タカラジェンヌの条件 2  
       
タカラジェンヌの条件 2

時代はさかのぼって。高砂松子とは違って、一度結婚退団したけれどもその後すぐ復帰した人たちがいる。その人たちに対するファンの反応が興味深い。なんと、歓迎されているのだ。

たとえば、1927(昭和2)年に復帰した住江岸子。『歌劇』には、わざわざ見開きを使ってまで、復帰を歓迎する記事が掲載されている。

「「十三鐘」を名残にして、一度も宝塚へ顔さえ見せぬ住江さんが、此度、思い掛けもなく、本当に思い掛けもなく、再び宝塚に帰って来る−夢、夢と云うのさえ、この悦びの心にはそぐわぬ淡々しわを感ぜしめられる。」(『歌劇』昭和2.9 「再び宝塚に住江岸子を迎えて」p58)

見開き記事や「高声低声」の記述から推察するに、住江はどうやら、結婚生活をやめて戻ってきたのではないか。「純然たる舞台芸術家である住江岸子さんは到底その芸術に対する執着心を捨てる事が出来なくなって帰ってこられたのでしょう」(『歌劇』1927(昭和2).9 「高声低声」p86)

一度結婚しても、結婚生活を振り切ったら、それはオッケーということ?? だとしても、今だったら、元星組トップスター麻路さきさんが、「やっぱり結婚やめました、ブラジルから帰ってきます、また出させてください」って言うことで、これまた100%ありえませんねえ。しかし当時は、どうやら「一度結婚したらもうオトメじゃない!」ってぇわけじゃないらしいのだ。

そこで手がかりになるのが、結婚とは直接関係ないけれど、1930(昭和5)〜1931(昭和6)年頃に復帰した人たちのこと。この頃は、小林一三が作った国民座に移るために退団したけれども、国民座がつぶれちゃったので復帰したという人が何人かいたようだ。

その人たちへのファンの声。
「僕は絶対反対だ、歌劇の生徒が、国民座へ行くのはまだ自然だが、国民座から歌劇へ来るなんて、まるで歌劇団と国民座の区別がなくなってしまう。関守さんだって歌劇が嫌になったか女優になりたくなったか、理由は知らないが、国民座へ行って、又歌劇団へ帰って来るとは。なぜ宝塚ではこんな勝手なことを許すのであるか、会社の都合で、国民座へ行け歌劇へ帰れというのなら会社が悪いし、関守さんが自分で行ったり帰ったりするのなら、あんまり少女歌劇を馬鹿にしている」(『歌劇』1930(昭和5).12 「高声低声」p83)

同じ「復帰」でも、この違いは何でしょう。数年でファンの気質が変わったのか? 大体、関守さん(関守須磨子)は、結婚退団したわけじゃないじゃん。だったら、世間的な意味でのオトメであるかどうかは問題ないじゃん。ひょっとして問題は「結婚」ではない?

キーワードは「一途さ」ではないだろうか。結婚生活をなげうっても宝塚に戻ってくる、宝塚に対する一途さ。なんてすばらしいのかしら! ほかの劇団がダメだったから宝塚に戻ってくる、それは宝塚に対して一途じゃない、冒涜よ! あっちがダメならこっち、そんな気持ちはオトメにふさわしくない! 

問題は結婚したかどうかじゃない。一途かどうかだ。結婚生活がダメだったから復帰する、それは×。結婚生活に問題なくてもそれをなげうつ、それが○。だって、タカラジェンヌは巫女だもの。神に仕える身なのだから、神様以外の男と関係を持ってはいけないのです。そんなことしたら、巫女の能力はなくなってしまうのよ。もちろん、違う神様に浮気をするのもだめ。ただ一途に、宝塚の神様にお仕えするのです!!

なーんて。でも、今だって、元トップスターの香寿たつきが、「じつは在団中に大学受験をしてました」というのは、退団後のインタビューで明かしたこと(*1)。もし在団中に明らかにしていたら、バッシングの嵐だっただろう。

今は、昔にくらべて制約が少ない。結婚したらコレコレをしちゃいけない、なんてことは減ってるはずだ。働くことと妻であることを両立させるのがかっこいいと思う人も多い。なのに宝塚だけが逆行してしまった。一途なオトメであるべきだってことを、何度かにわたって確認して、両立してはいけないってルールを確立してしまった。不思議なことだ。もちろん、その特異性が宝塚を長生きさせているのかもしれないのだから、白井、高木、内海の判断は正しかったとは思うけれど。('06.5.3)


*1 『宝塚ゼミ03年前期』鶴岡英理子編著 青弓社 2003

 
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