なぜ、タカラヅカ?  
       
なぜタカラヅカが好きなのですか? と問われたら…。残念ながらそういう経験はあまりなく、「あ、ヅカファンなのね、踏み込まないでおこう」みたいな対応が多いのですが(笑)、もし問われたら。

最初のきっかけは男役芸でした。男役の動作が、とても素敵に見えたのです。歌舞伎の見得のようでもあり、お色気むんむんでもあり。これは少女が恋する理想の男性像なのか? それとも、少女がなりたかった男性像なのか? 歌舞伎の芸とはどう通ずるのか? レビュー全盛期は女性でも男性でもこういう輝き方があったのか? 

また、私はそうではありませんでしたが、華やかさに惹かれたという人は多いようです。電飾がぴかぴか、衣装も舞台も、鮮やかな色彩でデコラティブ。ディズニーランド好きとヅカファンはかなりの率で重なっていると思われます。今、ああいった華やかさは、遊園地でしか見られないのかもしれません。ご存知のとおり、タカラヅカは遊園地のアトラクションの一つでした。親会社阪急は、郊外を開発し、電車を通し、デパートを作った、プチブル市民生活の先駆者。はてさてその文化は、一億総中流時代から不況の時代を経て、一体どこへ行くのか?

ところで、きっかけはともかく、私が嵌って出てこられなくなったのは、タカラヅカが持っている共同体幻想のせいだと考えています。ファンどうしの連帯感、自分たちがタカラヅカを、スターを作っているのだという自負、ファンだった子が入団し、また退団していき、ファンと内部関係者とが渾然一体となった、共同体としてのタカラヅカ。少女の趣味は閉鎖的なものが多いと言うけれど、それはなぜなのか?

よそでは今時見られない、「夢のある」お話しも、惹かれる理由の一つだと思います。主人公がたとえ死んでしまっても、悲劇であっても、決して絶望して死ぬわけではない。ラブあり、ドリームあり。どこか時代劇にも通じるような? こういうお話しっていつから世間では否定されるようになったんだろう?

そして、私をはじめファンの多くが異常なまでの熱意(つまりお金と時間)をかけて追っかけをしてしまう最大の要因は、限りあるものだからであることは、誰しも想像がつくでしょう。10年かけて培った男役芸を、たった数年で終わりにし、その散り際が美しければ美しいほど評価される。限りある命であることは、悲しまれながらも尊ばれる。この矛盾。

これらの裏には、根底には、一体何が流れているのか。一本につなぐ線があるのかどうか。他の文化とどのようにつながっていくのか。私はその鉱脈を、まだ探り始めたばかりです。 ('04.11.19)

 
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