みなさんは覚えているだろうか?
TUBEのM田さんと、I島直子さんの離婚会見を。
「価値観の違いを埋められなかったので、離婚します」
と言ってた奴。
これさ、見ててすっごく不思議だった。
なんか、「理由になってねーー」と思いました。
だってさ、記者会見ではさ、その
「どういったところがどう合わなかったのか?」
ということを聞きたがってるわけで、現に、
「仕事に対する考え方の違いですか?」
とか、
「生活にすれ違いがでたんですか?」
とか色々聞かれてた。でも、全部、返答は、
「そういうのも全部ひっくるめた、価値観の相違です」
の一点張りだった。
みなさんは、この離婚会見どう思ったでしょう??
次。ずいぶん前だけど、Mさんと飲んでたときのこと。
「俺は前付き合ってた彼女が、自分とは全く違うタイプの人間だったから、
今度は、自分側の人と付き合ってみたいと思ってたんだよね」
と言っていた。自分側・・・一体どちら側の人間だろう??
まぁわからんくもないんだけど。
まぁ、とりあえず、前置きの話はこれくらいにして、今日は、
価値観の違いについて、語ろうと思います。
ていうか、ぶっちゃけ、最初に題名書いた時点で、
この話が実は一番したかったんですよ。ていうか、これ、
ほっとんど、今まで書いてきた
「私の考え」
の中で、集大成みたいな文章になるだろうなぁと思ったわけですよ。
それくらい、この話に俺の考えは集約されている。
はずなんです。頭の中では。
で、まぁそんなわけで、マジメぶった話になりますが、よろしくどぞm(_ _メ)m
さて、人付き合いというのは大変に難しいものです。よね。
それは、何を隠そう、みんながみんなそれぞれの「価値観」
を持っているからに他なりません。
人は、一人一人が違った「個性」を、もっというと、
「人格」すなわち「パーソナリティ」を持っていて、
100人いたら、100通りの考えが存在するわけです。
で、人は、自分にはない考え、自分にはない個性をもった人間に
憧れたり、嫉妬したり、むかついたり、嫌ったりするわけです。
だから、「恋愛」も「友情」も「けんか」も「いじめ」とかも起こってくるわけです。
また、人は、
周りの人が自分と似た感覚を見せると、ちょっと安心したり
(多数派の安心感。一般的であることの安心感ね)
自分が大多数の人とは違った意見を持っていると気付いたときの、
優越感、もしくは劣等感
を、感じたりもするわけです。
(自分が多数派にいることは、安心でもあり、でもちょっと
「自分はみんなとは違う」って感情もあったりする。
自分が少数派にいると、今度は、
「自分はもしかして変人なんではないか?みんなに合わせないといけないんじゃないか?」
と不安になったり、一方では、
「自分はすごいんだ」
という自信になったり。
こういう相反する感情とかも、人間としてはけっこうみんなあると思う。違うかな。
まぁどっちがいいかの偏り具合はそれこそ人によるけどね。)
そんな中、人は、自分と感覚が似ている人に出会うと、とても親近感を覚え、
(なんでも、共感できればうれしいでしょお??)
ひかれあっていくということもよくあることでしょう。
なんていうか、これはもう、自然にひかれあうんだよね。理屈とかじゃなくて。
もう、それが最初jから決まっていたかのように。
この言葉、ものすごく現実味があると思う。
(あ、ひかれあうってのは、男女間に限らず、もっと広い意味でね)
一方、自分にないもの、もっというと、自分にたりないもの
(と、自分自身で感じているもの)
を持っている人に憧れるという感覚も、もちろんあるでしょう。
で、お互い自分にないものに尊敬をし合って、
ひかれ合うということも、もちろんのことながら、あります。
これも、自然なことです。
例えるなら、磁石のN極とS極がひかれ合う。みたいな?
でもね、この後者の方について俺は思うんだけどね、
これってあくまで、
「最低限の感覚の一致」
があったうえでの話だと思うんよね。
なんていうか、同じ次元の上での真逆といいますか。
X軸上で比べてるなら、X軸上でのプラス∞マイナス∞ってことよ!!
決して、Y軸に上のものと比べてはいけないっていうか。
(言ってる意味わかる?ぶっちゃけわかんないよね?)
要は、結局、仲よくなる人っていうのは、
どんなに性格は対極だと思っていても、
これ、かなり無茶苦茶なことを言っているようにも聞こえるでしょうが、
「似てる」「似てない」って言葉はあくまで便宜上のものであって、
要は、自分と仲良くなってる人間ていうのは、もう、なるべくして仲良くなっていると思うんです。
まぁ、これを運命とかって言っちゃうとまたちょっと違うんだけどさ。
なんていうか、今まで、自分が生きてきた中で、出会ってきた全ての人を思い出して見たとき、
ホントに様々な人が通ってきたのが、分かると思うんだよね。
そんでさ、その中で、そのまま通りすぎちゃう人もいれば、しっかりと心に刻まれる人もいる。
いまだに関係が続いている人ももちろんいる。
一期一会。
いい言葉だ。
おっとっと。話ずれました。
そういう人達を思い浮かべたとき、自分の心に確かな足跡をつけた人を思い出してください。
どう? 足跡をつけるだけの
「自分」と共通するなんらかの土俵上の感覚を持っていませんか?
たとえそれが自分の考えとは真逆でも、その土俵自体は同じじゃない?
そこの性格の次元が、比較しやすいくらい前へ飛び出てない?
少なくとも俺はそうです。
まぁ、違うって人もいるでしょ。それこそ、感覚の違いだし。
なーんか自分でも書いてて調子乗ってる感じだ・・・
だから、最初に例をあげたけど、
「価値観の違い」なんていうのは、要は、
「今さらなにいってんの?」的なものだと思うわけですよ。
まぁ、確かに、色々感覚が違うことが耐えられなくなるってこともあるだろうし、
分かるんですが、価値観の違いっていうのは、
なんていうか、表現があまりにもあまりにも。て感じ?どんな感じだ。
あと、2つ目の例でいうと、
「自分に似てるタイプの人間」「自分とは違ったタイプの人間」
ていう風に分けてるけど、ぶっちゃけ、
最低限の感覚としては、
「同じタイプの人間」の中でのくくりだと思うんですよ。
その中で、「似てる」とか「違う」とか言っても、
結局はそれは、ある一部分、局所的な話であって、
「そこの感覚は似てるけど、そこは似てない」
とか、色々どんどん次元が広がってきたとき、
似てる似てないっていうのは、どんどんどんどんあいまいになっていくと思うんだよね。
いやーー自分で書いててさっぱりわかんねーだろなこれって文章だな。
まぁ、しいて似てるって言うのをどういうことかと考えるなら、
てなとこかな。
うわ、いかにも数学的な定義だ。ぶっちゃけ自分に引くわ〜・・・
でも、この表現でかなり自分自身は納得のいく答えだ。あはは。
(もうなんか、完全に俺しかわからない文章になってるな。まぁいっか)
さて、ここまでは自分にとって合う人、ひかれ合う人について書いてきたんですが、
問題は、もう根本から違う。って人ね。
要は、比べる次元そのものが全くもって違う方々。
そういう人も、これだけの人間がいれば、そりゃあたくさんいますよ。
なにせ世の中の半分はそういう人たちですよ。
でもね、ここからが一番言いたいことなんだけどさ、
そういう人達についても
ってことよ。
なんていうか、自分とは全く違った感覚を持っている人とかを、
完全に目のかたきにする人とかもいるけどさ、
なんつうかさ、別にどっちが正しいとかじゃないじゃん??
まぁものごとにおいて、どうしても許せないこととか、
絶対にそれは間違ってるだろとか、
そういう「最低限の礼儀」以下のことっていうのは
誰にでもあると思うし、
そういうことに関しては、怒ることは当然だと思う。
でも、別に「いい」「悪い」の問題じゃなく、
ただ単に、「自分と価値観が全く違う」
というだけで、その人を否定的な目で見ることは間違ってると思うんだよね。
たとえ、その人がどんなに珍しい感覚だったとしても。
そういう、自分と全く違った感覚を持つ人も
「許容する」っていうか、
「へー珍しい考え方だね〜!そういう風な考え方もいるんだぁ★」
くらいな、キャパシティの広さが大切だと思うんだよね!!
そして、この「キャパ」、すなわち、上の方の言葉でいうならば、
「土俵」って奴?
それをさ、じゃんじゃか広げていくことが、人間が
楽しく、美しく、生活していく秘訣だと思うわけなんです!!!!!
広い視野、でかいキャパ。
俺は、まさにこの考えのもと、自分自身少しでも、大きな人間に
なっていきたいと思ってるわけです。
(いや、うさんくさいけど、マジマジ。なかなかうまくはいかないけどね)
みんな全く違った感覚を持つ人間だから、ありえないっちゃあありえないけど、
でもなるべくみんなが、自分とは違った感覚を認めあうことができれば、
いじめとかもなくなると思うんだけどなぁ。
以上、かなりの理想論を並べてみましたm(_ _)m