[付録] ニュースと感想 (41)

[ 2003.2.12 〜 2003.2.22 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

    2001 年
       8月20日 〜 9月21日
       9月22日 〜 10月11日
      10月12日 〜 11月03日
      11月04日 〜 11月27日
      11月28日 〜 12月10日
      12月11日 〜 12月27日
      12月28日 〜 1月08日
    2002 年
       1月09日 〜 1月22日
       1月23日 〜 2月03日
       2月04日 〜 2月21日
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       3月06日 〜 3月16日
       3月17日 〜 3月31日
       4月01日 〜 4月16日
       4月17日 〜 4月28日
       4月29日 〜 5月10日
       5月11日 〜 5月21日
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       6月05日 〜 6月19日
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       7月11日 〜 7月19日
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    2003 年
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       2月02日 〜 2月11日
         2月12日 〜 2月22日

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● ニュースと感想  (2月12日)

 Q 資産インフレは、富の増大をもたらすか? 
 A もたらさない。売り手が1億円得をすれば、買い手が1億円損をする。両者を合わせれば、損得なし。

 この資産インフレの話は、すでに何度か述べたとおりだ。
 ただ、上の Q&A だけで、話は片付いているのだが、本項では、似た話を示そう。それは「ネズミ講」だ。

 「資産インフレはすばらしい」というのは、「ネズミ講はすばらしい」というのとまったく同じである。このことに注意しよう。前者はまともな経済学説に見え、後者は詐欺師の空論に見える。だが、実は、どちらも同じなのだ。
 「ネズミ講」とは、何か? 「ゼロサムの取引行為を、部分的にだけ見ることで、あたかも得が発生しているように錯覚させること」だ。典型的なのは、こうだ。「親にあたる客は、子にあたる客2人を得る。各人は、1人の親に1万円を与え、2人の子から1万円ずつ計2万円を得る。これが無限に継続すれば、各人は差し引き、1万円ずつ得をする」というものだ。
 まともな人間ならば、こんな馬鹿げた話にはだまされない。「無限に継続すれば」という前提は成立しないし、「誰もが得する」ということもありえない。ゼロサムの取引行為は、全体として利益を生まず、単に構成者の間で損得が発生するだけだ。部分的には得をしているように見えるが、それは損の部分を先送りしている(わざと見ないでいる)から、得をしているように見えるだけだ。
 それでも、ネズミ講は、最初のあたりでは、全員が得をしているように見える。ところが、連鎖の最後のころになると、もはや連鎖が続かなくなる。最後のあたりで加入した人は、「ババをつかむ」。つまり、それまで得していたように見える分を、一挙に全部支払う。
 しかし、それでも、全体として見れば、損得は発生していない。ババをつかんだ人だけを見れば、大損が発生しているように見えるが、それはかつてとは逆の見方で、部分的に見ているだけだ。結局は、全体を見れば、損得は発生していない。

 以上のことは、「資産インフレ」に、まったく当てはまる。
 結局、「ゼロサムにおける部分的な損得を見ることによる錯覚」「無限の拡大を信じたことによる錯覚」というのが本質である。そして、この本質では、ネズミ講も資産インフレも、同じなのだ。

 ところが、である。マネタリストの経済学者は、「資産インフレはすばらしい」と主張する。「バブル景気で経済が拡大したのは、資産インフレ効果だ」とか、「バブル破裂で経済が縮小したのは、資産デフレ効果だ」とか、そういう戯言を主張する。そうして「景気回復のために、資産インフレを起こそう。そのために、貨幣を増やせ」と主張する。── 彼らは、「ネズミ講はすばらしい、ネズミ講で景気回復をめざせ」と主張しているのだ。とんでもない狂信的な人々なのだ。
 彼らが「資産インフレはすばらしい」と主張すると、まともな常識人は、こう批判する。「資産インフレなんか、いつまでも継続するはずはないぞ。バブルは必ず、いつか破裂する」と。しかし、マネタリストは、それを軽視する。「バブルがいつか破裂する? それは、政府が悪いんだ。バブルが永遠に続けば、永遠に資産インフレは続く。そうなるように、政府が貨幣政策をうまくやればいいのだ。無限に量的緩和をやればいいのだ」と。
 これは、「ネズミ講が永続するように、政府が人口をどんどん増やせばいいのだ」と主張するようなものだ。不可能なことを夢見て、「それが可能ならば大丈夫」と妄想する。ひどい狂気だ。

 結語。
 「資産インフレを起こせ」という説は、「ネズミ講をやれ」というのと、まったく同じである。狂人の説だ。こういう狂気の説を信じてはならない。── しかるに、以前、日本はこの狂気の説を信じていた。そうやってバブルを膨張させてきた。
 だから、私が言いたいのは、「狂気にとらわれるな」ということではなくて、「狂気にとらわれるのは、いっぺんだけでたくさんだ」ということだ。「日本経済を破壊するな」ということではなくて、「日本経済を破壊するのは、いっぺんだけでたくさんだ」ということだ。
 はっきり言っておく。日本にバブルをもたらしたのは、マネタリストである。彼らは十数年前、「物価安定のための金融政策を取れ」という「インフレ目標」政策を取った。そして、「物価はろくに上がっていない」と認識した上で、「金融緩和を実施する」という政策を取った。そのあげく、バブルを膨張させた。そういう大失敗を、いっぺんやらかしたのだ。
 しかも、当時、日本国民は、「景気がいいから、すばらしい」と浮かれていた。ネズミ講の初期と同じである。ひどい愚かさだ。そして、今また、「インフレ目標」や「資産インフレによる景気回復」をめざして、同じ失敗を再現しようとしている。

 [ 付記 1 ]
 この件の本質は、何か? それは、「資産インフレは何も生産しない」ということだ。
 自動車やパソコンを増産すれば、何かが生産される。しかし、資産インフレが発生しても、そのことでは富は何一つ生産されないのだ。お札の枚数だけは増えるだろうが、お札の枚数がいくら増えようと、富はまったく増えない。たとえば、資産インフレによって資産価格が 1000兆円も増えたとしても、自動車はただの一つも生産されない。米粒の一つでさえ生産されない。単に帳簿の数字が変わるだけだ。そして、その帳簿の数字が現実化されたとき(資産の売買が発生したとき)には、売り手は富を得るが、ちょうど同額、買い手は富を減らす。合計すれば、富はまったく増えない。あくまでゼロサムなのだ。
 この「ゼロサム」ということが、信じられないかもしれない。そこで、説明しよう。
 仮に、ゼロサムでないとしたら、日本にはあらゆる生産設備は不要になる。チューリップを一つだけ用意すればよい。そのチューリップをたがいに売買して、どんどん値を釣り上げて、1000兆円で売買すればよい。つまり、チューリップ一つがあれば、工場も労働もなしで、自動車でも何でも無限に生産されることになる。(アラジンの魔法のランプとか、打ち出の小槌とか、そういうものがあるのと同じだ。)
 このあたりの理屈は、ネズミ講とまったく同じである。だから私は、「資産インフレはネズミ講と同じだ」と説明しているわけだ。

 [ 付記 2 ]
 資産インフレは、ネズミ講に似ているが、もう一つ、似ているものがある。それは「デリバティブ」だ。これもまた、得をする人物と損をする人物が現れるが、しょせんは、「ゼロサム」である。
 以前、新聞記事が出たことがあった。「デリバティブはすばらしい。米国の銀行は、これですばらしい収益を上げている。日本の銀行も、ITを使って、デリバティブで高収益を上げるべきだ」という警鐘を鳴らしていた。
 この間違いも、「ゼロサム」という本質を理解すれば、善し悪しがわかる。たしかに米国の銀行はデリバティブで莫大な収益を上げていた。しかし、その裏では、莫大な損失を出した被害者がたくさんいたのだ。両者の帳尻は、もちろん、トントンである。
 デリバティブのおかげで、銀行や証券会社のトレーダーは、すばらしい利益を手に入れた。一方で、「デリバティブはすばらしく儲かりますよ」という口車に乗せられて出資した素人投資家は、莫大な損失を出した。全財産を失って、路頭に迷ったり、自殺したりした人も続出した。
 これは、口車に乗せてだました詐欺と同じである。実際、デリバティブをやっている人間は、ゼロサムである(自分が得するためには、他人が損をする必要がある)ということを、ちゃんと理解していた。だから、彼らは次々と、愚かなカモを誘い込んだのである。「儲かりますよ、儲かりますよ」と口車に乗せて、たんまりと出資させて、そのあとで大損させたのである。
 これはまさしく詐欺である。詐欺と違う点は、ただ一つ、それが「合法的である」ということだけだ。
 「ネズミ講」も「デリバティブ」も、ゼロサムであり、手口は同じだ。「儲かりますよ」と口車に乗せて、次々と新手のカモを誘い込んで、いくらかの利益を与えたあとで、最後に大損させる。そして、これは、「資産インフレ」でも、まったく当てはまる。
 だから私は、「だまされるな」と主張しているわけだ。(それでも、だまそうとする経済学者が次々と出てくるが。彼らが、普通の詐欺師と違うのは、ただ一つ。自分が詐欺をしていることを理解できないから、その詐欺行為によって、自分では利益を得られないことだ。よその詐欺師のために働いているだけだ。お人好しと言うべきか。)
( ※ デリバティブについて、参考書がある。超一流トレーダーによる告白である。巧みな口車に載せて、いかに大衆をだまして、10億ドルという莫大な金を稼いだかを、赤裸々に告白している。贖罪のつもりらしい。……書名は、「大破局(フィアスコ)  デリバティブという怪物にカモられる日本」、フランク・バートノイ著、徳間書店、1998年刊。……この本、古本屋で買ったばかりで、私はまだちょっとしか読んでいないんですけどね。「日本をカモにしろ」とか何とか、面白そうな話もある。デリバティブでカモられたのは、一部の強欲な資産家だけではなくて、日本の銀行、つまり、日本の預金者全体であるらしい。)

 [ 付記 3 ]
 資産インフレは何一つ富を生産しない。しかし資産インフレは、富でないものなら生産する。それは、人々の妄想である。
 資産インフレのせいで、「おれたちはこんなに金持ちになった」という妄想がどんどん増殖する。なるほど、その妄想のおかげで、消費が増えて、景気は良くなる。実体経済が拡大する。だから、そそっかしい人は、本当に得をしたのだと思い込む。
 しかし、そのあとで、妄想が醒める。株価も地価も急落する。「全員が高値で売れる」と信じていたのに、「全員が高値で売れることなどありえない」ということに気づく。「富は増えたと思っていたが、今や手元には何も残っていない。実際には富の増大など、なかったのだ。夢のあとに残るのは、過剰消費をしたツケの借金だけだ」と気づく。それが、バブル破裂だ。
 結語。
 「資産インフレで、何百兆円も資産が増える」とか、「資産デフレで何百兆円もの資産が消えた」とか、そういう主張をする経済学者がけっこう多い。だまされないように、注意しよう。彼らは、ネズミ講に勧誘する詐欺師と同じなのだ。それに引っかかると、最初のうちは喜んでいられるが、あとで莫大な損失をこうむる。── それが本項で言いたいことだ。

 [ 付記 4 ]
 「ゼロサムならば、別に悪くはないだろう」と思う人もいるかもしれない。しかし、悪いのだ。なぜなら、経済を歪め、適正な所得配分を歪めるからだ。
 たとえば、デリバティブで、真面目に勤労した人の金を奪って、口車の巧みな詐欺師が奪うのは、悪いことだ。
 株価や地価にせよ、市場で決まる正当な価格があるのに、それから逸脱して、強引に価格を釣り上げて操作すれば、歪みが発生する。そうすれば、一部の人間が、必ずボロ儲けする。そして、そういう詐欺師がボロ儲けした分、善良な人間の富が奪われるのである。
 「ゼロサムならば、悪くはない」というのは、「泥棒は悪くはない」というのと同じだ。泥棒の理屈である。(正しくは、「詐欺師の理屈」だが。)

 [ 付記 5 ]
 「ゼロサムによる所得再配分」の例としては、「ギャンブル」がある。これも、「ゼロサムだから、全体で見れば損得なし」だ。とはいえ、ギャンブルは、危険だ。それは経済的にはたいしたことはなくとも、人間の心を荒廃させるからだ。
 ギャンブルを容認する人々は、たいてい、「自分はやらないから構わない。やるのは馬鹿だけさ」と思っているエゴイストである。そこには人間的な優しさのかけらもない。冷酷と言うしかない。ギャンブルで、誰が困るかを、理解していない。
 ギャンブルは、たしかに、やっている本人は困らない。自分で納得してやっているのだから、損をしようが得をしようが、文句を言われる筋合いはない。困るのは、本人ではなく、家族である。亭主が給料のほとんどをギャンブルにつぎこんで、家は借金だらけとなり、サラ金に追い立てられ、女房はパートに出たり水商売に出たりして、過労になり、病気になり、家庭は崩壊する……という例は、いたるところにある。
 ギャンブルとは、一種の麻薬なのである。心理学的にも、麻薬の興奮と、ギャンブルの興奮は、脳において似たような快感をもたらす。そして、脱出しがたい。「麻薬は、やっている本人がよければ、それでいい」ということにはならない。やがて、金がなくなったとき、犯罪を起こして、人を殺したりする。
 ギャンブルも麻薬も、人の心をむしばむことによって、社会を崩壊させるのだ。損得の問題ではないのだ。そして、損得で言えば、ギャンブルも麻薬も、それを管理している人間だけがボロ儲けをする。
 こういう麻薬組織のような悪質な人間性を持っている人間が、「やるやつが阿呆なんだ。だから、ギャンブルも麻薬も、放置していい。むしろ、それで金儲けをしよう」と言い出す。

 [ 付記 6 ]
 デフレのさなかで、悪銭を身につけようとする動きが出ている。「カジノをやりたい」という意見だ。地方自治体が「カジノ特区を」と要望し、法相は「特区でなく一般に」と容認の方向にあるという。(読売・夕刊 2003-02-07 )
 国家によるバクチの開帳だ。なるほど、それで金儲けはできるし、経済効果もあるだろう。しかし、そのかわり、人心は荒廃し、社会は崩壊するのだ。悪魔も顔負けだ。
( ※ 「ラスベガスはどうだ」という意見もあるかもしれない。しかし、あれは、都会からははるかに離れた、砂漠のなかにある。一般社会のなかにあるわけではない。どうしても日本でやりたければ、やはり、同じぐらいの距離が必要だ。たとえば、硫黄島にでも作るといい。それならば、一般社会と隔絶できる。)
( ※ なお、硫黄島でギャンブルをやるにしても、その前に、景気回復が前提となる。景気を悪化させたまま、ギャンブルを推進したりすれば、人心はどんどん荒廃していく。そのうち、ラスベガス・マフィアのような組織が、日本にもできそうだ。となると、やがては、麻薬患者もあふれかえるだろう。「これで日本もアメリカナイズされたな」と、小泉は喜びそうだ。)
( ※ ギャンブルやネズミ講というのは、社会にひどい害悪をもたらすが、不況のときには、こういう発想が浮かびがちだ。貧すれば鈍す。だから、角の生えたエコノミストは、「カジノ」だの、「ネズミ講」だの、「資産インフレ」だの、「煙草や麻薬」だの、「戦争業」だの、悪の限りを尽くして、金儲けをしようとする。そういえば、例のライオンも……)

 [ 参考 ]
 資産インフレの話は、前にもした。次の箇所を参照。
 ( → 5月24日8月12日 。また、7月15日8月09日d も。また、2001年12月03日5月04日b 以降も。)
 資産インフレが妄想であることも、前に説明した。 ( → 5月06日 [ 補説 ])


● ニュースと感想  (2月13日)

 前項の続き。
 資産インフレについて、何度も述べてきたが、「どうしてそうしつこく繰り返すのか」と疑問に思われるかもしれない。そこで、説明しておく。資産インフレは、妄想ゆえに危険であり、かつ、まさしく再現しかかっているからだ。

 資産インフレは、過去に起こっただけではない。近い将来に、起こる可能性が十分にある。なぜなら、それを起こそうと狙っているからだ。
 「インフレ目標」という政策が実現するかしないかは、あまり問題ではない。明文化されようが、明文化されまいが、その政策が今後取られることは、まず間違いない。( ※ 低金利政策それ自体は、反対論者はあまりいないからだ。一部の反対論者は、「高い物価上昇率」に反対しているだけであり、「低い物価上昇率」ならば、反対する人はほとんどいない。また、「インフレ目標」に付随する「日銀による資産購入」への反対はあるが、それは「インフレ目標」自体とは関係ない。)

 さて。「インフレ目標」を主張をするのは、たいていはマネタリストだ。そして、マネタリストの主張の要点は、「量的緩和」つまり「資金をジャブジャブにすること」だ。つまり、物価上昇率が高くならない限り、資金をジャブジャブにする。そして、資金をジャブジャブにすることが実現すれば、それはバブルの再現である。すなわち、「金が資産(土地・株式)に向かう」という「資産インフレ」の再来だ。
 そして、この「資産インフレ」は、きわめて危険であるにもかかわらず、マネタリストを中心とする人々は、それを歓迎する。「資産インフレにともなって、富が増えた。その富を使って、消費をする。消費をすれば、生産が拡大する。景気は良くなる。万事うまく行く。万歳!」という主張である。そして、その同じ主張に従って浮かれていたのが、バブル期であった。
 
 資産インフレの問題点は、何か? 「景気が良くなる」という効果は、たしかにあるし、そのことを、私は否定しない。問題は、それが一時的であることだ。一時的な幸福のあとでは、ツケ払いとしての不幸が来る。
 資産インフレの問題は、「消費を増やすこと」でもない。「錯覚ゆえに消費を増やすこと」である。そして、その錯覚は、前項で述べたとおりだ。すなわち、「資産インフレはネズミ講と同じだ」ということだ。当初は全員が「富が増えた」と喜んでいられるが、最終的には、「富は増えていなかった」(ゼロサムである)ということに気づく。そのとき、過去の過剰消費の、ツケ払いを迫られる。消費が急激に縮小して、景気は急激に悪化する。
 つまり、「資産インフレを起こす」ということは、「景気回復を起こす」ということであると同時に、「そのあとでふたたびバブルが破裂する」ということだ。そのことを私は警告しているわけだ。
 ここに注意してほしい。「資産インフレでは景気は回復しない」と述べているのではない。むしろ、「資産インフレで景気は回復する」と主張している。しかし、そういう形で景気が回復すればするほど、あとでひどい目に遭うのである。金もないのに、贅沢をすれば、「幸福だ、幸福だ」と喜んでいたあとで、ひどい目に遭う。景気が回復すればするほど、ひどい目に遭うのだ。だから、警告しているのだ。
 「資産インフレは、ネズミ講と同じくゼロサムであり、富は増えない。にもかかわらず、富が増えたという錯覚が生じる」── これが、前項で述べたことだ。よく理解してほしい。
 そしてまた、「ネズミ講で儲かる」というのと同様の「資産インフレで儲かる」というのを主張している人々(マネタリスト)が、「量的緩和で景気回復」と主張しているのだ、と注意した方がいい。「資産インフレ」を唱える狂人の主張を、信じるか信じないかは、あなた次第だが、少なくとも、それが狂人の説だということは、知っておいた方がいい。その上で、狂人の説を信じるのであれば、もう、何をか言わんやである。勝手に破滅するがいい。
( → 1月24日 以降の数日間、「量的緩和」のシリーズを続けた。)

 [ 補説 ]
 金融緩和が、「インフレ」を起こすか「資産インフレ」を起こすかは、状況によって異なる。消費性向の高い社会では、増えた貨幣は実需(設備投資を含む)に多く向かい、インフレを起こす。消費性向の低い社会では、増えた貨幣は、「資産投資」に多く向かい、資産インフレを起こす。
 かつて、バブル期には、増えた貨幣の大部分は「資産投資」に向かった。現在の不況脱出後も、そうなる可能性が非常に大きい。なぜなら、「所得」があまり増えないせいで、消費もあまり増えず、したがって設備投資もあまり増えないからだ。(そもそも、不況脱出直後は、設備は過剰であり、設備投資の必要がない。)
 ゆえに、「不況脱出直後」という時期に、過剰な金融緩和を実施すれば、「資産投資」に向かった大量の金が「資産インフレ」を起こす可能性が非常に高い。そして、「インフレ目標」を実施している限り、そうなるはずだ。なぜなら、消費が増えず、物価上昇率も上がらなければ、「これでもか、これでもか」と、どんどん資金を投入するからだ。
 結局、「生産量」というものを無視して、「物価上昇率と貨幣供給量」だけを見ているマネタリズムでは、かつてと同様の道をたどりやすいのだ。「資産インフレ」および「バブル破裂」という、いつか来た道。通りゃんせ。阿呆は同じ失敗を再度繰り返す。
( → 5月20日


● ニュースと感想  (2月13日b)

 前項の続き。
 「資産インフレの防ぎ方」について。
 資産インフレを防ぐにはどうすればいいか? それには、もちろん、貨幣供給量を過大にすることを、やめればよい。つまり、元祖マネタリストの言うとおり、「貨幣供給量をほぼ一定にする」という方法を取ればよい。(つまり、最近の量的緩和論者の言うような方法を取ってはならない。)
 
 話はそれで済んでいるのだが、バブル期に即して、考え直そう。
 バブル期には、急激な円高( 1ドル=240円 → 120円 )にともなって、企業は収益性が悪化した。そこで、やたらと金融緩和を主張した。日銀も「物価上昇率が低いから」という名目で、やたらと金融緩和をした。そのせいで、貨幣供給量が過大になった。しかるに、円高の効果(輸入デフレ)で、一般物価上昇率は低いままであったから、資産価格ばかりが急上昇した。
 このとき、古典派の人々は、たいてい、こう主張する。
 こういう発想を「能天気」と呼ぶ。たかが規制緩和ぐらいで、経済に多大な影響が起こるはずもない、ということがわからないようだ。  第1に、2倍の円高による輸入品の価格下落効果は 50% もある。それに比べれば、規制緩和の効果など、スズメの涙に等しい。50%の洪水でもできないことが、数%程度のスズメの涙でできるはずがない。
 第2に、地価は5倍〜10倍ぐらいに上がっているのだ。そこで、規制緩和によって土地の供給量を 10% ぐらい増やしたところで、スズメの涙に等しい。500%〜1000%の洪水に対抗して、数%程度のスズメの涙で逆らっても、対抗できるはずがない。
 要するに、マクロ的に巨大な動きがあるときには、規制緩和なんていうスズメの涙では無力なのだ。

 では、どうすれば良かったか? 答えは簡単だ。単純に、貿易黒字を減らせば良かった。すなわち、輸出を減らせば良かった。
 「当たり前だ」と思うかもしれない。しかし、この当たり前のことを理解できなかったのが、当時の人々だ。「2倍になるような急激な円高では、輸出産業はやっていけない。何とかせねば」と主張した。企業も「何とか輸出を確保しよう」として、技術革新やら原価低下やら、必死に努力した。そうして必死に輸出産業を強化しようとしたが、そうやって輸出産業を強化すれば強化するほど、ふたたび貿易黒字が拡大した。あげく、さらに円高になるだけだった。元の木阿弥だ。「首を絞められて大変だ」と騒いで、必死に自分で首を絞めているようなものだ。愚の骨頂。
 要するに、貿易黒字があるから、円高になったのだ。このとき、「何とか貿易黒字を確保しよう」と努力したわけだが、その努力そのものがさらに円高を招いたわけだ。
 だから、こういうときは、一番有効なのは、「時短」である。政府がマクロ的に強制的に「時短」を実施させればよかった。たとえば、残業規制や、休日の増加や、バカンスの実施などだ。そうすれば、国全体の生産量は縮小する。たとえば、2%( 10兆円)程度の生産量低下が発生する。貿易黒字は、最近は7兆円程度。過去を見ても、ピークは、85,92,98年で、いずれも黒字額は、約14兆円だ。つまり、7兆円〜14兆円というのが、普通の貿易黒字だ。それを消すことが、生産量の縮小によって、可能であるわけだ。
 もし「時短」をしていたら、バブル期には、2%程度の生産量の縮小にともなって、円高は急激に緩和していたはずだ。と同時に、貨幣供給量の拡大もなく、資産インフレもなかったはずだ。
 現実には、それとは逆のことをやった。企業は「原価低減」のために、労働者をやたらと過重労働させたり、設備投資で新設備を導入して大量生産に励んだりした。そうして輸出量を維持または拡大し、貿易黒字を溜まらせ、どんどん円高を招いていった。「苦しいときには休む」ということをせず、「苦しいからもっと働く」ということをして、さらに苦しくなる状況を招いた。その苦しみを緩和させるためのモルヒネとして、金融緩和をしたが、それはモルヒネの副作用として、ひどい資産インフレを招いた。
 ここでは、金融緩和というモルヒネを使うこと自体が間違っていたのだ。なのに、古典派経済学者は、「モルヒネは悪くはない。規制緩和をしていれば良かったのだ」などと主張する。根本的な勘違いだ。
 円高というのは、貿易黒字から生まれる。そこでは、「輸出超過」という現象が発生しているが、これは、開放系では、「生産超過」を意味する。だから、「生産超過」という根源を解決する(つまり、生産を縮小する = 長時間労働をやめる)ことが必要なのだ。なのに、そういう根源(生産量がどうなっているかということ)を見失って、貨幣だけで帳尻を合わせようとしたから、「資産インフレ」という異常な病気が発生したわけだ。
 何事も、物事の根源を考えることが大切だ。円高や資産インフレや景気過熱は、「規制緩和」が足りないから起こったのではない。そしてまた、今のデフレも、「規制緩和」が足りないから起こったのではない。「規制緩和をすれば資産インフレを防げる」とか、「規制緩和をすればデフレを防げる」とか、そういう矛盾した主張をする古典派の主張にだまされてはいけない。
 景気の変動は、マクロ的な生産量の変動によって発生する。それが物事の根源なのだ。何でもかんでも「規制緩和」とか「生産性の向上」とか「貨幣供給量の調整」とか、そういう本筋をはずしたことで対処しようとしても、ダメなのだ。

( ※ なのに、このことを理解しない人々が、今でも同じデタラメを主張し続ける。)


● ニュースと感想  (2月14日)

 前項の続き。「バブルの再来」について。
 「資産インフレ」を批判するついでに、「バブルの再来」の危険性を強調しておこう。
 以前、バブルが膨張したとき、景気は過熱していた。このとき、多くのエコノミストは、「景気がいい」と述べただけでなく、「日本経済は質的にすばらしいのだ。日本経済は世界最強だ」というふうに称賛して、株価が4万円ぐらいになるという状況を正当化した。そして、そのあと、バブルが破裂すると、「日本経済は質的に悪化したのだ。日本経済は米国よりもずっと劣る」というふうに批判する。
 はっきり言おう。彼らは「質」と「量」を勘違いしているのである。日本経済の質が、急激に向上して、急激に劣化したわけではない。そんなことは原理的にありえない。人間が急激に頭が良くなって、急激に馬鹿になる、という急変動は、「アルジャーノンの花束」みたいな小説世界の中では起こるが、現実には起こらない。経済もまた、同様だ。実際、そのことは、円レートを見ればわかる。バブル期も現在も、大きな変動はない。これこそが、質的にたいして変動していないことの、まぎれもない証拠だ。
 変動したのは、「質」ではなく、「量」である。多くのエコノミストはそこを根本的に勘違いしている。そのせいで、「生産性向上」「構造改革」という、見当違いなことを主張する。つまり、本当は、政府がマクロ政策で失敗したのが原因なのに、「個々の企業が悪いんだ」と主張する。あげく、「政府は何もしないでいい。企業がしっかりするべきだ」と主張して、「企業がしっかりしないなら、国が『構造改革』という名目で介入してやる。国家介入による経済運営こそ最高なのである」と社会主義的な処置をする。そういうデタラメのすべては、「質」と「量」の問題を、勘違いしているからである。 ( → 2002年2月08日 「質と量」 )
 そして、ここが肝心なのだが、経済の「量」を大きく変動させたのは、まさしくエコノミストなのである。日銀や政府が主犯だが、「日本経済はすばらしい」と持ち上げたエコノミストも共犯である。バブル期の新聞を見るがいい。多くのエコノミストや学者や記者がそろって、「日本経済はすばらしい」と持ち上げて、バブルをどんどん膨張させた。そして、バブルが永遠に膨張することがない以上、バブル破裂は必然なのだ。バブルを膨張させたこと自体が、バブル膨張の原因となる。だから、「日本経済はすばらしい」と持ち上げた彼らこそが、バブル膨張を通じて、バブル破裂を招いたのだ。
 日本の現在の不況を招いたのは、かつてバブルを膨張させた彼らである。その彼らが、過去に対する反省もないまま、今また、「バブルはすばらしい」「資産インフレはすばらしい」と持ち上げる。そうやって、経済の実態以上に帳簿の数字を増やそうとする。つまり、粉飾決算(不正会計処理)をしようとする。「粉飾決算をすれば、富が増えたと錯覚できるので、金を使って、景気が良くなる」という主張だ。非道徳的であるだけでなく、ほとんど狂気である。( → 7月14日b8月09日b5月24日 「資産インフレと粉飾決算」)
 過去を見ることは大切だ。「資産価格の膨張はすばらしい。富が増える」と主張した彼らが、過去に何をもたらしたか、よく見るがいい。
 特に、具体例を示そう。バブル期の「財テク」だ。「財テクはすばらしい利益をもたらす。電話一本で、巨額の富が増える。これこそ最先端の収益手段だ」と彼らは主張した。まったく、「ネズミ講」や「デリバティブ」と同じである。たしかに、最初は、得をした。しかしそのあと、莫大な損失が発生した。しょせんは、帳簿操作など、何の富ももたらさない。ただの米粒一つも、富は増えない。にもかかわらず、「富が増えた」と錯覚したので、どんどん浪費して、景気は良くなった。そのあと、「富が増えたと思ったのは錯覚だった」と気づいた。「差し引き、損得なしだ」と思う。しかし、過去になした浪費は、消えはしない。ツケは払わなくてはならない。そこで無理にツケ払いをしようとしたら、まともに働くための最低限の栄養量さえも取れなくなってしまった。……それが現状だ。
 だから、「資産インフレ」信奉者に、勧告するわけだ。バブル期に自分が何を言ったか、思い出すがいい、と。

 [ 付記 1 ]
 「粉飾でも不正処理でも妄想でも、とにかく消費が増えればいい」と思う人もいるかもしれない。そして、そういう「目的のためには手段を選ばず」というのが、マネタリストだ。「世の中すべて、マネーだけ」という主義だ。(いかにも経済学者ふうでもあるが。)
 そこで私は、「本質を見よ」と主張しているわけだ。「金がないのに金があると妄想する」とか、「ゼロサムなのに、富が増えたと錯覚する」とか、そういう錯覚で消費を増やしてもダメなのだ、と。
 では、どうすればいいのか? それは、「富を増やすには、妄想ではなくて、現実に働いて生産せよ」ということだ。たとえば、実際に働いて、自動車やパソコンを生産する。そういう生産は、まさしく富を増やすことになる。ここでは、「労働」を「富」に変えている。「空から金が降ってくる」のとは違う。「帳簿の処理だけで富を増やす」のとは異なる。ここが本質だ。そして、こうして富を得たなら、それを消費に回すことで、さらに拡大のスパイラルに乗る。
 ただ、不均衡状態では、それができない。働きたくても、働けない。「生産 → 所得 → 消費」というサイクルが途中で阻害されている。そこで、そのサイクルを正常化するために、一時的に「所得」を増やせばいいわけだ。
 この際、「減税」は、「富が増えた」という錯覚が生じるが、この錯覚については、最初から告知しておけばいいわけだ。「減税は得ではない」と。「減税すれば、今は得をするが、後で物価上昇か増税でツケ払いをする必要がある」と。「ただし、全員が得して、全員が損する形だから、実際には損も得もないのだ」と。
 資産インフレは、「損も得もない」わけではない。ゼロサムだから、国民全体を見れば、損得はない。しかし、一部の詐欺師がやたらと莫大な富を得るかわりに、国民の大部分は損をする。泥棒行為と同じで、悪党だけが得をする。ほとんどの国民は、「不良債権処理」つまり「他人の発生させた赤字の尻ぬぐい」という形で、莫大な損をこうむるのだ。その点が決定的に違うわけだ。

 [ 付記 2 ]
 すぐ上では、資産インフレを「詐欺」「泥棒」に喩えた。たしかに、そうだ。ここで、比較するべきは、「バクチ」である。資産インフレは、ただのバクチではなくて、もっと悪い。
 「資産インフレはしょせんはバクチだ」と思うかもしれないが、すぐ上にも述べたとおり、「一部の詐欺師が得して、大部分の国民は損する」というわけだから、大部分の国民にとっては、バクチよりもずっと悪い。
 具体的な例を示そう。「東京湾横断道路」という公共事業がある。これの採算性が非常に悪く、本来の償却費の半分ぐらいしかまかなえない、ということがしばしば報道されている。ま、それははさておき。別のことを示そう。
 これは、単に公共事業として、関連業界に売上げが発生しただけではない。「資産上昇」を狙った土地の買い占めがあった。新日鉄その他の当該企業の関連会社(子会社やダミー会社)が、1976年のデータでは、250万坪を確保し、将来の値上がり利益を1兆円以上と見込んだ。(講談社文庫「大蔵省主計局」栗林良光・著。1990年刊。p.247 )
 その後、バブルが生じたので、これは数兆円の含み資産と化したはずだ。新日鉄その他は、莫大な利益を得たようだ。一方、国民には、無駄な公共事業によって、莫大な損失が出た。結局、「国民が損して、新日鉄その他がボロ儲け」という構図である。
 さて。その後、さらに、バブルが破裂して、土地を買収した会社のうち、かなりの部分が倒産したようだ。しかし、倒産しても、どうということはない。単に会社が消えるだけだ。それまでにボロ儲けをした人々は、いったん莫大な所得を確定させており、自らの財産を奪われることはない。損をしたのは、土地を担保にして会社に融資して、「不良債権」をもらった銀行だけだ。
 結局、バブル期には、詐欺師のような人々が、「濡れ手で粟」のごとく、莫大な富を得た。バブルが破裂が破裂したあとは、国民に、「不良債権」という名前の莫大な損失が回った。というわけで、単なる「バクチ」とは違って、国民にとっては、非常に分の悪い行為なのである。いわば、「勝ちはないが、負けはある」というようなものだ。それが「資産インフレ」というものだ。
( 詐欺師のような手口については → 5月26日8月12日

 [ 付記 3 ]
 モデル的に示そう。
 「働かないで、富を増やす方法はないか?」と怠け者が質問した。するとマネタリストは、こう答えた。「大丈夫。それには、帳簿の金額を増やせばいい。数字をちょっと書き換えるだけさ」と。
 「それじゃ、せいぜい、お札の枚数が増えるだけでは?」と怠け者が質問した。するとマネタリストは、こう答えた。「単純に金をばらまけばそうだが、もっとうまい方法がある。それは、泥棒だよ。あなたは、他人の金を盗む。盗まれた人は、また別の他人の金を盗む。……こうしてぐるりと一巡すれば、誰もが他人の金を盗めるから、全員が富を増やす」
 「それじゃ、ゼロサムで、誰も得しないのでは?」と怠け者が質問した。するとマネタリストは、こう答えた。「盗まれたことに気づけば、そうだ。しかし、気づかなければ(妄想をもっていれば)、誰もが得した気分でいられる。全員が得した気分になって、消費を増やす。だから、経済も拡大する。これで、問題なし」
 「でも、いつかは、盗まれたことに気づいて、損失が発現するのでは?」と怠け者が質問した。するとマネタリストは、こう答えた。「大丈夫。永遠に気づかなければいいのだ。永遠に気づかなければ(妄想をもっていれば)、永遠に得した気分でいられるし、永遠に経済は拡大する。これで、問題なし」
 怠け者は、「なるほど」と思った。バブル期にそれを実行した。しかしそのあと、バブル破裂で痛い目にあったので、ふたたび同じ質問をした。するとマネタリストは、こう答えた。「もういっぺん、同じことをおやりなさい」と。
 怠け者は、さすがに懲りたので、その指導に従わなかった。かわりに、南ちゃんのところへ行って、同様の質問をした。「働かないで、富を増やす方法はないか?」と。南ちゃんは答えた。「本質を考えなさい。金は空からは降ってこない。打ち出の小槌なんかない。富を得たければ、真面目に働きなさい」と。
 ここで、怠け者の心は、二つに分かれた。良心は、「じゃ、働こう」と思った。邪心は、「打ち出の小槌を探そう」と思った。
 さて。現在の日本は、そのどちらに従うだろうか? 真面目に働いて、それにふさわしい結果を得るだろうか? それとも、働かずに富を得ようと夢見て、「資産インフレ」という粉飾を繰り返して、それにふさわしい結果を得るだろうか?

( ※ ついでだが、「無限の膨張」を信じたのは、「資産インフレ」信者だけではない。イソップにも、同類が登場する。カエルだ。「おれの腹はいくらでも膨らむぞ」と威張って、どんどん腹を膨らましたすえ、破裂させてしまった。誰かに似ていますね。)

 [ 付記 4 ]
 ついでだが、恐れるべきものは、「バブル」だけではない。「スタグフレーション」もある。
 マネタリストの主張に従って、「過剰な量的緩和」と「インフレ目標」を併用したとする。すると、デフレ脱出後に、過剰なマネーのせいで、ハイパーインフレが発生する。( → 2月03日b
 さらに、そのあとで「インフレ目標」によって「物価上昇を抑制するための、高金利」を実施すると、「スタグフレーション」が発生する。 ( → 12月28日


● ニュースと感想  (2月15日)

 「変動金利型国債」について。
 「金利の変動するタイプの国債」が発売された。物価に連動するのではなく、市場金利[ 10年物の長期国債の金利]に連動する。元金の保証があるほか、最低金利の保証もある。(夕刊 2003-01-20 に「実施決定」記事。朝刊 2003-02-05 に「ほぼ完売」などの記事。)
 この国債は、問題ない。私がお勧めしてきたものだ。「物価連動]タイプは問題があるが、「市場金利連動」タイプは好ましい。
 この件は、すでに述べたことがある。そちらを参照。( → 9月07日3月19日 の最後。)
 なお、財務省は、つい先日まで、「物価連動」タイプにするつもりだった。( → 12月19日

( ※ 財務省は、最初から「小泉の波立ち」を読んでいれば、こんなドタキャンみたいな変節をしないで済んだのだ。勉強不足だから、最後の最後になって、豹変する。)
( ※ 呆れたのは、新聞だ。これだけの豹変を、まともに解説しない。両者は全然意味が異なるという解説が不可欠なのに。朝日に至っては、当初、「市場金利連動」タイプになったということすら報道しなかった。最低限の基礎データを報道しないわけだ。マスコミ失格。)
( ※ 朝日 2003-02-05 朝刊は、さらに、変な解説を付けている。「国債に資金が奪われるので、民間の投資が減る」だって。クラウディングアウトである。呆れた。資金が滞留しているときには、クラウディング・アウトは発生しない。だから今はゼロ金利なのだ。朝日の解説が正しければ、資金の逼迫が発生して、金利が高くなっているはずだ。そんなこともわからないのだろうか? 経済学のイロハも知らないわけだ。呆れた。)

 [ 付記 ]
 「長期国債の暴落の危険」との関連で言えば、「長期国債の発行をやめて、変動金利型の国債にする」とすればよい。これで問題は一挙に解決する。(過剰な量的緩和をやめることも大事だ。)
 現実には、変動金利型の国債は、個人向けに限られており、一般投資機関には販売されない。これでは、意味がない。


● ニュースと感想  (2月15日b)

 Q 将来の長期国債暴落は、問題か? 
 A 問題ではない。心配して騒ぐ必要はない。(ただし、過剰な量的緩和をしていなければ。)

 次のような意見がある。
 「長期国債が低金利のまま、将来、物価が上昇すると、長期国債(の市場相場)が暴落する。これは、政府にとっては有利だが、国民にとっては富が大幅に減額することになり、問題だ。ゆえに、将来の物価上昇率は、高めにするべきではない。低めの物価上昇率が好ましい」
 しかし、この意見は、論理的におかしい。簡単に言えば、こうだ。
 「将来、長期国債が暴落しても、長い期間の全体を通じて見れば、別に損得はない。損得がないように、現在の長期国債相場が決まっている。仮に、損が発生するとしても、それは、そのことを知って本人が長期国債を買っているのだから、問題はない。この損得は、一種のギャンブルであるから、ギャンブルの損得について心配をする必要はない」
 つまり、競馬であれ何であれ、話は同じだ。「ギャンブラーが得したときには、利益はすべて彼のもの」「ギャンブラーが損してすってんてんになったときは、かわいそうだから国が面倒を見る」というのは、まったく間違ったことなのだ。ギャンブラーが得をしようが、損をしようが、その責任はすべて彼に帰する。他人がいちいち心配をしてやる必要はない。
 上の論者は、何か、勘違いしているようだ。国は何も強制していない。「競馬の馬券を買え」と強制することもないし、「長期国債を買え」と強制することもない。それを買った人は、そうして得すると思ったから、それを買っているだけのことだ。結果的に、どうなろうと、その責任は、すべて本人にある。国や他人が、「おんぶにだっこ」みたいに、いちいち心配する必要はない。世話焼き婆さんみたいな心配は、必要ないのだ。あくまで、放置してよい。そして、放置すれば、自動的に相場は常識的な水準になる。 それが市場原理だ。

 以上が、話の要点だ。以下では、もっと詳しく述べよう。
 将来、物価が上昇したとする。すると、金利が上がるにつれて、長期国債の金利は暴落する。ここまでは、不可避だ。── では、これは、問題か? もちろん、問題ではない。当然の経済現象であって、必然的なことである。「良し悪し」を言うまでもない。
 もっと強く言おう。暴落は、「好ましくないこと」ではなくて、「必要なこと」なのである。なぜか? それは、物事の根本原理を考えればわかる。
 現在、どうなっているか? 短期金利はゼロ金利であるにもかかわらず、長期金利は非常に有利な金利となっている。3年物ぐらいの社債や定期預金などでは、ほとんどゼロ金利なのに、超長期国債の金利は、ずっと高めだ。10年物や20年物では、1%程度の金利となっている。(最近は、過度な量的緩和のせいで 0.77% ぐらいまで下がったが、少し前までは、1% をいくらか上回る利率となっていた。)
 1%程度の金利となるのは、当然のことだ。現在のゼロ金利が将来もずっと継続するはずがない。だから、将来の高金利を見越して、長期間の平均でまともな金利になるように、国債購入者が予測しているわけだ。(たとえば、初めの5年間がゼロ金利で、あとの5年間が2% になると予測されれば、10年物国債の金利は1%になるのが当然だ。)

 さて。こういう現状を利用して、超長期国債を短期間で売買すると、うまくやれば、超長期国債の年利1%の金利を、短期間で得ることができる。超長期国債を買って、1年後に売れば、その1年間で、年利1%の金利を得ることができる。これは、短期国債を運用したのに比べれば、圧倒的に有利だ。金利の割合はたいしたことはないが、希望が巨額だからだ。金融市場で運用される資金は、数千億円や数兆円の規模になる。1千億円で1%の差があれば、10億円だ。電話一つで、これだけの莫大な利益を得ることができる。まさに「ボロ儲け」だ。
 では、こういう「ボロ儲け」のできる「うまい話」は、本当に大丈夫なのか? もし大丈夫なのであれば、誰もがそうすればいいのではないか? そう思うだろう。
 もちろん、大丈夫ではない。こういう「ボロ儲け」ができることもあるが、それは、「ゼロ金利が継続すれば」つまり「不況が継続すれば」ということを前提としている。そして、その見通しは、今は正しい。しかし、いつか、不況を脱するとき(そう予測されるとき)が来る。そのとき、国債は暴落する。すると、それまで10億円ぐらいずつセコセコと溜めて込んでいたとしても、一挙に百億円規模で大損をする。ずっと溜め込んでいた利益を、いっぺんに吐き出す。それが「国債暴落」だ。
 では、これは、悪いことか? いや、悪いことではない。じっくり考えればわかるとおり、こういうふうに国債価格の変動があっても、そのことは、純粋な損失を生み出さない。(物をドブに捨てるような純粋な損失はない。)そこでは、単に資産の取引がなされているだけだ。つまり、売り手と買い手の一方が得すれば、他方が同額を損する。両方を合計すれば、ゼロサムである。
 だから、国債の売買というのは、トランプのギャンブルと同じなのだ。誰かが損すれば、誰かが得する。全体としてみれば、ゼロサムである。
 そして、ギャンブルの上手な人間は、ゼロ金利のときに長期国債を運用して、ボロ儲けをする。そして、金利上昇の目が予測できたら、さっさと手じまいして、利益を確定する。一方、ギャンブルの下手な人間は、金利上昇の目が早く予測できないので、遅れて売るので、大損する。
 結局、ギャンブルのうまい人間(予測のうまい人間)が利益を得て、ギャンブルの下手な人間(予測の下手な人間)が損をこうむっただけだ。上手な人間が得をして、下手な人間が損をしただけのことだ。そういうことは、あらゆるギャンブルに当てはまる。そして、損得は、ギャンブルをしている人間たちだけ範囲にとどまり、彼らの全体ではゼロサムとなる。
 ところが、一部の経済学者は、これを問題視する。「ギャンブルで負けた人間が損をする。かわいそうだ。問題だ」と。冗談ではない。勝手にギャンブルに手を出して、勝手に負けただけだ。それを他人がいちいち心配してやる必要はないのだ。ギャンブルで損をしたくないのなら、ギャンブルに手を出さなければいいのだ。つまり、長期国債なんか、買わなければいいのだ。それは「ハイリスク」な投機商品であり、あまりにも危険な商品だからだ。
 まともな人間ならば、固定金利の債権などは買わず、市場金利の債券を買う。特に、長期の債券などは買わず、短期の債券を買う。それならば、リスクはない。ところが、欲深い人間や、ギャンブラーは、「人より抜きん出てやろう」と思って、ハイリスクの長期国債を買う。それで儲けたら、「どうだ、おれの目先が鋭いんだ」と威張って、大金を懐にする。逆に、それで損したら、「国の政策が悪いんだ、おれのせいじゃない」と泣きつく。それを素直に聞いて、「おお、なるほど、かわいそうだ」と思う経済学者経済学者も、いくらかはいるわけだ。お人好しというか、阿呆というか。……
( ※ こういう経済学者は、詐欺師にとって、カモである。あなたが詐欺師ならば、こういう経済学者に、「必ず儲かりますよ」と勧誘して、口先巧みにだますといい。彼らは、「得するぞ」と思って大金を支払う。あとで損したら、「自分のせいだ」とは思わず、「国のせいだ」と泣きつくだけだ。最良のカモである。)

 結語。
 長期国債の暴落など、心配する必要はない。将来、莫大な損失が発生するとしても、期間を通算すれば、損得はない。「途中までは少しずつ得しているが、最後にまとめて損する」だけだ。たとえば、初めの9年間は、1%ずつ計9%の利益を得ているが、最後の1年は、一挙に8%の暴落が起こる。この場合、最後には暴落が起こるが、いちいち問題視することではないのだ。なぜなら、通算すれば、「9% の得と 8%の損」だから、「10年間を通算して1%の得」だ。結局は、損も得も発生していないことになる。
 現実には、期間を通じて国債を持ち続けるかわりに、部分的な期間で売買をする人も出てくる。しかしそれは、勝手にギャンブルをやっているだけのことだ。ギャンブルで損得が発生したとしても、それは他人の関与することではない。ギャンブラーの個人個人の損得のバラツキを、いちいち他人が心配する必要はない。大切なのは、「国全体でトータルしての損得」だ。そして、それは、「市場原理による相場決定」により、「全体としては損得なし」となる。だから、問題は何もないわけだ。

 [ 参考 ]
 「右手と左手を見れば損得なし」という話を、別の件で示したことがある。( → 5月07日

 [ 注記 ]
 ここで述べたのは、「過剰な量的緩和をしていなければ」という条件が付いている。そうでない場合については、次項で述べる。
( ※ 話はまだ完結していないわけだ。注意。)


● ニュースと感想  (2月16日)

 前項の続き。
 Q 将来の長期国債暴落は、問題か? 
 A 問題となることがある。それは、過剰な量的緩和をしている場合だ。

 前項で述べたのは、「過剰な量的緩和をしていなければ」という条件が付いている。これはつまり、「金利が市場で決まるのであれば」「国債購入の損得が自己責任でまかなわれるのであれば」ということが前提されているわけだ。
 しかし、そうでない場合は、話が異なる。たとえば、現状を見よう。2002年は、長期金利が急降下の一途であり、年頭から年末までに、1.5%から 1.0% まで下がった。最近は、0.0770% だという。(読売・朝刊・経済面 2003-01-30。朝日・朝刊・経済面 2003-01-29 )
 これはもちろん、過剰な量的緩和がなされたことによる。「量的緩和は不十分だ」という説もあるが、この市場金利を見ても、「量的緩和は過剰だ」ということがわかる。
 そもそも、「過剰」とは、どういうことか? 前項で述べたのは、(金融)市場参入者が、自己責任で、「国債投資」というギャンブルをすることを前提としていた。得をしても損をしても、それは自己責任であるから、他人が構うことはない。たいていは、「今は得して、後で損する」という形になるだけだ。あまり気にすることはない。
 しかし、「過剰」だと、そうではない。ここでは、市場原理が働かない。なぜか? 国が介入するからだ。どんな市場でも、国が勝手に介入して、一方に動かそうとすれば、そこではもはや市場は正常に機能しなくなる。
 すると、どうなるか? 「自己責任」という原則が崩れる。具体的には、こうだ。量的緩和で、長期金利が低下する。その後、いつか、景気が回復して、長期金利が上昇し、国債が暴落する。そのとき、国債をすぐに売ろうと売るまいと、「得られるはずの利子」を失うことになる。(市場金利が3%で、長期国債金利が1%なら、年2%という巨額の損失だ。)……これは、暴落した価格で売ろうと売るまいと、どちらにしても発生する損失だ。
 この損失は、長期国債の保有者に発生する。では、それは、誰か? 長期国債の保有者は誰かということは、すでにわかっている。個人は数%でしかない。大部分は、生保や銀行だ。そこに数兆円〜数十兆円規模の損失が発生する。その損失は、「生保倒産」または「銀行倒産」という形をもたらすが、倒産しようが国が支援しようが、いずれにせよ、その巨額の損失は、国民全体でまかなうことになる。

 結語。
 過剰な量的緩和は、市場を歪める。本来の水準以上に長期国債が値上がりする結果、将来の暴落を引き起こす。つまり、「落差」を、自然な水準以上に拡大する。この「落差」が大きければ大きいほど、将来のショックは大きくなる。
 たとえて言おう。階段を1段跳び降りるぐらいならば大したことはないが、3階から跳び降りれば大ケガをする。「上がって下りる」という行為は、それ自体は損得はない。しかし、損得はなくても、ショックが大きければ、損得以外のトラブルが発生する。下手をすれば死ぬ。「損得はない」と言いながら死ぬ。
 だからこそ、過剰な量的緩和をやってはいけないのだ。

 [ 付記 ]
 量的緩和で長期金利が低下する、という過程を示しておく。
  「量的緩和」→「日銀による長期国債買いオペ」→「国債売却者は現金を得る」→「その現金で長期国債を買う(短期国債は品切れ)」→「市場で長期国債が品切れに近くなる」→「長期国債の価格が高くなる」→「長期金利低下」
 では、問題なのは、どこか? 「日銀がいくら資金を供給しても、それでもたらされた金が、投資には向かわず、長期国債の購入に向かう」という点だ。ここが問題だ。
 「量的緩和」論者は、ここを勘違いしている。「資金を供給すれば、資金が実需に向かう」と予想している。そうではない。資金が滞留しているだけだ。つまり、金融市場のなかで、金がぐるぐる回っているだけだ。そして、その結果が、「長期金利の低下」となる。
 逆に言えば、「長期金利の低下」は、「投資拡大」が発生していないことの証明だ。ここを理解することが大切だ。

 [ 補足 ]
 ついでに言っておこう。
 上記の話は、不況という不均衡状態の話だ。不均衡状態では、金利がゼロだから、金利が下がる余地がない。ゆえに投資は拡大しない。
 しかし、均衡状態では、話は別だ。日銀が資金を供給すれば、金利の低下が発生して、投資が拡大する。
 ここを勘違いしているのが、マネタリストだ。「均衡状態のときは、こうなる。だから不均衡状態のときも……」というふうに、勝手に話を拡大する。
 こういうのは、「市場原理を歪めるほどまで国家介入をせよ」というわけだから、一種の社会主義経済論者なのである。マネタリズムというのは、「貨幣分野における社会主義」のことだ。
 だから、彼らは、「日銀による不動産や株の買い入れ」まで主張する。「金融市場で市場経済を歪めるだけでは足りない。資産市場でも市場経済を歪めよ。そうやって経済を国家が統制せよ」というわけだ。
 ここまで来れば、普通の社会主義まで、あと一歩である。「一般の商品市場でもそうせよ」ということになる。「物が売れなきゃ、国が買えばいい。それを配給すればいい」とか、「失業者がいるなら、国が雇用すればいい。みんな公務員にすれば失業はなくなる」というわけだ。
 まったく、マネタリストと社会主義者とは、発想が同じである。違うのはただ一つ。「金融市場(と資産市場)だけ」か、「普通の商品市場でも」か、それだけの違いだ。


● ニュースと感想  (2月17日)

 前項の続き。
 Q 将来の長期国債暴落は、どうやって防ぐか? 
 A インフレを防げばよい。

 前々項および前項からわかることは、次のことだ。
 過剰な量的緩和をしなければ、貨幣の過剰供給は発生しないから、過剰なインフレは発生しない。だから、過剰な高金利も発生しないし、過剰な国債暴落も発生しない。自然な範囲で、「高金利」および「国債価格の低下」が発生するだけだ。
 そして、そのあとは、「ポリシー・ミックス」によって制御すればよい。つまり、「増税」と「物価上昇」のトレードオフ関係における選択だ。
 その二つの範囲で、適当に決めればよい。
 ここで、理解しよう。「増税」にせよ、「物価上昇」にせよ、国民の富を奪う効果はある。そして、そのことは、避けがたい。だから、「増税をすれば富が奪われる」と錯覚してはならない。「増税しなければ、物価上昇によって富が奪われる」のだから、「増税をしなければ富を奪われない」ということにはならない。── つまり、増税は、損でもなく得でもないのだ。単に「物価上昇」とのトレードオフにすぎない。
 国民にとって大切なのは、実質的な富である。それは、生産量によって決まる。名目的な金の量によって決まるわけではなくて、実質的に得る商品の量によって決まる。
 そして、そのためには、「物価上昇」よりは「増税」の方が効果的なのだ。なぜならば、「増税」は、「低金利」をもたらして、「消費を抑制して投資を増やす」ことにより、「供給能力を増やす」からだ。つまり、「増税」とは、「当面の損と、将来の得」であって、その差し引きを「トントン」以上の「得」にすることだ。
 ただ、「増税」をしなくても、単に「物価上昇」が発生するだけだ。それはそれで、特に問題はない。増税によって物価上昇率を3%にするか、増税なしで物価上昇率を6%にするかは、国民の選択範囲だ。前者の方が利口だが、後者にしても特に悪いわけではない。利口でないというだけだ。

 とにかく、肝心なのは、「過剰な量的緩和」を防ぐことである。そうしておけば、「過剰な物価上昇」は防げるから、「過剰な国債暴落」も防げる。そのあと、ある程度の幅で物価上昇や国債下落が発生しても、それはそれで、許容される選択範囲のことだ。

 [ 補説 ]
 関連して、間違った処方を示そう。(読売・朝刊・解説面・特集 2003-02-02 )

 (1) 財政均衡
 「財政均衡にすればよい。そうすれば、国債残高は拡大しない」という主張だ。「財政赤字をなくそう。プライマリー・バランスを黒字にしよう」とも言われる。
 この件については、前にも述べた。( → 3月06日b3月08日
 つまり、「デフレのときに財政赤字を縮小しようとすると、デフレがひどくなって、かえって財政赤字が拡大する」ということだ。これは、小泉流の財政再建政策の結果として、現実となっている。
 だから、「財政赤字を縮小するためには、財政赤字を拡大するべきだ」というのが正しい。これが矛盾しているように思えるのなら、次のように言えばわかりやすくなる。「長期的に財政赤字を縮小するためには、短期的に財政赤字を拡大するべきだ」と。
 この違いがわからないと、小泉のように失敗する。マクロ経済音痴というのは、そういうものだ。(今回の記事も同様。)

 (2) 低金利政策
 「猛烈なインフレになれば、国債償還が楽になるが、国民生活を破壊する」と認識した上で、「インフレを避け、かつ、国債償還をする方法はある。それには、国債の買い上げだ。国債を償還できるし、低金利を維持できる」という主張がある。(今回の記事。)
 しかし、ここでは、論理が尻抜けになっている。国債を買い上げれば、現金をかわりに出すことになるから、インフレを増進させるのだ。だから、論理が逆になっている。「インフレを避けるためには、国債を買うべきだ」ではなくて、「インフレを避けるためには、国債を売るべきだ」というのが正しい。
 ただし、国債を売れば、国債価格は下がる。国債暴落の懸念は残る。
 だから、結局、国債を売ろうが買うまいが、そのこと自体は、何も解決策になっていないわけだ。
 この二者択一である。その双方を解決する貨幣政策などは、ない。つまり、貨幣政策だけで、この問題を解決することはできない。そんなうまい「打ち出の小槌」などは、ないのだ。
 記事は、「打ち出の小槌がある」と信じているようだ。あまりにも認識が甘い。われわれには「富を得る」方法などはない。「空から金が降ってくる」ようにする方法などはない。何らかの痛みは必然だ。(理由は、不況期に過剰な支出をしたから。 → 12月19日 (2)
 何らかの痛みが必要だとすれば、あとは、選択肢の問題だ。
  1.  増税をすれば → 健全な成長路線。(国債はうまく償還される。)
  2.  国債を買えば → インフレが起こる。(国債はうまく償還される。)
  3.  国債を売れば → 国債暴落が起こる。金利が上昇して、低成長。
 この三つの評価は、こうだ。
 1. は、苦い良薬である。当面の痛みは大きいが、経済を健全化し、将来を伸ばす。
 2. は、中間的だ。
 3. は、甘い麻薬である。国債暴落は起こるが、増税もないし、インフレもない。だから国民は嬉しがる。「増税もないぞ、インフレもないぞ、すばらしい」と。しかし、その陰では、異常な高金利が発生している。過剰な円高が発生して、莫大な資本赤字と貿易赤字が発生する。企業は、円高と高金利のせいで、投資ができず、経済は縮小していく。それでも、国民はみんな幸福でいられる。だが、当面は、幸福でいられても、やがて、それが破裂する。当面の幸福のツケを払う時期が来る。経済は萎縮していく。……これこそ、「レーガノミックス」そのものだ。一種のバブル経済である。「将来を担保にした当面の幸福」というやつだ。サラ金人生。 ( → 10月07日
 だから、この三つのうち、前のものほど、痛みは大きく、後のものほど、痛みは小さい。逆に、前のものほど、将来を健全化し、後のものほど、将来を傷つける。
 こういうふうに、トレードオフ関係にあるのだ。賢明な人間ならば、現在の痛みをこらえて、将来を明るくしようとする。愚かな人間ならば、現在の幸福だけを考えて、将来の破局を無視する。
 ただ、賢明であれ、愚かであれ、どちらを取るのかは、人生観しだいだから、それはそれで、その国民の勝手である。
 とはいえ、「増税もなし、インフレもなし、国債暴落もなし、高金利もなし」という夢のような状態を期待するのであれば、そういう人は、もはや、賢くも愚かでもなく、「空から金が降ってくる」という妄想にとらわれているのである。……そして、残念ながら、多くの経済学者が、こういう妄想にとらわれている。
( ※ そういう経済学者の例。……「量的緩和論者」「財政拡張論者(ケインズ派)」「財政緊縮論者」「円安論者」「不良債権処理論者」など。言っていることはバラバラだが、いずれも夢のような状態があると信じている。彼らの主張は、たいてい、「空から金が降ってくる」というものだ。)
( ※ とにかく、結論として言えば、「国債をどうこうすればいい」という問題ではない。量的緩和による過剰な国債買い上げはダメだが、だからといって、量的緩和をやめれば解決するというわけでもない。根本としては、不況を解決するのが先決だ。「国債をどうこうせよ」というのは、そのあとに来る話だ。そして、国債をどうしようと、しょせんは痛みはある。ツケ払いは、必ず必要となる。「空から金が降ってくる」という方法はないのだ。われわれの選択肢は、痛みの種類を変えることだけだ。)

 [ 付記 ]
 愚かな人の例を示そう。それはブッシュ(米国政府)だ。
 ブッシュの指導で「減税はすばらしい」という政策を掲げるために、米国政府が勝手なモデルで将来を予想した。
「大規模な減税をしても、金利上昇は無視できるほど微弱である。ゆえに、『減税は高金利をもたらす(だから民間投資が減るので景気回復なし)』という民主党の批判は当たらない」というものだ。(朝刊・経済面 2003-02-08 )
 しかし、先に示したとおり、「増税」「高金利」「物価上昇」は、すべてを避けることはできない。ブッシュの主張するように、「減税しても金利上昇なし」ならば、「物価上昇」が発生する。
 日本のように「デフレ」(物価下落をともなう非均衡状態)ならば、そういうことは成立するかもしれない。しかし、それは、規模が小さいときだけだ。つまり、減税が無効であるときだけだ。規模が大きいとき、つまり、減税が有効であるときには、物価上昇は不可避である。また、不可避であることが必要だ。そもそも物価上昇が狙いなのだから。
 一方、日本と違って「デフレ」ではないとき(均衡状態のとき)ならば、減税によって物価上昇(消費拡大)は自然に発生する。それを避けたければ、金利上昇(投資縮小)を受け入れるしかない。とにかく、物価上昇と高金利のどちらかを受け入れる必要がある。
 もう少し説明しよう。「高金利」は、「量的緩和」という金融政策によって制御できる。だから、ブッシュの言うとおり、「高金利」を避けることはできる。ただし、その場合、「量的緩和」によって、「物価上昇」が発生する。「減税」が先に決まっている場合、「高金利」と「物価上昇」は、二者択一である。前者を避ければ、後者が起こる。ここがポイントだ。
 では、結局、どうなのか? 減税をするべきではないのか? 
 答えを言おう。米国は、減税をするべきである。ただし、「物価上昇も起こらず金利も上がらない」と主張するべきではない。「物価上昇も起こるし金利も上がる」と明言するべきだ。米国は、現在、物価上昇率も金利も低すぎる。もう少し高めの方が、健全な経済となる。だから、「減税をする」と主張するのはいいのだが、「物価上昇も起こらず金利も上がらない」とゴマ化すべきではなく、むしろ、「ある程度、物価上昇も起こるし金利も上がる」と明言した上で、「しかし、それこそが景気回復であるから、すばらしいのだ」と告げるべきだ。
 経済には、物価上昇率や金利に、適切な水準がある。これらは低ければ低いほどいいというものではない。人間でも、病気になると体温は上がるが、だからといって、体温が低ければ低いほどいいというものではない。健康であったときの体温がどのくらいであったかを記録しておいて、その水準からズレたら、元の水準をめざすべきだ。
 経済も同様である。物価上昇率や金利が下がりすぎたら、それは経済活力が衰えたということを意味する。物価上昇率や金利が自然に上がるように、経済活力を活発化させることが大切だ。「物価上昇率や金利は上がりません」(だから大丈夫)などと主張するのは、話の方向が根本的にズレている。「物価上昇率や金利は上がりません」というのは、「消費者が有利」ということであり、「生産者が不利」ということなのだから、経済活力が衰えたということを意味するのであって、好ましくない状態なのだ。
 なお、その典型的な見本が、今の日本である。「物価上昇率や金利は上がりません」という状況が、まさしく日本で実現している。こういう状況は、幸福ではなくて、ひどい不幸である。

( ※ ついでだが、ブッシュのいう減税の問題点は、減税それ自体ではなくて、「所得税減税」というところだ。これの効果は、「金持ち減税」である。高所得者ばかりが得をする。低所得者は、物価上昇の分、損をする。つまりは、所得格差の拡大だ。……民主党が「減税」に反対する理由も、本音では、このあたりにあるのだろう。)
( ※ とにかく、まとめとして言えば、「金利も上がらず物価上昇も上がりません」と言うべきではなくて、実際にそうなるように「増税をする」というのが正しい。「常に減税」とか「十年もずっと減税」なんていうブッシュ流の能天気を避けて、「景気の悪いときは減税だが、景気の良いときには増税」と言うべきなのだ。それが正しい道だ。)


● ニュースと感想  (2月18日)

 Q 巨額の国債残高を、将来、どうするべきか? 
 A 増税または物価上昇で解決する。そのどちらでも、損得については大差はない。景気調整については、両者で差がある。

 巨額の国債残高があるが、これをどうするべきかで、論議されている。
  1.  政府の経費を減らして、返済する。
  2.  増税で返済する。
  3.  物価上昇を起こして(起こって)、実質的な返済額を減らす。
  4.  現状のまま放置して、永遠に先送りする。
 順に、考察していこう。(特に、4番目が重要である!)

 (1) 政府の無駄な経費を減らして、返済する。
 これは、一番人気が高い。しかし、無意味である。
 政府の無駄な経費を減らすというのは、国債問題とは別の独立した問題として、それはそれで、やらなくてはならないことだ。また、無駄な経費は削減するべきだが、必要な経費を削減するべきではない。
 よくあるのは、「公務員の給与を減らせ」という声だが、長期間を平均して言えば、公務員の給与は、民間よりもかなり低い。減らす余地は、あまりない。不況の今は、民間人が非常に苦しんでいるので、公務員の厚遇が目立つ。しかし、そのうち景気が回復すれば、公務員は薄給として蔑まれるだろう。そして、「国債残高の返済」というのは、景気が回復したあとの話なのである。ここで公務員の給料を下げても、意味がない。
 結局、「無駄な金を減らせ」と主張するのは、ただの気分的な憂さ晴らしにすぎない。酒屋でくだを巻いているときには、そう叫ぶといいだろう。それだけのことだ。まともな理屈ではない。「打ち出の小槌で金を出せ」と主張するようなものだ。
( ※ ひとことで言えば、これは経済学の問題ではない、ということ。阿呆による行為を取り締まるのは、政治家の仕事であって、経済学者の仕事ではない。阿呆の世話まで、経済学は面倒を見きれない。……ただし、「阿呆を減らせば、莫大な金が湧いてくる」と政治家が主張したら、「そんな過大な夢を見るな」と忠告するのは、経済学者の仕事である。)

 (2) 増税で返済する。
 これは、最も常識的かつ標準的な方法である。良いとか悪いとか言うまでもない。
 ただ、タンク法の見地からは、メリットがある。それは、「増税は、任意の分野から徴収できるので、負担する分野にメリハリを付けることができる」ということだ。具体的には、「景気過熱時には、消費に増税して、投資に増税しないことができる」ということだ。その結果、総需要の減る分、金利が低下して、投資が優遇される。供給力の成長が可能となり、「迂回生産」の形で、成長率を高めることができる。……景気過熱時は、供給力が不足しているのだから、こうすることが最善の策である。(マネタリズムふうの「高金利」という金融緊縮は、まずい策である。それはスタグフレーション的な効果をもたらす。)
 つまり、こうだ。増税は、一見損をするように見える。しかし、その分、物価低下(物価上昇の抑制)という効果が現れるので、国民にとっては損得がない。一方、成長率が高まるので、現状からの改善効果が高い。その意味で、増税は、利口な方法である。(ただし、景気過熱時に限る。また、課税方法を公平に必要がある。「大衆には増税するが、資産家だけは減税する」なんてことでは、納得は得られない。たとえば、発泡酒増税などの大衆冷遇と、相続税の減税による資産家優遇。これは、ひどいね。)

 (3) 物価上昇を起こして(起こって)、実質的な返済額を減らす。
 物価上昇が起これば、国債返済の実質的な負担は減る。政府にとっては、なかなか魅力的な方法である。ただし、その分、国民は「物価上昇」の痛みを感じる。
 これを「けしからん」と主張する人が多い。特に、マネタリスト系のモラリストがそうだ。「物価の安定こそ至上命題であり、物価を高めるなんて、絶対に許せない」というわけだ。
 しかし、本当を言えば、物価上昇で金を奪われようと、増税で金を奪われようと、国民にとっては、同じことである。本質的な違いはない。1割の損は、1割の損である。物価上昇であろうと、増税であろうと、原因にかかわりなく、損は損なのだ。どっちみち、同じことなのだ。(痛みは痛みなのだ。痛みの種類が違うだけだ。)
 そして、この損は、「国債の返済」のためには、不可避である。借りた金は、いつかは返さなくてはならない。ここで、「物価上昇による借金返済はけしからんが、増税による借金返済は正しい」と主張するのは、無意味である。
 物価上昇か増税かは、単に、気分の問題であるにすぎない。物価上昇ならば、財布の金を直接奪われる痛みはないが、物を買うたびに物価上昇の痛みを感じる。増税ならば、財布の金を直接奪われる痛みがあるが、物を買うたびに物価上昇の痛みを感じることがない。……どちらも一長一短である。そして、その違いは、気分の違い程度にすぎない。
 だから、これは、ほとんど人生観の違いである。潔癖主義者は、こう思う。「借金なんて、気持ち悪い。一挙に支払って、あとは安心して生きていこう」と。お気楽者は、こう思う。「借金なんて、気にすることはないね。当面は借金して楽しみ、あとで少しずつ変異すればいいさ」と。……そのどちらが正しいとも言えない。単なる人生観の差にすぎない。
 「物価上昇はダメだ、増税で解決するべきだ」というのは、潔癖主義者の主張である。それは、彼の倫理観を示す。しかし、経済学的には、無意味なのだ。どっちみち、同じことなのだから。
 で、結局、どうなのか? 物価上昇でいいのか? いや、そうではない。経済学的には同じだし、2%〜7%ぐらいの物価上昇率なら、どっちでも構わないと思うが、部下上昇率が7%を越えるような高率になると、経済が歪む。それはまずい。また、先に (2) で述べたように、増税の方がどちらかと言えば賢明である。
 だから、「物価上昇か増税か」という問題には、あまりこだわらなくてもいいと思うが、どちらかと言えば、増税の方が賢明である。また、物価上昇率が高くなりすぎたら、弊害があるので、そのときは、ぜひとも増税を実施するべきである。── つまり、物価上昇に対しては、大騒ぎしない範囲で注意した方がいい、ということだ。「物価上昇はけしからん」とヒステリックに叫ぶ必要はないが。

 (4) 現状のまま放置して、永遠に先送りする。
 こういう「永遠の先送り」というのは、理屈としては、成立する。それが可能であるならば、こんなにうまい話はない。( → 4月05日 の[ 余談 ]の「無限ホテル」)
 では、どういうときに、先送りが可能か? それは、「国民の貯蓄率がずっと高いとき」である。つまり、景気回復後、消費性向が、いくらか高くなっても、あまり高くなりすぎないで、物価上昇があまり発生しない場合である。この場合は、物価上昇が発生しない。増税の必要はない。
 つまり、貯蓄率が高いときは、物価上昇も増税もなしに、問題を先送りすることができる。そして、それが正しいのだ。なぜか? 国債残高の縮小をめざして、増税をすれば、かえって景気悪化が起こって、逆効果になる。たとえば、現状がそうだ。「景気悪化」→「財政赤字拡大」→「国債残高の急上昇」というふうになった。
 本質を言おう。国民は、「生産したものを消費する」というのが核心である。そして、帳簿における借金や貯蓄の分は、核心ではないのだ。貯蓄率が低いときは、人々は、増税や物価上昇で富を奪われることはないが、自ら、「貯蓄」という形で、富を蓄えている。それはつまり、「豊かな暮らしができるのに、貧しく暮らす」ということであり、増税や物価上昇が起こった場合の暮らしと、同じことなのだ。
 違いは、どこにあるか? 増税や物価上昇があれば、自らの貯蓄額が減るが、その分、国の赤字が減る。増税や物価上昇がなければ、自らの貯蓄額が増えるが、その分、国の借金が増える。……結局は、それだけのことだ。借金を付ける帳簿の項目が、個人の項目にあるか、国の項目にあるか、というだけの違いにすぎない。
 わかりやすく言おう。個人の財産は、銀行の預金だけではない。「自分の貯蓄額」だけではなくて、「国の借金額の個人負担分」も考慮するべきなのだ。その和が大事である。「自分の貯蓄額が 400万円あって、国の借金の個人負担分が 400万円ある」のならば、差し引きして、ゼロである。また、その額が 600万円と 600万円でも、差し引きして、ゼロである。そして、大事なのは、この差し引きの額だけである。
 「国の借金を返せ」と主張する潔癖主義者は、そのことを理解できない。「国の借金の個人負担分が 600万円もあるのは問題だ。それを解消するために、国民に 600万円または応分の増税をせよ」と主張する。しかし、そんなことをしても、まったく意味がないのだ。単に「 600万円の貯蓄と、600万円の借金」だったのが、「 0円の貯蓄と、0円の借金」になるだけだ。帳簿の数字が変わるだけのことだ。国の借金が減って、個人の貯蓄が減っても、それは帳簿の問題であるにすぎない。富の増減という、実質的な問題を意味しない。
 結局、先送りをしようが、先送りをしまいが、そのこと自体に、たいして意味はない。問題は、「そのことが景気に対してどういう影響があるか」だ。つまり、借金返済というのは、「帳簿をどうするべきか」という帳簿屋のモラルが問題なのではなくて、「そのことが景気に対してどういう影響をもつか」ということが問題なのだ。
 そして、このことこそが、何よりも重要なのである。なぜなら、潔癖屋や帳簿主義者は、正しいこととは逆のことを主張するからだ。「景気の悪いときは、財政赤字が出るから、増税して、借金を返済しよう。景気の良いときは、財政黒字が出るから、減税して、借金返済を遅らせよう」と。なるほど、借金の返済だけが目的であれば、そうするべきであろう。しかし、そんなことをやれば、景気のスパイラルが急激に進行して、好況も不況もひどく進み、「景気の安定」とは正反対の結果になる。
 繰り返す。大切なのは、帳簿をきれいにすることではなくて、景気を安定させることだ。そして、景気を安定させるためには、帳簿をきれいにするべきであるどころか、むしろ、その正反対のことをやるべきなのである。つまり、不況期には減税するべきだし、好況期には増税するべきなのだ。
( ※ このことを理解できない経済音痴が、帳簿だけを考えたすえ、「不況期に増税を」「好況期に減税を」と唱えて、経済を破壊する。)

 結語。
 財政赤字が拡大したからといって、そのことで大騒ぎをする必要はない。財政赤字の拡大が、「増税の免除」つまり「実質的な減税」であるのならば、物価上昇が発生していない限り、問題はない。財政赤字の拡大が問題なのは、金を政府がどんどん使ってしまう場合だ。たとえば、国防費とか、礼装費とか、公共事業費とか。そういう政府の無駄遣いのために財政赤字が拡大するのであれば、国民は富を奪われたのと同じことになるので、財政赤字の拡大は好ましくない。
 しかし、「(実質)減税」という形での財政赤字であるのならば、国民は損をしないから、財政赤字が拡大したからといって、問題視することはない。財政赤字の拡大は、単に貨幣量の増大をもたらして、物価上昇を発生させるだけのことだ。そして、物価上昇が発生したときには、増税をすればいい、というだけのことだ。(増税をすれば物価上昇を阻止できる。増税をしなければ部下上昇を阻止できない。どっちでも、損得はない。)
 とにかく、増税をなすのは、物価上昇の阻止のためであって、財政赤字の解消のためではないのだ。だから、物価上昇が発生していなければ、財政赤字の拡大があっても、増税は不要である(それどころか有害である)。
 増税は、国民にとっては損でもなく得でもない。国民にとっての損得は、増税か減税かではなくて、政府が無駄な支出をするかしないかに依拠する。政府が無駄をなくせば、それだけで、減税なしに、国民の富は増える。政府が無駄なことをやれば、たとえ増税がなくても、国民の富は減る。 ( → 2002年2月22日
 一般に、政府が無駄遣いをすれば、増税か物価上昇か、どちらかが必然となる。その「増税か物価上昇か」という二者択一を決めるのが「増税か否か」である。「財政赤字をどうするか否か」というのは、増税とは関係ないのだ。また、増税をして財政赤字を縮小しても、そのこと自体は、たいして意味はないのだ。それは単なる帳簿の操作にすぎない。
( ※ 経済にとって本質的に重要なのは、帳簿の額としての財政赤字ではなくて、景気の変動による生産量の変動である。人々がどれだけ生産するかということは、人々の富の増減を直接左右する。ひるがえって、「増税による財政赤字縮小」なんてのは、ただの帳簿の問題にすぎない。また、「帳簿をきれいにするために、生産量の縮小を我慢しよう」なんていう財政健全論者の主張は、本末転倒である。)

 [ 付記 1 ]
 上では、「先送りが可能なのは、国民の貯蓄率が高いとき」と述べた。逆に言えば、国民の貯蓄率が高くなければ、先送りは不可能である。「貯蓄率が高くない」というのは、「消費性向が高い」ということであり、この場合は、景気が過熱していく。当然、物価上昇か、増税か、どちらかが不可避となる。……この場合は、先に (2) (3) で述べたとおり。

 [ 付記 2 ]
 前に述べたこととの関連を示そう。(該当箇所を元にして、新たに説明し直す。)
 (1) 2002年12月28日 の [ 付記 ]
 景気回復後、大幅な財政赤字にともなって、物価上昇が発生しかねない。そのとき、ひどい高金利政策を取ると、スタグフレーションになる。
 スタグフレーションになるかならないかの分け目は、「消費意欲が強いか弱いか」である。消費意欲が強ければ、物価上昇と高金利のせいで、スタグフレーションになりかねないので、増税が好ましい。消費意欲が弱ければ、物価上昇が発生せず、高金利の必要もないので、増税は不要だ。
 (2) 2002年4月06日
 上述のごとく、「自分の貯蓄額」と、「国の借金額の個人負担分」との、双方がある。とすると、老人は、生きているうちに全部使ってしまえば、将来、「国の借金額の個人負担分」を払わないで済むので、得だ、と思える。しかし、そんなことはない。
 まず、「税金がかかるなら、その前に死んでしまえば得だ。ゆえに、早く使って、早く死んでしまおう」と思う人がいたら、馬鹿者である。自分の命を金で売って、「金が入った、儲かった」と思うのと同じだ。馬鹿げている。死期を早めることには、意味がない。
 死期が一定であるとしたら、どうか? 「税金が課せられる前に、全部使ってしまえば、得だ」と思うかもしれない。しかし、「国の借金額の個人負担分」は、彼が「生きているうちに全部使う」としても、しなくても、課せられる額は同じだ。なぜなら、その額は、彼に課せられるのではなくて、彼とその子孫に課せられるからだ。彼が 500万円の資産を持っていて、それを生前にすべて使ってしまえば、彼は 500万円を得するが、子孫は相続財産を失うので、500万円を損する。彼が生きているうちに全額を使おうが使うまいが、彼と彼の子孫の合計で見れば、損得はない。彼は、得したように見えるが、単に自分の子供に渡すべき財産を食いつぶしたにすぎない。(ただし、彼と子孫の双方を見れば、早めに消費した方が得だ。とはいえ、生きている子孫は、一円も金が入らないのだから、ちっとも得はしない。結局、「死んだ人だけが得だ」ということになる。だったら、あれこれ言っても、意味がない。「そんなのはずるい」と思う人は、さっさと死ねばいい。)
 彼に子孫がいなければどうか? その場合は、全部使ってしまえば得だ。しかし、少しでも財産を残したら、その財産は国に没収されるから、大損だ。子孫がいない人は、すごく得することもあるが、すごく損することもある。国全体で見れば、子孫がいない人のことなど、気にするほどのことはない。
 結局、「死ぬ前に全財産を使ってしまえば得だ」ということは、あるかもしれないが、そんなことを考えても無意味だ、ということだ。まして、「さっさと金を使って、さっさと死んでしまえば、得だな」なんていう発想は、まったくの無意味だ。
( ※ ただし、合理的期待形成仮説の信者は、「合理的な人間は自殺する」と主張するだろう。)

 [ 付記 3 ]
 本質的に言えば、「増税の前に金を使えば得だ」というのと、「物価上昇の前に金を使えば得だ」というのは、同じである。だから、不況期には、金をさっさと使った方が得だ。そして、そう思うのならば、不況期にどんどんお金を使えばいいのだ。そうすれば、景気が良くなる。
 だから、このことを、「インフレ予告」ならぬ「増税予告」として、政府が告知すればいいのだ。「物価上昇が発生しようが発生しまいが、早く消費した方が得ですよ。将来、物価上昇か増税か、どちらかが来ますよ。その前に消費しましょう」と言えばいいのだ。その意味で、「インフレ目標(予告)」なんていう政策を出さなくても、「増税目標(予告)」を唱えれば、同じ効果となる。


● ニュースと感想  (2月19日)

 「消費税の将来の増税」について。その1。
 不況のさなかに増税するというのは、まさしく狂気の沙汰である。ただ、それとは別に、「長期的に増税する」のは不可避であり、そのために、「消費税の増税を」という提案もある。
 これはこれで、正当である。現在は、大幅な財政赤字が生じているから、将来的には、増税は不可避である。
 ただし、この議論には、底抜けの点がある。そのことを指摘しておこう。

 なるほど、現在、莫大な財政赤字が発生している。だから、将来、増税は不可避である。(この点は、前項も参照。)
 ただし、注意しよう。現在の財政赤字は、制度的な理由による赤字ではなく、景気の悪化が原因の赤字だ。(大部分がそうだ。) とすれば、景気が回復すれば、財政はふたたび健全化に向かう。税制をいじらなくても、自然に財政は健全化していくのだ。帳簿主義者が「赤字だ、赤字だ」と大騒ぎするほどのことはないのだ。
 もちろん、景気回復効果だけでは、大幅な財政赤字は縮小できない。だから、増税は不可避だ。とはいえ、ここでは、消費税の増税以外にも、いろいろと手はある。「所得税の増税」もある。環境税の増税・新設もある。企業に対するさまざまな優遇措置を廃止することもできる。( → 8月23日b [ 補説 ],11月30日c
 結局、財政面の赤字を解決するのが目的であれば、消費税の増税は、あまり必要はない。いくらかはやってもいいが、大幅な増税は必要ない。

 ただ、それとは別に、「税制中立」に近い形で「消費税の比率を増やす」のは、ある意味では好ましい。それは、「直間比率の是正」とは別の意味で、別の意味がある。
 何かと言えば、「タンク法の導入」である。つまり、「消費税を増税して、それと同額、タンク法による還付に回す」という形だ。そして、この還付額を、毎年、景気に応じて変動させる。「不況のときは多額の還付/好況のときは小額の還付」という形だ。これによって、実質的な増減税を、すみやかに(立法措置なしに)実施できる。「増減税による貨幣量の調節」というタンク法の原理が、まさしく実現できる。
( → 11月24日b


● ニュースと感想  (2月19日b)

 「消費税の将来の増税」について。その2。(前項の続き。)
 長期的に「消費税増税」が必要であることの理由として、「福祉費用をまかなうため」というのもある。たしかに、福祉費用をまかなうと、新たな財政支出をすることになる。だから、何らかの増税は不可避だ。
 ただし、これについても、指摘するべきことがある。二つのタイプの違いだ。

 (1) 年金費用
 年金費用をまかなうための増税は、まったく問題がない。これは単に「勤労世代から老年世代へ」という、所得配分の問題にすぎない。ゼロサムだ。やってもやらなくても、違いはない。大騒ぎする必要は、まったくない。
 これはつまり、「息子が損して、父親が得する」ということだ。一つの家庭内で見れば、まったく損得は発生していない。たしかに、表面上では、「息子が損して、父親が得する」が、その分、息子は父親への扶養費用が減るし、また、父親からの相続財産が増える。結局、一つの家庭内で、金がぐるぐる回っているだけであり、あれこれ騒ぐ必要はないのだ。
 世代間の所得配分の比率の変更は、富の損失をもたらさない。(単に配分の比率が変更されるだけだ。)これは、ちっとも問題ではないのだ。問題視するとしたら、「親の金を奪え」「親の財産を、おれが使ってやる。(だから相続税を減らせ)」と思っている、鬼のような息子だけである。どちらかと言えば、こういう人でなしの鬼を教育する方が、よほど世の中のためになる。

 (2) 介護保険など
 介護保険や健康保険などは、現実の支出をもたらす。単なる所得配分の変更ではない。ゼロサムではない。マイナスが発生する。(かわりに「サービス」というプラスが増えるが。)
 ここでは、「効率向上」が大切である。つまり、「赤字が発生するから、その赤字をまかなう費用を増税でまかなおう」という方法ではなく、「赤字そのものを減らそう」とする方法が大切だ。
 日本では、人件費が非常に高い。そこで「介護保険」のような人件費のかたまりのようなサービスを実施すれば、莫大な費用がかかる。だから、こんな無駄を減らすことそのものが大切だ。
 そして、この解決には、二つの方法がある。一つは、「海外から労働者を安価に呼び寄せる」という方法。もう一つは、「高齢者を任意で海外に送り出す」という方法。
 前者は、コスト削減効果は少ない。しかも、将来的には、彼らが定住して日本で介護を受ける必要が出てくるから、問題の先送りにすぎない。
 後者は、任意である限り、お勧めである。( → 5月18日 「シルバーコロンビア」)


● ニュースと感想  (2月19日c)

 「消費税の段階的増税」について。
 「消費税の段階的増税による需要促進」という主張がある。これについては、前にも批判を書いたことがある。そちらを見ればいいので、ここでは再論しない。( →  11月21日 の [ 付記 2 ] )
 とにかく、大切なのは、「所得」の効果である。「どんどん値上げすれば、人々は買い急ぐ」という説は、成立しない。なぜなら、そこでは、「所得の縮小」が発生しているからだ。
 「インフレ」ならば、年ごとに物価上昇があっても、所得の上昇もあるから、「早く消費した方が得だから、早く消費をする」と言える。しかし、「消費税の段階的な増税」ならば、年ごとに実質所得は縮小していくから、「今のうちに消費を切りつめるべきだ」と言える。
 電力であれ、家賃であれ、食品であれ、「消費の先食い」は不可能である。それゆえ、将来の所得減少をまかなうためには、現在において消費を減らすしかない。
 「所得」を無視したマクロ的な議論は、すべて無効である。

 [ 付記 ]
 つまり、「インフレ」ならば「アメとムチ」だが、「消費税の段階的増税」は、「ムチだけ」なのだ。「ムチがだんだん厳しくなるようにすれば、人々は言うことを聞くだろう」という主張である。これは、まともな政策というよりは、サディズムである。こんなのを聞く国民は、マゾだけだ。
 私は提案する。上記の主張をするサディスト経済学者に対してだけ、毎年、莫大な消費税を追加課税すればいい。「所得を奪われれば奪われるほどいいはずだ」という主張を、身をもって体験させてあげるのだ。何と親切なことだろう。SM経済学。


● ニュースと感想  (2月19日d)

 「景気の予想」について。
 「デフレの解決は、05年度よりも遅れるだろう」という民間研究所のレポートが出ているそうだ。「安い輸入品の増加は今後も続くから」などの理由。(朝日・朝刊・経済面 2003-02-17 )
 まったくの経済音痴の意見なので、指摘しておく。

 (1) デフレの理由
 さまざまな理由を掲げているが、「そういう理由で、デフレは続くだろう」という見通しは、まったく間違っている。
 「デフレが続くだろう」という理由は、ただひとつ。「政府が適切なマクロ措置を取らないから」である。それ以外にはない。政府が正しいマクロ措置を取れば、すぐにでもデフレは解決するのだ。デフレは、自然現象ではなくて、人為的な現象なのである。そんなものに予測をするのは、無意味である。ほとんど占いだ。馬鹿げている。たとえば、「あなたは明日、どんな昼食を取るか」と占うようなものだ。人間が自力でいくらでも変えられるものについて、予想をするのは、馬鹿げているとしか言いようがない。
 また、「あれやこれや」という理由をたくさん掲げているが、そういう理由はまったく無意味である。本当は、「デフレの理由はデフレである」というのが正しい。デフレが続くのは、何らかの原因があるからではなくて、デフレそれ自体がスパイラル的であるからなのだ。このことを理解しない限り、正しい見通しは取れないし、正しい対策も取れない。

 (2) 輸入デフレ
 デフレが続く理由として、「安い輸入品の増加」を掲げていることが多い。これもまた、まったくの間違いである。
 安い輸入品が増えることは、悪いことではなくて、良いことである。それは、インフレを抑制し、貨幣価値を上昇させ、人々の生活を豊かにする。仮に、それが気にくわなくて、「輸入品は高い方がいい」と思うのであれば、高率の輸入関税をかければよい。そしてそれで得た金を、全部国連に寄付してしまえばいい。日本国民は、莫大な富を奪われるが、それで喜ぶらしい。「物価が上がった、金の使いでがなくなった、実質所得が減少した」というふうになれば、誰でも怒り狂うが、日本人だけはそうでないらしい。勝手に金を盗まれるがいい。
 まったく、経済の原則を理解でいない経済学者が多いので、ふたたび解説をしておく。価格が下がることは、悪いことではなくて、良いことである。消費者物価がどんどん下がるとしても、それは、悪いことではなくて、良いことである。悪いのは、「下がる」ことではなくて、「過度に下がる」ことだ。つまり、「原価割れ」をすることだ。
 ここを勘違いしてはならない。パソコンの価格はどんどん下がっているが、それは、原価が下がっているからだ。たとえば、原価が1割下がって、売価が1割下がるのであれば、それは「生産性の向上が1割あった」ということなのだから、好ましいことなのだ。上記の経済学者は、「(パソコンの価格が下がるのは)悪いことだ」と主張するだろうが、本当は良いことなのだ。
 悪いのは、過度に下がることである。たとえば、原価が1割下がって、売価が2割下がる。あるいは、原価が下がらないのに、売価が下がる。……こうなると、「過度に下がる」ということになる。赤字が発生する。そして、それが、デフレだ。
 デフレとは、「価格が下がること」ではない。「原価割れの水準まで、過度に価格が下がること」を意味する。だから、そうならなければ(つまり需給ギャップが生じなければ)、価格が下がることは、むしろ、好ましいのだ。
 実例は、ある。80年代だ。1ドル= 240 円から、1ドル= 120 円へと、急激な円高が発生した。輸入品の価格は、一挙に半減した。中国製品だけでなく、あらゆる輸入品の価格が半減した。これはものすごい状況だ。とても現在の比ではない。で、猛烈なデフレが発生したか? 発生しなかった。なるほど、初期は、その影響が出て、景気後退になった。しかし、その後、日本経済は「円高ショック」に耐えて、競争力を回復した。そのあとも、好況も続いた。(詳しく言えば、過剰な量的緩和にともなって資産インフレが発生し、同時に、好況も続いた。)
 ここでは、猛烈な輸入デフレ効果があったにもかかわらず、デフレにはならなかったのだ。輸入品の価格は猛烈に下がったが、デフレにはならなかった。たしかに、価格の低下が起こったのだが、需給ギャップは生じなかったので、「原価割れ」にはならなかったのだ。だから、デフレという状況にはならなかった。
 デフレとは、「価格低下」のことではなくて、「過度の価格低下」のことであり、それはまた、「需給ギャップの発生」や、「生産量の低下」のことでもある。このことを理解しよう。「輸入品の価格が下がるからデフレになる」なんていうのは、経済の基本を理解できない、素人のトンチンカンなのだ。
( ※ 彼らは、GDPというマクロ的な数値を理解できず、単に消費者物価指数を見るだけだ。そこいらのおばちゃんの井戸端会議と同じレベルである。)


● ニュースと感想  (2月19日e)

 パソコン購入ガイドのページを書いた。 → 「CPUニュース


● ニュースと感想  (2月20日)

 「少子・高齢化社会」について。
 生産年齢人口が減少して、高齢人口が増加している、という統計データがある。これを見て、「大変だ」と騒ぐ意見がある。
 なるほど、単純に数字だけを見れば、問題だ。しかし、単純に数字だけで片付けなくてもいい。

 第1に、「生産年齢」というものの定義を変えることができる。現状では「16 〜 60 歳」とか、「15 〜 64 歳」とか、そんな定義があるが、これを改めてしまえばいい。つまり、「定年延長」だ。現在、55歳以上の年齢層は、リストラで大幅に失業している。60歳以上も、就職困難だ。65歳以上だと、もっと困難だ。しかし、これらの年齢層でも、働ける人は、十分にいる。働けない人はともかく、働ける人は、十分に働いてもらえばいい。昔と違って、今の高齢者は、背中も曲がっていないし、きわめて健康状態がいい。頭も冴えている人が多い。20才ぐらいの若者だと、世間常識もないような人物が多いが、高齢者なら、常識も十分にわきまえた人が多い。……で、具体例としては、「高齢者雇用補助金」もしくは「高齢者雇用減税」という形で、雇用を促進する制度を整えるといいだろう。そのメリットは? 一見、無駄のようだが、しょせんは、所得再配分にすぎない。金は少しも無駄になっていない。国が1万円損すれば、高齢者が1万円得をする。全然、無駄は発生していない。だから、ちっとも問題はないのだ。(逆に、「投資減税」とか、「公共投資」とかは、所得再配分と違って、実際の支出が発生するので、無駄が発生する。こういうのは、あまり好ましくない。)

 第2に、高齢者への支出を、減らすことができる。具体的には、「海外移住」だ。日本では、生活費が高いが、海外では、生活費が安い。アジアかアフリカに行けば、低い生活費で、極楽生活ができる。……別に、「無理にそうさせよ」とは言わないが、そういう選択肢も、用意しておいてほしいものだ。これだと、高齢者も、負担する世代も、高齢者を受け入れる国も、すべてが幸福になれる。( → 前項の「シルバーコロンビア」の項を参照。)


● ニュースと感想  (2月20日b)

 「外国人労働者の参入」について。
 将来、少子・高齢化にともなって、労働者人口がするなくなり、扶養するべき高齢者が増える。そこで、「生産者人口を増やすために、外国人労働者を参入させよ。特に、単純労働者をいっぱい入れよ」という主張がある。
 しかし、これは、経済学的な論理と、お涙ちょうだいの感情論とを、混同している。ごっちゃにしてはいけない。

 たとえば、朝日新聞の社説 2003-01-14 は、「日本人だけにこだわるべきではない。外国人労働者といっしょにやるべきだ」と主張している。もっともな意見を言っているようだが、これは、勘違いである。「日本人だけ」にこだわるのはよくないが、だからといって、「やたらと外国人を入れればよい」というわけでもない。一方の極端が良くないからといって、他方の極端が良いということにはならない。感情論ではなく、経済学的に考えるべきだ。
 
 はっきり言おう。「単純労働者」というのは、社会的な弱者なのである。それは保護すべき対象だ。低賃金しか漏らないので、税金も底負担にしてやる必要がある。その一方で、福祉は、どちらかと言えば、たくさん与えてやる必要がある。そして、そういう厚遇は、日本人である限り、与えてやるべきだ。(「優勝劣敗で退場させよ」なんていう非人道的なことは、言うべきではない。)
 しかし、外国人については、そうではない。だいたい、世界中の外国人について、無制限に厚遇を与えるほど、日本は豊かではない。かといって、「日本にやってきた少数の限られた外国人だけを、特別に厚遇する」というのは、あまりにも不当である。「目の前にいる人には、たっぷりと援助して、離れたところにいる人には、知らんぷり」というのは、近視的な偽善だ。こういう偽善者ほど、タチの悪いものはない。(朝日はその典型だ。)
 外国人に対して与えるべきは、「全員に少しずつ援助すること」つまり「海外援助」である。「少数の人々に多額の援助をすること」つまり「日本に来た人々だけを特別優遇すること」ではない。
 そして、だとすれば、「単純労働者」という形の外国人は、やたらと参入させるべきではないのだ。(そんなことをすれば、日本人の低所得者が、ひどい目に遭う。当の外国人はいいとしても、日本人の低所得者層は、多大に失業が発生する。)

 では、どうするべきか? それは、「技術や知識水準の高い外国人労働者のみを無制限に参入させる」ということだ。彼らは、援助を必要としない。それどころか、その他買い技術力や知識水準で、日本経済そのものを強化してくれる。かくて、日本の経済力が高まるから、高齢者を扶養できるようになる。
 つまり、外国人労働者の「量」ではなく「質」によって、日本の高齢者を扶養するべきなのだ。この場合、競合するのは、欧米の最高水準の相手である。その際、日本は、外国人の技術者のおかげで、優位に立つことができる。(現実には、そういうことをやっているのは、日本ではなく、米国である。だから米国は強い。)
 一方、「外国人の単純労働者を参入させる」という形もある。この場合、競合するのは、アジアの新興国の、単純労働者である。すると、相手は低賃金の外国人労働者で、日本は高賃金の外国人労働者である。勝負にならない。莫大な損失が発生する。だから、日本にいる高賃金の外国人労働者を養うために、他の人々が利益を分けてやらなくてはならない。(たとえば技術者の賃金を下げる。)

 結語。
 「外国人労働者を雇えば、比較的安い賃金で労働者を雇える」なんていう目先のことにとらわれてはならない。そんなことをすれば、国家的な大損失となる。外国人労働者を雇いたければ、「無能な外国人を日本に招くという形」(莫大なコストのかかる形)ではなく、「工場を外国に移転させて、そこで低賃金の外国人労働者を雇用する」という形にするべきだ。と同時に、優秀な技術者は、いくらでも日本に招くべきだ。このようにして、「低賃金労働は外国へ。高賃金労働は日本へ」という形で、役割分担するべきだ。
 現実には、正反対のことをやっている。無能な単純労働者を大量に参入させ、その一方で、優秀な技術者はアメリカに奪われるばかりだ。つまり、宝を捨てて、クズばかりを拾っている。しかも、「もっとクズを拾おう。クズであろうと、拾えば得だ」という主張が出ている。あるいは、「クズであろうと、宝だろうと、外国人労働者はいいことだ」と無差別的なことを主張して、結果的に、クズばかりを押しつけられている。……こういう誤った方針を取れば、日本経済は質的に劣化するばかりだ。
( → 5月10日 「移民受け入れ」)

 [ 付記 ]
 あまりにも経済音痴の記者(特に朝日)のために、経済学のイロハを教えておこう。
 「外国人単純労働者を招く」というのは、「自分の財布をいためないで、善行を施せること」ではない。コストゼロの福祉政策ではない。そんなにうまい話はない。そういうことが現実にあると思っているとしたら、「金は空から降ってくる」と信じているも同然だ。無知の極み。
 「外国人単純労働者を招く」というのは、「自分の財布をいためて、その富を与える」ということなのだ。目先では損をしていないように見えても、社会的な経済システムを通じて、「低所得者が得をする」という形で、高所得者が損をするようになる。そういうシステム的な構造を理解することが、「経済学を理解する」ということだ。「自分の財布の金が、外国人の手に渡るわけじゃないぞ」と思っているのだろうが、税金や商品コストや通貨レートの形で、まさしく財布の金が奪われるのと同じことになる。
 だから、「外国人単純労働者を雇用しよう」と主張するのなら、「まさしくわれわれの金をプレゼントするのだ」と理解するべきだ。その理解ができないようであれば、ただの経済学音痴でしかない。財布の金を奪われても気づかない間抜けだとも言える。

 [ 余談 ]
 現在、失業者は 400万人近い。しかも、景気はさらに悪化していくので、失業者は増加しかねない。こういう状況で、「外国人労働者を参入させよ」と主張するのは、ほとんど狂気と言えよう。自国の失業者を解消するのが先決なのに、それをほったらかして、外国人の心配をしている。
 たとえれば、自分の家族が重病で死にかけているのに、隣の家族がちょっと風邪を引いたぐらいで大騒ぎしているようなものだ。「大変だ、大変だ、かわいそうだ」と大騒ぎして、援助しようとして、自分は人道的なことをやったつもりでいる。その間にも、身近な家族は死んでしまうかもしれないのに。……エセ人道主義。朝日には、こういう人々が、非常に多い。
 自己陶酔した狂信者ほど、はた迷惑なものはない。


● ニュースと感想  (2月20日c)

 「減税の額」について。
 「減税をするとしたら、どのくらいの額にするべきか?」という問題については、これまで、何通りの数値を出してきた。
 1番目は、過去の例から想定した概算だ。
 2番目と3番目は、修正ケインズモデルによる必要額の最低ラインだ。3番目は、下限均衡点を上回るだけでなく、もう少し上の水準に戻るための必要額だ。2番目は、さらに、本来の活気ある状態に戻るための必要額だ。
 ただし、2番目と3番目は、いずれも、「国民がみな減税の効果を信じる」「国民がインフレ告知を信じる」ということを前提としている。もしかしたら、そうはならないかもしれない。たとえば、「金が全然なくて、借金だらけだ。だから、減税を受けても、消費を増やせない」という人もけっこういるかもしれない。その場合は、減税の効果が薄れる。だから、もっと多額の減税が必要だということになる。
 あるいは逆に、日本人特有の「そろって行動する」という現象が現れるかもしれない。「本当に景気が回復するのか。それなら、金を使おう。もう十年も我慢してきて、いい加減うんざりしていたんだ。金を使っちゃえ。うっぷん晴らしだ」というふうに、急激に消費が増えるかもしれない。その場合は、6兆円ぐらいで、急激に景気が回復するかもしれない。特に、量的緩和の多大な金が滞留していた場合には、「薪に火がつく」という形になるから、あちこちで急激に物価上昇が発生して、それに吊られる形で、消費が急激に増えるかもしれない。
 というわけで、実際に「景気回復のために必要な額」は、「6兆円 〜 18兆円」の間で、不定である。実際にどれだけが必要かは、国民の心理しだいであって、はっきりと予測はつかない。この「予測がつかない」というのは、「数値予測の理論がが不十分だ」問い事に起因するのではなくて、「国民の心理は予測がつかない」ということに起因する。だから、どうしても、正確には予測できないのだ。

 それゆえ、私としては、4番目の「6兆円×3」を提案する。つまり、「まず6兆円」、そして「半年後に6兆円を追加」、さらに「まだ効果が十分でなければ6兆円を追加」というふうにするわけだ。
( ※ 場合によっては、減税を無制限に追加していく。そのことを公約する。この公約は、初期の減税の効果を確実にするためである。つまり、減税の総額を増やすためではなくて、必ず効果が出ると国民に安心させることで減税の総額を減らすためである。「総額を減らすために、総額が増えることを保証する」わけだ。矛盾した言い方だが、ここを正しく理解しよう。財務省あたりの官僚だと、それを理解できないので、「総額を減らせ」と主張し、結果的に、総額を増やすことになる。彼らはこれまで、「財政赤字を削減せよ」と主張して、財政緊縮路線を取り、莫大な財政赤字を積み重ねてきた。そういう愚かさの、二の舞を演じてはならない。「減らすために増やす」とか、「増やすために減らす」とか、そういうことが大事なのだ。どうも、東大法学部の出身者は、頭の悪い人間がそろっていて、それが理解できないようだが。)


● ニュースと感想  (2月21日)

 「景気回復策の実施法」について。
 景気回復について、さまざまな経済学者の各論を批判してきたが、私もそろそろ飽きてきた。いい加減、ぶち切れてきた。
 そこで、画期的な提案をしよう。それは、それぞれの提案を、全部やるといい。そのかわり、失敗したら、責任を取ってもらう。つまり、監獄にぶち込む。

 とまあ、こういうふうに、「ダメなら監獄」というふうに条件を付ければ、世の中では、デタラメな経済学者が減るはずだ。存在すれば、監獄にぶち込むから、そういうのは必ず減るはずだ。名案ですね。


● ニュースと感想  (2月21日b)

 《 量的緩和のまとめ
 「量的緩和」について、十日ほど前にいろいろと批判したが、ここでまとめておこう。
 量的緩和は、均衡状態(需給ギャップのない状態)では、景気の上昇をもたらす。しかし、不均衡状態では、次のいずれかとなる。
  1.  金が滞留する。
  2.  金が商品市場に流れ込んだときには、インフレが起こる。
  3.  金が資産市場に流れ込んだときには、資産インフレが起こる。
 第1項の「金が滞留する」となった場合には、当面は、何も変わらない。ただ金が積み重なるだけだ。しかし、いつか、その効果が発現したとき(薪に火がついたとき)には、第2項か第3項か、いずれかが発現するが、その規模が巨大になる。つまり、ハイパーインフレか、巨大な資産インフレか、いずれかが起こる。

 ハイパーインフレが起こった場合、マネタリストは「大丈夫」と請け合うが、そんなに生やさしいものではない。数十兆円もの金を一日で回収することはできない。できなければ、ハイパーインフレが起こる。また、あえてつぶそうとすれば、年利 100% を越える巨大な高金利となり、倒産や失業が続出して、スタグフレーションになる。日本のアルゼンチン化だ。
( ※ マネタリストの主張する「インフレ退治の超高金利」という政策は、世界中のどこでも失敗してきた、という歴史を見るといい。彼らはIMFと同じ穴のムジナなのである。 → 7月08日 [ 補足 ] )

 巨大な資産インフレが起こった場合、当面は、「おこぼれ効果」が出て、景気は良くなる。ハイパーインフレにもならない。帳簿の資産価格が上昇するので、多くの人々が幸福でいられる。「自分はこんなに金持ちになったんだ」とハイな気分でいられる。躁病状態である。
 しかし、やがて、「富は何も増えていなかった」と気づく。つまり、「ネズミ講で増えるのは、富ではなく、妄想だけだった」と気づく。「資産インフレでどんなに巨額の数字が増えたとしても、自動車やパソコンは少しも増えていない」と気づく。「数字はネズミ算式に自己増殖するかもしれないが、自動車やパソコンはネズミ算式に自己増殖することはない」と気づく。
 そして、その真実に気づいたとき、夢から覚める。と同時に、妄想で膨らんだ数字も急速に縮小する。つまり、資産デフレとなる。人々のハイな気分は一転してブルーな気分となる。消費が急激に縮小し、そのことで、所得も縮小する。経済はスパイラル的に縮小する。そして、ある限度を超えたところで、巨大な需給ギャップが発生し、もはや、そこから脱出することができなくなる。
 つまり、「量的緩和をやろう」というのは、「80年代後半のバブル景気を再現しよう」ということであり、「そのあとふたたび90年代のデフレを再現しよう」ということなのだ。

 「過ちは人の常」という格言がある。なるほど、一度失敗するだけなら、仕方ない。しかし、同じ過ちを、あえて二度も繰り返そうとするのであれば、それはもはや、愚人を通り越して、狂人に近い。
 凡人は、落とし穴に落ちる。狂人は、落とし穴に落ちたあと、そこから出てから、もういっぺん、同じ落とし穴に跳び込む。── それが「量的緩和」論者だ。


● ニュースと感想  (2月21日c)

 「公務員の能力給」について。
 「公務員にも能力給を」という提案がある。これが制度改革だと思っている人が多いようだ。(読売・朝刊 2003-02-19 )
 まったく、見当違いというか、的はずれというか、呆れた話だ。最低の業績しか上げない首相が居座っているのに、なんでまた一般の公務員が責任を取らされるのか。話が正反対である。首相こそ、責任を取るべきなのだ。「構造改革で景気回復」と公約したのに、実際にはそれが実現できないのなら、その責任を取るべきだ。下っ端に責任を転嫁させるべきではない。

 なお、どうせやるなら、もっとマシな案がある。「省庁別の業績連動給与」だ。少なくとも、ボーナスについては、省庁別に業績を連動させるべきだ。
 これは、話は簡単で、政策別の評価を国民に問えばよい。「どの省庁」という担当を隠した上で、「これこれの政策に満足していますか? コストはこれだけかかりましたが」というふうに質問して、回答を得る。顧客満足度調査(カスタマーズ・サティスファクション …… CS)である。
 これで調査すると、長野県の田中知事のやっていることは、かなり評価ポイントが高くなりそうだ。「何かをやったから」ではなく、「何かをやめたから」である。無駄なコストを減らすことができた。
 こういう視点が、今の行政には、欠けている。必要なのは、「能力給」ではなくて、CSなのだ。


● ニュースと感想  (2月21日d)

 「首相公選制」について。
 「大統領制ないし首相公選制はいい」という主張があるが、大統領制には「ポピュリズム」の発現という危険がある。その例が、フィリピンのエストラダ元・大統領だ。映画俳優で、正義の味方だと錯覚させて、当選したが、実はただの酔っぱらいだったと判明した。その後、アロヨ現・大統領となったが、彼女の不出馬を受けて、次期大統領後方に、ふたたび映画俳優が出馬するらしい。大人気を博しているという。(朝日・朝刊・国際面 2003-01-18 )
 フィリピンにせよ、アメリカにせよ、ひどい大統領が次々と出てくる。こうしてみると、大統領制というのは、史上最悪の制度だとも言えそうだ。ひるがえって、議院内閣制で首相を選ぶ日本は、ひどいようだとは思えても、フィリピンやアメリカよりはマシだろう。小泉にせよ、景気悪化を放置しているが、しょせんは「何もしていない」だけであるから、「悪いことをする」よりはマシだ。「不良債権処理」のような間違った政策を取って、景気悪化を加速してるとしても、これは、小泉本人の責任だというよりは、古典派経済学者全体の責任だ。
 私はこれまで、小泉をさんざん批判してきたが、彼はただの口だけのラッパにすぎないと思えば、怒る気力もなくなる。仮に、大統領制ないし首相公選制で、小泉が落選して、かわりに、鳩山や扇千景や小沢や公明党党首などが首相になったら、と思うと、ぞっとする。悪夢である。どうせなら、西川きよしが一番まともだ。国民を漫才で笑わせてくれるから、景気が良くなるかもしれない。

 結局、大統領制であれ、議院内閣制であれ、全部ダメだ。これまで提案されてきた制度は、みんなダメだ。それが結論だ。
 では、なぜ、みんなダメなのか? それは、「クズのなかから選ぶ」という制度だからだ。どんな制度であれ、クズのなかから選ぶのでは、クズしか選べない。「一番まともなクズを選べる制度はどれか?」なんてことを考える時点で、間違っている。話の根底から、間違っているわけだ。
 では、正解は? 「クズではなくて、利口を選ぶこと」だ。換言すれば、「クズだらけの政界に、外部から利口を導入すること」だ。
 では、そのためには、どうするべきか? そこで、経済学の出番となる。「クズを捨てて、利口を取る」というのは、「優勝劣敗」であり、これこそ経済学の得意とする「市場原理」だ。だから、「市場原理」を導入すれば、政界は最適化する。
 具体的には? 政党を株式会社にするといい。そして、得票に応じて、利益を配分するといい。現状でも、「得票に応じて政党交付金を配分する」という制度はある。しかし、その使途は、政治活動に限られており、利益として分配することはできない。とすれば、この市場に参入するのは、「利益は不要」「政治は趣味でやる」というアマチュアだけだ。プロはいない。当然、アマチュアだらけとなり、クズだらけとなる。
 ここが根源だ。にもかかわらず、現状は、国民は逆のことを主張している。「政治家に渡す金を削れ。政治家は潔癖であるべきだ」と。そのせいで、まともな人間は政界には入らなくなる。
 政治家は、一つの職業であるべきだ。どんな職業であれ、プロには相応の報酬を払う。にもかかわらず、国民は、政治家にだけはそれを拒む。そのせいで、まともなプロは一人もいなくなり、クズだらけとなる。

 結局、自業自得なのである。国民は、わずかな金を惜しむから、最悪の買物しかできない。「安物買いの銭失い」である。── このことを理解しない限り、大統領制であれ、議院内閣制であれ、「クズのなかから最善を選ぶ」という制度にしかなりえない。
 だから、「首相公選制にするべきか否か」という議論は、初めから間違っているわけだ。まったく無意味な議論である。なすべきことは、「政治にもまた経済学が適用される」と理解することだ。そして、「金をかけずとも最良の人物がわれわれを指導してくれる」なんていう夢想は捨てることだ。「空からまんじゅうは降ってこない。まんじゅうが欲しければ、タダでは得られず、代金を払うしかない」と悟るべきだ。


● ニュースと感想  (2月22日)

 「小泉の終わり」について。
 小泉政権も、遠からず崩壊するかもしれない。というのは、「イラク問題」があるからだ。これのせいで、国民の反発を食って、政権が崩壊する可能性もある。「ベトナム戦争騒ぎ」の再来だ。
 イラク問題について、国民の意見は、だいたい一致しているようだ。「戦争反対」が圧倒的である。日本だけでなく、世界中でそうだ。
 小泉も、口を濁しているが、本心ではそう思っている。しかし、ブッシュの手前、そうは言えない。飼い犬はご主人に吠えることはできない。となると、それを見抜いた国民から、見放される恐れがある。この犬は、「自分の飼い主はブッシュ様である」と信じているが、本当の飼い主は国民である。当然、本当の飼い主から、見放されるだろう。となると、「政権の崩壊」も、十分に考えられる。

 それにしても、保守派の人々は、「日本の選択肢は、米国に従うことしかない」と主張する。これは、まったく、情けない。 イラク攻撃に参加するか否かと問われたとき、「米国に賛成するしかない。そうするしかない」などと答えるのは、あまりに姑息である。賛成するなら賛成するでいい。しかし、だったら、「イラク人をたくさん殺すべきだ。その方が金になる」と、はっきり主張すべきだ。そしてまた、「イラクがやるのならばともかく、米国がやるのならば、クウェート侵略でも、イラク侵略でも、ビル破壊でも、大量虐殺でも、何でもやっていい」と主張するべきだ。
 とにかく、言論人ならば、自らの主張を、堂々と主張するべきだ。イエスかノーかと問われたら、イエスかノーかで答えるべきだ。「それしかできないんです」なんて答えるのは、ただの意気地なしである。正論を堂々と主張できず、選択肢の不足をくだくだと言い訳しかできないような人間は、マスコミの場で、筆を折るべきだ。
 そしてまた、「日本の取るべき道は、ご主人様に従うことだけだ」と主張するのならば、偉そうな言葉を出すべきではない。犬の真似をして、チンチンだけをやっていればいいのだ。
 
 最後に言っておこう。「攻撃するのが正しいから、攻撃を支持する」というのならば、まだわかる。しかし、「攻撃するのが自分にとって得だから、攻撃を支持する」というは、フセインの発想そのものだ。
 結局、小泉などの米国支持者は、フセインと同じ穴のムジナなのである。目くそ耳くそと言うよりは、どちらも馬糞なのだ。彼らがフセインを批判するのは、天に向かって唾(つば)するのも同然だ。

( ※ 笑える話がある。彼ら米国支持者や、小泉は、「米国批判をするあまり、イラクを支持するように見えてはならない」と主張している。彼らにとっては、米国を批判する人々が、イラク支持者に見えるのだろう。呆れた話だ。さんざん笑える。いったい、どこまで、自惚れていることやら。世界で正しいのは自分だけだ、と思っているのだろう。……いいですか。米国批判者は、イラク支持など、まったくしていない。目くそ耳くそ、あるいは、馬糞と馬糞を、批判しているのだ。小泉などの米国支持者は、精神が決定的に汚れきっている。だから、自らの汚れを理解できないのだ。自らの手が血に染まっても、それを直視できないのだ。)

 [ 付記 ]
 ただし、うがった見方をすれば、……
 彼らは、小泉を支持することで、実は、小泉を崩壊させようとしているのかもしれない。「小泉さん、米国を支持しなさい」と主張して、米国を支持させる。そのあと、国民の大反発を食って、政権が崩壊する。(ベトナム戦争のときの、国民の大反発を思い起こそう。ベトナム戦争のときは、向こうが攻撃してきたが、今回は、イラクは攻撃してきていない。こちらから戦争をふっかけるわけだ。事情としては、今回の方が、ずっと反発を喰らう。)
 で、小泉が国民の反発を喰らって崩壊すれば、次の政権がまともな経済政策をするかもしれない。そうすれば、日本の景気は良くなる。めでたし、めでたし。
 そういうことを狙っているのだろうか? だとすれば、相当、深謀遠慮だが。……
( ※ ともあれ、小泉は、先は長くないかもしれない。ライオンだと自称している気弱なスピッツは、やがて、飼い主から見放される。)

 [ 余談 ]
 クイズ。……小泉政権の命運が尽きるのと、この「小泉の波立ち」が完了するのは、どちらが早いでしょうか? 


● ニュースと感想  (2月22日b)

 あちこちのマスコミ論調などでは、「戦争反対」という意見がけっこう見られる。しかし、そういう意見は、あまり有効ではない。特に、米国の意見を変える効果は、まったくない。米国には、馬耳東風である。その理由を指摘しておこう。
 アメリカ国民は、戦争が現実的になった最近はともかく、つい先日まで、ブッシュの好戦的な態度を支持していた。最近でも、支持率はかなり高い。世界各国と比べて、アメリカ国民だけはイラク攻撃に好意的だ。では、なぜか? その理由を知るのが肝心だ。

 実は、この理由は、イスラエルの与党が圧倒的な勝利を収めたのと同様の理由である。イスラエルでは、自爆テロによって国民が非常に脅えたので、その反動で、好戦的な与党を支持した。そして、アメリカもまた、同様である。2002-09-11の NYテロによって、アメリカ人は初めて、自国本土を攻撃された。欧州や日本やアジアとは違って、戦争の被害をはっきりとは知らなかったアメリカが、このとき初めて、痛みを知った。と同時に、恐怖を味わったのである。
 この恐怖。身近な人間や自分がまさしく殺されるかもしれないという恐怖。それが、逃げるかわりに、攻撃に向かわせるのだ。(心理学的には「攻撃か逃走か」である。)

 はっきり言おう。米国が攻撃をしたがっているのは、勇敢だからではなく、脅えているからである。彼らは恐怖に駆られている。恐怖。それは、米国が、悪夢のテロで被害を受けたときに生まれた。それがトラウマとなった。それをどうしても拭い去れない。ひどい心の傷となっている。
 それが本質的な原因だ。彼らが攻撃的になっているのは、厳密な論理によっているのではなくて、単に脅えているからなのだ。
 だから、彼らは、論理などは立てない。「善悪」「正義と邪悪」という単純な発想を取る。そういう単純な発想に逃げ込む。トラウマを受けた患者は、ある心理的な避難所に逃げ込む。そういうものだ。「自分は正しい」と言い聞かせて、「相手は悪だ」「だから相手をやっつけろ」と思う。そう思うことで、安心したがるのである。
 米国がイラクを攻撃したいのは、本当は、イラクを罰するためではない。イラクが危険だからではない。とりあえず目立つものを攻撃することで、安心したいのだ。自分を安心させるということが目的なのだ。イラクを攻撃すること自体は目的ではないのだ。仮に、イラクでフセインが退陣したら、今度は北朝鮮を攻める。北朝鮮が核を放棄したら、今度はまた別のところで攻撃相手を求める。……そういうことが、アルカイーダ撲滅作戦のアフガニスタンでの行為以来、ずっと続いている。
 そして、こういう攻撃路線は、はてしなく続く。なぜなら、相手が原因なのではなく、自分自身が原因なのだからだ。相手を変えて、いくら次々と相手をつぶしても、しょせんは、解決にはならないのだ。

 では、解決策は? 米国自体が、そのトラウマをなくすことだ。特に、ブッシュが、そのトラウマをなくすことだ。
 しかし、これは、困難だ。なぜなら、ブッシュ自身が、トラウマにとらわれた人物だからだ。若いころからずっと劣等生だった。大人になってからは飲酒癖で身を持ち崩した。とにかく、とんでもない落後つづきの人生だった。
 その後、ようやく、「大統領制」という人気制度のおかげで、父親に顔が似ていることだけが取り柄で、大統領になった。しかし、それも実は、選挙で不正をしたからにすぎない。彼が真に安心できる状況になったことは、これまで一度もなかった。彼はずっとトラウマを引きずっていた。
 彼はトラウマから抜け出せない。そして、その彼のトラウマと、テロによるアメリカ国民とのトラウマとが、結びついた。そうして国家的なヒステリー状態となった。
 このすべては、心理的な症状である。神経症の患者と言える。こういう相手になすべきは、神経症的な治療である。間違っても、論理的に説得しようなどと思ってはいけない。やっても、まったくの無駄だ。

 本当を言えば、ブッシュやアメリカの好戦性を抑止する方法は、ひとつだけある。それは、彼らのトラウマを消すことではなくて、別のトラウマを与えることだ。
 具体的には、日本が景気回復をして、日本の経済力で、米国をしのぎそうになることだ。ちょうど、80年代のように。このころ、米国は、「日本に負ける」「史上初めて、世界一の座から引きずり下ろされる」という恐怖に駆られた。そして、その後、死にものぐるいの努力をするようになった。おまけに、あれやこれやと、日本の足を引っ張る不公正な態度も取った。(たとえば日本からの自動車や鉄鋼の輸出に、とんでもない高関税を課した。)
 米国というのは、しょせんは、知能指数の低い幼児のようなものであり、やたらと脅える臆病者なのである。だからこそしきりに「おれは強いぞ」と威張りたがるのだ。真の強者は、威張らない。偽りの強者だけが、威張りたがる。
 日本がなすべきは、米国を支持したり批判したりすることではない。どっちにしても、米国は聞きはしない。主人が飼い犬の意見を聞くはずがない。だから、日本がなすべきは、口先で吠えることではなくて、自らの経済力を高めることによって、米国を経済的に突き崩すことだ。そのとき初めて、世界は平和になるだろう。
 臆病者に与えるべきは、支持でもなく、批判でもなく、テロとは別の新たな恐怖なのである。

 [ 付記 ]
 臆病者は、日本にもいる。「北朝鮮は怖い」と脅える人々だ。
 相手は世界の最貧国である。武器も太古のレベルだ。日本に届くものはポンコツ船と、命中精度がゼロのテポドンが数発だ。こんなものに脅えるのは、よほどの臆病者だけだろう。
 北朝鮮の狙いをしっかりと理解するべきだ。彼らが狙っているのは、日本を攻撃することではない。(なぜなら、そんなことをすれば翌日には北朝鮮の全土が焦土となるからだ。)  彼らの狙いは、日本を脅えさせることだけだ。「もし北朝鮮を攻撃したら、テポドンを一発お見舞いしますよ」と。そして、その狙いにまんまと嵌まって、脅えている人々がいる。そういう人々が、「北朝鮮は怖い」と叫び、「だから米国に従おう」と叫ぶ。そして、自分がかわいいから、こう思う。「米国にもひとつだけお願いしよう。北朝鮮を先制攻撃しないでほしい、と」。
 かくて、日本の臆病者のおかげで、米国は先制攻撃を踏み止まる。それが北朝鮮の狙いなのだ。つまりは、やたらと戦争好きで、鉄砲をぶっ放ちたがるカウボーイから、身を守るために、北朝鮮はそれなりに、臆病者を利用しているのである。
 はっきり言おう。テポドンなど、ちっとも怖くはない。確率的に言えば、人間が死ぬ確率は 1%ぐらいでしかない。当たったとしても、死ぬのは数人程度だ。一方、麻原のオウム殺人は、数十人の死者と、数千人の被害者。また、交通事故は年2万人。小泉による不況殺人も、年2万人。……恐れるべきは、北朝鮮の首領ではなく、日本の小泉なのだ。

( ※ 「北朝鮮は何をするか心配だ」と思う人に忠告しておこう。「いきなり戦争を起こして、気にくわない相手を攻撃してやる」と言っているのは、北朝鮮ではない。日本と英国と米国だ。世界中で、この3カ国だけが、ぶち切れた狂信的な暴力国家なのだ。心配する相手を間違えている。)


● ニュースと感想  (2月22日c)

 「イラクの危険」について。
 武力行使という選択がかろうじて容認できる場合もある。それは、イラクの危険性が実際に認められる場合だ。つまり、次のことが成立する場合だ。
 「両方とも認められる」というのが、米英の主張だ。なるほど、そのどちらも、単独では認められる。しかし、その両方は、同時には成立しないのだ。
 大量破壊兵器があるとして、それをどこかにこっそり隠しているのでは、実戦には使えない。実戦に使うためには、配備する必要がある。そして、配備したなら、その段階で、あっさりと探知されてしまうのだ。
 つまり、「隠している」のならば、「使えない」ことになる。「使える」ためには、「隠さずに配備する」ことが必要となる。「隠す」と「使える」とは、両立しないのだ。なのに、両者が両立すると主張しているところに、米英の論理矛盾がある。
 矛盾した論理で戦争を始めようというのだから、気が狂っているのは、イラクよりは、英米なのだ。われわれは、イラクの独裁者を心配するより、米英の狂人を心配した方がいい。この狂人は、実際に核兵器を持っているし、また、「使うぞ、使うぞ」と言っているのだから。
 何しろ、狂人のことだ。自分の頭の上で爆発させる可能性もある。

( ※ では、正解は? 査察をずっと継続することだ。見つからなければ見つからないで、構わない。隠している限りは、どうせその兵器を使えないのだから、危険性はない。そのまま時間が立てば、フセインは寿命で死ぬ。アメリカが攻撃しなくても、フセインはいつかは死ぬのだ。)


● ニュースと感想  (2月22日d)

 「イラクの民主化」について。
 イラク問題について、「戦争反対」というふうに単に唱えているだけでは、何も解決しないだろう。ブッシュとしても、振り上げた拳の、置き所に困る。メンツが立たない。これではどうにもならない。
 そこで私の提案を示す。それは、「イラクの民主化」だ。具体的には、次の手順で。
 このうち、最後の1項が、一番難しい。なぜなら、ブッシュは、これが目的で戦争したがっているからだ。ブッシュは、本当は、イラクのことなんか、どうだっていいのである。あんなちっぽけな国のことなんか、地理音痴のブッシュが気にしているはずがない。だいたい、世界地図で、イラクがどこにあるか、ブッシュが自分で描けるはずがない。そもそも、地球儀で、日本と台湾の区別さえ、できるかどうか疑わしい。
 ブッシュがやりたいのは、単に、「勝ったぞ!」と勝ちどきの声を上げることだけだ。そして、これを制限したらなら、まず、戦争などはやらないはずだ。

 [ 付記 ]
 上の「国連平和維持軍が監視する」というのには、「イラクに攻撃される危険がある」という批判が来るだろう。
 そうだ。危険がある。そのことを否定しない。だから、ここに参加する国連軍の兵士には、勇気が必要となる。これは大切なことだ。
 「平和を実現しよう」というのは、勇気が必要なのだ。逆に、「戦争をやろう」というのは、臆病者のやることだ。この違いを理解しよう。
 「戦う者が勇敢だ」と思うのは、勘違いである。ホワイトハウスの椅子でふんぞりかえっているためには、勇気は必要なくて、臆病さだけがあればいい。しかし、平和を願ってイラクの土地に立つには、多大な勇気が必要なのである。

 [ 補記 ]
 上で肝心なのは、「先に手を出した方が悪い」ということだ。これがポイントなので、注意しよう。
 イラクのクウェート侵略では、イラクが先に手を出したから、イラクが悪い。しかし今回は、イラクは手を出していない。「将来、危険な手を出すかもしれないから」という予防策にすぎない。その「予防的攻撃」の是非が問題となっているのだ。( 2003-02-19 の朝日・夕刊・マンガを参照。子供二人で、「おまえが喧嘩を売りそならば、オレはおまえをぶん殴っていいんだ」と主張しているガキ大将がいる。アメリカの真似。)
 「イラクも悪い、アメリカも悪い、では、凶器と警棒の区別もつかない」と述べている人々がいる。(読売・朝刊 2003-02-21 の「日本国際フォーラム」の声明。) しかし、彼らは、話を完全に勘違いしている。「イラクも悪い、アメリカも悪い」という点が論議になっているのではない。「手を出さない悪人をあらかじめ罰する」ことの是非が問題となっているのだ。
 そして、こういう「予防的攻撃」というのは、独裁国家に特有の現象である。ソ連であれ、戦前の日本であれ、「こいつは国家にとって危険だ」と見なされただけで、処刑された。そういう暗黒国家を、われわれが認めるかどうかということが問題なのだ。
 つまり、今、問題となっているのは、「どちらが正しいか悪いか」ではない。「民主主義」とか「法治国家」とかいう理念が問題となっているのだ。そして、「民主主義」も「法治国家」も知ったこっちゃない、悪いやつはとにかく殺してやればいいのだ、という野蛮な原則を取るかどうか、ということなのだ。
 賛成論者が、「こちらが得だ」としきりに主張する。しかし、そのことは、何ら根拠になっていないのだ。なぜなら、「こちらが損だ」とは誰も主張していないからである。対米追従が得だということは、誰もが納得しているのだから、そんなことを主張するのは、まったく無意味である。
 今、問題となっているのは、われわれの損得ではなくて、われわれの良心なのだ。端的に言えば、「良心を捨ててまで、損得を取るか」ということだ。このことを理解しよう。(さもないと、議論がまったく噛み合わない。)

 [ 余談 ]
 ついでに、マスコミについて、コメントしておく。
 賛成にせよ、反対にせよ、新聞の論調は偏りすぎている。自社の意見を読者に押しつけすぎている。マスコミたるものは、もっと公平に情報を提供するべきだ。新聞は、何のためにあるのか? 読者に情報を提供するためか? 読者を洗脳するためか? ちゃんと、わきまえてほしい。(ここをわきまえない新聞が多い。北朝鮮並みだ。)
 「武力行使に賛成」の新聞は、世間にある批判的な意見をもっと報道するべきだ。「世間を政府の方針に誘導しよう」なんて主張する新聞に至っては、論外である。
 「武力行使に反対」の新聞も、世間にある賛成意見をもっと報道するべきだ。賛成論者がどういう理由で賛成しているか、耳を傾けるべきだ。そうすれば、「正しいことをしよう」なんていう無駄なゴミみたいな意見は出てこなくなるはずだ。賛成論者は、「正しい」という理由で賛成しているのではない。「損得」で言っているだけなのだ。そのことを直視しないと、議論が噛み合わない。


● ニュースと感想  (2月22日e)

  【 追記 】
 「北朝鮮問題」について。
 (1) 断固とした態度
 北朝鮮に対して、いろいろと意見があるが、「断固とした態度を取れ」などと口先だけで勇ましく言うのは、やめた方がいい。あまりにも抽象的であり、政策になっていない。わかりやすく言えば、「腹を大きくふくらまそう」と威張っているカエルと同じだ。何の行動もともなわない。
 どうせ言うならば、「北朝鮮を先制攻撃せよ」と主張するべきだ。「イラクを先制攻撃するように、北朝鮮を先制攻撃せよ」と主張するべきだ。「北朝鮮の首領は、国民を餓死させる極悪人だ。だから、彼のかわりに、日本と米国が北朝鮮の国民を殺してやろう」と言うべきだ。そして、その覚悟がないのならば、「断固とした態度を取れ」などと口先だけで言うのはやめてもらいたい。戦争とは、人々が大量に死ぬことだ。そんなことも理解できずに、口先だけで言うのは、ただのホラ吹きだ。
 (2) ステルス
 「米国に守ってもらおう。(だから米国の横暴な行為をすべて是認せよ)」などと主張するのは、あまりにも気概がない。ふぬけだ。「戦争をする覚悟がある」と思うのならば、「米国任せ」なんて態度ではなくて、自らの血を流す覚悟を持つべきだ。特に、最低限、まともな軍事設備を保有する必要がある。
 それは、ステルス戦闘爆撃機だ。これこそが近代戦争において必要不可欠なものである。ステルス戦闘爆撃機以外は、すべてレーダーに映るので、撃墜される。ゆえに、実質的に、出動できない。湾岸戦争でも、その戦果のほとんどすべては、ステルス戦闘爆撃機によるものだったのだ。日本がなすべきことは、海上自衛隊や陸上自衛隊のほとんどすべてを解体してもいいから、まず、ステルス戦闘爆撃機を開発することなのだ。
( → 9月23日 「ステルス技術」)

 [ 付記 ]
 戦闘爆撃機は、侵略の道具にはならない。ここに注意せよ。侵略をするには、その国に人間が駐留して、施政権を保有する必要がある。しかし戦闘爆撃機は、軍事設備へのピンポイントの攻撃能力を持つだけであり、侵略する能力はない。また、市民を火だるまにする能力はない。昔、東京大空襲で、日本の罪もない人々を大量虐殺したのは、大量の焼夷弾を運んだ大型爆撃機である。ステルスのような小型爆撃機ではない。ステルス機には大量虐殺の能力はない。
 とにかく、「北朝鮮の核兵器が怖いから、イラクの国民を虐殺せよ」なんていう支離滅裂な論理を出すくらいならば、ステルスを開発する方がよほど論理的だ。

  【 追記 2 】
 「自衛隊が外国を攻撃することは、憲法上、認められない」という反論があるだろう。しかし、この問題は、うまく回避できる。
 憲法上で問題があるのは、「外国を攻撃すること」であって、「外国を攻撃する能力」ではない。この点に着目すればいいのだ。「外国を攻撃する能力もダメだ」という説もあるが、しかし、これは、ただの解釈の問題にすぎない。本当を言えば、「能力もダメだ」というのは、法律的には、拡大解釈と言える。
 考えてみればすぐにわかる。「外国を攻撃する能力もダメだ」ということは、現実にありえないのだ。仮に、そんな理屈が成立するなら、自衛隊のほとんどすべてを廃棄する必要がある。なぜなら、韓国は、日本から目と鼻の先にあるからだ。東京から見れば、韓国も九州も、たいして距離的に違わない。また、九州から見れば、北朝鮮も東京も、たいして距離的に違わない。サハリンなどのロシア領も似たようなものだ。地図で確かめてほしい。
 さて、肝心の、「外国を攻撃すること」だが、これは、現実の問題とはならない。現実に攻撃するとしたら、戦争になった場合だ。しかし、大切なのは、「戦争になったときの対処法」ではなくて、「戦争を避けること」なのである。そして、「北朝鮮を攻撃する能力を持つ」ことが、すなわち、「戦争を避けること」につながる。
 「北朝鮮を攻撃する能力を持つ」と知ったとき、北朝鮮はこう思う。「日本はおれたちを攻撃しないと言っている。しかし、実際に戦争になったら、そんな甘いことはありえない。きっとおれたちを攻撃するだろう。ステルスを飛ばして、わが国の軍隊を一夜にして壊滅させるだろう。それはまずい。だから、日本にテポドンを打ち込むのをやめよう。」
 こう思う。そして、そう思わせることが大切なのだ。実際に日本が「北朝鮮を攻撃する」ことは必要ないのだ。
 今、自衛隊は、「北朝鮮からテポドンが発射されたとき、それを空中で迎撃したい。そのために、米国から空中迎撃用のシステムを導入したい。だから超巨額の金がほしい」などと言っている。しかし、どんなに巨額の金を払って空中迎撃をしても、それが必ず成功する保証などはない。大切なのは、発射されたミサイルの半分を迎撃することではなくて、1つも発射させなくすることなのだ。
 軍隊とは、使うためにあるのではなく、使わないためにあるのだ。この根本を理解しよう。
 ただし、「どうせ軍隊があるなら、使わなくっちゃ、無駄だ」なんて思う阿呆も、アメリカとイラクに一人ずついるが。


● ニュースと感想  (2月22日f)

  明日から、新シリーズが始まる。






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「小泉の波立ち」
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