このタイトルを見て、
「イタイ」
と思った方、そう感じるということは、もうきっと立派な大人なのでしょう。
俺はいまだにこういう感覚に悩まされる。
まだ、大人を意識したくない。
いや、ニュアンスが正確ではないな。
なんつうか、「大人」として見られる歳である以上、
責任とかそういう面においては、もう一人前の行動をとらなければいけない
という意味では、そういう定義で「大人」をとらえるのであれば、
大人になりたいと思う。
ていうか、ならなきゃいけないと思う。
でも、感覚的なもの、変に現実を見たりすること、
社会とかに流されて、自分の意見を我慢したりすること、
素直になれないこと、
そういう、昔はなかった「ズルイ」感覚が発達してしまうことを
大人というのであれば、
それはあまりにも悲しいことだ。
と俺はすごく感じる。
青臭い青春ソングを聴いて
感動を覚えてる人を
「若いねぇ」
とか言っちゃう人とか、俺はすごく、なんつうか寂しい。
いろんな人と話す時に、
この人とこういうトークをしたら、
ちょっと引かれちゃうかな、
とか考えてトークをしている自分が悲しい。
俺は歳をおうごとに、いろんな人との関わりが増えてくるごとに、
壁をつくる「大人」のおしゃべりになれてしまった気がする。
要は、
「あ、こんなことを話すほどこの人とは打ち解けてないな」
とか、
その場の空気とか、そういうのを読むのは確かに大切だとは思うけど、
そういう術を知っていけばいくほど、
自分に正直に生きられなくなってきていると感じる。
そして、ここで俺がとりあげる「大人」っていうのの定義は、
ことであると思う。
みなさんは、どこまで割り切って生活しているのかわからないけど、
だいたいこういう感覚っていうのは、
モラトリアムとかなんとかって、
中高生とか、大学生とか、
その辺の世代が考えてしまうもんなんじゃないでしょうか。
まぁそりゃそうだよね。
でも、こういう感覚をおもてざたで、
語っている人達を見れば俺だって
なにこの人たちそんな甘っちょろいトークしてんの? 現実逃避じゃねえの?
ってチラッと思ってしまう。
なんつうか、そういう会話は、
自分が一生懸命になって話しているときは
その場でこういうトークを青臭いと感じる奴らこそ悲しいんだ
と思うんだけども、
自分が客観的にそういうトーク風景を見たら、やはりちょっと
そういう冷めた目でみてしまう気がする。
なぜだろう。
昔はあんなに純粋に、すべてのものごとにはしゃいでいたのに、
やたらとドライな感じがしみついてというか、
素直でなくなった。
俺はこないだ友人とこんなような青臭い内容で語った。(この文章はそんときに書こうと思ったもの)
その友人は、ゴイステのBABY BABYを聴いてこんなことを言っていた。
「俺はもうこういう恋愛はできないだろうなぁ」
すごく、心に響く言葉だった。
恋愛とかも、あれほど一直線に突っ走れたはずなのに、
経験が増えるほど、
純粋からかけ離れていく。
一体、経験とは、いいものなのか悪いものなのか。
子どもの頃あれほどなりたかった「大人」に
なぜこれほど今は寂しさを感じるのか。
こんなことみんな抱えて生きてるんだよ。
心の中でとどめておけないのは弱い人間だからだよ。
って声も聞こえてきそうだけど、それは事実だとは思うが、
実際俺は弱い人間だと思うし、
自分では、人一倍そういう感覚を感じていると自分では思う。
その友人はこんなことも言ってました。
「俺らのこの会話を聞いて、バカらしいとか言う奴らを 俺は殴りたい」
俺は、唯一、この大学時代の終わりに、こういう語りが出来たこと、
そういうことを話せる友人がいたことが嬉しかったのです。
真剣にこういうトークはなかなかしづらいもので、
大人としての付き合いってのはこういうもんなのかと思いつつも、
本音を話すことの重要性も忘れてはいけないと思うわけです。
まぁそして、そんな俺の中の葛藤がこのようなHPを作り出してるわけです(笑)
あーー、きっと将来この文、俺が見て自分で「青いな」って思うんだろな。
PS、なんだか、「童貞ソーヤング」の詞がものすごく響くよ(笑)
2004年2月10日