破 綻 す る 想 像 力

人間が知りうることの限界を描こうとしたけど、想像力が追いつかずに破綻してしまった映画。そんな映画を今回は少し紹介してみたいと思います。

破綻する未来
『タイム・マシーン』(59年 米国)
H・G・ウェルズのSF小説の映画化である。1899年の大晦日(物語中に19世紀の最後の年という表現があるが、19世紀の最後の年は実は1900年なんだよね、細かいけど)あるイギリスの科学者がタイム・マシンを発明。それに乗って時間旅行に出掛ける。途中で、主人公が核爆弾の爆裂にモロに直撃して、顔を伏せてしのいだりする御茶目なハプニングがあるが、当然無傷で、そのあと80万年後(!)の世界に時間旅行するというストーリー。時代設定が壮大過ぎて、80万年という数値にどの程度意味があるのか疑わしい。その世界は文明の退化した原始社会になっていた、というもので特に超未来的な建築物や道具を見せる必要がないため、極端にひどい時代錯誤は見当たらないが、80万年経っても言語が英語というのは物語をスムーズにするためとはいえ、やはり突っ込ませてもらう。また、主人公が無気力に生きるだけの大勢の未来人に向かって、「これが、我々人類の未来か」と嘆いた上、説教をたれるシーンがあるが、けっこう余計なお世話だったりする。それから、人類から枝分かれした地底人を滅ぼすのだが、「醜い者=悪」という短絡的かつ強権的な図式が垣間見られてとても薄情な気分にさせられる。

破綻する死後の世界
『ブレイン・ストーム』(83年 米国)
ある女性科学者が、バーチャルリアリティの究極版とも言うべき全ての思考、視聴覚、記憶など という、思考意識体験共有を可能にする発明をしたというところから物語は始まる。分かりやす く言うと、人が体験したことをそのまま忠実に他人も体験できる、という装置の発明である。これは確かに凄い。おまけに、そのうち本当に可能になりそうな気がしないでもない。物語の前半は、実験シーンや主人公の夫婦不和を少々だれるように追っていたが、後半にこの発明を軍事利用しようとするグループとの対立、製作者の科学者が心臓発作で死ぬ際にこの装置を装着していたあたりから一気に宗教臭くなる。人間の意識といったらとんでもなく膨大な情報量が必要だと思うが、はたして80年代前半に存在した磁気テープごときにどれ程の情報が入るのだろう、というチャチな疑問は置いておいて、問題はラストの死に際に科学者の体験したテープの記録の再生シーンであろう。宇宙に飛び出た魂が彼方の星々に向かって進み、やがて流星雲の中に突入したかと思うと、光の蝶に包まれるのである。まあ、安易だけど、それ以外に表現しようがなかったのだろう。それにしてもSFXの使い方が『2001年宇宙の旅』にそっくりだなあ、と思っていたら、特撮は同じ人物が担当していた。

参考『丹波哲郎の大霊界』(89年 日本)
劇場で公開したからと言って、『映画』といる枠に入れるのはおこがましいという話。興行的には成功した脅威の霊界観光ビデオ。それにしても丹波以下周辺の霊界研究家たちは、揃って自殺だけはいけない。自殺は自然の意志(?)ではないので天国に行けなくなる、などと力説するが、じゃあ他殺はいいのか、死んでもいいや、と思って事故に遭うのはいいのか、自殺とそれ以外の境界線を明確にしてくれる者はいない。どうでもいいけど。

破綻する時空間
『ブラックホール』(79年 米国)
NHKの教育テレビにでも出てくるような張りぼてのロボット(主役じゃない)が、大立ち回りを繰り広げる。50年代だってもう少しまともなSF映画を撮ってるぞ、という駄作SF映画。どう考えても数万光年も先の宇宙へ旅するには、へぼ過ぎる宇宙船でブラックホールに呑み込まれて行方を絶った大型宇宙船を探索する。説明するのも馬鹿らしいロボットとの戦闘を経て、『反重力』なる名前以外一切説明のない謎の理論を積んで、なんと、光すらも逃げられないブラックホールの内部に突っ込んでいくのである。全てを呑み込むブラックホールの反対には、全てを吐き出すホワイトホールがあるかもしれない、という説もあるが、それにしても映像で描こうというのはあまりに想像を超えている。とりあえず、光線CG(これまた『2001年宇宙の旅』)やストップモーションを使って表現しているが、全然訳が分からない。まあ、アメリカの物理学者がアインシュタイン理論から予言される天体に、名前を「ブラックホール」と付けたのが69年。それから10年たって扱ってみたい題材だとは思ったんだろうけど、科学の勉強が足りない気も。ついでに映画の勉強も。

破綻する人類
『死霊のえじき』(85年 米国)
ジョージ・A・ロメロ監督によるゾンビ3部作完結編。何が破綻か、と言うと映画の初期設定でいきなり人類が絶滅寸前で、世界中がゾンビに支配されているのだ。一応、3部作のおさらいをしておくと、最初の作品が『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68年)。人間がゾンビを生け捕りにして弄ぶシーンなどが見受けられ、まだまだ人間側が優位(これは監督を代えて同名タイトルで90年にリバイバル)。次が『ダウン・オブ・ザ・デッド(原題)』。邦題はそのものズバリ『ゾンビ』(78年)。物語中盤でラジオやテレビ局が壊滅され、エンディングもヘリでの逃亡と、ゾンビ側が優位に立つ。最後のこの作品(原題『デイ・オブ・ザ・デッド』)は、優劣のレベルではなく、ハナから人間側に希望のない映画なので、最初から最後までただただ絶望感だけが漂う。一体、どうやって話を終わらせるつもりだ、逃げるのは前回やってるし、全滅するのもなあ、とわくわくびくびくしながら観ていたが、なんと、ロメロの選んだ手段は夢オチ……。どっと、疲れが出た。

破綻する無敵
『宇宙戦争』(53年 米国)
『インデペンデンス・デイ』の元ネタになった作品。
40年以上も前の作品なのに、今観ても心地よい緊張感を持って観られるSF映画の傑作。原作は『タイムマシン』に続きH・G・ウェルズ。火星が地球に大接近する日の53年のある日、隕石が落下。その中から現れた火星人の円盤が、地球を侵略していくというもの。『ID4』のように、円盤はバリアーを張って無敵。人類の攻撃は一切効かない。原爆すらも効かない。おまけにこの当時はまだ宇宙への有人飛行も成功していないので(ガガーリンはこの8年後)、コンピューターウイルスを宇宙にいる敵の母船に送り込むことも出来ない。おいおいどうすんだよ、完璧な無敵じゃねえか、とわくわくひやひやして観ていると、突然(!)円盤が次々に墜落する。なんとなんと火星人は地球上の病原ウイルスに抵抗力がなくて死んじゃったんだって。ひえー、そんな有無を言わせぬ強引なオチありかよ。って思っている間に放射能をたっぷり浴びた主人公が、恋人と抱き合いながらエンディングへと突入していくのです。

破綻する理由
『理由なき反抗』(55年 米国)
「理由なき」というからには、どのくらい理由がないのだろう、と思って観たら本当に全く理由なく反抗している困った映画。思わず御両親のほうが正しい、と叫びたくなるのを我慢して観ると、チキンレースの事故で死ぬ非行少年の死があまりに無駄なので泣けてくる。おまけにその恋人だっ たはずのヒロインがあまりに簡単に主人公に乗り換わるので、「愛」って何?ということを思わぬところで再確認させられた。この映画を素直に楽しめる人々というのは、ある種特権的に幸せな人なのだろう(楽しめない人が特権的に不幸なのかも)。

破綻する恋愛感
『バタリアン・リターンズ』 (93年 米国)
傑作ゾンビ映画『バタリアン』の続編第3弾。前2作のコメディー・ホラーから一転、今回はシリアス・スプラッタホラー。死者を蘇らせる米軍の秘密実験を目撃した青年が、事故死した恋人を生き返らせようと、軍の実験室に忍び込み、恋人を蘇らせたが、彼女は脳みそ食いのゾンビになっていた、というお話。これだけなら、よくあるゾンビ映画なのだが、この作品はちょっと違う。何が違うのか?愛の深さが違うのだ。ゾンビになって周囲の人間を食いまくる彼女も自分の恋人だけには決して手を出さない。そんな彼女を見ても決して離れようとしない青年。他人の命はお構いなし。お前ら、絶対おかしいぞ、という突っ込みを通り越した純愛。『失楽園』なんて目じゃない。最後は閉鎖された軍の施設で一緒にゾンビになって抱き合うのだ。この映画の前には、過去のどんな恋愛映画も沈黙せざる得ない。

破綻する幸福
『ノートルダムの鐘』(96年 米国)

前々回散々書いたので一言でやめておくが、この映画は断じてハッピーエンドではない。弱者には強者の気持ちは分かっても、強者には絶対に弱者の気持ちは分からない。分からない奴が善意で弱者の首を絞める悪質なディズニー映画である。

破綻する盆踊り
『死霊の盆踊り』(65年 米国)

エド・ウッドが(おこがましくも)原作・脚本を務めたバカ映画。延々1時間半に渡って死人の裸踊りが続くどうにもならない物語。もちろん「盆踊り」は邦題。ビデオで観て早送りしなかった奴には拍手をあげたい。

 

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