Business Ethics 成 立 小 史


加筆修正日:2003/02/01







学問としてのビジネス・エシックスの確立

 アメリカにおいてビジネス・エシックスが1つの学問分野として形を整えはじめたのは,DeGeorgeによれば,1980年代に入ってからであり,1985年にビジネス・エシックスは1つのアカデミッタな分野になったと言われています。このような理解にたてば,アメリカではビジネス・エシックスは5つの段階を経て今日に至っていることになります。それらは,
(1)ビジネスにおけるエシックスが問題にされはじめた1960年代以前の時期
(2)ビジネスの社会的問題が取り上げられた1960年代の時期
(3)1つの新しく独立した分野としてのビジネス・エシックスが出現した1970年代
(4)アカデミックな学問として確立された1980年代の前半
(5)アカデミックな学問としてのヨリー層の発達(体系化)がはじまった1985年以降の時代
として把握されることになります。

(T)1960年以前:「ビジネスにおけるエシックス」段階

 この時期は神学的および宗教的色彩の強い活動に特徴づけられています。これは主として1920年代から1960年末までに相当しますが,そもそもは1870年にローマ法王の回勅が当時の賃金や資本主義のモラリティに疑問を投げかけたことにはじまったと言われています。そしてその後ビジネスにおけるモラリティに関心が集中し,それが次第にカトリック的な社会倫理学として結実していったのです。その代表的な(カトリック系の大学でテキストとして利用された)業績は,1952年にJ.Dohertyなどによってドイツ語から翻訳されたJ.Messnerの「社会倫理学」でした。またプロテスタント系のそれはR.Niebohrの「道徳的人間と不道徳的な社会」(1932年)でした。彼の資本主義批判は鋭く挑発的なものであり,それが神学校に社会倫理学コースが設置される契機となりました。ただし,そこでは,聖職者が人生の様々の領域におけるモラリティや倫理についてお説教することと同様に,ビジネスにおけるモラリティや倫理についてお説教(たとえば,我々がプロテスタント労働倫理と呼んでいるもの)がおこなわれていたにすぎませんでした。そして,このような神学的および宗教的傾向はいまだに続 いています。アメリカの司教によって執筆されたアメリカ経済に関する司教教書(Pastoral Letter)はその最近の代表的な事例です。

 これらの活動はたしかにすべて重要でありましたが、それは正確には,DeGeorgeによれば、ビジネスにおける倫理学ethics in business として特徴づけられるものです。倫理が,政府,政治,家族,個人生活,組織、職業そして人生の他のアスベタトと同じように,ビジネスにも適用されていたのであり,それはいかなる意味でも1つの学問分野(a distinctive field)を構成するものではなかったのです。

(U)1960年代:ビジネスの社会的諸問題の出現

 1960年代は,権威に対する反抗,学生の不安,反体制文化(カウンター・カルチャー)の時代であり、また,スラム街,環境,エコロジー,人口,消費者運動などの様々な問題が噴出した時代でもありました。そして多数の若者たちが社会的思想に眼を向け,産学協同体制が攻撃され,反ビジネス的態度が生まれ拡がっていきました。

 このような挑戦的な状況のなかでビジネス・スクールもきわめて重大な行動をおこしました。それはビジネス・スクールの「目玉コース」(staple}として「社会的諸問題コ―ス」が設置されたことです。

 そしてそれを教えたマネジメントの教授たちが会社の社会的責任についてテキストや論文を執筆しはじめました。ただし,それらの著作は体系的なものであったというよりはむしろ反動的(reactive)なものでした。なぜならば,大多数のテキストはマネジヤ―の立場から執筆されていたからでり、労働者や消費者そして大衆の見方がそこに組み入れられたのはかなり後になってからです。

 また多数のテキストやコースでは法律や合法的なものは重要視されていましたが,倫理理論には―――たしかに,モラル上考慮すべきことを取り上げたりモラル上の義務や説教に触れてはいましたが―――体系的な注意がはらわれていませんでした。

(V)1970年代:1つの新しい独立した分野としてのビジネス・エシックスの出現

 ビジネス・エシックスという分野の発達は1970年代にはじまりました。一方で神学者や宗教学者たちがビジネスにおけるエシックスという領域を発達させそしてそれを発達させ続けてきました。また他方でマネジメントの教授たちが会社の社会的責任について著作活動を続けてきました。そしてこの状況に新たに付け加えられた要素が,多数の哲学者たちがこの領域に参入したことです。 彼らはそれまでの業績を固める触媒の役割を果たしたのです。彼らが倫理的分析や哲学的分析に努力を傾けることによって,いままで発達してきたものが体系化されビジネス・エシックスの構築が促進されることになりました。 

 経営学と倫理学の「結婚」によってビジネス・・エシックスが生まれた、と言われる場合には、この事情が考慮されているものと思われます。

 彼ら(哲学・倫理学者)の参入の途は部分的にはすでにバイオメディカル倫理学の初期の発達によって切り開かれていましたし,J.RawIsの「正義の理論」も経済的問題に対する哲学的関心を正当化していました。さらには,ウォーターゲート事件、DC10スキャンダルなどへの大衆の反応がそれらの諸問題に対する学生の反応を高め,それが哲学部に市場を提供し,そして学生の関心が現実の諸問題へと向いていったのです。

 1960年代に生じた関心事が1970年代には学生から一般大衆へと拡がっていったこともビジネス・エシックス出現の重要な要素となりました。多くのグループがビジネスに社会的要求をつきつけました。それらの要求はしばしば矛盾するものでしたが,ビジネスも大衆のビジネスに対するイメージにヨリ関心をもつようになりました。

 そしてこの時期にビジネスの社会的責任やビジネスにおけるモラル問題に関する会議が急速に増加しました。ビジネス改善協会(BBB)がビジネスにおける倫理の諸問題に関する国レベルの会議を後援し,それが地方レベルそしてローカル・レベルの会議に拡がっていきました。たとえば,国レベルで5つの公開討論会(panel)が1978年に組織されています。
 1)広告主の社会への責任,
 2)生産デザインや製造におけるビジネスの責任,
 3)ビジネスのディスクロジャー責任,
 4)社会の要求が対立した場合のビジネスヘのガイドライン,
 5)多国籍企業の責任,
がそれです。またビジネスの倫理的諸問題を扱うセンターが現れはじめたのもこの時期です。(ビジネスの教授,宗教学者,哲学者,社会学者,ビジネスマン・ウーマンを含む)多数の学際的会議が開催され,新聞およびその他のメディアの注目を集めました。

 この種の活動はしばしばおこなわれましたが、その結果は必ずしも芳ばしいものではありませんでした。多くのことにおいてイデオロギーが先行したり、見掛け倒しのものであったり,情報不足でした。

 マネジメントの教授たちは,哲学者にとって不案内であり彼らの多くが「生理的に」嫌がっているこの領域(ビジネス)において哲学者たちが果たすことができる役割に疑問を投げかけました。また神学者たちは,哲学者は人々に強烈な印象を与える新参者にすぎない,と考えました。また多くの哲学者たちも,このうさん臭い領域に眼を向けた同僚たちを不信の眼でながめていました。経営学者として有名な P.Druckerがビジネス倫理学をかなり攻撃したのはこの時期です。
 
 だが1970年代の終わり頃になると,いくつかの中心的な問題が現れはじめ、多彩な研究者たちがそれらに対して体系的なアプローチを展開するようになってきました。たとえば,企業のモラル・ステイタスはビジネスにおけるエシックスや会社の社会的責任に関する文献が提起してこなかった中心的な「大」問題であり、それ以来様々な回答が与えられいまでも与えられ続けています。

 そして、1970年代の中頃になると,「ビジネス・エシックス」が共通の言葉としてしばしば使われるようになるほど、多くの主要な問題が現れそして業績が蓄積されるようになりました。

 ここに、ビジネス・エシックスとはビジネスとエシックスという本来対立しあうものを並べて人々にアッピールしたのではないか、というひやかし(joke)は姿を消したのです。しかしながら、ビジネス・エシックスは一時的な流行なのかそれとも真にアカデミックな分野なのかという疑問は残されたままだったのです。

(W)1980年代前半:最初の統合の時期

 1985年までに,ビジネス・エシックスは1つのアカデミックな分野となりました。この時期にビジネス・エシックスをそのようなものへと押しあげたものは,いままでのような発育不全のバラバラな試みとは異なり,ビジネス・エシックスが制度化されるようになったという事実です。1つの分野を象徴するものが現われました。その存続と発展に継続的に関心を持つ多数の学会が機能しはじめたのです。たとえば,多数の会員を擁する学会が3つ(ビジネス倫理学会,職業倫理学会、経営アカデミ―経営部門の社会的諸問題部会)設立されました。また多数の図書目録が公刊され、数種類のジャーナル(ビジネス・エシックス、職業倫理学ジャーナル、ビジネスと社会レビュー、企業倫理タイジェスト,ビジネス・エシックス・ジャーナル)が公刊されはじめました。

 さらに重要なこととして,カレッジやユニバーシティやビジネス・スクールにおいて500以上のコースが開講され、4万人以上の学生がこの分野の単位の習得をめざして学ぶようになりました。これは1つの市場を提供し,少なくとも20冊のビジネス倫理(学)に関するテキストが公刊され,ケースを扱った書物が少なくとも10冊出版されたのがこの時期です。また様々なタイプのセンターが出版活動をおこない,コース,会議そしてセミナーを主催ないしは後援するようになりました。

 かくして,ビジネス・エシックスという領域あるいは分野が存在することが「疑いのない事実」となったのです。しかしながら,ビジネス・エシックスとは「何」なのであろうか? その研究はうまくいっているのであろうか? 将来発達していく見込みはあるのであろうか? またそのような発達は必要なのであろうか? ということが問題として依然として残されました。言い換えれば,ビジネス倫理(学)という分野の境界をはっきりと定め,その学問的性格を明確にするという,ビジネス・エシックスの定義づけの「作業」が1985年からはじまったのです。これは現在でも進行中です。

(X)1985年以降現在

 そしていままさに定義づけの「過程」にあるといえるでしよう。


 DeGeorgeによれば,1つのアカデミックな分野としてのビジネス・エシックスの研究対象は、相互に関連しあう3つのレベルの分析から成っています。

(1)ビジネスがおこなわれている全般的な政治経済制度の倫理的分析。
ここで具体的に念頭に置かれているものはアメリカの自由企業という経済制度であり、それを倫理的に分析するということは,自由企業制度がアメリカ社会のすべてのレベルにどのような影響を与えているかを評価することです。そしてまたそれはその基本的要素(たとえば、私的所有)を道徳的に評価することでもあり、このことはその制度に代わるものあるいはその修正も研究の対象となることを示しています。

(2)自由企業制度内のビジネスの倫理的分析。
このレベルでは,企業だけでなく様々なビジネスの多様な実践が道徳的研究の対象となりますが,特に企業のモラルステイタスの分析が重要視されることになります。また企業がモラル的に行動できる企業構造のあり方が検討され、社会監査あるいはモラル監査が問題となります。

(3)会社(およびその他のビジネス)の内部において経済的諸活動やそれらの相互作用のもとで存在している個人のモラリティの分析。
これは、個人の行動、その役割、具体的な実践活動、権利と責任などが,道徳的立場から、分析されることになることを意味しています。具体的には,労働者の権利、内部告発,差別待遇、広告と真実,業務上の秘密、職業意識、従業員の行動倫理規範、などが論じられることになります。


 これまでの研究は,主として,この第3のレベルの問題が取り上げられるだけでした。だが,それは「ビジネスにおける倫理学」というべきものであり、第1と第2の問題との関連で第3の問題が研究されてはじめて、ビジネス倫理学は学問としての「存在価値」を示すことができるのです。



経営倫理学会について

 ある学問が確立したと社会的に認知される事象はいくつかありますが、専門学会の設立もその1つでしよう。ビジネス・エシックスに関して言えば、その確立を制度的に象徴するビジネスエシックス学会の構想は、1978年に、M.Hoffman とT.Donaldsonの議論のなかで生まれたものであり、 1978年12月のアメリカ哲学会東部部会の開催中に、N.Bowie,R.DeGeorge, K.Baier,T.Beauchamp,L.MayK.Goodpaster, M.Pastin, M.Payne, P.Werhane が加わり、具体的な一歩が踏み出されました。ビジネスエシックス学会臨時運営委員会の発足がそれです。上記のメンバ―はすべて哲学者です。

 そして1979年にその運営員会が、アメリカ哲学会東部部会との共同主催の形で、ビジネスエシックス・ワ―クショップを開催しました。その後会則の制定などの準備を経てそれは組織委員会と改称され、ビジネスエシックス学会が正式に発足するまで機能していきました。

  ビジネスエシックス学会が正式にビジネスエシックス学会という名称で機能し始めるのは1980年代に入ってからであり、M.Velasquez, W.Fredrick, L.Newton, E.Freeman, R.Duska, T.Dunfee,L.Nash,J.Moore、等々が参加して、次第にその規模を拡大していきました。ただし学会は常にアメリカ哲学会の部会との共催という形で開催されたようであり、経営学会の社会的諸問題部会との共催で開催されたこともありますが、アメリカ哲学会との結びつきはいまでも強く残っています。この学会の機関誌は Business Ethics Quarterly です。



「2つの」ビジネス・エシックスの「対立」

 しかしながら、ビジネス・エシックスを巡る学問的状況は、DeGeorge の「希望的」観測?とは逆に、現在でも、必ずしも統一している、とは言えない状況にあるようです。

 それは、ビジネス・エシックスはビジネス・エシックスなのかそれともビジネス・エシックスなのか、というその学問の性格づけの対立に象徴的に示されています。言葉を換えていうならば、倫理学(哲学)という学問分野でトレ―ニングを積んできたビジネスエシックス学者とマネジメントという学問分野でトレ―ニングを積んできたビジネスエシックス学者との間に(ビジネス・エシックスをめぐって解釈が異なるという)「溝」が存在し続けているのです。

 このようなビジネス・エシックスに対する立場の相違は、規範的アプロ―チと実証主義的アプロ―チに分けて、その「対立」が図式的に示されることがあります。それによると、規範的アプロ―チと実証主義的アプロ―チにはそれぞれ独自のアプロ―チであり、たとえば、次のような5つの点で特徴づけられることになります。

 規範的アプロ―チと実証主義的アプロ―チの第1の相違点は、それぞれの拠っている学問的基盤です。「アカデミック・ホ―ム」の相違です。この点で言えば、前者のアカデミック・ホ―ムは哲学とリベラル・ア―ツであり、後者のそれはマネジメントや社会科学(心理学、社会学、人類学、等々)をル―ツにします。これがために、規範的アプロ―チは価値(Value)に動かされることになり、実証主義的アプロ―チは、科学は価値から自由でなければならない、と信じ込むことになります。

 第2の相違点は言語(Language)に関わっているものであり、特定のタ―ムが規範的アプロ―チと実証主義的アプロ―チのなかで異なって解釈されることがある、という「現状」を示しています。たとえば、「倫理的」というタ―ムで説明すると、規範的アプロ―チの文脈で「倫理的行動」と言われる場合には、それはモラル的に「正しい」行動を意味している、ということが前提にされています------したがって、ここには一定の「評価」があります------が、これとは対照的に、社会科学者たちが「倫理的行動」というタ―ムを用いる場合には、それは必ずしも倫理的なものを意味するだけではなく非倫理的行動を意味することもあるのであり、実証主義的アプロ―チのもとでは、「倫理的行動」とは必ずしも正しい公平なフェアな行動を意味していません。倫理的決定に直面した個人の行動が「倫理的行動」なのです───この意味で、これは記述的といえるでしよう。

 第3は人間存在についての仮説の相違です。規範的アプロ―チは、基本的には、モラル的に重要な行動は自律性と責任のもとで遂行される、と仮定し、人間の行動は因果関係のなかにおかれているということを否定していますが、人間の行動を決定するものとして複数の要因、例えば、個人にとって内的なもの(遺伝子、認知上のモラル発達の程度)や外的なもの(仲間、権限関係、報酬システム、等々)の役割を重要視し、倫理的行動は因果関係的要因の結合によって説明される複雑な要因である、と主張しているのが実証主義的アプロ―チです。

 第4の相違は、理論の目的、スコ―プそして応用に関わるものであり、規範的ビジネスエシックスの目的は、理想に言及して現象を評価すること、言葉を換えて言えば、モラル原則を例示すること、ですが、実証主義的ビジネスエシックスの目的は、ある現象を記述し説明し予測すること、別の言い方をすれば、一般化のために規則性を解明すること、です。スコ―プに関して言えば、前者は抽象的レベルのものであり、後者は具体的レベルのものである、と言えるでしよう。そして応用という点で考えると、「分析や批判のための道具を提供する」のが規範的ビジネスエシックスであり、それに対して「複雑な人間行動を理解し管理するためのベ―ス」(例えば、「従業員の窃盗といった行動に影響を与えるセオリ―・ベ―ス」)を提供するのが実証主義的ビジネスエシックスです。

 第5の相違は、それぞれの理論の基盤とその評価に関わるものです。具体的に言えば、2つのアプロ―チは基盤という点ではそれほど相違していませんが、評価のガイドラインという点では大きく異なっています。規範的ビジネスエシックスの優劣に関して言えば、それが「理性的」か「合理的」かによって批判され評価されますが、実証主義的アプロ―チでは、それによってある行動がどの程度説明され予測されるか、が重要な評価基準となります。

 上記のような「対立図式」はいわば「ステレオタイプ」のもの(誇張されたモノ)であり、現実の研究者の思考を正確に反映したモノではありません。しかしながら、アカデミックなビジネス倫理学を2つのアプロ―チに分け、その1つの規範的(規定的な)アプロ―チが哲学者や宗教学者に代表され、他方の実証主義的(説明的な、記述的な)アプロ―チがマネジメント・コンサルタントやビジネス・スク―ルの学者に代表される、と考えることは、決して珍しい解釈ではなくいわば「常識」であり、多くの研究者のなかになんらかの意味で受け入れてきたことでした。

 但し、同時に、それらのアプロ―チを「統一」しようという動きが近年益々強くなってきました。DeGeorge はその代表的な論者ですが、他にも、Donaldson が注目すべき活動を精力的に展開しています。



<小括>

  ビジネス・エシックスとはなにか? と問われれば、現在の小生は、それは、企業を「モラル主体」として位置づけ、そのような存在として相応しい企業の在り方を模索し実現していく方途を考える学問である、と答えます。

 但し、そのビジネス・エシックスが「学」として成立し、そして単に「市民権」を得るだけでなく、今後ヨリ広く社会的に認知してもらうには、いくつかの課題を解決していかなければならないでしよう。例えば、そのような課題の代表的なものとして―――これまで検討されてきた事柄や現在でも検討中の事柄を含めて―――次のようなことを指摘できると思われます。

(1)まず、「生身の」個人ではない組織としての企業に適用される倫理規範とはいかなるものなのか、が問われることになります。

(2)企業を「モラル主体」として位置づけるならば、必然的に、その目的がいままで理解されてきた目的と異なってきます。したがって、次に、企業の目的が何なのか、が改めて問われてきます。しかも同時に、それがいままでの目的観とどのような「整合性」をもちえるのか、という「難問」が解決されなければなりません。

(3)そのために、ビジネス・エシックスは「ステイクホルダ―」という「概念」を重要視しそれに「新たな」意味を与えています。ここには、「企業は各種のステイクホルダ―の利害の調整の場である」という「命題」がありますが、どのように「調整」できるのか―――これは大きな問題です。

(4)そのような「調整」の方法は1つではないはずです。それぞれの社会(国)ごとに「ル―ル」(社会的合意)は違ってくることでしよう。しかしこのようないわゆる「文化(倫理)相対主義」を全面的に受け入れてしまうと、今日のようなグロ―バル化した社会のもとでは「ル―ル作り」が不可能になってきます。これをどのように解決して「新しいル―ル」を作っていくのか。
 この問題を、ビジネス・エシックスは「社会契約」という「概念」の見直しの中で解決しようと試みています。
 そしてこの作業のなかで、企業と各種のステイクホルダ―との関係(ステイクホルダ―の権利と義務)がより明確となりまたモラル規範に裏付けられた具体的な内容が与えられることになると思われます。

(5)企業を「モラル主体」として見なし「新しい」企業の在り方をいくら提唱しても、それが現実のものとならなければ、「机上の空論」となってしまいます。どのようにすれば企業は「実体」としても「モラル主体」となり得るのでしょうか。
 この点、ビジネス・エシックスでは「自主規制」といって企業に自主的にモラル的に行動する途を考えていきます。しかし人間も同じですが、「モラル主体」自身が必ずしも「モラル的に」行動するとは限りません。これは企業にとっては人間以上に困難な途です。そのために、「外圧」としての「社会的規制」にそれなりに「頼る」ことになります。但し、これはあくまでも「補助的」な存在です。
 従ってここに、いわば自主規制を現実化させるデバイスを探し求めることが要求されることになります。簡単に言えば、我々市民が企業の行動を評価し企業の在り方をチェックすることによって企業が「自主的に」自己の行動をモラル的に制御せざるを得ないような環境をつくりだすようにする、という考え方です。但し、これは言葉で言えば簡単ですが、その実現は極めて困難な途です。しかしビジネス・エシックスの「発想」を突き詰めればここに「収斂」してくるのであり、いくら困難であってもこの方向(社会的な企業行動評価基準の確立・運用)に進まざるを得ないのではないか、と考えています。

 そして最後に言わせてもらえば、いずれの方向を目指すとしても企業の在り方をヨリ good な方向に変えていこうとするならば、社会構成員の「意識革命」が要求されてくると思われます。これは教育と関わる課題となります。少数の人々だけではなく、かなりの人々のモラル意識が高揚し、そのような「変革」が要求される必然性が理解できるようになってはじめて「社会的合意」が形成され、企業の在り方が「現実に」変わっていくのではないでしようか。そこに、ビジネスエシックス教育の「存在理由」がある、と思うのですが・・・・・。
  


 これがビジネス倫理学の問題提起をここ数年自分なりに考えてきた小生の現在の認識―――詳しくは、拙著『ビジネス倫理学の展開』(晃洋書房)(1999年1月発刊)を読んでいただきたく存じます――― です。当然のことですが、他にも、色々な有益な「発想」「考え方」があることでしよう。