自主規制(倫理の内部制度化)について



作成日:98/08/26





 経営学の分野で1970年代を中心として「社会的責任」論が華々しく展開され、「流行」しました。ビジネス倫理学は、大きな流れとしては、その「社会的責任」論の延長上に存在する、とも言えないことはないでしようが、ヨリ正確に言えば、ビジネス倫理学は、「社会的責任」論ができなかったこと(すなわち、社会、従って、企業の在り方を good な方向に変えること)を目指して生まれたものであり、その点で、「社会的責任」論とは「一線を画する」学問です。
 
 ビジネス倫理学は企業の在り方をどのようにして変えていこうとしているのでしようか。この点、企業をモラル主体とみなすことに反対する立場に立てば、企業の在り方を変える方法は唯1つであり、それは政府の規制(社会的規制)に帰着します。しかし、企業をモラル主体とみなすビジネス倫理学の立場に立てば、全く異なる途が展望されることになり、なによりもまず企業の自主規制が重要視されることになります。

 自主規制とは、倫理やモラル上の関心事を企業のなかに制度化することを目指した、原理的には、
倫理コ−ド、
理委員会、
マネジメント・トレ−ニング・プログラム、
モラル監査、
から構成される、1つのシステムのことです。

 アメリカでは,ビジネス倫理への関心が高まるにつれて,多くの企業が,そのような関心に答える形で,(1)その会社および経営者の社会的責任,(2)健全な行動パターンを促進する企業文化,(3)自主規制の可能性,を示す1つの方法として,倫理コードを制定するようになりました。たとえば、1970年代中頃には,「倫理コード運動」が生まれたほどであり、それらの動きは「モラル改革運動」としても知られているほどです。

 しかしながら、アメリカで展開された「自主規制」は、二重の意味で、「不完全なもの」に終始してしまいました。

 第一に、自主規制メカニズムの「仕上げ」となる「モラル監査」が完全に実施されませんでした。制定されたコードの内容は委員会やトレーニングを通して企業内に周知徹底され,それが現実にどの程度具体化されているかが監査によってあきらかにされることによってメカニズムが「正常」に機能することを考えると、監査は重要であり、これを欠くならば、たとえいくら「立派な」倫理コードが制定されたとしても、そのままでは倫理コードは企業(経営者)の倫理方針声明書として終ってしまうのです。モラル監査が「絵に描いた餅」に終わり自主規制が「骨抜き」にされる「危険性」は高いと言わざるを得ないでしよう。

 第二の問題点は、自主規制の出発点である倫理コ−ドの内容が「不十分」であったという事実です。

 この点、多数の倫理コ−ドの内容を分析した M.Matthews はその結果を次のように総括しています。

 第1に、アメリカ企業が(コードのなかで)倫理的な関心を現実に示している事柄は,主として,その企業が直接的に不利益をこうむること(特に、利害の対立)であり,企業を代表する行為のなかの賄賂のような特殊な違法行為であること,

 そして、第2に、製品の安全や品質,環境問題そして消費者や大衆に直接に関連する事柄には,倫理的な関心が十分高まっていないこと。

 これは、DeGeorge の表現を借りれば、アメリカ企業は未だに「ビジネスにおける倫理」(個人レベルのモラル、ヨリ明確に言えば、ホワイトカラ−の犯罪の防止)にしか関心を示していないことを「証明」するものであり、モラル・エージェントとしての企業のモラルステイタスがいまだ低いことを示しています。

 したがって、このような状態のなかでモラル監査が実施されたとしても、その内容は極めて不十分なものとなると想像できます。

 さらに言えば、そのモラル監査には、ヨリ本質的な問題が内在しています。それは、モラル監査が倫理コ−ドと結びついたものであり、その監査が「自主」的なモノである、という「事実」、から生じる問題です。

 確かに、北米を中心として公刊された各種の文献から判断すると、近年の事例は、少なからざる企業において、企業内にモラル監査委員会が設置され、それなりにモラル監査が行われていることを示しています。もちろん、企業によって倫理コードとの結びつきは様々であり、「本来の意味の」モラル監査が必ずしもおこなわれてるわけではありませんが、倫理コードとモラル監査の結びつきが次第にアメリカ企業において強まってきたという「傾向」は否定できないように思われます。しかしそれらが未だ少数の事例であるというのが現状です。

 かくして、このような「事実」は、我々に次のような疑問を投げかけることになりました。企業に「自主」規制を期待できるのか? と。

 この点、アメリカで展開された「モラル改革運動」のこれまでの歴史を考えるならば,企業がモラル監査を自発的に実施ししかもその結果を自ら公開することは,期待できない事柄である、と言わざるを得ないでしよう。

 とすれば、企業の在り方を変える途はあるのでしようか。