ビジネス倫理学から見たステイクホルダ−概念



作成日:98/08/26





 カント的企業目的論では「ステイクホルダ−」という概念が重要な位置を占めています。ステイクホルダ−とは経営学では古くから使われてきた「利害関係者」概念に相当しますが、ストックホルダ−(株主)との「比較」を強く意識して近年多用されるようになったモノであり、ビジネス倫理学でも Freeman が「ステイクホルダ−・セオリ−」を提唱してビジネス倫理学を「象徴」する概念になってきました。

 その Freeman によれば、繰り返しになりますが、企業の目的は「ステイクホルダーの利害を調整する媒介項(vehicle)として役立つこと」です。これは(「企業の目的は…株主のウェルフェアを最大化することである。なぜならば、そのような極大化が最大の善をもたらすからでありあるいはそれが所有権のためになるからである」、と主張する)株主理論(ストックホルダー・セオリー)との「対比」を意識した(いままでの解釈とは全く異なる)企業目的論であり、ここに、ステイクホルダ−・マネジメント原則が公式化されることになります。

<ステイクホルダ−・マネジメント原則>

第1原則
 会社はステイクホルダーのために管理されるべきである。消費者、供給者、オーナー、従業員、地域共同体。これらのステイクホルダー・グループの権利は保障されなければならないだけでなく、更に言えば、ステイクホルダー・グループは自分たちのウェルフェアに本質的に影響を与える決定に参加しなければならないのである。

第2原則
 マネジメントはステイクホルダーに対してそして抽象的統一体としての会社に対して受託義務を有している。彼らはステイクホルダーのエージェントとして彼らのために行動しなければならないのであり、また企業のサバイバルを保証するために会社のために行動しそれぞれのステイクホルダーの長期的な利害(ステイク)を守らなければならない。

 ここで注目すべきことはいわゆるマネジメントが直接には取締役会のメンバーになっていないことです。会社の代表はステイクホルダー代表者の満場一致によつて選出されるものであり、(会社というメタフィズカルな統一体に責任を負っているという意味で)「メタフィズカル取締役」と呼ばれることになります。このメタフィズカル取締役はスティクホルダー代表者とマネジメントの「連結リンク」とも言うべき存在であり、これによって、マネジメント・コントロールがヨリ強力なものとなり、ステイクホルダーの利益が「長期的には」守られることになります。

 このような「ステイクホルダー・セオリー」はかなり「ラジカルな」)ものであったためか少なからざる論者に衝撃を与え、その結果「ステイクホルダー・セオリー論争(the conversation about stakeholder theory)」と形容される状態が生まれ今日に至るまでそれが続いています。例えば、戦略的ステイクホルダー論、マルチ受託型ステイクホルダー論、等々か有名です。

 但し、最大の課題は、企業をいかにして各種のステイクホルダーの利害の調整の「場」にするのか、と言う点にあるでしよう。「ステイクホルダー取締役会」構想はその1つですが、その他にも「途」があるように思われます。

 例えば、個々の企業が各々のステイクホルダーの権利・義務を配慮しているか否かを何らかのかたちで判断する(あるにはそれを「強制」する)メカニズムの制度化としての、企業評価という一種の規制、がそれです。ステイクホルダー・セオリーは「規制」(=企業活動の社会的評価)と結びつくことによってはじめて「有効」となり得るのではないでしようか。

 しかしそのためには超えなければならないいくつかの「ハ−ドル」があります。

 企業を巡るステイクホルダーを特定化しそれらのステイクホルダーの権利・義務を具体的にあきらかにしそれらのリストアツプされた権利・義務について大方の間で一定の合意を確立する作業−−−これが最大の課題であり、なによりもまず要求されるでしよう。これは極めて困難な課題ですが、この課題を解決してはじめて「非現実的だ」との評価がなされているカント的な企業目的論が「現実的な」モノとなり、ヨリ有効な「理論的武器」となることでしよう。これは全く不可能な事柄ではないと思っているのですが・・・・。