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藤本一郎の「つれづれなるままに」 1997 10月〜12月 |
私は映画「タイタニック」を見に行きました。はっきり言って最高でした。それまで今年最高としていた「エビータ」よりも数段良かったです。
私は総制作費2億ドルという金をかけた映画ということで、正直そこまで期待していなかったのですが(少なくとも迫力はあるだろうとは思ってましたが)、内容、演技ともに素晴らしかったです。3時間13分があっという間で、最近見た長時間の映画(例えばイングリッシュ・ペイシェント)と比べても、「おしりの痛さ」が格段に違いました(今回は痛みを感じる暇がなかった)。特に最後の1時間は凄いです。
役者に関しても言うと、ディカプリオも格好いいけど、K・W・ウィンスレットの演技は特に良かったです。はっきり言って少し太めで、女性として最高であるとは思いませんでしたが、女優としては最高だったと思います。
私は12月27日前後に帰省しますので、「藤本大学」の更新は年末年始ストップするかもしれませんが、是非その間に「タイタニック」は見に行っておいて下さいね。
前者の財源はNTT株等の売却益。但し、それらは5兆円分しかない。足して7兆は次世代へのツケとなる。
そもそもこんな時に潰れそうな銀行を救っても(10兆円は預金者保護に限定されるとは限らない)経済的効果は期待できない。
また、私たちは銀行を自己の責任で選ぶのが当然であって、預金が保護されることを嬉しいと思っていてもいけない。
一方減税も、1家族当たり数万円で、消費を増加させれるか疑問でもある。
むしろ確実に消費を増やしたいなら、買っただけトクをする(一時的でも)消費税の引き下げ等の方が絶対効果がある。
日本という国がおかしくなりかけている。もう死にゆく年老いた政治家はそれでも良いかも知れないが、私はそうはいかない。
私たちが大学なら憲法とか政治学で、高校なら政治・経済での授業で、この問の答を学ぶことが出来る。
いろいろな考え方があるが、市民ひとりひとりが国家と、「きちんと義務を守りますから、国家も私を幸せにするという義務を守って下さいね」という契約を結び、その履行の為に国家は存在するという考え方が有力かつ基本的だろう。
ところが今日、国家は私たちを幸せにするどころか、不幸にし、更にその原因も私たちに「なすりつけ」ようとしている。
例えば旧国鉄の28兆を越える債務。
JRに国が負担を求める気持ちは分かるが、法により強制するのはいかがなものか。そもそもこのような債務の責任は政治家の選挙目当ての乱暴な路線拡張にあった。しかし現JR経営陣にはない。そんな私企業であるJRに法で強制して債務を負担させようなど、当然憲法違反(憲法第14,22,29,31<芦部>または13条<佐藤>)である。
確かに私たちも「義務を守ります」という契約の履行に怪しい時もないでもない。ただ、契約とは相手が信頼できる時でないと、怪しくなるのも当然。例えば国民年金の納付率81%も、給付に不安がある以上、私たちの責任よりも国家の不作為により重大な責任がある。
行革会議の中間報告の際、佐藤幸治委員は故・司馬遼太郎氏の本「この国のかたち」の出だしを使って、改革の意味を示そうとした。
今、行政改革が叫ばれ、そして失敗したと言われている。確かに行革案には失望する点が多かった。ただ、なにも改革とは1府12省にすることだけではない。当たり前の、契約の義務をきちんと果たすことこそ今の政治に最も必要なことであり(こんなことを言わねばならないのは情けないが)、私たちも目先のことにごまかされずに、政府に契約履行を迫っていかねばならない。
なぜなら、公的資金の導入は、バブル期に金融関係会社が自ら招いた経営怠慢と不祥事を国民の税金で穴埋めにすることになるからだ。もし導入されれば、住専の比ではない税金が投入されることになる。「行革」の必要性が叫ばれるなかで、そんなのに税金を使って良いのか。大株主や大預金者が救われれば、国民一人一人は救われなくても良いのか。
そこで私は、大蔵省が2001年より導入する予定の、1000万以上の預金は保護しないという政策を直ちに実施すべきだと思う。どこの経営が危ないとの情報を私は直接は得ていないが、最近の株価の動きをみてれば、どこがつぶれるのかは明白。そんなつぶれそうなところに預金を入れておく大預金者をどうして救わねばならない?
そもそも日本には銀行がありすぎた。つぶれねばならないのに、無理につぶさないのは、金融ビックバンの精神にも反するはずだ。
もう1度言う、公的資金導入反対!!
日本の大都市のダイオキシン濃度は、ヨーロッパの大都市の10倍だそうである。そもそも日本ほど焼却炉が多い地域はない。しかもダイオキシン汚染は、単にダイオキシン濃度が高い地域だけが被っているのではない。食物連鎖により、田舎にいる人も含めたすべての日本国民が密かに被害を受けつつあるのだ。
その影響は深刻なものだ。まずガン等の発症率が高くなる。これは先日の茨城県での処理場差止訴訟でも問題となった。その地域では50%もの人がガンで亡くなっているそうだ(日本人平均28%)。
そしてダイオキシンは女性ホルモンと類似の働きをするので、精子の減少や出生における男児の減少をも招くという。このままなら、日本には男がいなくなり、いても種なしになってしまうのだ。
厚生省の対応も遅い。今年11月から一定の数値規制を導入したが、海外では日本の何百倍も厳しい。
ちなみにこれは厚生省や地方自治体、処理場の人だけが解決すればいい問題ではない。ダイオキシンは高温で燃焼すれば発生が減るが、ゴミの分別が不十分なら、その温度も下がるらしい(もっとも京都のような不十分な分別収集では、我々のできることは更に限られてしまうが)。
しかしまあ、日本の政府は大企業の破産倒産には手厚いのに、ダイオキシンで苦しんでいる人には酷なことをする。恥ずかしながら、私は涙が止まらない。尚、この問題は本学法学部政治学科で取り上げるつもりだ。
最近ちょっとだけついてるので、いいことあるかな。紅葉見に行く予定だけど・・。
この1年は早かったなー。でも年を取るって、イヤだね。オジさんだよ、も〜。
以前なら肉等の発泡スチロールの容器も普通のゴミと一緒に捨てていた。そしてそれは京都のゴミの現状からすればやむを得ないことだと思ってきた。でもスーパーで回収をしているのだから、俺も最低限のことはしないと、と思うようになった。
ただ、プラスチック等を含むゴミ、不燃ゴミも普通ゴミとして可燃ゴミと一緒に捨てねばならない京都市のゴミ政策が変わらない限り、俺には現状以上に努力する余地は少ない。京都のダイオキシンは相当ひどい筈だ。こんな京都で環境会議をするのに、京都市長はよく恥ずかしくないなあ、と思う。
例えば京都市は一方で環境対策と称して一部の市内電車の復活を掲げつつ、今年地下鉄東西線を開通させ、また、京都市北部に高速道路を引っ張ることに夢中みたいだ。フランス風橋の問題でもそうだが、全く理解できない政策が多すぎる。本当にひどい自治体である。
ああ、また愚痴になってしまった・・・。自分でできることをやるだけでは、京都では環境問題の解決につながらないんだ。
俺が問題にしたかったのは彼の話の内容だ。彼は「世の中で腹の立つことがある」と前置きした上で、彼が自転車の駅前撤去に引っかかった点を言い、担当者に「訴えてやる」と文句を言ったが、お金(2500円+1日50円)を払わないと返してもらえないのが気に入らず、自転車をそのままにした、と話した。
俺も京都の自転車行政には文句を言いたい。しかしそれは正当な請願ないし、投票による行動で示すのが原則である。俺もたまに指定外の所に置くが(でも大抵は駐輪場が満車の時)、それは少なくとも他人に堂々と言えることではない。
裁判所に訴えも出来ないことでぎゃーぎゃー言い、かつ平然としてられる神経を持っていることには疑問は覚えるが文句はない、が、それを若いファンにまで伝染させないでもらいたい。ファンにこんな話をしては、いくら綺麗な詩を作っても、それは詩を歌ったこと、つまり歌手として伝えるべき心を歌ったことにはならないのではなかろうか。
もし「世の中で腹の立つことがある」と前置きするなら、例えばエイズとか、環境問題とか、意味のあることを語って欲しかった。
でも5分待ってもかかってこない。しょうがないからこっちから電話した・・・が20回ベルを鳴らしてもつながらない。
10分後、30分後、1時間後・・・つながらない。普通、公衆電話でカードの度数が無くなったために電話が切れる場合は、直前に「ブー」という音が鳴って切れるが、それがなかった以上、実家から母は電話していたとしか考えられない。
連休だからどっか別のとこに行っている可能性もなくもないが、そもそも旅行から帰った、という電話なのに、更に行くのは変だ。
いろいろ考えているうちに0時になる。まだつながらない。
母の勤務している病院に電話して、勤務予定を確認する。明日(2日)は朝から半日の出勤。ということは絶対家から電話していた筈・・・盗むものなんてない我が家で何か事件が起きた、と考えざるをえない気もしてきた・・。
警察ざたにするのも、と思うが、京都にいる俺が広島の状況を確認するのは難しい。実家近くにいる友人(みんな広島離れててなかなか見つからなかったのだが)を探し、見に行ってもらった。
・・・電話を待つ・・・
何のこともない。電話の故障だったらしい・・・。
ご迷惑をお掛けした皆様、本当にありがとうございました。
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