ビジネス倫理学からみた企業目的


作成日:98/08/28





 企業は利潤追求を目的としてつくられた(そしてそれが公けに認められた)特殊な協働体系です。我々の社会では.利潤追求が企業の目的であり、それが(我々の「意思」によって変更できない)体制関連的なものであることは今日でも制度上の明白な事柄として広く受け入れられているだけでなく法的にも保証されています。だが同時に、その利潤追求という目的が「不幸な」ことにそのままでは現在では共通のものとはなりえないことも(暗黙の前提という形ではありますが)周知のこととなってきていることも「現実」です。

 この「事実」は −−− ある意味では当然のことですが −−− 企業自身が一番よく自覚しています。企業において(企業が組織として存続するために必要な)「共通の目的」の設定のために様々な操作が行われてきたし今日でもおこなわれているのはまさにその為なのです。たとえば、企業目的の多目的化、利潤観の変更、などはその学問上の反映ですし、あるいは「組織の維持」を共通の目的に挙げ利潤追求を「否定」する試みもあります。いずれにせよこれらのことは利潤追求が「経営上」企業の目的とはなり得ないことを端的にかつ雄弁に物語っています。

 そしてこのことは、逆に言えば −−− 極めて重要なことですが −−− その企業本来の目的の意味が事実上問われることなくそれがブラックボックスのなかに置かれてきたことを意味しています。とすれば、ここに、当然のこととして、「大きな」疑問が生じてくきます。このままで良いのであろうか?と。

 だが残念なことに、我々はこのような問いに対して余りにも無力な状態におかれています。現在の我々ができることは極めて限られたものであり、精々その企業という組織の維持の仕方を問題にすることしかできない、という「現実」です。

 ただし−−−この場合、以下のことが大きな意味をもってくると思うのですが−−−我々の社会では利潤追求することによってしか企業組織の維持が不可能であることをまず「厳粛な」事実として認め、そしてそれだけではなくそのうえでその利潤追求の在り方を問うならば、それは現実的な問題を処理するという意味では大きな意味をもってくるのではないのでしようか。

 利潤追求をいたずらに否定するのではなくそれを前提としたうえでそして現代の条件下のもとでその追求の在り方を問い考えること −−− これが重要なことなのです。言うまでもなく、そのような試みは様々な立場(学問)において必要でありまた可能であるでしようが、ビジネス倫理学の分野でも斬新な問題提起が行われています。

 例えば、この場合有効なものとして、「人間は他の何かのための手段ではないのであり、人間というのはそれ自身が目的なのである」とのカントの命題を援用し企業の目的の在り方を「再」検討しようとするビジネス倫理学的企業目的「観」があります。 この立場に立てば、企業は各種のステイクホルダ−の利害の調整の場として位置づけられることになります。このような発想はカント的企業目的論とも言われています。

 これは(これまで企業社会において支配的であった功利主義的発想を拒否した)Freeman によって提唱されたものであり、彼はヨリ具体的にそのアイデアを展開しています。

 そのFreemanの主張は筆者なりに整理・要約すれば以下のようにまとめられます。

@特殊な協働体系である資本主義企業は、その存続・維持・拡大のために、「利潤追求」という自己の特殊な目的を実現せざるを得ない特殊な存在であるが、社会的存在として、法律に違反しない限り、その特殊な目的の実現に関して、自由に意思決定する権利を持つ。

Aただし、モラル・エージェントとしての企業の「自由」は当該社会で広く承認されている倫理規範に制約される。例えば、企業の決定が特定のステイクホルダーに対する義務やその権利を侵犯するなど不利益をもたらすことが予想される場合、たとえその決定が現地点で社会により大なるgoodを生みだしまた当該企業にとって多大な利益をもたらすものであると判明したとしても、あらかじめ定められた手続きに従って、然るべき機関 (例えば、スティクホルダー取締役会)にその決定の可否についての審議を付託し、その機関の判定に従わなければならない。 

この機関は第三者を主要構成員とし、ある決定が特定のステイクホルダーに
対する義務やその権利を侵犯するなど不利益をもたらすかどうかだけでなく、
それによってステイクホルダー間に新たにコンフリクトが生じないか、もし生じ
た場合その解決は可能か、などを検討して、当該決定の可否を判定する

Bもしこの原則に違反した場合には、その企業はその正統性を失う(その登録を末梢される)。このことは現実にはその企業が社会から見捨てられ事実上「倒産」することを意味する。                  
 
 このような「発想」の中心(核)には改めて言うまでもなく規範的な発想があります。とすれば、通常の理解では、その(現実を今すぐ変えるという点での)有効性に限界があることは明らかですが、現状では仕方ありません。

 企業が利潤追求をおこなうことをすぐに否定できないことは「現実」であり、実践的には利潤追求の在り方を変える方向(新しいルールづくり)をめざすことになるでしよう。ここには、そのような努力(試み)を続けるなかで最終的に(結果として)企業の在り方も変わってくる、との「考え方」があります。このことが重要なのであり、我々はそのような「発想」の具体化の途を模索していくことになります。