僕が1,2歳)の時にリリースされたと記憶しています
のでそれを考えると凄いことですね!今でも十分新しく聞こえてしまいます。
この1枚で僕はジュニア・ウェルズのファンになってしまいました。
またバックの演奏も凄くカッコ良くて、バディのギターはウニョウニョと怪しくジュニアのハープに絡
み、リズム隊はガツガツとリズムを刻む。
全体的に荒々しく、スタジオ盤とは言っても、ライブのように臨場感あふれるサウンドになっていま
す。
そこにギミックは何も無い!
スタジオに充満する汗の臭いが漂ってきそうですね。
皆さんも是非ご一聴を。
ジュニアの魅力とは何なのだろう?と考えると、それはその全体的なパフォーマンスに他ならないで
しょう。
ハッキリ言って、ハープの”テクニック的”には大したことはないかも知れません。
しかし、ジュニアの歌う歌とハープのタイミング、ビデオ等で見ることが出来るライブでのショーマン
シップなどを総合すると、ブルース界のエンターテイナーとしてはB.Bキングを遥かにしのぐカッコ
よさだと思います。
若い時のステージでのダンスなんかはもうシビれますよ!
ジュニアは”ブルース界のジェイムス・ブラウン”なんて言われてますが、僕はジェイムス・ブラウン
が”ソウル界のジュニア・ウェルズ”と言われるべきだと思います。
以前、なんかの雑誌で”バディ・ガイはブルース界のジミ・ヘンです”なんてことが書いてあったので
すが、これもチャンチャラおかしい・・・。
日本の音楽メディアに携わる人もこんなもんか・・・と嘆きたくなりますね(余談)。
またジュニアの歌なんですが、僕も自分のバンドで歌ってみて始めて判ったのですが、これが難しいの
です。
メロディのフェイクのしかたやシャウトのしかたなどがとてもカッコ良く、また難しく、僕はジュニア
こそブルース界を代表するシンガーだとも思います。
ソング・ライティングのセンスも良いですね。
”Messin’ With The Kid”や、先の”Snach Back It & Hold It”
などかなり斬新な音楽を、時代を先取りして創作していました。
僕は1回だけジュニアのライブを日比谷で見たことが有るのですが、その時のジュニアはもう年をとっ
ていて元気もあまりないという情報を聞いていたのですが、なんの、なんの、ステージで激しくファン
クしまくるジュニアを見ることが出来、とても感激しました。
その後、ブルーノート東京にも来たのですが、残念ながら見に行けませんでした・・。
しかし、僕がバリ島へ旅行に行った時の飛行機内の音楽放送で、なんと”ジュニア・ウェルズ ライブ
アット ブルーノート東京”というスペシャルを聞くことが出来とてもラッキーでしたね。
う〜ん、JALさん、センス良いよ!!
しかし、そんなジュニアも1,2年前に60歳そこそこで亡くなったのです・・。
その訃報を聞いて僕はとても悲しかったですね・・。
死ぬ直前に撮影した映画”ブルースブラザース 2000”でジュニアの最後の姿を見ることが出来ま
し
たが、やはり動くこと無く直立不動でステージに立っており、とても痛々しかったです。
その映画の終わりの部分のロールで、なんとジュニアのラスト・パフォーマンス!!
”ワン、ツー、ユーノーワッツ ドゥ!”の掛け声が聞こえた時、映画館で思わず”ウォー”と叫んで
し
まいました(周りの人は”誰このひと?”って感じでしたが)。
皆さんも是非、ジュニア・ウェルズを聞いてみてください。
ジュニアがいつも言っていた言葉に”音楽に一番大切なのはフィーリング”というのがあり、僕もその
通りだと思います。
芸術はテクニックではなくてフィーリングなのですね。
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16.とってもブルージーな体験編
皆さん、ご無沙汰してます。
新しい体験記を書きましたので、読んでみてください。
今回は、実は音楽の体験記ではありません。
ちょっと趣向を変えて、僕のとってもブルージーな体験を書いてみたいと思います。
何についてかと言いますと、僕の持病である腎臓結石についてです。
腎臓結石とは何ぞや??と言いますと、その名の通り、腎臓に石が出来てしまう病気の事です。
腎臓とは腰の背中側にあって、左右に二つ有る臓器だということは皆さんも良くご存じだと思います。
オシッコを作る臓器(医学的には不適切な表現かも??)だといえば判りやすいですね。
腎臓からボウコウを経由してオシッコが体外に排出されますよね。
その腎臓に、体の中の酸性の物質が固まって石が出来てしまうのです。
体質や、その石となる原因物質を多く含むものを食べたときに出来てしまうらしく、石は誰でも出来る
みたいですが、普通はごくごく石が小さいときにオシッコと一緒に体の外に出てしまうので気付かない
のです。
しかし、その石が大きくなったときが厄介なのです。
石が大きくなると腎臓からボウコウにつながっている管(尿管)に引っかかり滅茶苦茶痛いので
す!!!!
この痛みは”世の中の3大痛の一つ”と言われているくらいで、並大抵の痛さじゃないのです。
僕も実はこの痛みのおかげで2回入院していて、今回はそのお話しをしてみましょう。
ほんとにブルージーでしたよ。
4〜5年前だったと思いますが、その日は日曜日で、僕はアパートでくつろいでいました。
日曜日ですので起きたのはお昼近くだったと思います。
何気なくテレビなどを見ているうちに、なんだかお腹が痛くなってきたのです。
単なる腹痛だと誰でもしょっちゅうあることなので、あとでトイレでも行こうかなと思い、特にその痛
みも気にしませんでした。
しかし、痛みがだんだんと大きくなってきたのです。
お腹が痛いのですが、トイレに行きたいという訳ではなく、自分でもちょっとおかしいなと思っていま
した。
そのうち、その痛みがお腹全体に広がり、最後には男性特有の球にまでおよび、とても我慢できる痛さ
ではなくなってきたのです!
ちっとも収まる気配もないし、今までの腹痛とは明らかに違った症状だったのでこれはヤバいぞと思
い、とうとう自分で119番を回しました。
電話をする頃にはもはや立って歩くこともできず、なんとか這って電話までたどり着き、声をしぼり出
して電話を掛けたのです。
電話を切ってから5分くらいたったでしょうか、救急車のサイレンの音がどこからともなく聞こえてき
て、その瞬間”助かった”と思いました。
その5分の長かったこと、長かったこと。
しかし、痛みとの闘いはそれからだったのです。
僕の部屋はアパートの3階だったので、救急隊員の人達に担架で運び出され、救急車に乗せられまし
た。
もちろん、いままでこんな経験はありません。
救急車に乗るまで、たくさんの野次馬の人達が目に入り、ちょっと恥ずかしかったですね。
救急車の中では、まず意識がしっかりしているかどうかを確認されます。
名前を聞かれたような気がしますね・・・。
あと、痛みの症状とか・・。それでもって意識のレベルを確認しているみたいでした。
そうこうしているうちに病院につき、コマつきのベッドに乗せ換えられて診察室に運び込まれたので
す。
痛くてほとんど立つことができないのに検尿をするのでトイレに行きなさいといわれ、しょうがなくト
イレにいって尿をとりました。
そのときのオシッコの色は、血尿でちょっと黒っぽい感じになってました。
医者はそれを見て”あ〜石だね”とすぐ判ったようです。
そして、痛み止めの点滴を打ってくれたのですが、結局4本くらい打っても痛みがとれず、延々4時間
くらい病院でもがき苦しみました。
あのときはほんとに死ぬかと思いましたよ。
看護婦さんは”楽な姿勢をとってください”と言うのですが、楽な姿勢なんかあるわけもなく、どんな
格好をしても痛い、痛い!
やっと夕方になって痛みが収まった頃には精魂つき果てましたね(ぐったり)。
で、とりあえず入院することになりました。
入院中は石が出るまで生理食塩水(?)を一日中点滴して、オシッコをじゃんじゃん出し、石を出して
しまおうという作戦です。
幸い僕の石は直径2〜3mmだったので自然排石が可能だったのです。
記録では直径2cmに石を自力で出したという超人がいるらしいですが・・。
石が尿管に引っかかっている時は、体温の下がる明け方に例の痛みが襲ってくるのです
。痛みだすとナースコールで看護婦さんを呼び、座薬を入れてもらうという毎日でした。
入院も初めてだったので、なかなか慣れませんでしたね。
微熱が続くのでお風呂にも入れません。
4、5日すると髪の毛がゴワゴワになり、とてもかゆいのです。
レゲエのおじさんの気持ちが良く判りました。
1週間くらいたった頃でしょうか、石がボウコウに落ちたようで、痛みが襲ってくることが無くなりま
した。
そうなると後は石がオシッコと一緒に出るのを待つだけなので、退院して家に戻ったのです。
結局、石が出たのはそれから1週間後だったような気がしますね。
僕の石は小さいので、肉眼では確認できませんでしたが、明らかに異物がオシッコと一緒に出る感覚が
あるのです(痛いよ)。
石が出てしまうと、その瞬間から”普通の人”に戻れるという、おもしろい病気です。
しかし、僕の場合は体質によるところが大きいらしく、今でもたま〜に石がでますね。
最初の入院は右の腎臓で2回目は左の腎臓と、左右やりましたので、石が出来ても、もう痛みはほとん
どないのです。
お医者さんいわく、お産といっしょで一回やると後は尿管が広がって痛くないらしいのです。
この病気も現代病なのでしょうか、ストレスとも密接な関係があるみたいですね。
いや、まわりにこの病気を経験した人の多いこと、多いこと。
ストレスによって人間の体は酸性になってしまい、その酸が石を作ってしまうみたいです。
みなさんもストレスを感じないよう、また感じてもすぐに発散できるよう気を付けてください。
では、こんなところで、僕のブルージーな結石の体験記を終わります。
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17. バディ・ガイ編
今回は、来日記念として、バディ・ガイについて書いてみたいと思います。
今月(五月)の末にブルース・カーニバルに出演しますよね!
今から楽しみです。
僕が始めてバディのレコードを聞いたのはもう13〜4年前でしょうか。
例によって大阪・梅田のワルツ堂だったと記憶しているのですが、
そこで”ChessMasters シリーズ”のバディのLPを買ったのです。
レコードの内容はバディのベスト盤のような感じでした。
レコードを買うまでのバディについての知識は、マディ・ウォーターに拾われてブルース界にデビュー
した、モダン・シカゴブルースの新御三家の一人、エリック・クラプトンに最も影響を与えたブルース
マンのうちの一人、などなどで、その経歴からさぞ凄いブルースマンだろうという期待で一杯でした。
で、レコードを買ってきて、早速ターンテーブルにのせて聞いてみたのです。
スピーカーから聞こえてきたサウンドはというと、”なんか、ショボいな〜・・・”という、ちょっと
肩透かしの音だったのです。
今から考えると、バディの音楽が理解できなかっただけの事なのですがね!
ボーカルもちょっとヒステリックに叫んでいるだけのように感じ、どうも気に入らなかったというのが
正直な感想です。
という訳で、それからというもの、バディのレコードは聞かなかったですね。
”クラプトンもなんでこんなおっさんが良かったんやろか?”と不思議に思ってしまったのも確かで
す。
しかしその後、僕のバディに対する印象をガラっと変えてしまうとあるモノを引き当ててしまったので
した。
その”モノ”とは何かといいますと、それはビデオだったのです。
そのビデオは”ブルースアライブ”という、ブルースとはなんぞや?ということを色んなアーティスト
の演奏シーンを交えて伝えるという感じの内容で、僕はそのビデオをオーティス・ラッシュが見たいが
ためだけに買ったのでした。
そのビデオにはオーティスを始め、アルバート・コリンズやチャールズ・ブラウン、ジュニア・ウェル
ズなどの有名どころがたくさん出ていて、当時のブルースビギナーに近い僕には、動くブルース・アー
ティストが見れるという嬉しい限りのビデオだったのです。
このビデオにバディも出ていたのです。
そこで見たバディは、僕が始めて聞いた時の印象と全く違う、まさに数々の賞賛どおりのパフォーマン
スだったのです。
ギターの音はハードロックに近いような迫力で、ボーカルもとてもカッコよかったのです。
ライブ・パフォマンスも”これぞエンターテイメントの極み!!”といった感じで、その映像を見た瞬
間から僕のバディに対する味方が変わりました。
それからというもの、バディのCDをいろいろと買い漁り、僕はすっかりバディのファンになってしま
いました。
バディに関する雑誌の記事なども見つけては読んでいたのですが、そのなかで一番びっくりしたのは、
かのフィードバック奏法は、ジミヘンでもジェフ・ベックでもなく、バディが初めてやった、というこ
とです(ほんまかいな?)。
ある日、バディがライブの休憩の時にアンプにギターを立て掛けていたら、きれいなネエちゃんがその
ギターをスカートの裾で引っ掛けて倒してしまったらしく、その時に”フィ〜ン”とフィードバックを
起こしたらしいのです。
天才バディは”これや!”とばかりにそのフィ〜ンを演奏に取り入れて、かの”フィードバック奏法”
を確立したらしいのですが、ちょっと怪しいですね???
ブルースマンはよく”あいつにギターを教えたのはこの俺様だ”とか眉唾の話が多いので、バディの話
もちょっと怪しいです。
しかし、ジミヘンなんかはテープレコーダーを片手にバディのライブを見に行ってたらしいですね(こ
れはほんとみたいです)。
僕がはじめてバディのライブを見たのは’92年のことでした。
場所は渋谷のクワトロでした。
その日は4月というのにアホみたいに寒く、風邪をひいて帰ったと記憶しています。
ライブは夜7時からと9時からの2回公演で、僕はその9時からのを見ました。
ライブが始まるまで入り口につながる階段に並ばせられたのですが、その階段にまでバディのギターの
爆音が聞こえてきましたね。
そしていよいよ生のバディです。
はじめて見るバディは、60歳に近いとは思えないような激しいパフォーマンスで僕を魅了してくれま
した。
ギターはストラト、アンプはマーシャルというロック仕様で、ガンガンに弾きまくり唄いまくるとい
う、ほとんどロックバンドのようなステージでした。
最近、ブルースカーニバルで見た時も同じようなステージで、一部のファンはそのロックっぽさが嫌い
みたいで”ブルースやらんかい!!!”とビールの缶が投げ付けている人がいましたが、ぼくもちょっ
と同じように感じたのも確かです。
とはいうものの、バディが来日すると見に行ってしまうのですが・・・。
今回の来日もとっても楽しみですね。
また元気な姿を見せてほしいものです。
次の体験記も引き続きバディについて書いてみたいと思います。
では今日はこんなところで〜。
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18.バディ・ガイ編その2
みなさん、こんにちは。
今回の体験記も、来日記念として、バディ・ガイについて書いてみたいと思います。
バディの魅力は前回書いたようなことなのですが、この人がその魅力を、さらに、最大限に発揮する瞬
間が有るのです。
それはというと、この体験記シリーズでも以前登場したJr.ウェルズと融合した時で、これがまた一
段と素晴らしいのです。
バディはジュニアとのコンビ名義でアルバムを数枚出していますし、また数々のライブもやっており、
そのライブアルバムも数枚出ています。
みなさんもよろしければ是非聞いてみて下さい。
では、バディがジュニアとコンビを組んだ時の魅力について語ってみたいと思います。
バディがジュニアとコンビを組んだ時は、バディはジュニアを立てるようにバックに回りますが、後ろ
に引っ込んでいる時でも実に素晴らしいギターを披露しています。
ギタリスト特有の出しゃばりプレーは皆無です。
ブルース・セッションに来る、大音量で、かつソロを止めない連中には是非、お勉強して欲しいです
ね。
決してジュニアのボーカルとハープの邪魔をすることも無く、絶妙のタイミングでバディは自分の存在
をアピールするのです。
ジュニアの歌の合いの手(オブリガード)として印象的なフレーズを弾いたり、また伴奏にしても単に
コードを弾くのでは無く、うまく歌と絡むような単音フレーズを弾いたり、変幻自在のギターを聞かせ
てくれます。
もちろん、ちゃんとコードプレーもしてジュニアのボーカルやハープを引き立てることも忘れません。
僕が初めてバディ&ジュニア名義のレコードを聞いたのは、大学1年くらいのときでしたでしょうか。
古い話ですが・・・。
そのアルバムはズバリ”ジュニア・ウェルズ&バディ・ガイ”!
なんというひねりの効いていないタイトルでしょうか!?
もっとひねれよ・・・・。
このアルバムは1975年のブルースフェスティバルの実況録音で、東京の郵便貯金ホールでの行われ
たライブ盤です。
このライブでのバックバンドがまた豪華で、サイド・ギターにバディの弟であるフィル・ガイ(この人
は最近ニュー・アルバムを出したらしいのですが、厚木近辺のCD屋さんで売ってるわけもな
く・・・)、サックスにA.Cリード、ベースにアーネスト・ジョンソンというメンバーです。
このバックバンドに乗っかって、ライブ前半ではバディが暴れまくり、後半ではジュニアが暴れ回ると
言うお勧め盤です。
実は僕はこのレコードをCDで持っているのですが、僕の知り合いのH賀さんは、なんとLPで持ってら
っしゃって、僕は思わず借りてしまいました。
そのLPにはCDに入っていない曲も入っており、とても感動的でした。
CDのキャッチコピーがまた”シカゴブルースの神髄が聞ける幻の傑作ライブ待望のCD化!!というも
ので、これもひねりは効いてませんが、まさしくその通りです。ひねりようが無い!
このCDを聞いた時は”う〜ん、こういうバックのプレーも有りか・・。一本取られた!”と、まさに
豆鉄砲を喰らった鳩のようになってしまったのです。
この1枚で僕はこのコンビにすっかり魅了されてしまったのですが、さらに僕をノックアウトする”ブ
ツ”が出たのです!
それは何かと言いますと、マディのモントルー・ジャズ・フェスでのライブ・ビデオなのです。
名義はマディなのですが、その前座&バックを勤めるのがバディ&ジュニアで、この前座でのステージ
がまさに圧巻!僕はいつも前座だけ見てマディは見ません。
まず目に飛び込んでくるのがジュニアの”猫ジャケ”です。
猫ジャケって???となりますが、これは背中にスパンコールで猫が描かれているという物凄い代物な
のです。
なんで猫やねん・・。
このステージでの二人の融合もまた素晴らしい。全編このコンビのビデオが何故出ないんだ?と思って
しまうくらいの素晴らしさです。
最近、77年のモントルーでのライブを録音したCDが発売されたのですが、これは全編バディ&ジュ
ニアを堪能でき、さらにおまけで他のアーティストの演奏も聞けるという涙モノのCDです。
このCDでの名コンビのプレーは最高ですか!!最高で〜す!!といった感じです。
みなさん是非、”だまされたと思って”聞いてみて下さい。
この頃のバディのギターの音色がまた素晴らしい。
今はちょっとロックっぽい音になっているのですが、この頃の音は50年代のフェンダー・ストラト
キャスターの枯れた、良い具合に軽く歪んだ音で、バディの指先の微妙なタッチが良く伝わってきま
す。
僕もこの領域にはやく達したいものですね。
最近ブルースマンの訃報が相次ぐ中、確か今年で63才、バディはまだまだ健在です。
バディのオフィシャル・ホームページを見ると、そのツアーの日程の凄いこと、凄いこと。
バディがいる限りブルースの火は消えず、と思いますが、バディ、オーティス・ラッシュがいなくなっ
たらどうなってしまうのだろうと、ちょっと心配です。
ま、先の事は考えず、5/24のバディのステージを楽しみましょう。
では、こんなところで。
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19.アルバート・キング編
みなさん、こんにちは。
今回の体験記は、モダン・ブルースの巨匠アルバート・キングについて書いてみたいと思います。
最近(でもないが)、スティービー・レイボーンという人(故人)がこのアルバート・キングにそっく
りのギタープレーをするということでロック好きの人たちにもアルバートの名前が以前より浸透したと
思います。
なので、名前くらいは知っている人も多いのではないでしょうか?
このアルバート・キングは、これまた有名ですが、BB.キング、フレディ・キングとをひっくるめて”
3大キング(スリーキングス)”といわれており、モダン・ブルースギターの代表的プレーヤーとして
有名です。
そして、そのギタープレーと歌は豪快そのもの!!(性格も豪快らしい)
僕は3大キングの中では、やはりこのアルバートが一番好きですね。
残念ながらもう10年近く前に亡くなりましたが・・・。
僕の大好きなオーティス・ラッシュ(祝来日:7月)も、何を隠そう大のアルバート好きなのです。
そんな僕の大師匠にあたるアルバートを初めて聞いたのは、僕が浪人か大学1年の時でした。浪人の頃
だったかな??
僕がブルースを聞きはじめたころで、まだ誰のなんと言うレコードから手を出せば良いのかなんて全く
分からない、ほんとに右も左も、という状態の時に、ギターマガジンという雑誌のブルース特集にはと
てもお世話になったものでした。
その特集にアルバートの記事ももちろん載っており、彼の代表作として”悪い星の下に生まれて”とい
うタイトルのレコードが取り上げられていたのです。
そして僕は取りあえずそのLPを買ってみました。
輸入盤で〜1500円くらいかな?
今から記憶を辿ってもそのLPをどこで買ったかは思い出せません・・。
神戸だったか?大阪だったか?ま、とにかく買ってきたのです。
そして、そのLPを聞いた時から僕はアルバートのファンになってしまいました。
LPをターンテーブルにのせて衝撃を受けるまでの過程は過去の体験記と同様なので省略いたします。
このアルバートのギタープレーは物凄く個性的で、ハッキリ言って、どの曲のギターソロも音使いは
丸っきり同じなのです(究極のワンパターン!)。
また、この人は左利きなのですが、ギターの弾きかたは、オーティス・ラッシュ同様、右用のギターを
くるりとひっくり返しただけの、いわゆる”弦逆さま奏法”なのです。
そしてこの人のトレードマークとも言えるギターは、なんと驚くなかれ、フライングV!!!!!!な
のです!!!
フライングVというギターはどういう形をしているギターかと言いますと、名は体を表すで、Vの字の
形をしており(洗濯ばさみ)、ヘビーメタル系のロック兄ちゃんが好んで使うギターなのです。
僕もロックをやっていた時はこのギターがほしかったですね。
しかし、一つ難点が有り、このギターはその形から座って弾けないのです。
練習する時はかならずストラップを付けて立って弾かなきゃならないのです。
夏場、窓を開けてギターを練習しているときに外からギターを立って弾いている姿が見えてしまうとと
ても恥ずかしいというギターでもあります。
あそこの息子は部屋でカッコつけてるという噂が近所中に広まっては親はたまりません。
本人もたまりませんが・・・。
一度、知らないお兄ちゃんが部屋で立ってギターの練習をしているところを目撃してしまったことがあ
るのですが、見ている方が赤面してしまいました。
かなりそのお兄ちゃんは体をくねらせていました・・・。
アルバートはこんなギターを1950年代後半から使っているという目立ちたがり!
その根性がすごいですね。
僕も最近またフライングV・ギターが欲しくなってきたなー。(ダメでえす。by嫁)
話は戻りますが、それからというもの、僕はアルバートのレコードを買い漁りました。
ギタープレーも一時はアルバートそっくりに弾くようになってましたね。
そんなところにアルバート来日の情報が入ってきたのです!!
時は1989年。ブルースカーニバル’89に、かのBBキングと一緒にやってきたのです。
僕は早速チケットをゲットしました。
そして当日、はやる心を抑えつつ大阪城野外音楽堂に、JR環状線で乗り込みました。
その日はあいにくの曇り空で、雨もぽつぽつ降るという天気でしたが、なんとかコンサートが終わるま
で大した雨模様にもならず良かったです。
コンサートは、アリヨさんのいたバレリー・ウェリントン・バンドの演奏が終わり、いよいよアルバー
トの登場となりました。
バレリー・バンドの左利きのギタリストは上手かったなあ〜。
アルバートはパイプをくわえ、フライングVをかかえ、のそのそとステージに現れました。
その瞬間、客席はわれんばかりの拍手!
そしてギターを一発”キュイーン”と弾いた瞬間から、もうアルバート・ワールドに客席の全員が飲み
込まれたと言う感じになりました。
曲は、”I'll PLAY THE BLUES FOR YOU" , " KANSAS CITY", と進み、そしてあの”BORN UNDER
THE BAD SIGN(悪い星の下に生まれて)”が演奏された時は会場はもう狂喜乱舞でした。
そのあとに出てきたBB キングも、もちろん良かったのですが、なんといってもやはりアルバートで
したね!
この日、一人のおっさんが一升瓶片手にコンサート会場で暴れまくり、警備員につまみ出されてまし
た。コンサートが終わって外に出ると、その暴れてたおっさんが入り口で爆睡していたのを覚えていま
す。次の年から”酒類持ち込み禁止”になったのは言うまでもありません・・。
この日は日曜日だったのですが、次の日、アルバートは神戸でライブをやることになっていたのです。
もちろん!!僕は大学の帰りに神戸まで足を運びました。
会場はチキンジョージという、震災前のとても狭い会場だったのです。
その会場は楽屋からステージまでは客席を通って行くというところで、なんと!!アルバートが僕の真
横を通って行ったのです。
間近で見るアルバートは身長180センチはゆうに超えているという、まさに巨人でした。
僕は思わずアルバートの肩をぽんぽんと叩いたのです。
みなさん信じられますか?!僕はアルバートに直接触ったんですよ!!
もちろんその夜は右手を洗いませんでした。
ライブのほうは、アルバートがアンプの音色が気に入らなかったせいか、ちょっと荒っぽかったのです
が、至近距離でアルバートが見れてとても良かったです。
自分のギターのチューニングが狂っているのに、キーボードの人に向かって
”チューニング直せ!”と怒鳴っていました。なんともアルバートらしい・・・。
そんな週末〜週明けは僕にとって一生忘れられない日、月でした。
そんなアルバートも今はもういません。
僕にギターは気合いで弾くもんだ、と教えてくれたアルバート。
あの世でも、相変わらず豪快なんでしょうね。
僕も負けずに豪快なギターを弾きたいもんですね!
では、こんなところで〜。
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20.マジック・サム編
みなさん、こんにちは。
今回の体験記は、これまた伝説のブルースマンといわれているマジック・サムについて書いてみたいと
思います。
スモーキンもこのマジック・サムのレパートリーである”Everynight About This Time”やサム・
バージョンの”Sweet Home Chicago”をとりあげていて、がっぽり稼がせてもらっていますので
(ウソ!)、サムには頭が上がりません。
マジック・サムは1969年(僕が1歳の時)に32歳という若さで急死しており、在り来たりの表現
ですが、もし今生きているのであれば現在のブルース・シーンをけん引するスーパースターになってい
ることでしょう。
そしてもし、バディ・ガイ、オーティス・ラッシュと3人で同じステージに立つなんてことが有ったな
らば・・・、もう想像しただけでたまりませんね!!
では、僕がマジック・サムの音楽に出会ったことについて書いてみましょう。
僕が初めてサムのレコードを聞いたのは、やはりブルースのレコードを買いあさっていた時の事で、当
然のごとくサムの”West Side Soul”という名盤にたどり着いたのです。
そのレコードのジャケットがまたカッコ良くて、サイケ調の色合いのバックにサムがエピフォン・リビ
エラを抱えているというものです。
僕もサムと同じエピフォン・リビエラを使っています(余談)。
肝心の音のほうはというと、まずそのLPの1曲目にとまどってしまったのです・・・。
僕は”天才といわれているんやから、正統派シカゴ・ブルースが1曲目からザック、ザック来るんや
ろ”と思っていたのですが、それがちょっと違ったのです。
その1曲目は”That's All I Need”という曲なんですが、いわゆるブルース進行でもなんでもなく、
凄くポップな曲だったのでした。
ギターの音も、バディ、ラッシュとは違ったクリーン・トーン・・・。
♪When I First Met You, Look So Fine・・・♪
”なんやこれ?ブルースちゃうやん・・・”
と思いつつその曲を聞いていたのですが、聞いているうちにそのメロディが耳について離れなくなって
しまったのです。
皆さんも、そんなこと、よくありませんか??
とあるメロディが耳に付いて離れず、無意識のうちに口ずさんでいるという・・。
僕は最近(でもないか?!)、井手真理子の”Must Be Talkin' To An Angel”という曲(オリジナ
ルはユーリズミックス)がどうにもこうにも頭から離れず、トイレに行こうとしたり、お風呂に入ろう
とした時には必ず、”ララリラララリラ〜・・・”と唄ってしまっていたのです・・・。
”ますびーときとぅあねんじぇ〜る・・・”も針飛びレコードのように連呼してましたね。
この唄は豊悦と藤原紀香が出ていたTVドラマの主題歌で、僕はそのドラマを毎週かかさず見ていたの
でした。
話がかなり横道にそれましたが、僕はサムの”That's All I Need ”を事ある毎に
♪That's All I Need〜、ちゃっちゃちゃちゃちゃ♪と唄ってしまうのでした。
みなさんもそうなること請け合い!
2曲目以降は正統シカゴ・ブルースのオンパレードで、毛色の違った曲はその1曲だけでしたが、それ
をレコードの1曲目に持ってくるとはかなりの策士!!
そして、このLPを通して僕が凄いな〜と思った事は、サムのギタープレーではなくて、唄だったので
した。
サムの唄はパワフルで、伸びがあって、まさに腹の底から声が出ているのです。
時には録音レベルが大きくなり過ぎて割れているのです!
僕もボーカリストの端くれなのですが、とあるボーカルの教則本を見ていると、その本の必聴シンガー
の欄にマジック・サムの名前があり、”おお、この著者は解ってるの〜”と思ったモノでした。
皆さんもサムのボーカルは必聴ですよ。
浜崎あゆみにサムのつめのアカを煎じて飲ませたい!!
あゆ、のどだけで声だすな〜!腹から声出せ!
僕も、目指すところはサムのボーカルなんですが、あの声の張りは到底真似できるものではありません
ね・・。
キーもまた高い、高い。
次に僕が完璧にサム・ファンになってしまうキッカケとなったレコードについてお話しましょう。
そのレコードとは”マジック・サム・ライブ”という2枚組のライブ盤で、サムのライブをテープレ
コーダーで生録した音源をレコード化した、ブートすれすれ(??)のものなのです。
なので、音質はとても悪いです(キッパリ)。
しかし、内容はというと、これがまた凄い!!
トリオ、またはカルテット(とは言わないか?)での演奏なのですが、その音圧、ドライブ感、演奏内
容と、どれをとっても絶品の内容なのです!
この演奏をたった3人、または4人でやっているのか?!と疑いたくなるような分厚いサウンドなので
すが、もちろんこの時代には今みたいな高性能の電子楽器などありません。
メンバー個々の力量が相当高いんでしょうね。
また、このレコードでもサムのボーカルが炸裂しているんです。
ボーカルの教則本などを読むと、歌の基本はのど開けて、お腹から息をドカっと出すようにして声を出
し、その時のどに空気(息)が引っ掛からないようにしないといけない、と書いてあります。
そうすることによって、よりパワフルで、伸びのある声が出せるのです。
サムはまさにそういう発声法のお手本になるようなボーカルを誰に教えてもらったわけでも無く、実践
してるのです。
もちろんギタープレーも最高ですよ。
僕は、サムを生で見れなくてとても悔しいですね。
サムは、一晩中”あの”テンションで演奏をするという毎日を送っていたらしく、あまりにも過労が蓄
積してぽっくり逝ってしまったのです。
働き過ぎは体に良く無いですね。
以前、僕のギタープレーがサムに似ていると言われたことがあるのですが、僕はギターに関してはさほ
どサムを意識していないのです。
しかし、頭と体にサムが染み付いているのか、自然にサムっぽくなっているんでしょうね?!
みなさんも、この伝説のブルースマン、マジック・サムを是非聞いてみてください。
では、またお会いしましょう。
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