〜聞き上手とは〜

 

 

ここ最近、周りが就活モードに入ってきていて、自分もそれなりに自己分析などというものを
やったりしてみちゃったりなんかして、その時に感じたこと。

とある書類に「自分の長所」を書く機会があり、自分自身の長所を考えてみた。俺は自分自身
の長所っていうとどうもこっぱずかしくて思うように書けない。しかも、自分で

「こいつは俺のいいところだろ!」

って自分で思うところも、実は自分の思い過ごしで、周りから見たら

「どこがだよ!!」

って突っ込みを入れられるようなことかもしれないって思ったりして、どうも自分自身、自分の
良さに対して絶対の自信を持てるものが思いつかない。基本的に自分に自信のあるほうではないので。

ていうか、謙虚な姿勢とかおおらかとか優しいとか色々あるんだけどさ、どれもインパクトにかける
っていうか、んーイマイチなんだよね。

で、今まで友達に言われたことのある誉め言葉でなんかなかったかな〜って考えたところ、

「聞き上手」

って言葉がひらめいたわけよ。これはサークル内でよくいろんな人の相談を受けていて
なんで俺が相談相手に選ばれるかみたいなことで、友人O君から

「お前は聞き上手なんだよ。だからみんな聞いてほしくて相談するんだ」

みたいなことを言われた。

これを思い出したとき、俺は迷わず長所に

「聞き上手であること」

を書いた。確かに俺は聞き上手なのかもしれないと、その時は思った。

実際サークル内ではいろんな人のいろんな悩みを相談された気がしたし、そのたびに俺は
その人の悩みを永遠と聞いてあげた気がするからだ。

もともと人と話すことは苦じゃないと思ってるし、自分自身も人と話しているときは楽しい
と思うから、この長所はまさにうってつけだと思った。・・・その時は。

 

しかーし!!あれは数理科の仲間達との飲み会のときだった。

俺は「聞き上手」という言葉についてあらためて考えさせられることとなった。

なんと、こともあろうにその飲み会にいる全員に俺が聞き上手であることを否定されたのだ!!

確かに、その飲み会に集まった連中といるときは、俺は間違いなく聞き上手ではなかった。
むしろはっきし言って一人でしゃべっていた。

この日を境に俺は聞き上手というものについて、考えるようになった。あの書類で俺が書いた長所は
ひょっとしたら大嘘なのではあるまいか?俺はもともとおしゃべりな方だから、そもそも聞き上手とは
全く対極の位置にいるのではないか。と・・・

しかし、それならばなぜ、サークルでの俺は、「聞き上手」という地位をそれなりに認められたのだろう?

確かに、サークルでのキャラと、数理仲間の間でのキャラにズレがあることは間違いない。
サークルでは見せない一面を学科の連中には見せることもあるし、またその逆だってある。
しかし、根本はそんなには変わらない気がする。

ていうか、どっちも俺だし!!俺という人間には変わりはないわけである。

そうそう人間なんて全く違う2つのキャラを演じきれるものじゃないし、また演じるものじゃない。
とくに俺は自分にウソのつけない人間だから(マジ)演じてもすぐばれる。

苦手なもの、あいそ笑い。

おっと話ずれたな。そんなことはどうでもよくて、要はなぜ俺が自分自身を「聞き上手」だと思ったか。

これが問題である。確かに何人かの人間に俺は聞き上手だって言われたことはある。しかしそれは

あくまで「何人かの人間」だけである。要は俺は、特定の人からの支持を、全体からの意見と
少しだけ錯覚してた部分はあると思う。しかもその「特定の人」っていうのが

けっこう熱烈な支持だったと(自分でいうのもなんだが)思うのである。だから、その人達は俺のこと
を「聞き上手」とさんざん認めてくれるから、俺は調子に乗って

俺は聞き上手なのかもしれない、と思ったのだと、今思う。

 

じゃあここから核心に入っていくが、果たして俺は聞き上手じゃないのか??

この疑問を考えた時に、「聞き上手」とはどういう人のことを言うかをはっきりさせておく必要があると思う。

要は定義づけね。

俺が思うに、聞き上手とは、2種類あると最近気付いた。一つは、

「あまり自分からは物事をしゃべったりしてくれない人(シャイな人とかね)から、
うまくその人の考えとかを引き出して、そういう人にとっても楽しいおしゃべりの時間を共有できる人」

もう一つは

「ものすごくおしゃべりな人を相手に、その人のしゃべる内容について、
たとえ自分が何か思ったことがあってもそこで口を挟んだりせず(まぁ挟んでもかまわないけど)、
要は、その相手が気持ちよく自分の考えとかをしゃべり続ける雰囲気を作り出せる人」

である。どうだろう。この二つは明らかに違う種類の「聞き上手」であると思う。

そして、この2種類の聞き上手のうち、前者は技術的なもの、後者はその人のパーソナリティ的なもの
が強いように思う。(もちろん前者の聞き上手にも生まれながらの才能はあると思うが)

だって、無口な人とかシャイな人に色々話してもらうことってのは、そういう会話をする訓練とかをした人
(例えばカウンセラーとか)によると、基本的なやり方は簡単に教えることができますみたいなこと
聞いたことあるんだけどさ、

一方後者の方って技術っていうより、相手の話をいかにめんどくさくならず真剣に聞いてあげるか、
これだけじゃん。会話のテクニックとかじゃないじゃん?まぁこれは極端な話だけどさ。

どっちかというとそっち寄りということね。

 

で、俺が認められた聞き上手はどちらのものに属するかを考えてみたとき、

間違いなく後者であることに気づいた!!

俺を聞き上手と支持してくれた方々は、みな「おしゃべり」な人達である!!うん、確かにそうだ!

要は「語る」ことの大好きな人達なのね。そして、どうもその語り相手としては、俺が最適らしい。のだ。
(あくまで、これ、その人達が言ったセリフだからね、俺が自分で言ったんじゃないよ・・・念のため)

そう考えた時、俺は後者の人達、要は、自分の考え(例えばなんか不満とか悩みとか)が自分の中では
抑えきれないくらい溜まってる人達にとっては、

「聞き上手」の力を発揮できるのではないだろうか、と思うようになった。

そして、今の中・高生にとっては、そういう「聞き上手」な人は教師としてはやはり素晴らしい
パーソナリティーとなりうるんじゃないかと勝手に思い込んだりするわけさ。

おっとっと、また話ずれたな。

で、ここで注意しなくちゃいけないのは、俺は決して、

自分の考えを語っている相手に対して口を挟まないわけじゃない!いや、むしろよく挟むほうだと思う。
けっこう自分の考えも言ってる気がする。

だから決して、黙って聞いているわけじゃないのだ。だのになぜ、その人達は俺を

「語るときの相手」として最適と言ってくれているのだろう。

それを考えた時に、理由は2つあると思う。

一つは、ぶっちゃけ俺の考えそのものが、全くもって客観的であるからなような気がする。
つまり、自分の主観でもって物事のアドバイスをすることがほとんどないからだと思うのだ。

ここで、上では自分の考えを口にするとか言っておきながら主観を言わないなんて矛盾してると思うかも
しれないが、全くもってそんなことはない。

「とりあえず、やりたいようにやればいいんじゃん?」

というのが俺の考えだから、それを口にしてるだけなのである。
俺に相談してきた人への対応として、ぶっちゃけ結論はいつもこれであるような気がする。
(まぁ、さすがにちゃんとそれなりには話すけどさ☆)

そういった、ある意味「冷たい態度」ともいえるのかもしれないが、
その人の正しいと思ったことを、とりあえず「認めてあげる」ことこそ、

俺が「聞き上手」と一部から言われた原点であるような気がする。

しかし、いつもいつも認めてあげることだけが優しさではないことは確かだ。
止めなきゃいけないことも事実としてたくさんあるし、本当に相手のためを思うなら、明らかに誤った選択
をしていると思ったときは相手を諭すことも大切であると思う。

しかし、

「明らかな誤り」などというものはなかなか俺が判断できるものは少ない。

俺は基本的には

最低限の礼儀さえ守れば、自分のしたいようにしていい

と思ってる。しかし、その「最低限」のライン引きがあまりにも難しい世の中であることも確かである。

だから、一概に「それは明らかな誤りだ」などとは言えないわけよ。

これは、ひょっとしたら逃げなのかもしれない。自分が言った意見で相手が思わぬ方向に向かってしまう
ことを恐れているからなのかもしれない。しかし、結局は決めるのは本人だし、それに対する
助言はしてあげられても断言はできないのだ。

だから俺はいつも助言するのだ。

「とりあえず、悔いだけは残さないようにすれば」

と。

こういう自分の意見の押し付けをしないことが一部の人には受けたのかもしれない。

だから、ぶっちゃけその人達は俺の意見なんてあんまり求めてないわけよ。そんなにね・・・

これはある意味俺がむなしいじゃんみたいなイメージもあるけど、でも俺は人の考えとか
とかを聞くことが好きだし、そもそも人と話してる時間ってのが好きだからそれでいいわけである。

まぁ俺自身もおしゃべりなんだけどね。

何をかくそう、これが2つ目の理由である。すなわち、俺自身会話を楽しんでいるのだ!!

楽しんで会話をしているわけだから、相手にとってはしゃべりごこちもいいだろう。

いやいや聞いてるような感じの人だったら、やっぱしゃべるほうも遠慮してしまうだろう。

どんなに長時間の会話にも苦痛を感じないこと、これはけっこう自分自身で気に入ってる
パーソナリティだったりする。

 

で、ここまで書いてきてお分かりのように、俺は後者の方の「聞き上手」としての素質は
なくもない、くらいな感じだと思う。

まぁ世の中の聞き上手度で言ったら中の上くらいあると思う。

でも、一方、前者の方、すなわち無口な方とのおしゃべりにおいて相手にいっぱいしゃべらせる
ことが出来るかというと・・・

答えはノーである。

でも、これは俺の考えだが、もともと無口な人に対してたくさんしゃべってもらう必要はあまりない
と思う。なぜなら、その人自身が「聞き上手」だと思うんだよね☆

だから、俺は無口な人とか、聞き上手な人とかと話す時はとことん話すようにしてます。

自分が話すことで、相手の反応も見れるし、それで会話が成り立つみたいな。

俺はおしゃべりなわけだから、無口な人との会話は俺が主導になるのは当然でしょ!!

でさ、結局は、その会話が「楽しい」と思えれば、はっきし言ってどっちがどれだけ話すとか
そういうことはさして問題ではないわけよ!!

 

ん〜だから、聞き上手ではないかもしれないけど、

要は俺はしゃべることにたいして自然体だってことがあらためて言う俺の長所なのかもしれない。

しゃべってくれる人に対してはその人の考えをしっかり聞き、そして認める。

無口な人やシャイな人との会話では、相手がしゃべってくれない分一生懸命自分がしゃべる。
自分がしゃべることで相手に自分を理解してもらい、そのことで相手にも心を開いてもらう。

人とのおしゃべりそのものが好きなわけよ!だからどんなに相手の話が長くても
新鮮な気持ちで、自分自身も楽しんで(真剣にね)聞けるわけわけよ。

会話が好きである。人としゃべることが好きである。

人間が好きである。

これが俺の長所だと、最近は勝手にうぬぼれているわけです。

2003年3月17日

 

戻る