(上) 独特の形状をした戦斗司令所
 1904(明治37)年2月の日露戦争勃発後、函館要塞でも各種の臨時防御工事が実施されているが、その中の一つにこの戦斗司令所(当時の史料では「地区砲兵長ノ司令所兼砲兵指揮官ノ司令所」、「海正面地区砲兵指揮官司令所」のように記述)が含まれていた。御殿山第一砲台・〃第二砲台・千畳敷砲台を指揮するための施設であったようだが、竣工は翌年の12月10日で、既に講和となっていた。
 南側(上部奥)の観測室に測遠機台が残る。その手前の空間では、東西両側の下部に電話室との連絡窓が4箇所ずつ設けられている。

戦斗司令所

 (上) 南側より見た戦斗司令所
 背後に御殿山第一砲台のあった函館山山頂が見える。御殿山第一砲台・〃第二砲台・千畳敷砲台を指揮するため、これらの砲台よりも前線(南側)に位置している。
 (上) 終戦時の戦斗司令所 写真提供:「青森空襲を記録する会」中村和彦様
 階段室にかかる屋根や、煉瓦壁にはめこまれた窓枠が確認できる。
 中村様によりますと、戦略爆撃調査団資料の中にある、室蘭の艦砲射撃調査団が函館を調査した際に撮影された写真とのことです。撮影日は昭和20年10月14日。(国会図書館がアメリカ国立公文書館からマイクロフィルムで購入しており閲覧可能だそうです) 大変貴重な写真をありがとうございました。
 (上) 南東より見た戦斗司令所
 写真より左側のすぐ真横に千畳敷砲台の臼砲用砲座が残る。背後に見える白い建物は、千畳敷砲台の28cm榴弾砲用第二砲座の位置に戦後建てられたもの。
(左)(上) 戦斗司令所の出入口
 司令所出入口は西側にある。北東方向の眼下に、函館市街地が見える。
 (上) 北側の掩蔽部(正面)と西側電話待機室(右側)