変化を恐れていた時代

 

ちょうど2年前くらいですか,

私がまだ学生だった頃,特にその終盤(大学院に通っていた2005年あたり),

 

私は状況の変化というものにすごく敏感になっていました。

その時の心情は,過去の文章「変化すること」を読めば一目瞭然です。

 

この文章で私は

 

「変化することが当たり前にはなりたくない」

 

と書いています。

 

多分ね,

あまりに周りの状況が変わってきていて,

 

周りはどんどん学生を卒業していき

 

社会人としての情報をいっぱいくれて

 

(それは愚痴だったり自慢だったり色々だけど)

 

いまだ学生を続けている自分は

 

確かに大学院という道を選択したはいいけど

 

あまりに周りが「社会人として」の話を満足げにするので

(もしくはこの頃になるとまだ卒業していない人たちも内定した会社について語るようになるので)

 

なんだか,そういう,かつてとは全然違った内容の会話についていけないというか

 

単純に

 

なにそんなみんな急に変わっちゃったわけ??

社会に出ると会話の内容までつまらなくなるのか?

調子こいてるだけなんじゃないの?

 

みたいなイラつきがあったんだと思います。

 

生活の大部分を占めるわけなのだから,むしろ

会話の内容が仕事になるのは当然のことなのにね。

 

自分がそういう立場ではなかったというだけで

(特に私は数学をやっていたので,他人に自分の現状を

あまり話すということが出来なかった。話しても意味不明だから笑)

 

周りがそういう,自分とはかけ離れた世界の話をするのに

耐えられなかったんですね。キャパ狭いね。

 

だから私は特に

 

「学生と社会人は違うよ」

 

とか

 

「社会人になって色々変わったよ」

 

とか

 

「学生はいいよなー」

 

とかそういう類の台詞が大嫌いだった。はっきし言って。

 

 

自分が働き出しても,絶対これらの言葉は言わないとその時は心に誓っていた。

 

 

むしろ

「たいして変わんないよ」

とか

言いたかった笑

 

「学生の頃のがずっと大変だったなぁ。あの頃のが忙しかった。」

 

とか言っている人をカッコいいと思った。

 

 

まぁ要は,

社会に出てるとか出てないとか,たいして関係ないだろ

 

という思いが強かったわけです。

 

 

でも自分は当時まだ学生で,社会に出てないわけだから

 

そんなことは当然言えず,

 

「やっぱ社会人って大変なんだねー」

とか言っておくしかなかったわけです。

 

 

皆の変化を羨ましく思っていたのかもしれない。

 

と同時に

そういった,みなに訪れる大きな波というか

 

みんなが当たり前のように変わっていく,そのどうしようもなくでかい

時の流れというものの存在に

 

ちょっと,いやかなり恐怖を覚えていたような気がします。

 

時の流れにみんなが変わっていく中で一人取り残されているような気がして

ならなかったのです。

 

では,今はどうか?

 

今,教員生活2年目を迎え,私自身は変化はあったのか。

 

確かに変化はたくさん,ホントに色々変わったと思う。

当時の私にはなかった感覚がたくさん出てきました。

 

変化していく環境にも自分の感覚にもだいぶ馴れたと思う。

なんであの頃,あんなに変化を恐れていたんだろうという気もします。

 

 

ですが,変化することが当たり前には思いたくないという

当時の感情も,変な言い方ですが

確かに覚えています。

 

あの時よく思った,

「変化は,いいものを生み出しているようでそれと共に絶対失っている感覚もある」

「進化は退化でもあり,単純にそれは変化してというだけ」

 

という思いは今でも心にあります。

 

今の私の考えは

「変化は当然であり恐れても結局変わるんだからしょうがない。」

 

という感じですが,一番大事なのは

 

「変化している自分をしっかり理解する。無意識に変化しない」

 

ということかなぁと思います。

 

 

だから,過去にこういう感情が確かにあったという記録を残すため

 

よくわからないこういう文章は書き続けなきゃなぁと思うのです。

2007年9月

 

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