『ネオリベ化する公共圏』(明石書店)に掲載された記事に加筆したもの。

シニシズムの原理としての
機会原因論

目次

  1. オレンジ色のにくいやつ
  2. 批判主義とシニシズム
  3. ふたつの構築主義
  4. ロマン主義の意味するところ
  5. シニシズムの原理としての機会原因論

オレンジ色のにくいやつ

早稲大学文学部の構内でビラを配っていた二十二歳のアルバイト男性が、「建造物侵入罪」の現行犯という名目で「大学教職員」によって身柄を拘束され、警察に引き渡されるという事件がおきた。二〇〇五年一二月二十日のことである。建造物侵入罪と、教職員という「私人」による逮捕の組み合わせが、かなり危機的なものであるということは、すでにべつのところで述べたとおりだ*。そのあとに「学生・教職員のみなさまへ」と題された、「早稲田大学第一文学部」「同第二文学部」「同文学研究科」の公式の声明が、早稲田大学文学部公式ホームページおよび文学部構内の立て看板において公表された。その冒頭は、次のようなものである。

二〇〇五年一二月一五日の午後九時頃に、オレンジ色のマフラーを着用した 不審者が、文学部の教員に対して脅迫を行ったことを知らせる掲示を、十二月 十六日、文学部正門に立て、皆さんに注意を喚起しました。この不審者は、十二月二十日に、再び文学部構内に立ち入ってビラを配ろうとしたので、立ち退 きを求めましたが、これに応じなかったため、警察に通報しました。

公式声明によると、教員の家族に対して、ビラを配っていた若者が脅迫めいたことを言ったことになる。かりに脅迫的な言動があったとしよう。脅迫は教員の家族の安全にかんしてであったという。そして若者は、後日ふたたびビラを配りに大学構内に入ったのである。なんだかヘンな話だ。そう、若者は凶器をもって教員の家の庭に潜んでいたわけではない。言論活動をしに大学の構内にはいったのである。これでなぜ逮捕されなければならないのか。あるは何故に脅迫罪ではなく「建造物侵入罪」で逮捕されたのか。これは私人による別件逮捕ではないのか。そして新聞記事には、教職員による逮捕であることが書かれているが、公式見解では一言も触れられていない。これはいったいどうしたことか。あるいは「不審者」であることと「オレンジ色のマフラーを着用した」ことと、何の関係があるのか。というか、そもそも不審者とはいったい何なのか。この公式見解がスキャンダラスなのは、そのような議論の形跡がまったくないにもかかわらず、早大文学部の公式見解として公表されてしまったことである。直接民主制の例外的、特権的な場所である大学の意志決定システムである「教授会」を、この見解はパスしてしまったということである。

*「臨床医学的視線と早稲田の逮捕劇」『ユリイカ』二〇〇六年二月号

素朴な事実の確認から、法的な正当性の検証、あるいは「不審者」とはいったい何なのかというような、人文系おとくいであるはずの確認作業のあとが、まったくみられない。逮捕事件そのものは、いろいろな偶然がかさなって起きた偶発的な出来事であったかもしれない。というか、出来事そのものは、喜劇的な性質のものかもしれない。しかし、そうした出来事が、知識人による直接民主制という、考えてみればまるで夢のような意志決定システムによって、公的な出来事として、これは「あり」だとして追認されてしまったのである。しかもまるで首尾一貫性のない、なにやら出来のわるいロボットが未来人にむかって話しているような間のぬけたコメントつきで。文化系の学部の場合「不審者」や「犯罪者」というの言葉は、危険物並みに用心して使わなければならない。その言葉がいかに危険な罠になりかねないか用心する必要がある。こんなことは一般教養レベルの「常識」であったはずである。それが何故に、このような事態になってしまったのか。何故にこのような文科系の知識人としては自殺行為とでもいえる公式見解を、理想的であるはずの意志決定システムは採用したのか。そのことについて考えてみよう。

批判主義とシニシズム

哲学史的にはカント以降ということになるかもしれないが、ある人間の考えていることが知的であるということは、主体がアプリオリに依拠している認識の枠組みに対して批判的である、ということを意味していたはずだ。自分たちが意識することなく前提としている観念が、ただのフィクションにすぎない、そのことを知ることが、すくなくとも人文系の諸学問における知的作業の前提となっている。

「世界全体」という「理念」が、たんなる仮象であるということを、経験的なデータに基づくことなく、背理によって証明する。これがカントの批判哲学がとった方法だ。カント以降、哲学の分野では、たとえば「宇宙を構成している要素はいくつあるのか」というような問いをたてることは、知的な作業とはみなされなくなる。そのかわりに、こうした問題の前提となっている観念が、ただの仮象にすぎないということをあらわにする作業が、知的であることのヘゲモニーをにぎることになる。そのような批判的な作業は、狭義の哲学にとどまることなく、他の学問においても展開されることになるだろう。経済学においては、マルクスによる資本主義分析、歴史においてはアナール学派、心理学においては精神分析などが、それに対応するものだと考えられる。

そのような批判主義は、のちにポストモダニズムとよばれる思想をつくることになる「フランスの現代思想」によって臨界点にたっした。ミッシェル。フーコーの系譜学、ジャック・デリダの脱構築などに、カントの批判哲学の残響を聞きとることは、それほど困難なことではない。彼らの批判は、近代において、人間が暗黙のうちに前提としていた観念が、ただの大規模なフィクションにしかすぎない、ということを暴露するものだった。デリダの脱構築の場合、それは、フッサールやソシュールといった、権威のあるテキストを厳密に読み込んでいくことによって、そのテキストがもともと主張しているとみなされていたことと、まるでちがった、ときには矛盾した主張をひきだすことによって、それらのテキストの規範性が制度的につくりあげられたものであることを暴露する、という作業だったはずである。そうした作業は、テキストに対する経験論的な批判ではなく、あくまでテキスト内部における批判を展開していたという意味において、カントが三批判で遂行した「アンチノミー」による理性批判と、きわめて似ている。

こうした批判の作業は、ペーター・スローターダイクのいうキニシズムによく似ている*。キニシズムとは、ディオゲネスをはじめとする、古代ギリシャの犬儒派の教えのことである。抽象的で高尚な、公式の思想、道徳等を、ときには自らの身体を使って、からかい、あざける不遜な態度のことだ。たとえば、プラトン的なイデアに対して「お前等の言っていることは、本当はこれだろう」と言いながら、放屁したりする。そのような挑発的態度には、思想というものが具体的な身体性、あるいはその思想をとなえる人物の生き方と、一致していなくてはならないという倫理が前提となっていると考えられる。そしてそのような一致がみられない思想は、すべて「偽善」とみなされるのだ。したがって、キニシズムは抽象的な思想の偽善を暴露する批判的行為だということができる。

*Sloterdijk, Peter 1983 Kritik der zynischen Vernunft Suhrkamp.『シニカル理性批判』高田珠樹訳, ミネルヴァ書房, 1996

スローターダイクの分析は、そのようなキニシズムが、いかにしてシニシズムに転化していったのか、ということに向けられている。スローターダイクによれば、シニシズムとは、キニカルな挑発への、支配者側からの応答だということになる。キニシズムによる挑発によって、公式見解の偽善が暴露された。いよいよ支配者側がその見解を手放すときがきたわけだ。しかし、それで何かメリットがあるわけ? 公式見解の持ち主はそう問いかける。もともとキニシズムは、暴露することを目的としていたため、そのような問いを前に沈黙することになる。暴露する側が、公式見解のおこぼれにあずかっている場合はなおさらである。したがって、公式見解をとなえる者、その偽善を暴露する者、両者ともにその見解が大嘘であることが、わかったとしても、その嘘を手放すことはできない。ここに挑発男ディオゲネスの嫡子としての「シニシズム」が登誕生することになるのだ。

カントの『純粋理性批判』に対する評価がつねに両義的であるのは、カントが理性のつくる理念がフィクションであることを暴露しただけではなく、その嘘の活用法まで提示したからである。理念は、構成的にではなく統制的に使用せよ、というテーゼがそれである。世界全体や自由といったものは、どのような大きさであるか、人間のどのような能力にもとづいているのか、そのような問いをたててはダメだ。それらの観念は実在するものではなく、ただ人びとの思考や行動を統御するための方便にすぎないのだから。このようなカントの主張は、シニシズムと何らかわるところはない、ということになる*。

*もちろんカントの著作には、これとは逆の傾向もある。とくに『判断力批判』は、アナーキズムの理論として読むことが可能だ。くわしくは、ジル・ドゥルーズによる、一連のカント論を参照されたし。

ふたつの構築主義

ラディカルな批判主義者は、あらたな対抗理念をつくりだすことによって、みずからの暴露がシニシズムに転落することを防ごうとしている。その理念は、多くの場合「危機」の仮象をまとうことになる。マルクス主義においては「恐慌」がそうであり、近代に対する批判としてのポストモダニストにおいては、ポストモダン的状況そのものが「危機」として語られることになるだろう。これらを「ネガティブな理念」と呼んでもいいかもしれない。デリダの場合、本来暴露の行為であったはずの「脱構築」それ自身が、到来する「危機」として語られることになる。批判的理性にとって、デリダ自身による「脱構築とは正義である」というテーゼほど痛ましいものはないだろう*。

*Derrida, Jacques 1994 Force de loi Galilée.『法の力』堅田研一訳、法政大学出版局 、1999

今日、そのような批判哲学的態度は「構築主義」と呼ばれている。千田有紀によれば、構築主義とは「ある人間の立場、信念を表明することではなく、あくまでひとつの『アプローチ』にすぎない」*。その点において構築主義とは、キニシズムや批判哲学と同じ位相に属している。

アイデンティティのカテゴリーを唯一の起源や原因となづける本質主義的アプローチにたいして、構築主義アプローチではそれらを制度や実践や言説の結果として考える。それによって、本質主義的言説は、どのような利害関係のうちにあるのかが分析される。乱暴にいえば、ジェンダーの構築主義は本質主義の政治性を暴くためにこそ、存在しているといってよい。

ここでも課題となっているのは、ラディカルな暴きたてである。スローターダイクは、キニシズムがひとつの理論ではなく、理論に対する態度である、と述べている。それと同様に、構築主義も理論ではなく、理論へのアプローチのひとつだということになる。

*千田有紀「構築主義の系譜」上野千鶴子編『構築主義とは何か』勁草書房、2001

ジュディス・バトラーの批判を参照しつつ、千田は構築主義constructionismとconstructivismの違いを説明している。前者は、構築主義、構成主義と訳され、人間が自明のものとしている観念や規範が、過去において、ある技術や制度によって構築されたものである、ということを暴露するのを目的としている。その一方で、後者には対応する訳が存在しない(めんどうなことに芸術におけるconstructivismは構成主義と訳されている)。しいて訳せば「実定主義」ということになるだろう。批判、暴露した内容の実定化とでも呼ぶべき作業が、そこにはふくまれているからだ。ある前提が歴史的に構築されたとして、それがどのように構築されたのか、この「どのように」を法則化することが、constructivismの課題となるからである。

こうした「実定主義」の代表的な見解として、千田はマネーとタッカーによる『性の著名』をあげている。この本は、生物学的な「セックス」と社会的、文化的に構築された「ジェンダー」を分けたことで知られている。人間においては言語活動が概念を形成するということが、この主張の前提となっている。性差の固着と言語の習得は同時期になされていて、一度獲得された性自認は、言語同様に変更されることがない。こうしてジェンダーは言語、文化、環境によって決定されることになる。このような主張にしたがえは、どのような言語によって性が語られすり込まれるのかについての積極的な記述が可能となるだろう。しかしそれは、説明の位相を、生物学的な遺伝の問題から、言語活動へとシフトさせただけにすぎない。その意味で本質主義と主張するところはかわないことになる。さらに、セックスとジェンダーを位相的に分けることによって、生物学的性差=セックスが「自然なもの」として残されることになるだろう。

このような事態は、なにかを積極的に、あるいは構成的に記述する際には、避けられないだろう。こうして構築主義は、ひとつの理論であることから、理論への態度のひとつになることへと、活動の目的をうつすことになる。この態度における至上命令が、ラディカルな暴露主義だということになる。あるひとつの理論や理念が、だれかの利害によって捏造されたのではないか。あるいはそのようなものが本当に存在するとしても、その対象を語る語り口に、なにか暴露すべきものがあるのではないか。このようなアプローチの仕方は、なにもセクシュアリティやジェンダーに限定されることはない。あらゆる理念に適用できるはずである。そうなると、何について批判的であることが優先されるか、についての抗争がおこることが想定される。資本主義についてか、性差についてか、国家についてか。どのトピックが主導権をにぎるかについて、まさにホッブス的な闘争状態が展開されるだろう。

当面の構築主義の使命は、暴露することを啓蒙する作業になるだろう。しかしそのような作業は、キニシズムの場合と同様、最初からシニカルな人間には何の意味もないということになる。自分がだらしなくしがみついている価値観がインチキだということは、先刻承知、言われなくても判っている。だけど、そのような価値を棄てることができるほど、強くはないし、強いことが良いことだとは限らないことも知っている。そう、シニカルな人間がもつ武器は「おのれの弱さ」を語ることなのである。シニカルな時代には、自称弱者が最強なのだ。そして、批判主義が、最初からこのようなシニカルな観客をあてこんでいたとすれば、批判的営為は、たちどころにそれ自身シニシズムに転化することになる。

ロマン主義の意味するところ

スローターダイクが、シニシズムの分析をはじめたのは、第一次世界大戦後からナチスが政権をとるまでのドイツ、つまりワイマール共和国時代のドイツの精神史を語るためであった。ワイマール憲法には、世界ではじめて社会権をみとめる記述が採用されるなど、先進的な性格をもつものであった。一方で、当時のドイツは、敗戦後むすばれたベルサイユ条約により、実際の政治、経済的には壊滅状態であった。このような時代状況が、彼をシニシズム分析にむかわせたモチーフであることは想像できるだろう。そのワイマール時代に活躍した政治思想家に、カール・シュミットがいる。彼の書いた『政治的ロマン主義』は、その名のとおりロマン主義批判であるが、われわれはそこにシュミット流のシニシズム批判を読みとることができる*。

*Schmitt, Carl 1925 Politishe Romantik, 2. Auflage Duncker & Humblot.『政治的ロマン主義』大久保和郎訳、みすず書房、1970

シュミットの簡潔な定義によれば、ロマン主義とは「主観化された機会原因論である」*。 機会原因論とは、どのような思想なのか。

デカルトが提示した「考える我」。その帰結として、精神と身体、主体と客体、という二元論を、いかにして克服するかという課題がでてくる。デカルトの方法的懐疑とは、慣習や感覚、あるいは心像など、自分が疑いうるものすべてを虚偽であるとして退け、最終的に残されたものとして、そのように「疑う我」をあぶりだし、それを足がかりにして、新たな哲学を開始する、というものであった。その場合、積極的に構成されるものは、すべて懐疑にかけられることになる。デカルト的コギトは、純粋に否定的な存在だと考えられる。

*『政治的ロマン主義』p. 24

機会原因論の代表的な論客であるマルブランシュは、神学の研究者であると同時に、熱心なデカルトの読者でもあった。マルブランシュは、精神と身体の因果関係、つまり物質的な存在である身体が、いったいどのようにして否定的な存在であるはずの精神に影響をあたえるのか、という問題に対して、超越的な第三項を導入することによって対処した。マルブランシュは、物がなぜ動くのかという、力学的な問いをたてる。もちろん物それ自身に動こうという意志があって動くわけではない。物体それ自身に、物体の移動の原因は存在しないことになる。

しかし、神の観念について考えるとき、つまり無限に完全であり、従って全能の存在の観念について考えるとき、その意志とあらゆる物体の運動との繋がりは明白に認められるので、ある物体が動くことを彼が望みながらその物体が動かない、ということは理解不可能である。それ故に、もしわれわれが物体について感じるがままにではなく、それを理解するがままに語りたいと思うならば、物体を動かしうるのは彼の意志以外にない、と言うべきなのである*。

運動する物体には何ら能動的な作用は存在せず、そのような能動性は、真の原因である神の意志にのみ存在することになる。それと同様に、心身の結合においても「不変で効果的な神意という効力以外のいかなる繋がりもない」とマルブランシュは述べている。したがって、身体的な刺激によって精神が動揺したとしても、そのような刺激は、たんなる「機会」にすぎず、真の原因はその両者をむすぶ神によってもたらされることになる。このようにして「機会原因論は神のうちに真の原因のすべてを見、この世のすべての事象を単に偶然的な機因であるときめつけた」**。

*Alquié, Ferdinand 1977 Malebranche et le rationalisme chrétien Seghers .『マルブランシュ—マルブランシュとキリスト教的合理主義』藤江泰男訳、理想社 , 2006,p.163

**『政治的ロマン主義』p.107

このように、それ自身どうやっても構成的に語ることのできない「精神」と、いくらでも構成的に語ることのできる「身体」や「物質」との力学的な関係を説明するのに「高次の第三者」を導入するという方法は、なにも神学的な問題に限定する必要はない。たとえば茂木健一郎は、脳の活動と、美的な対象を目の当たりにした際に感じる生き生きとした感覚、つまり「クオリア」との関係を説明するのに、高次の第三者として、脳のなかの小人、すなわち「メタ認知的ホムンクルス」を導入している*。もちろんこのような第三項が実在するわけではなく、それらは純粋な想像の産物である。したがって、それらは「他なるもの」であれば何でもかまわないということになる。

多くの実在—自我、民族、国家、歴史—のあいだに自分を保ち、それらの実在が相互のあいだで作用し合うにまかせるということはロマン主義の立場の特徴であるが、このことはたしかに人を迷わせ、その本質的性格の単純な構造を蔽いかくす。多くの入り乱れて働き合う「真の原因」があるとする機会原因論を見ると、何びともその真の性格を見誤るかもしれない。或る実在から他の実在へと逃れて行くのが機会原因論である。そしてこの機会原因論にとっては、離れたもの、異種なもの、他のものをこの思想の必然として含む「高次の第三者」は、他の領域へ絶えず逸脱するうちに本当に他なるものまたは異種なるものとなり、最後には、伝統的な神の観念が消滅すると他なるもの異種なるものは真なるもの高次なものと一致してしまうのである。ここではじめてロマン主義は完結する。ロマン主義者が自分自身を超越的自我と感じているかぎり、真の原因は何かという問が彼を悩ますことはない。彼自身がまさに自分の生きている世界の創造者だからである**。

国家と民族との関係を説明するために、高次の第三項として「歴史」を導入する。歴史を語ることによって、バラバラな要素を総合する。こうした目的のために、歴史をかたるということは、経験論的な、あるいは自然科学的な説明とはちがった種類の説明となるだろう。そして最終的にロマン主義者は、真の原因のポジションに、大いなる仮象としての世界、芸術作品としての世界の創造者としての人間、およびその内面をおくことになる。

*茂木健一郎『脳内現象』日本放送出版協会、2004

**『政治的ロマン主義』p.114

機会原因論において重要なことは、超越的な第三項を導入することによって、原因と結果の連鎖から切断されることである。そのことによって自然法則から主体が開放されることになる。経験的な領域において「原因」であるような出来事は、たんなる「機会」にすぎないと考えることによって、主体は、その主観において自由をあたえることになる。その一方で機会原因論的な主体は「真の原因」である第三項に対して、徹底して受動的な立場をとることになるだろう。ならば真の原因として自分自身を措定した場合はどうか。その場合、主体としての自己は、自己の「気分」の奴隷と化すことになる。そして世のなかのすべての事象は、自分のなかの「それ」を触発するだけに存在する、純粋な機会として表象されることになる。こうしてロマン主義的主体は、美的な世界の牢獄に監禁されることになる。そこに出口は存在しない。何故なら、機会原因論は、経験することが可能な自然という退路を、すでに断ってしまっているからだ。

ロマン的主体が経験する「機会」について、どのようにイメージしたらいいのか。趣味について考えてみよう。趣味tasteとは、もともと味覚のことである。味覚は、一方では生理学的な反応のようでもあり、他方では精神的な感受性の反応のようでもある。味覚は、原因と結果といような自然科学的な因果関係の強制から、なかば自由でもあり、またその逆でもある。そして何か美味しいものを食べたときに感じる印象は、端的に受動的である。ゆえにそれは時には屈辱的な体験でもある。

そのような受動性をロマン的な主体は回避する。ロマン主的な主体においては、食べ物が機因となって、自分のなかの「それ」が真の原因として猛威をふるうことになるだろう。まったく同じことが「趣味」についてもいえる。なにかを知覚するという経験が「機会」となり、自分のなかの「それ」が暴れだす。ロマン的な主体においては、世界の事象すべてが、自分自身の趣味へと変貌することになる。

シニシズムの原理としての機会原因論

このようなロマン主義的態度が問題なのは、実践的な領域における問題の解決から、その定義上、逃げ去ってしまう傾向をもっているからである。ある問題を解決するためには、ひとまず主体が原因と結果の連鎖に埋め込まれていることを認めなければならない。しかしロマン主義がそうである所以は、そのことを否認することにあるのだ。興味ぶかいことに、機会原因論とよばれる精神的タイプの特性として、シュミットは「問題を解決するのではなく、問題がそれを構成する因子にまで分解することにある」と述べている。このことは、さきほどみてきた批判主義、構築主義においても、みごとに当てはまる。批判主義は、問題に対してメタレベルにたつが故に、問題を解決することを回避するのだ。

しかし、問題なのはそれだけではない。機会原因論は、日常的に経験される原因を、機会とすりかえることによって成立する。その意図は、原因と結果の連鎖に埋め込まれていることを否認し、純粋な仮象である「真の原因」と無際限に戯れることにある。だとすれば、逆に、たんなる機会であるような出来事を、原因とすりかえることによっても、機会原因論は成立するのではないか。偶発的な出来事を、因果の連鎖すべての原因として登記する態度。これこそが、シニシズムの時代における機会原因論だと考えられる。

シニシズムの時代においては、自由な個人や機会平等、あるいは永遠平和や「男らしさ」などといった理念が、たんなるイデオロギーにすぎないことなど、既知のこととなっている。したがってそれらは、もはや人間の行動原理として君臨することが不可能なはずである。しかし、人びとは、何らかの理念にしたがうことをやめることができない。そして批判主義以降の知識人は、自分がしたがうべき理念は何なのか、と問うことをしない。おそらくそのような問いをたてた瞬間に本質主義のレッテルを貼られるからだ。結局のところ、したがうべき理念は何でも構わない、ということになる。シニカルな心性においては、自分がしたがうべき大儀のなかみは、純粋な空虚だということになる。

一方その反作用として、偶発的な出来事それ自身が「真の原因」として措定されることになる。機会原因論においては、原因と結果の連鎖がもとから否認されているのだから、出来事そのものの原因は問われない。問われない以上、それらの出来事は「真の原因」としてピン留めされることになる。もとより真の原因など、純粋な想像の産物にすぎない以上、それらの出来事は、過剰に物語化され、スペクタクル化される。機会を原因として表象する、シニカルな主体がそのことによって何もしないことの「大儀」をえる。これが、現代版の機会原因論だと考えることができる。

たとえば、二〇〇四年の四月におきた、イラクにおける日本人三人の人質事件では、驚いたことに、事件がおきた当初から、人質になった人間の「真意」が何なのか、ネット・ユーザーから、代議士にいたるまで、真剣に議論されていた。一方で、人質の家族は、記者会見をひらき自衛隊の撤退を主張し、また事件を契機に、イラク派兵反対のデモも行われた。つまり、この事件の「真の原因」が何であるのか、原因の争奪戦が行われていたのである。しかし、そのようにして開かれた政治的な領域は、政府による「自己責任」発言によって、あっというまに閉じてしまった。人質の自作自演説はまことしやかに流布され、彼らに対するバッシングも展開された。こうして事件の原因を経験論的に検証する可能性は失われ、人質それ自身が「真の原因」としてスペクタクル化され、それを観る者のリビドーが備給されることになった。こうして現代版の機会原因論は、「自業自得」という言葉によって具現化されることになる。

このようにして、シニシズムの時代においては、機会それ自身が原因としてスペクタクル化する。でる杭は、その「でる」という出来事そのものが原因となって打たれるのだ。そのような状況においては、もっとも恐れるべきことは、「徴つき」の存在になることである。いったんマーキングされてしまうと、その痕跡が恐るべき原因として表象されてしまうことになる。波風たてないことに命を賭けるという、よくわからない心性は、こうして形成されることになるだろう。

したがって、このような機会原因論的状況において重要なのは、メタレベルに引きこもることではなく、出来事それ自身と同一のレベルに立つことである。もとより、シニシズムとは倫理や心性の問題としてのみ語られるべきものではない。それは超越論的なシステムの問題でもあるからだ。貨幣に価値があるのは、それが何でも手に入れることのできる「魔法のお札」だからではないことを、人びとは知っている。しかし、それを使用することを止めることはしない。そして貨幣を使っている以上、人間はシニシズムを生きていることになる。したがって、シニカルな人間を説得や説教によってどうにかすることは不可能である。そもそも説得する者が、自分の言っていることに対して、シニカルでない保証はなにもないのだ。

では、そのような状況において、実践の原理をどのよに獲得すればいいのか。批判哲学を経験したものは、事物や出来事そのものという概念が、ただのフィクションであるということを知っている。そうしたなかで、そのような概念を足がかりにした経験論的批判というものは、はたして可能なのか。出来事や事物といった足がかりとなる部分は、すでに失われている。ならば「法」はどうか。成文法はその定義上、すでに書かれたものとして存在している。法の内容が正しいかどうかは何の保証もないが、法そのものが存在しなかったと主張するものはいないはずである。出来事の超越論的痕跡としての法。実践的領域においては、法を、自由なはずの身体を拘束する監獄ではなくて、自らの身体を支える地盤として考えるべきだろう。権力が、今回の私人逮捕、およびそれの公的な追認というような「事例による陣地戦」を展開するのであれば、実践的領域に生きる者は「法による機動戦」を展開する。そのような選択も考えらるはずだ。だいたい、デリダの脱構築は、こうした法の機動戦において、その実践的な力を発揮するのではなかったか。しかし「法科大学院構想」によって、権力、あるいは規範による法の囲い込みはすでに成功しつつある。

二〇〇六年二月一五日づけの『朝日新聞』によれば、ボールのかわりにウサギでサッカーをやり、けり殺してしまったとして、三人の少年が逮捕された。このような、複数の少年による焦臭い事件の場合、大抵は自分たちのやっていることがやばいと、わかっているはずである。しかしそのことにたいしてだれもツッコミを入れない(何故なら自分たちは弱い人間だから)ために、事態がそのまま進行してしまうのだ。この事件で想像できるのは、その「やばい」事態に対して懸命にメタレベルにたとうとする、少年たちの必死のニヤニヤ笑いである。この可哀想なウサギが、そのまま「オレンジ色のマフラーをした不審者」と同じポジションにいることは、つけ加えるまでもないだろう。

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