星からの

星をこの手に、なんていうと夢見がちなお年頃みたいな、
ちょっとロマンチックな話になりそうだ。

でも、星というのは所詮はるか彼方に存在している巨大な物体で、
地球を別にすれば私のこの手の届く距離にあるものではない。

しかも私たちが見ているその光は遠い昔に発したものだ。
今現在はもう存在していない星の光を見ている可能性もある。

光の速度は早すぎるので普段は意識しないけれど、
リアルタイムではないのは確かだ。

それでちょっと思い出したのだけれど、
携帯電話を通して二人でデュエットをしようとしてもできない、
というトリビアだったかをテレビで見た記憶がある。

携帯電話の音声にはタイムラグがあるので、合わせようと努力すればするほど、
お互いにタイムラグの影響を受けてしまうのだそうだ。

この場合は電波の速度だけでなく他の要因も作用しているようだけれど、
何となく面白い。

実生活に目を向けると、実は今私が見ている景色もリアルタイムではない。
私たちは光の速さだけ遅れて目に入っている映像を見ている。

もちろん、距離が近いから「限りなくリアルタイム」であるので、
携帯電話でデュエット、みたいなことは起きない。

例えば、床に落ちた同僚の生首に手を伸ばしても届かなくて、
変な足をはやして逃げていってしまった、ということはない。

何か妙なのが混じったな。
つい我慢できなかったのはこの前DVDを見たからか。やり直し。

キャッチボールをしていてボールを捕球しようとしたら、
すでにボールは私のグローブを逸れて背後を転々としていた、
というのは単に私が下手なだけだ。

いや何かまた変なことになった。
多分例をあげようとするから変になる。

日常生活において、現実を視認する上での光の速度によるタイムラグは、
全く考慮する必要がないということだ。

これで良い、あったら怖い。
光の速さが牛の歩みのように遅かったらとんでもないことになってしまうだろう。

例えば、床に落ちた同僚の生首に手を伸ばしても届かなくて、
変な足をはやして逃げていったかと思ったらもうとっくに自分も同化されていて、
ただ一人生き残った同僚と静かに低気圧を待つ羽目になるかも。

それにしてもあの映画、なんであんな邦題になったのだろう。
物体Xは判るけど、どうして遊星?




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