藤本一郎の「つれづれなるままに」
1997 1月〜3月

3月14日 「今日は・・」

 更新が遅れました。あんまり見ている人が多くないから、いっかー、なんて思っていましたが、それでもやはり毎日一定人数がのぞいてくれるので、頑張って書きます。単に藤本個人についてだけでなく、いろんな事を書いていきたいです。

 数日前、就職情報誌の会社から住所確認の電話がありました。曰く「就職協定廃止で・・・」、要するに未だ2回生の私にも、もしかしたら資料が送られてくるかも、とのこと。他人のポストを見ていると怖いですね。資料の山になっても。

 でも、いい加減大学名で採用するのは止めて欲しいですよね。思うに、京大生の多くは、大学名を利用するよりむしろ隠したがっていると思います。だって、誰だって、自分の力を評価されたいでしょ。「京大法学部」藤本一郎、ではなく、「藤本一郎」を評価されたい。ま、どっちにしても就職活動をしないつもりの私には関係ないはずだけど。勉強?してますよ、受験期の6割には戻ったと思います。


 突然ですが、ホワイトデーですよね。私にはあんまり縁のない日でしたが、今年は頑張ってます。お互いのバイトの都合で昨日渡してきました。誕生石の指輪にしました。お金はなくなっても、それでは買えないですよね、渡すときの喜びは、誕生日でもクリスマスでもホワイトデーでも。


2月9日 「試験が2つ終わる」

 やっと試験のうち2つが終わった。専門は9つ登録、7〜8つ受験(憲、民、刑、国際機構、政治史、国際政治、ローマ法、(日本法制史))、最低6つ合格、憲民刑の「優」を狙っている。そのうち国際機構と民法の試験が土曜日(普段は土曜は授業はないのだが、変則的に)にあって、感触的には両方大丈夫だろう。一安心だ。

 一安心ついでに、この間見に行った「エビータ」のサントラを買ってきた。「Don't cry for me, Argentina.」と唱うところを聞いていると涙が出てしまう。今まで朝起きる時にかける目覚まし音楽は尾崎の「Tropic of Graduation」だったが、今日から変更。うむ、朝が益々快適になって起きられなくなるかも。

 そうそう、法学に関心ある者の一人としては、今日の朝日新聞の一面は聞き捨てならぬ内容だったね。愛媛玉串訴訟で最高裁が違憲判決を出すらしい、ということだったが、津地鎮祭訴訟時に出された「目的効果論」を遵守しつつも、違憲判決を出すということに多少驚きを覚えた。最高裁が宗教関係で違憲判決を出せない、と思っていたからだ。

 ・・・あんまりネタがないのでチグハグなものを書きました。また今度まともなものを書きますね。最後一言、メジロブライトは三冠制覇するよ!。


2月2日 「エビータ」

 昨日は大学の試験勉強の合間に映画を見に行った。噂の「エビータ」である。

 エビータとはアルゼンチンで私生児として生まれ、遂には大統領夫人となったものの33歳の若さで死んだ実在の人物の名前である。これをマドンナが演じていた。

 早速感想だが、気が早いが、今年最高の映画となるのではないだろうか。ミュージカルでの演出は、せりふというか曲は単調なはずなのに、全くそれを感じさせない迫力と強弱、あと、演技の中でのエビータ=マドンナの輝き、どれも最高であった。

 もう1語感想を加えるなら、あの映画の中のような、政治への情熱が、今の日本にも欲しいと思った。とにかく、是非見に行って欲しい。


1月31日 「破防法の適用について」

 本日、公安調査庁は、オウム心理教に対して破防法(破壊活動防止法)を適用しないことを決定する予定だ。

 ここを見てくれる人の中には、「オウムのような凶悪団体はとことんやっつけるべき」と思う人もいるかもしれないが、この法律を適用すると、その団体の活動が全て非合法とされてしまう恐ろしい法律なので、オウムに危険性が小さくなった以上、まずは適用しないとする決定には賛同したい。

 しかし、だ。こんな恐ろしい法律を適用するか否かを公安調査庁という行政機関の一存で決定できるのはどう考えてもおかしい。また、この法律そのものが危険すぎる。

 そもそもこの法律の2条で「この法律は、国民の基本的人権に重大な関係を有するものであるから、・・最小限度においてのみ適用すべき」と書いてある程である。更に3条の1項や2項でもより具体的に人権制限の危険性を指摘している。法律そのものが「私は危険な法律です」とまず最初に認めている法律である。しかも、適用に関しては、司法ではなく、1行政機関が行うわけだ。

 そんな訳だから、法律の専門家を中心に「破防法のオウム適用反対」の声が大きく上がり、公安調査庁もその反応から適用を見送ったもの、と考える。しかし、法律そのものは否定された訳ではない。この法律は団体のみならず個人も規制することが可能である。我々が気づいた時には私とあなたを規制している法律となっているかも、しれない。


1月29日 「英作文」

 昨日はずっと今日の(自分が教える)授業の予習+生徒の英作の添削をしていた。本当なら民法の勉強もしたかったのに、出来なかった。英作の添削が遅々として進まなかったからだ。あまりに出来ていない。高2の、まずまず上位レベル(中の上平均かな)で、志望校だけを見れば、阪大だの医学部だの書いている奴らなのに。

 英作文が出来ない理由は、はっきりしている。学校の授業がひどいからだ。和文和訳を教えない、難しく書くことばかり教えて易しく書くことを教えない、生徒の英文の添削をしない・・・。今、私が教えている生徒は1年後に間にあるだろうが、しかしもしここで塾をやめてしまうなら、彼女らの入試での英作は0点か、それに近い点になるだろう。

 学校では「話せる」英語を教えないと、よく問題になる。それならせめて英作等の、「書ける」英語なら教えられているか、というと、そうでもない。ただ熟語や単語を教えるだけ。そのツケが、塾に行かねばならないという事態を引き起こす。「エンジェル計数」を上昇させ、生活のゆとりを奪っていく。

 公的教育で真に改革すべきは制度ではなく内容である。私は昨日、改めて思った。


1月28日 「中高一貫教育を考える」

 昨日は大阪の**進学塾に行った。帰路、大阪環状線の「アエラ」の広告が目にとまる。公立中学・高校での一貫教育に関する記事らしい。すぐ京橋駅でアエラを買った。中教審が6月に公立校での中高一貫教育の導入を柱とする答申を出すのは確実のようだ。


 私は中高と公立学校に通った。成績も人並み以上ではあったかもしれないが、しかし高2までは「京大を目指す」なんてもってのほか、だった。もし、私の青春期(←死語)に中高一貫校しか存在しなければ、間違いなく浪人しても京大なんぞには行っていない。

 競馬の馬にも、「早熟」「晩成」や「短距離馬」「長距離馬」があるように、人間にも、興味を持つ分野や時期によって、さまざまなタイプが存在している。確かに高校入試がなければ、高校入試にしか役に立たない「無駄」な勉強が省けて、私立進学校のように中2から物理をやったり、世界史をやったりできる。高2までに全課程を終わることが出来る。そういう学校が一部存在することは、そういうのが良いと思う人がいる以上、まあ、良い。

 問題なのは、全員が中学受験を受けねばならなくなったとき、十分に才能を発揮することなく大きくなったり、逆に12歳という若さで人生に絶望したりするような人が確実に発生することだ。

 大体、真にゆとりある教育を目指すなら、大学の評価や内容といった、もっと教育の上部構造から改革すべきである。もっといえば、その上の社会的評価から改めるべきだ(確かにこれについても改革は進みつつあるが、一部を除けば単に一般教育が相対的に軽視されるようになった、程度のものである)。私は確かに京大生だが、京大生としてより、一個人の藤本一郎として評価されたい。今回の一貫教育改革案は、真のゆとり、真の教育改革ではなく、既存の評価体系に基づく、受験戦争の激化や落ちこぼれの増加をもたらすだけの、「改悪」ではないだろうか。


1月27日 「大学入試センターを考える」

 今日は「センター・浪人切り捨て」から、いろいろな事を考えたい。

 気になることが1つ。浪人切り捨てに対して、受験界であっても反応が小さすぎる。試験だから仕方ない、選択できたから仕方ない・・・本当に「仕方ない」のか?


 少し話を飛躍させたい。
 我々日本人は、つねに、お役人を「お上」と言って、言われるがままに行動してきた。その結果として選挙に行っても何も変わらない、行っても無駄という感覚が強い。
 しかし、役人や政治家を含めた、公務員を選定することは我々の権利であり(憲16条1項)、義務でもある。全体の奉仕者でなく一部の奉仕者でしかない(憲16条2項参照)役人を放っておいて良いのか。

 センター試験を作る当人は大学等の先生方だが、それを作らせているのは官僚である。お国のものである。だから意見を言わないのか?。いろいろな人々が、官僚や政治家のやることを常に監視しなければならないのではないだろうか。今回の一件も行き過ぎ(抗議の仕方など)はいけないと思うが、しかし放置しては、また官僚をつけあがらせるだけでなく、我々の国民としての権利を放棄し・義務を不履行することになるのではないだろうか。


 是非とも、一種の行政監視のつもりでも、今回の「浪人切り捨て」を検討していただきたいと思う。


今後もよろしくね。


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