言葉について

 

 

 

私には、これまで何かの深刻なレベルでの依存症の知り合いというのはいなかった。

 

いないと思っていた。

 

しかし、最近あかされた話なのだが、本当にすぐ近くにその人はいたのだ。

 

 

「アルコール依存症」

 

最初聞いたとき、まさかと思った。

今はもう、私はその人と1年以上会っていないのだけど、

当時は、お世話になっていた人だ。

 

確かに、変わった人ではあった。

妙に神経質というか、気性が激しいところとかあった。

 

でも、根はすごく真面目な人で、いい人だった。

 

しかしその「いい人」は、私の知らないところで、

酒におぼれていた。

 

「体調があまりすぐれない」という理由で姿を見せなかった時は、

ほとんど、

「家で酒を飲んでいた」

のだという。

 

これは、発覚まで相当時間がかかったらしいが。

 

彼は、一度お酒を飲みだすと、

1週間でも2週間でもとにかく、お酒を飲み続けてしまうのだそうだ。

 

完全なる酔っ払い。

 

私の知らない姿が確かに存在したのだ。

 

彼は「体調がすぐれなくて」と言っていたが、それはあくまで「嘘」で、

真の原因は酒にあったのだ。

 

いや、彼は自分が嘘をついてるという意識すらないかもしれない。

 

とにかく、しらふの状態の時は至って普通なのだから。

その時の記憶すらないのではないか?という疑いさえあるという。

 

発覚時、彼は相当に酔って、それはもはや異常だったらしい。

近隣の住民から苦情が来て、警察のご厄介になり、

入院。

 

私はショックだった。

 

私は、私の身近の人がそんな状態にあったということが信じられないというのもそうだが、

それ以上に、

当時、そんな状態だとはとても思えない、通常時の彼との2面性、

人間の持つ、なんていうか、底知れない部分にショックを受けた。

 

 

 

私達は、よく会話で、

「アル中」だとかって言葉を軽く口にする。

 

ホントに、依存症という人にとっては、やりきれないことだ。

事実、そういう人はいるのだ。

 

恐らく、軽々しく口にする人というのは、

身近に深刻なレベルの知り合いがいないからだろう。

事実、私がそうだった。

 

あと、「アルツハイマー病」とかもね。

 

ちょっとしたことを思い出せないだけで、

「あー、アルツかも」

なんて会話を、ホントに苦しんでいる人が聞いたら、

ショックだろう。

 

私達は、私達が実際にお目にかかったことのない「人種」のことは、

あまり信じられないし、深刻になれない。

 

でも、事実そういう人は存在するのだ。

 

誰だってその人がアルコール依存症だと分かれば、

酒を飲ませないだろう。

その人の前で軽々しく「アル中」なんて言葉は使わないだろう。

 

でも、たいてい、そういう「負の部分」は、

他人には見せない。見られたくない。

それが普通だと思う。

 

そうなった時、こちらが軽々しく発する言葉は、

どこで相手を傷つけているかは、分からない。

どこで誰が傷ついているかは、分からない。

 

私はお酒の席というのが好きだ。

みんなが楽しく盛り上がっている雰囲気が好きだ。

 

だから、禁酒を人に勧めることは、まずしたことがない。

 

冗談で

「酒は飲んでも飲まれるな」

みたいなことを言ったとしても、それは冗談なのだ。

 

でも、真にアルコール依存症の人にとっては、

なんてつらい冗談なのだろう。

 

こんな話を思い出した。

生まれつき、赤ちゃんが産めない女性の話。

友人と結婚の話をしていて、

「何歳で子ども産んでさ〜」

みたいな会話を続ける友人に、「私は子どもが産めない体なの」とは言えず、

かと言ってその友人に悪気はないわけだから、

ただ黙って聞いて、笑っていた。

 

という話。

 

無意識のうちに相手を傷つけることはある。

 

それが言葉の怖いところだ。

 

という話。

 

この自覚は、私含め、足りない人が多い気がする。

 

あー、ホントは依存症についても書きたいのだが、

どうも難しい。

 

2005年7月20日

 

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