藤本一郎の「つれづれなるままに」
1997 4月〜6月

6月17日 審判

 この間の日曜日、どうしても納得のいかないことがあった。

 広島対巨人、8回裏2死、巨人のセカンドゴロが内野安打と判定された。

 いつもそうだが、微妙な判定の8割以上は巨人優位に出る。この日は、このせいで広島は負けた。

 今、日本では米国3Aの審判・デミーロが帰国したことで、審判の権威付けの必要性が叫ばれている。しかしながら、星野監督、三村監督が言うように、特定球団の為の審判でしかない現セリーグの現状を見れば、到底審判に権威付けることは不可能だ。

 いっそのこと、競馬や相撲みたいに、審判以外に判定員がいて、微妙なときは「審議の青ランプ」や「ものい(だったっけ?)」がついて、ビデオ等で客観的に判定すべきだ。

 セリーグでは、巨人優位の体制がなくならない限り、このような不祥事は続くのであろうか。


5月23日 私事

 昨日、母方の祖父が亡くなりました。実家は広島ですが、母方の「里」は山口県宇部市にあります。

 少し留守にするので、更新遅れます。私宛のベルはあきません。


5月14日 商法改正と憲法問題、政治改革

 現在、2つの商法改正案の審議が進みつつある。

 1つは、1984年に法制審議会(法務大臣の諮問機関)で問題提起され、13年かけてようやく成立する、会社法の「合併」の改正案。もう1つは、97年、つまり今年の4月になって初めて自民党と経団連で協議して議員立法として成立しようとしている「ストックオプション制」導入の改正案である。

 法案提出までの期間が13年と1ヶ月。どっちも極端な気がしないだろうか。

 まず前者から。従来、いわゆる「六法」(憲・民・刑・商・刑訴・民訴/但し憲法は改正なし)級の法律は、法務大臣の諮問機関たる法制審議会の審議を経て、ほぼ例外なく法案化されてきた。そうすることで、専門家ら(弁護士・学者・中小企業団体・経団連)のオープンな議論を経てきたので、法律にキズは少なかった。

 そもそも法律とは、それが公法であれ、私法であれ、当事者の利益調整がその役割であり、極端な法制度は当事者のどちらかの利益を害してしまうので、国民の権利義務や罪刑法定、あるいは、私的自治に関する重要法案につきこのような審議制度は欠かせない。

 しかしながら、当然このような制度のため、時間がかってしまったのも事実だし、本来、国民の代表者たる政治家が法律を決定すべきなのに、それがなされていないのもまた問題である。近年、議員立法の必要性が各方面で主張されているが、確かに学者の議論にまかしておけばラチがあかないこともある。


 と、いうことで、議員が勉強して、専門家に負けぬ法律案を作成、提出することが求められてきた。しかしながら、今回の「議員立法」は、確かに迅速であったが、必要な当事者関係の調整は万全なのだろうか。また、そもそも議員立法が必要とされるのは、議会制民主主義の維持・発展のためであるが、現在のオール・与党化体制においては、有力「対案」が存在しない。 すなわち、政府案に対置して存在すべき有力案がないので、折角議員立法をしても、民主主義の発展に貢献したかは疑問である。さらに言えば、財界の要請で作成した法案はこんなに早くできるが、例えば1市民が必要とする法案・・・我々パソコンを使う者であれば、「電磁波規制法」とか、1消費者としては「遺伝子組み替え食品規制法」とか・・・が1、2ヶ月で出来るのか?

 そう言うわけで、私は、商法学者が全く正しいとは全然思わないが、今回の議員立法に対して反対する「開かれた商法改正手続きを求める商法学者声明」に賛同します・・・。

 なあ、次の選挙では、まともな政治家を選ぼうよ・・・。私も人のこと言えないけど。

 ということで、思いつきですが、次の選挙までにネット上に「まともな政治家推薦委員会」を作ろうと思います。やはり、国民がイニシャティブをとらないと、ダメだと思いませんか?


5月 7日 母の日

 母の日が近づいている。(来年以降の私にとっては、「試験の日」になるのだけど・・・。)

 今年は久々にプレゼントを贈ることにした。肉体的にも精神的にも頭でっかちの私だが、特に下宿するようになって、両親のありがたさを身にしみて感じるようになってきた。

 大学にも、行かせてもらっている。下宿もさせてもらっている。更に、いつ合格するか分からない司法試験にも理解をしてもらっている。・・・頑張らなければ、頑張ることが、何よりのプレゼントとなるだろう。



4月25日 脳死法案、どう思う?

 4月24日、衆議院で脳死を人の死と認める法案(中山案)が賛成多数で可決された。この法案は臓器移植を容易にするためのものであるが、その為に脳死を人の死とまで認める必要があるのだろうか。脳死と移植との関係が問題となる。

 確かに移植を認めることは必要だと思う。なぜなら、日本人が移植のために海外に行かねばならない(逆に言えば海外なら可能)のは不条理だからである。しかし、脳死を人の死と認めると、例えば脳死体に対する治療は死体に対する治療となるので、医師はおそらく拒絶する(保険も完全に対象外となろう)事態が予想され、現在の日本においては、体のぬくもりのある、多くの脳死者は「患者」として治療されているという社会的実態にそぐわない。

 これに対して、脳死を人の死と認めないと医師は殺人罪に問われるとの批判もあろう。しかしこの批判も当たらない。医師が手術をしても傷害罪に当たらない(正当業務事由[刑法35条])のと同じで、この点は解釈論で十分対応できる。  更に付け加えるなら、厚生省幹部の特別委員会での対応も気になった。「脳死体から移植する必要性を国民に知ってもらうためにもこの法律が必要」との趣旨であったが、これは逆ではないか。国民的コンセンサスがあって法律を作るのが相当ではないか。

 衆議院は通過したが、まだ参議院がある。死という神の領域を決めるのであるから、もっと議論を望みたい。


p.s.
 4月24日、京都大学法学部の辻正美教授(民事法)が亡くなった。心不全だった。私はこの授業に死の前日に初めて出席したが、いくらつまらなかったとはいえ、翌日に亡くなるとは・・・。人間、何があるか分からないものである。


4月20日 「特措法」と高校生

 4月18日は私の塾での第1講であった。私の担当するクラスは「神大英語」「標準英文法」の2つである。約60人の受験生の「命」を預かるわけだ。

 さて、第1講ということで、「俺とテキストを信じろ」とか、いろいろ言うわけだが、神大英語の授業の方では、今年は雑談は社会問題を取り扱ってみよう、と考え、前日(17日)に成立した特措法について話した。

 ところで特措法の話に振るまえに、「昨日国会で通った法律知っているか」と聞いてみたが、生徒全員が知らなかった。正直、私は衝撃を受けた。確かに友達同士で「特措法」の話をするなら、怖い(私もそれは出来なかった)。しかし、本来高等学校とは、社会に出る前の人間に対して、社会とはなんたるかを教えるべき所である。なのに、公立校も私立も社会問題に対してこれほどまでに無関心な生徒しか育てられていないのである。

 せめて私の生徒だけは、単に受験だけに物事を考え抜く生徒にはしたくない、本当にそう思った。


4月18日 17日の国会「特措法」「整備新幹線」

 17日、参議院で特措法が8割の賛成をもって成立し、また、全国新幹線鉄道整備法が衆議院を圧倒的多数で通過した。前者は共産・社民、後者は共産のみが反対した。

 これは国民の間で批判の多かった法律(案)であった。にもかかわらず、このように圧倒的多数で通過するという現在の永田町が正常とは思えない。

 一方では国民の間には永田町に対して、怒りを通り越してあきらめがあまりに広がっている気もする。もはや、怒る気にもなれない、と。

 でもこのまま永田町に好き勝手なことを許して良いのだろうか。我々国民の一票で、必ず制裁を加えるべきである。多分、この人達は議員でなくなるまで正常な感覚を取り戻し得ないのだろうから。


4月16日 悩み

 今、凄く悩んでいる、というより、苦しんでいる。

 時間がない(じゃ、こんなページ作るな、つーに)。少しでもたくさん勉強したい。でもバイト(塾講)はやらねばならぬ、稼ぎが欲しい。彼女にだって会いたいし、少しはカッコつけてみたい。

 俺だけが苦しいわけではない、というのは百も承知だ。ただ愚痴を言いたかっただけ。

 はー。塾も司法試験も競争だねえ、疲れるねえ。もしかしたら、規制緩和も程々にしないと、一部の体力のある人以外はみんな疲れた社会になるかもね・・。


4月14日 最近・・・

 最近、思う。政治好き?の俺でも政治が嫌いになる事が多いなあ、と。

 13日付け朝日新聞朝刊の天声人語。「大政翼賛会」的な政党。沖縄の特措法改正は相当もめると思っていた、が、なんと衆議院の9割が賛成。私には支持政党はないが、私が96年10月に投票した候補も、政党も、私の期待とは裏腹に、特措法改正に賛成してしまった。

 有権者は自己の政治活動の代理として、自分の意見に最も近い政党や政治家を選ぶ。それは難しい「ピープル主権」とか「ナシオン主権」とか持ち出さなくても、当たり前のことである。つまり、国民誰もが賛成する法案で9割賛成なら良い、が、特措法改正はそんなものだったのか。

 以前私は総選挙の際、全部政治家がイヤだとしても、消極的に「よりまし」な政治家を選ぶべき、と主張した。しかし、「よりまし」を選びようもない時代がやってきてしまったのだろうか、それとも、もはや政治はなくても良いのか、あるいは私自身が政党でも作るべきなのだろうか・・・。


4月 9日 花見

 昨日は関西地方は今週唯一の快晴らしいので、お花見に行ってみる。四条河原町(京都の中心)から八坂神社〜知恩院〜平安神宮〜哲学の道と、延々と歩いてみた。

 昨日までの雨のためか、少し風が吹くとすぐ桜吹雪が舞ってしまう。満開の桜も多かったが、場所によっては満開を少し過ぎてしまった桜も目立つ。そういったソメイヨシノの緑は、確かに決して美しくはないが、本格的な春〜夏の到来を予感させる。生命の息吹を感じる。

 そういえばウチの目の前にある枯れ木のような素っ気のない木も、知らない間に新芽で覆い尽くされていた。

 新年度到来、俺も3回生。外見30?との説にもメゲず、一生懸命に新芽を伸ばしていきたい。

P.S.
 知り合いに結構あいました。分かる人には分かると思いますが、「客観的」な比較の対象同士が哲学の道でがっちんこ!


4月 3日 たまには見てね

 今日はふとしたことから勉強そっちのけで調べものをして、HPを作ってしまいました。実は沖縄の特措法改正問題とか、昨日の愛媛玉串訴訟違憲判決とかのHPでも作ろうか、と思っていたのですが、これについても追々作って行くつもりなのでよろしく。

 さて、ゴミだけど、今ダイオキシンの問題とかでゴミ問題は再びクローズアップされている。でも、なんていうか、我々一市民が積極的にゴミ運動をするっていうのはなかなかないよね。たとえば今日は京都市のゴミ行政について批判した(法学部政治学科のところ参照)んだけれど、でも捨てようと思えば何でも持って帰ってくれるのは便利と言えば便利なんだ。燃える者も燃えない者も有害ゴミも全部一緒に出しても怒られないわけだから。

 結局は個人の良心の問題なのかも知れない。でも、そんな風に個人ではどうしようもない事のために行政があるんだから、もちろん我々一市民も頑張るから、京都市も頑張ってよ、って思った4月3日でした。

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