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藤本一郎の「つれづれなるままに」 1998 4月〜6月 |
今回の選挙は、有権者にとっては、あまり面白い選挙ではないかもしれない。
不況。政府の失政。しかしそれに代わる勢力の不存在。
投票日たる7月12日は、W杯決勝戦でもあるので、選挙に燃える位なら、W杯に燃えた方が楽しそうである。
しかし私は、選挙で単純に問われるべき、問われねばならない事が一点あると考える。
すなわち、96年総選挙から今日までの、政府の姿勢に合格点を付けられるかどうか、という一点である。
野党が頼りないのは全くその通りである。しかし、それを理由に、政府の失政が許されるのであれば、与党は益々傲慢になるばかりである。有権者が合理的に政府の評価を下せば、きちんとした競争原理が政治にも働き、与党も野党も政策で勝負するようになる。政党が何かしてくれるのを待つのではなく、我々が単純な投票という行動で政府の是非を示すことをせねばならない。それが民主主義であり、国民主権である。
ところが残念ながら昨今の低投票率では、その原理が働かず、組織の選挙となり、政策抜きの選挙となっている。
100点満点のうち、60点(大学の成績でいう「可」)をとる政党はないかもしれない。しかし、大学の成績と違うことは、大学では1人も可を取る者がいなければ単位認定をする必要はないが、政治ではだれかを与党として「認定」せねばならないのである。
ならば、どんなに政治に不満があっても、その中で他よりはマシと思える政党に、政治家に、一票を投じないのであれば、一番最悪の政党・政治家に一票を投じてしまったことと同じである。
以下に96年総選挙時からの、簡単な各党の略歴を私の記憶する限りで書いてみる。皆さんはどの党を「認定」するのだろうか。
わざわざ「択一試験何点差で落ちたか」を知らせてくれるみたいだ。
見事に合格点から1点差(総合A)だった。
何とも言えない悔しさを再び味わった。
後で落ち着いて解けば余裕の問題でも、間違ってしまうのが本番というものなのか。
来年は、こんな思いをしたくない。
−0.7%だそうだ。
私はまだ生まれていなかったが、あの第1次オイルショックの後の74年ですら−0.4%だそうだ。
戦後最悪ということになる。
景気の悪化の原因はいろいろ言われている。消費税の増税と福祉増税、に加えて山一等の破綻による心理的影響もあるだろう。
ただ、心理面だけでは解決のいかない問題も多いと思う。例えば少子化も一因ではないだろうか。
丁度私の世代は第2次ベビーブームの終わりに当たる。つまり、私の2、3年前から、その年に生まれた子供の数はずっと減り続けている。とすれば、私のバイト先である塾も、子供相手の商売(学参、制服、ゲーム業界など?)も、縮小再生産せざるをえない。
大量消費を前提とした経済構造は、心理面からも、また国民の構成からも、崩壊したと言えるのではないだろうか。
こんな中では、もはや従来型でない産業構造に移行する以外に、国が「まし」になる方法はない気がする。
例えば、ダイオキシンや環境ホルモン等で、様々な環境対策が必要となるが、どうせやるならこういう面に国も莫大な投資をして、新たな、大量消費では終わらない産業を育成すべきだ。
しかし、国の今のところの公共事業は、まだ従来型と言わざるを得ない。予算の配分の仕方が大胆に変われば、当然失業を多く生むが、今のままでは将来の失業がそれ以上に発生してしまう。国家はもっと未来を見て欲しい、というか、見ることの出来る政府を我々が作らねばならない。
7月12日まで、一ヶ月を切っている。
俺の今年の受験が早くも終わってしまった。
択一位はいけると思っていたが、甘かった。
帰宅後、机の前に、「臥薪嘗胆・捲土重来」と書いてみる。
本当に悔しい。この悔しさを絶対に来年の合格につなげる。
今日から、来年の受験の為の勉強が始まる。
正直、受けるまでは自信があった。過去の模試、自分自身の手応え、合格しかないと思っていた。
しかし、現実は厳しかった。合否は微妙というか、落ちている確率の方が高いと思う。
とても残念だ。もし落ちていればあと1年間、また来年のこのテストまで「チャンス」がない訳だから・・・。
でもメゲずに頑張ろうと思う。自分がどうして司法を目指しているのか、自分が司法を目指すために、どれだけ周囲に迷惑を掛けているか、いろいろ考えると、くよくよしている暇はない。
早速受験当日の夜、刑事訴訟法の勉強を始める。かすかな択一合格を夢見つつ・・。また、来年こそ最終合格を果たすためにも・・。
京都市民である俺にはほとんど関係ないこの選挙であるが、俺の彼女にとっては、初の選挙権の行使となった。
もっとも選挙自体は、最近多い、「自共対決」選挙。2人しか候補者はいない。選挙は全く盛り上がっていなかったらしい。母親は彼女に「最初の選挙が豊中市長選挙?しょぼー」と言ったそうだが、確かに面白味に欠く選挙であったろう。
でも、だから投票に行かない、とはしなかった。どっちもダメであっても、有権者として、より「まし」な方に投票した。
棄権によって選挙への無関心を意思表示したとしても、それは、「その選挙は誰が勝っても、どんな政治になっても文句言いません」という意味しかない。どんなにつまんない選挙でも、投票することに意味がある。
事実、現在の政治を考えて欲しい。どうして高齢者に優遇的な政治なのか。どうして同和地区に優遇的な政治なのか。大抵、優遇的に扱われている人々の投票率は極めて高い。投票による意思表示は、数年後には具体的な政治の結果になって現れてくるのである。
日本人は「お上」の意識が強いのか、「お上」のするのに任せておけばまあ大丈夫という感覚の人も多い。だが、経済では「ビックバン」が叫ばれ、厳しい競争社会に突入しようとしている中で、政治は適当でもなんとかなるという時代は終わったのである。現に今の不況は「政策不況」と言われる。
政治も、少しでもマシなものにしないと、とんでもない事になる。たとえ「しょぼい」一票に見えても、その選挙権の行使には、大きな意味がある。
朝、寝坊する。昨日の塾講の疲れか。
父親からの電話で起きる。「準備書面って何?」
準備書面とは、民事訴訟で、訴える/訴えられる当事者の口頭弁論での内容を記した書面である。遂にうちの父親、誰かに損害賠償を請求されたのだろうか?
そうそう、訴訟では最初の裁判に出席しないとあっさり敗訴するから、誰かに訴えられたとき、たとえ絶対にあり得ない内容の訴訟でも、ちゃんと裁判に出ないといけない。
昼、飯を食いに行く。
近くの「更紗」という飯屋さんで「日替わりランチ」を食べるのが俺の日課。
実はこの間、そこでコップを割ってしまい、凄く居づらいのだが、でもそこが近いので行ってしまう。
スポーツ新聞が読めるのも嬉しい。広島9連勝なので、敢えて報知新聞(巨人びいき)を読む。
昨日は広島が勝ったとはいえ、ガルベス投手は広島に圧倒的に強い。ただこの選手、広島について色々知っていて、ダンカン選手に広島の原爆や平和公園、資料館について説明した、っていう記事が載っていた。
そういえば昨年、ガルベスは広島の資料館に行ったって話も聞いた気がする。海外の野球選手に資料館を訪れてもらえるのは、元広島市民として嬉しい。いつも報知新聞を読むと気分が悪くなったり、妙に笑いが出たりするのだが、今日は爽快感が残った。
爽快感のあるうちに、このHPを更新して、勉強を始めよう。今日は寝坊しているから、彼女への電話(昨日まで大喧嘩だったんだが・・)の時間迄はずっと勉強だ。
私は大学受験期も一日に何時間、何の科目を勉強したかを全て記録しつづけたが、実は司法試験勉強についても、昨年2月から記録をとっている。
最近は平均すると1日8時間程度、法律を勉強している。私には大学の図書館は合わないみたいで、自宅で勉強する。でも最近の大敵は野球。カープの途中経過が気になる。
しかし家中心で生活すると、人に会う機会が減った。彼女とさえ、月2回しか会えない。ちょっと辛い。
人間のやれる事って、本当に有限だ。1日24時間しかない。もっと時間が欲しい。でも、充実している証拠かな。
八坂神社の枝垂れ桜を鑑賞した後、北へ。
平安神宮の辺りまで歩く。疎水沿いに見事なサクラ。
少し平安神宮の側のベンチで休み、更に哲学の道へ。
とにかく美しかった。
京都は嫌な所もいっぱいある都市だけど、サクラと紅葉の美しさはたまらない。
サクラが散っていくのが悲しくてたまらない。俺も日本人だ。
でもこの悲しさはいっぱいサクラを見ることが出来るから味わえた。広島では感じられなかった。日本にいながら、このサクラが散っていくことの名残惜しさを本当に味わえる人って、意外と少ないのかも知れない。
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