ひょうたん日記
 
  ■ 2004年7月10日(土)
 
 ザ・フォーク・クルセダーズというバンドをご存知でしょうか? 2002年、期間限定で準・再結成もして活動したので知ってる若い世代もいるかもしれません。1965年に、加藤和彦が結成し、最終的には、加藤和彦と北山修・端田宣彦(はしだのりひこ)の3人となり、「帰ってきたヨッパライ」が大ヒット、実質的には1969年まで活動したフォークロックバンドです。ただ、解散後、3人とも、いろいろなバンドを作り、あるいは個人で、かなりの音楽活動を展開しています。医者となった北山氏を除き、今も音楽業界で活躍中です。

 このザ・フォーク・クルセダーズの活動期間、何かお気づきになりませんか? そう、『ひょっこりひょうたん島』のオリジナル版放送期間とほぼ重なるのです。そして、『ひょうたん島』の影響も受けている、と考えられるのです。事実、ザ・フォーク・クルセダーズは、コンサートをやるときは必ず、『ひょうたん島』のテーマソングを歌っていました。その思い入れは相当なものだったのです。「ハレンチ」「フォークル・フェアウェル・コンサート 1968」等のアルバムやベスト盤ですぐフォークル版『ひょうたん島』を聴けますからその勢いのいいヴァージョンをぜひ聞いてみて下さい。

 で、ザ・フォーク・クルセダーズが、そしてそのメンバーたちがその後の70年代も含めて紡ぎだした楽曲には、『ひょうたん島』と共通するポリシーがあふれています。根本的には人間「ひとり」なんだけれど、やっぱり「みんなで行くんだ 苦しみを分け合って」という「青年は荒野をめざす」の歌詞に象徴されるように、「だけどぼくらはくじけない」「何かがきっと待っている」ひいては「夜を待とうよ」なんて意味に近い歌詞をたくさん発見することができます。『ひょうたん島』の影響とだけ言えない時代の気分もあったと思いますが、その関連性を知ると、ちょっとうれしくなりますね。

 ザ・フォーク・クルセダーズは、当時タブーだった朝鮮半島の問題(ひとつの民族が2つの国に分断されていること)も「イムジン河」という歌に託してシングル盤にしています(当時発売禁止になりました)。戦争を嫌い、平和を希求する姿勢も(それもきれい事でなく)『ひょうたん島』に通じるものがあります。

 どうしてこんなことを書こうと思ったかというと、実はカラオケに行ってパートナーと歌いまくった中で、改めてフォークルグループの歌を歌って気付いたのが直接の動機です。そしてもうひとつ、明日7月11日が参議院議員選挙だからです。イラク関連のことや、プロ野球の問題を見ていてさえ、力の強いものに誰も逆らわない&反対する人を逆にバッシングする傾向が、日本に強まっているように思えてなりません。そうでない未来を選択したいものです。今こそ『ひょうたん島』がより必要とされている、そう感じずにはいられません。
 
 ■ 2004年6月12日(土)
 

 『ひょっこりひょうたん島』は、不幸な作品だな、と思ってしまう時がありました。というのは、『ひょうたん島』に関するプロジェクトの中には、本当にすばらしくて、実現できたら、涙を流してよろこんでしまうようなものがたくさんあったからです。それをここに具体的に書けないのがくやしくもあり、残念でもあります。いろいろな事情(出資企業の方針転換、出版社の経営悪化、NHKの方針……)で、もう少しで企画制作発表という寸前でポシャってしまうのです。

 一時は、やっぱり『ひょうたん島』って、そういう運命にあるのかな、と、落ち込んだこともありました。しかし、今年の2月、やっとのことで、中山千夏さんの『ひょうたん島』コンサートを実現でき、来た方々にもスタッフにも満足していただいて、改めて、実現するための想いと意志と戦略と、そしてそれこそ『ひょうたん島精神』とも呼ぶべき、「だけどぼくらはくじけない」「何かがきっと待っている」「どこまで行っても明日がある」という行き方が必要なことがよくわかりました。さらに、「共生」という『ひょうたん島』のポリシーへと通ずる、多くの方の協力が必要なことも学びました。

 今も、苦戦しているプロジェクトがたくさんあります。裏事情を知ると、泣きたくなってしまうようなこともあります。でも、粘り強く、あきらめずにやっていきたいと思えるようになりました。それに、苦戦はしているものの、『ひょうたん島』のアンコール放送が終わった後でも、『ひょうたん島』に関するプロジェクトを進めようとしている人がまだまだたくさんいること、これこそが、『ひょうたん島』の持つパワーの証明だとも感じます。今年ダメでも、プロジェクトは、毎年毎年、『ひょうたん島』に魅せられた人たちが、また新しいものを(私たちも)立ち上げていくことでしょう。

 ひとつだけここに書けるプロジェクトを。岩手県大槌町の取組みです。ひょうたん島そっくりの蓬莱島を擁し、『ひょうたん島』での町おこしを進めています。今年以降もずっといろいろなイベントや企画を考えているとのことです。皆さん、ぜひ一度、大槌町に島を見に行って下さい。全国でも、灯台があるのはここだけです。

 そして、私たちみんなの力で動かせることもたくさんあります。例えば、NHKに新作制作のリクエストを出し続けることです。途切れずに、絶えずそういう声が寄せられれば、必ずやNHKの人たちの心を動かすことでしょう。ぜひ、思い立ったときに、どんな形でもかまいません。リクエストをして下さい。

 私は信じます。『ひょっこりひょうたん島』は、実は、プロジェクトをやろうという人が決して絶えないという点で、とっても幸福な作品だな、と、そしてだからこそきっと、近々実るプロジェクトが現れるだろう、と。

 
 ■ 2004年5月5日(水)
 
 ひょうたん島を見ながら、『ひょうたん島』について話す、こんな気分のいいことは、そうそうあるものではありません。

 4月28日と29日、岩手県大槌町の「ひょうたん島まつり」に招かれて行って来ました。もう祭りの舞台が最高で、広い港の中で最も蓬莱島(ひょうたん島)の眺めがいいところに、真後ろにひょうたん島が見える岸壁近くに設営されているのです。話しながら、さりげなく振り向くと、そこにはひょうたん島。本物のひょうたん島が「いる」ように思わず錯覚してしまいます。話の終盤には、後ろの島を指して「あのひょうたん島が……」と、説明していました。全国のひょうたん島の中でも、灯台があるというのはポイントが高いですよね。毎日見え方が変わり、今にも動き出しそうに湾内に浮かぶひょうたん島、絶景でした。

 『ひょうたん島』のすごいところは、全国各地に、『ひょうたん島』にほれ抜いた人がいて、何らかの形で『ひょうたん島』をライフスタイルに活かそうとして並々ならぬ熱意を傾けていることです。

 大槌町にもいます。町職員の佐々木健さんを始めとして、山崎三雄町長まで巻き込まれているところがすばらしいんです。昨年、蓬莱島(ひょうたん島)にある灯台が50周年ということで、その記念事業として、町の正午のチャイムを『ひょうたん島』のテーマソングにし、ひとみ座の人形劇公演を行い、とにかく町を『ひょうたん島』尽くしにして町おこしをしてきたのです。

 今回の祭りも、たくさんの出店に囲まれた広場で、赤浜小学校全員によるテーマソング演奏と歌、大槌中学校吹奏学部のテーマソング演奏と続き、伊藤悟のトークライブ(6問のクイズで盛り上がり、以下『ひょうたん島の七不思議』と題して『ひょうたん島』の魅力とポリシーを熱く語って来ました)、さらには俳句会でもガバチョやひょうたん島が詠まれる、とここまで揃えられると、生きててよかった、という感じになります。だって、町を挙げて『ひょうたん島』に親しんでもらえているなんて、うれしすぎるじゃないですか、未来と希望があるじゃないですか。のべ1000人近くの人が祭りに立ち寄ったそうです。

 実際、祭りには「虎舞」という伝統芸能もあるのですが、そこに若い世代がたくさん参加しているというのが、本当に活気がある証拠です。町内のチームごとに、山車を仕立てて、2人組で虎を演じ踊り、毎年オリジナルな部分が付け加わって変化していくそうです。見てて引き込まれる「カッコいい」踊りでした。ただ「伝統を守る」ではなく、毎年新しい文化が作られているんですね。

 実は、この大槌町、釜石市(かつて新日本製鉄があり、そこのラグビーチームが圧倒的に強かった)の北にあるのですが、釜石より歴史が古く、この地域の物流や文化の拠点だったのです。面白い人材もたくさんでています。納得。全国で激減している、きれいな水にしか住めないイトヨという魚も「住んで」います。

 ここで、井上ひさしさんの登場となります。大槌町には、吉里吉里という地名があります。どこかで聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。そうです、井上ひさしさんの名作『吉里吉里人』の舞台でもあるんです。おまけに、大学時代の井上さんが、一時この近くで東京での生活資金稼ぎに(大学を休学して)暮らしていたことがあるんです。今、大槌町では、井上さんに来て欲しいというラブコールが沸き起こりまくっています。

 私は、海と山と河が同時に見られる場所が好きです。この大槌町もその条件にぴったりはまっていました。だから、私も大槌町にはまりそうです。[なお当日の写真などは改めてアップします]

 以下の記事でも紹介されています。
大槌でひょっこりひょうたん島まつり 岩手日報(4月29日)
 
■ 2004年5月4日(火)
 
 4月14日、井上ひさしさんが脚本を書いた「太鼓たたいて笛ふいて」という演劇を観て来ました。昭和の大ベストセラー作家だった林芙美子の後半生を描くことで、戦争と人間の生き様を深く考えさせる、とびきりすばらしい公演でした。

 林芙美子は、「戦争は儲かる」と吹き込まれ、時代の流れに乗らないと自分の人気と地位を維持できないと悟り、太平洋戦争に協力していきます。華々しい「従軍記者」として彼女は、戦争を素材に「仕事」をこなしていく、つまり戦場や戦況を自分の目で見て、「戦争」をドラマティックに賛美し、活き活きとした文章で誇大宣伝して、国民を戦争へと駆り立てていく役割を担うわけです。

 でも、皮肉なことに、彼女は、戦争の現場を見ていくうちに、「戦争はみんなを幸福にする」という「物語」のウソ、言いかえれば、戦争の矛盾と空しさにだんだん気が付いてしまうのです。戦争に勝っても、死んだ人は幸福にならないではないか。本当に中国や東南アジアの人たちのために戦争をしているのだろうか……。しかし時すでに遅く、日本は敗戦めがけてまっしぐらに進んでいきます。

 戦後の林芙美子は、自分のやったことをどう償うかに人生を賭けていきます。こう要約すると、とってもかたそうなイメージを与えてしまうかもしれませんが、こうした過程が、丁寧に軽妙に描かれていくので、3時間は全く飽きませんし、林芙美子役の大竹しのぶさんを始めとする出演者たちの演技も、演出も、全てがエンタテインメントとしても一級品です。その上、見事に現代の怖さを指摘しているからすごいったらありゃしないです。

 イラクで人質になって帰ってきた人たちに、「お疲れさま」「大変でしたね」と声をかける優しさを失い、ただひたすら、メディアをあげて自己責任だけを攻め立てる。「全部人質になった人が悪い」で片付ることによって、日本政府やアメリカの責任はどこかへ行ってしまい、イラク戦争をきちんと考える回路は閉ざされてしまう……。

 4月26日には、自民党の柏村武昭・参議院議員が、イラクで人質にされた日本人について「自衛隊のイラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。もし仮にそうだとしたら、同じ日本国民であってもそんな反政府、反日的分子のために数十億円もの血税を用いることは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と述べました。いよいよ「言論の自由」も危ない。イラク戦争や日本政府に反対すると、国に見捨てられるぞ、と言わんばかりですよね。もう私たちは相当やばいところまで来ているのだと思います。そんな時に、この演劇が上演されるのは何か深い意味を持つ気がします。

 林芙美子は、反戦的発言をとがめる憲兵(戦争中「お国」や「お上」に逆らう人をチェックして弾圧する役割を担った)に対して、「反日」ではない、日本が好きだから「反戦」なのだと述べて、「私は日本を愛してる」と歌います。この歌は、『ひょうたん島』で中山千夏さん(博士)が歌った(2月1日のコンサートでも披露された)「僕は地球を愛してる」の歌詞を変えたものです。

 そう、「見捨てるにはこの日本、あんまりすばらしすぎる」からこそ、政府に対して反対意見も述べるのです。それがわかる人が急激に減っていることは、とてつもなくおそろしいと思います。もう見捨てるしかない、とならないことを祈り、行動していくしかありません。

 それにしてもこういう意義のある演劇に『ひょっこりひょうたん島』の挿入歌が4曲も使われているというのは大感激です! 歌詞は変わっていますが、「ドンズのテーマ」(ランニングホーマー一族シリーズ)「ひとりじゃない」「僕は地球を愛してる」「ハレルヤ」が、実に効果的に使われ、演劇の中で超重要な役割を果たしています。

 このところ、井上ひさしさんは、自作の演劇の挿入歌に『ひょうたん島』の歌たちをたくさん使っています。音楽が宇野誠一郎さんである、というだけではなく、現代にとって『ひょうたん島』の歌たちが必要なんだ、と考えていらっしゃるからだと感じます。私たちも、『ひょうたん島』の歌たちからたくさんのメッセージを受け取りたいと思います。

 (余談)「ひとりじゃない」は、台本でも宇野さんの楽譜でも、2番の歌詞に「暗い夜でも さびしくはないさ ご覧よお日さま キラキラキラ それもキミのため……」とあります。ここの「お日さま」は「お星さま」なのではないか、と言われていました(だって夜だし、キラキラキラだし……)。2月1日のコンサートのリハーサルの時も、中山さんから指摘されました。それでコンサート後、井上さんにお尋ねしたところ、「お星さま」と書いたはずがどこかで間違ってそのまま録音してしまったのだろう、とおっしゃっていました。宇野さんは、「私が楽譜にする時写し間違ったのかも」ともおっしゃっていました。なるほど。というわけで、「太鼓たたいて笛ふいて」では、きちんと「お星さま」で歌われていました。長年の問題が解決です。
 
 ■ 2004年4月6日(火) 祝! 『ひょっこりひょうたん島』放送開始40年!
 
 今からちょうど40年前の、1964年4月6日、午後5時45分、誰も、その時スタートした人形劇が世紀をまたがって「文化遺産」になるとは予想していなかった。

 私、伊藤悟(当時小学校5年生)も、それまでずっとNHKの人形劇を見ていた、というだけで、ほとんど惰性で、テレビの前に座っていた。でも、まだわが家にテレビが来て、5年とたたない頃だったので、「惰性」とは言っても、テレビを見ること自体がまだとっても魅力的でワクワクする選択肢だった頃だ。だから、見て当然でもあったのだ。

 しかし、私は、まず「ジャーン!」と始まったテーマソングの、今までにない軽快で爽快なメロディーに心魅かれた。おまけに、当時は珍しかった(久里洋二さんの)アニメがそのバックで映っている(今アンコール放送などで見られるのとは違うヴァージョン)。鋭い嗅覚を持っていれば、これだけで、当時としてはめっちゃ斬新であることをかぎ分ける。子どもは、さらにその嗅覚は敏感だ。

 おまけに第1回のタイトル! 「ライオン王国の巻 1」(この1は正確にはまる1)。「ライオン王国」って何だ?(おまけに、第8回までストーリーの中で「ライオン王国」はただの1回も出てこないので、すごく気になった)

 そして、ストーリーの始まり方がすごい。サンデー先生と子どもたちが、ひょうたん島にピクニックに来るや、火山が爆発し島が動き出してしまう。島が動く! それだけでも驚くのに、いきなり空から、いやジェット機からダンディが「降ってくる」……ここまでが、たった15分につまっている。当時としては、こんなに展開の早い物語は(特に子ども向けではなおさら)めったにお目にかからなかった。何かあるぞ、とたくさんの子どもたちが思ったはずだ。ただ、それは後に、この時点でそう思ったのは少数派で、半数以上の子どもたちが熱狂するのには、海賊の登場を待たねばならなかったことを知る。

 この第1回で、私のハートをとらえたセリフが2つある。ひとつは、いつも書いている、博士がひょうたん島の土をなめて言った「すっぱいなぁ、ここいらへんの土地は酸性土壌だ。すっぱい土は、あんまり農作物にはよくない」(セリフはリメイク版のもの)。これには感動した。わからないのである。すっぱいと、農作物によくないの? なぜ? 「サンセイドジョウ」って何? でも、これだけで私は、このテレビ人形劇が、子どもをバカにしていない、こりゃいける、と思ってしまったのだ。「子ども向け」と称して、わざと易しく言い換えて、現実にはあり得ないセリフや会話やシチュエーションにしてしまう「子ども番組」に飽き飽きしていた私は、すんげえリアルでいい、と感じたのだ。

 もうひとつは、島に取り残されたのは自分のせいだと、自分を「だめな先生」と責めるサンデー先生を否定して、子どもたちが、「そんなこと言ったってしょうがないよ」(ダンプ)「先生は神様じゃないよ」(博士)「気にしない!」(全員)などと励まし、「問題はこれからどうするかよ」(チャッピ)と前向きに進もうとするところ。

 ここはおそろしく革新的だ。まだ当時「先生」の権威は大きく絶対で、それが後に、教師の暴力や管理の意味しかない大量の校則があふれる「管理教育」へとつながっていくのだが、サンデー先生と子どもたちの会話は見事に対等だ。どころか、子どもたちがサンデーさんを引っぱっている感さえある。こりゃすげぇ! 教師と折り合いが悪く、学校へ行くのが苦痛だった伊藤少年には、子どもたちの活躍(この時点では大活躍しそうな予感)がうらやましく、ぐぐっとテレビの画面に引き込まれていった。

 こんなデリケートなメッセージが含まれていて、複雑なストーリー構成のものを人形が演じきってしまうのも驚異だった。当時は残念ながらまだ「人形劇」の位置は低く、私の中にも微妙にそのパワーと芸術性を認識していないところがあった。しかし、そんな偏見は、その後ひと月もたたないうちになくなってしまい、かろやかで意表をつき絶妙な表現ができる、人形たちの動きに魅了されていった。

 第1回が始まって数分で、「ヤッホー、ヤイヤイヤイヤイ!」と最初の挿入歌「ピクニックソング」が歌われたのも鮮明な記憶として残っている。もともと音楽が好きだった私にとって、まさに「ミュージカル」でしかない『ひょうたん島』は、好きになる以外の選択肢を持っていなかったとさえ言える。ただ、冒頭の画面に表示された「カラー」の文字は、カラーテレビのある家を探すのが困難だった当時、『ひょうたん島』をカラーで見たい、という強い願望がコンプレックスになるほどだった。そう、『ひょうたん島』は第1回から、NHK全体でも数少ない、カラー放送だったのだ。

 そして、41年目、ひょうたん島はまだ漂流している。「何かがきっと待っている」未来へ向かって。当たり前のようなことだが、奇跡的なことでもある。テーマソングに象徴的に込められたメッセージは、ウソになることもなく、色あせることもなく、私たちにパワーを与え続けている。たぶん、この後、50年、60年、そして100年と、漂流を続けるのだろうけれど、今日はとにかくまず祝いたい。『ひょっこりひょうたん島』40周年おめでとう、と。
 
 ■ 2004年4月4日(日)
 
 『ひょっこりひょうたん島』のアンコール放送は「いったん」終わってしまいましたが、今日は、今後の展開の可能性について書ける範囲でお知らせしたいと思います。

 まず、何と言っても、昨年・2003年2月1日に放送された「人間レコードの巻」に関することが気になりますよね。「グレート・マジョリタンの巻」が放送されていた直後だけに、あの3魔女が、ひょうたん島民全員に魔法をかけてしまった。どうやって、それを解くのか。新キャラでも登場して、DJがレコードを回すように魔法を取り除くとか……相当ハチャメチャな今までにないあっと驚く展開がないと、あのどうしようもない状態は変えられない気がします。

 でも、あのままでほっておかれるとしたら、「社会の公共財」(『論座』その他での井上ひさしさんの発言)である『ひょうたん島』にとって、こんなに失礼かつ残酷なことはありません。私たちは、当然続編を期待していい、ということになります。

 事実、NHK内部でも、可能なら続編を制作することをいとわない、という空気は形成されています。さらにうれしいことには、井上ひさしさん自身も、新しい、現代にメッセージを送れる『ひょうたん島』を創作することに対して、極めて意欲的でいらっしゃることが分かっています。

 ここでは、「状況証拠」しか述べられませんが、今年2月1日の「中山千夏『ひょうたん島』を歌う」コンサートにいらっしゃった方ならお聞きになったと思いますが、当日いらっしゃっていた井上ひさしさんが、ステージ上のゲストトークで、昼の部でも夜の部でも、新作に対する意欲をはっきりと述べられたのです。これは、公的な場での発言としては初めてといっていいでしょう。今年も2月1日は、『ひょうたん島』にとって重要な日になりそうですね。

 さらに、3月に発売になった、朝日新聞社の月刊誌『論座』4月号の対談の中で、井上ひさしさんは、宇野誠一郎さんに新作の音楽担当の依頼をしつつ、やはり新作制作への意欲を語られています。「もし皆さんが最後にもう一度きちっと作ってほしいというんでしたら」という条件こそ付いていますが、「実は僕も、もっと書きたかったことがあるんです」とさえ話されています。これはもう、井上さんへ新作をぜひ作ってほしいという声を集中させるしかありません。

 井上さんは、「人間レコードの巻」の続きだけでなく、「やり残したことというのは、『ひょうたん島』で憲法を作らないといけないということです」と述べ、全くの新作制作も暗示されました。ちなみに、宇野誠一郎さんも「まだやり残している部分がだいぶあるので」と『ひょうたん島』新作にやる気満々です。『論座』の対談は、中山千夏さんの「あとは脚本ですよ、脚本」というエールで終わっています。こうしたやりとりが活字に初めてなった、ということは、実現可能性は高いと言わざるを得ません。井上さんも宇野さんもやりたくないことは決して口にしないし、ましてや活字にはしない方ですから。

 実際、新作の放送形態は、びっくりするようなウルトラC的な方向で発表される可能性もあります。その経過はこのサイトで最も早くお知らせできるようにしたいと思っていますので、大いに期待してください。いよいよ『ひょうたん島』新作のスタートの年が始まったのです!
 
 ■ 2004年3月29日(月)
 
 圧巻でした! 『ひょっこりひょうたん島』を3時間半も続けて見たのは初めてです。パートナーと共に、やるべきことを昼間必死でこなし、夕食も早めに済ませ、「万全の」準備をして、午後7時25分を待ちました。今日の新聞のテレビ欄に、初めてと言っていいくらい大きく『ひょうたん島』の欄が目立ち、スタッフやいろいろなコメントが書いてあってうれしかったです。最初はとんでもない放送の仕方かと思っていたのですが、ひょっとしたら、これでかえって見てくれる人が増えたかもしれない、とさえ感じました。

 実は、率直に言って、心の底で、いくら『ひょうたん島』と言えども、3時間半ずっと見続けるのは少ししんどいかな、と思っていた自分を恥じます。今、「グレート・マジョリタンの巻」の終盤7回分をイッキに見て、さわやかで心地よい、充実した疲れを感じています。

 やっぱり構成がすばらしい。この7回分の中で、ジャンピングビーンズと、豆の木、つまり「豆」がキーワードになっています。まとめて見ると、どれが何の「伏線」になっているかがわかって、ストーリーがち密につくられていることを堪能できました。特に、豆の木がしなって飛ばされて、人があちこちへ移動することでストーリーが進行し、どうやって一緒になるか想像もできないほどばらばらになっていた島民が、最後に一堂に会す展開は見事というほかありません。

 その間、ガバチョが豆の木がしなることを忘れて上り始めたり、豆の木を使う方向へ持っていくための「自然な」配慮もうなったりしてしまいます。でも、博士が、最後に豆の木を使って飛ぶとき、「ボク照れちゃうなぁ、二度も同じ手を使って飛ばなきゃならないなんて、イヤだなぁ」とひとりごとを言うのは作者の心境を代弁しているようで笑えますね。でも、面白いから全くオーケーなんですね。

 ガバチョとトラヒゲと海賊4人組が次々と物売りになって現れるところ、動揺する魔女パトラと魔女ペラが魔法を失敗するところ、シリアスな流れなのに、大笑いできるところがホントにたくさんあって、「グレート・マジョリタンの巻」が『ひょうたん島』前期の最高傑作であることがよくわかります。

 シリアスと言えば、いつも冷静なはずのダンディがびびって、ライフルを持つ手が震えていたとき、博士の「ボクはダンディさんを信じているから」落ち着いているんだ、と言う答えにダンディが励まされて、射撃を成功させるシーンはいつ見てもジーンと来て、伊藤悟「お気に入り」のシーンの一つです。サンデー先生の命と引き換えに、博士が方程式の答えを言うか言わないかのシーンも、何度見ても考え込んでしまい自分ならどうするか答えがいまだに出ません。

 トラヒゲと海賊4人組が(博士にヒントをもらって)自分の頭で考えてハートを取り戻すところ、博士抜きでも知恵を結集してサンデー先生と子どもたちが山をジャンピングビーンズで飛び越えるところ、「怪物」が実は恐くなくて味方だとわかるまでの交流、「降参しましょ」とか言ってみんなを混乱させつつも肝心なところではしっかり行動し魔女に対してもびびらずに自分の言いたいことをきっぱりと言うガバチョ、全キャラクターが際立ち、これだけ名シーンがつまっているシリーズもそうありません。

 マジョリタンのセットも見事だし、もちろん人形たちの動きも最高で、セリフを話している人形の後ろや横でも、他の人形たちが「なるほど」と言う「演技」をしているのがすごいです。ダンディの説明にうなずくロック鳥が妙に印象に残っています。

 そして、エンディングの「サヨナラサヨナラまた会う日まで」は、もうこのまま一生、何回聴いても泣きそうになっちゃうと思います。

 とりあえず、アンコール放送は終わりましたが、まだ「魔女リカの巻」「ドクター・ストップの巻」が残っていますし(みんなで放送をNHKにはたらきかけましょう!)、これで『ひょうたん島』関係のことが終わってしまうわけでは決してありません。今年が『ひょうたん島』放送開始40周年であることもあり、水面下では、いろいろな動きが始まっています。期待していてください。『ひょうたん島』を応援し続けてください。21世紀に必要な人形劇として、きっと今年も来年も再来年もささ来年もそして未来に向けてずっと『ひょうたん島』は、私たちにメッセージを発し続けているはずです。
 

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