しつこく宮崎話というか『ナウシカ』話
 筆者は宮崎アニメに興味がなく、まるっきりの守備範囲外、宮崎とジブ リからの日本アニメを語るには不適格である【*1】。誰かきちんとした人間が語ればいいと、語るべきだとと思っているが、宮崎について常々思っていること を書きたいと思う。今回は主に『ナウシカ』 の話をする。『スカイキャプテン』ネタの補遺編と言うことで軽く読み流していただきたい。

 『風の谷のナウシカ』の(今fepに「の」が多いと怒られた)世界観はどこから来ているのだろうか?

 よく言われるのが、「蟲が出てくるから『デューン』だろう」という意見である。「異世界に於いて、 巨蟲と心を通わす救世主」、確かに言葉にするとそれは 『デューン』(第一作『砂の惑星』)の世界観である。筆者も『デューン』は『ナウシカ』に対してかなりの影響(もしくは元ネタ化)を与えていると考えてい る。また、『ナウシカ』はデザイン・絵柄と共にフランス漫画(フレンチコミックスとかバンドデシネ(=BD)とかいうがわかりやすいのでこう書く)界の第 一人者、ジャン・”メビウス”・ジローの影響を強く受けている【*2】が、メビウスは映画『デューン/砂の惑星』(監督:デビッド・リンチ)以前の企画 (監督はA・ホドロフスキーの予定だった)では衣装などのデザインを手がけている。つまり宮崎は”フード付きの帽子”などのメビウス的世界的キーワードを 継承することにより実現しなかったホドロフスキー版デューン世界をも表現しているとは考えられないだろうか。『ナウシカ』はプロットと絵柄に於いて2重に 『デューン』世界を基にしていると言えるのだ。

 宮崎駿は単純な剽窃はしない男である。影響を受けたストーリー・デザイン・世界観・思想などを巧妙にミックスしてオリジナルに見える世界を構築できる男 なのだ。(日本人の鑑と言えよう。)『ナウシカ』でも宮崎の世界観構築は巧妙である。宮崎は『デューン』世界の象徴「砂漠」を捨て、砂漠と正反対の世界を 採ることとした。「森」と「植物」そして「海」である。人類にとって驚異となる「腐海」を意志を持って癒す「森」のイメージは未来の地球に於いて、地球を 支配する絶対的な力として描かれた小説、B・W・オールディズの『地球の長い午後』から引用されたとされる説がある。余談だが『ナウシカ』で妙に老人が活 躍するのは同じくオールディズの『グレイベアド』の影響かと思われる。
 また泥やごみ生物の死骸が堆積し、異形の生物が跋扈する世界、「腐海」は、「深海底」のイメージから来ていると考えられる。つまり腐海の上を飛ぶメー ヴェは海に浮かぶボートなのである。これは『ラピュタ』もだが『ナウシカ』に於ける空中戦はそのような意味も含め海戦でもあるのだ。

 『ナウシカ』では捨てられた「砂漠」いや「沙漠」はちょっと変わった形で次作で採用される ことになった。『天空の城ラピュタ』の空中海賊船は福島鉄次の 絵物語『沙漠の魔王』から引用されているというのだ。この指摘は知り合いのO氏からのものだが、彼の言葉を引用すると、「『福島鉄次』と『フライシャー』 という宮崎駿自体が影響された作家として、何度も発言しているオリジナルを見落とす人間は、宮崎の作品も見ているようで見ていない馬鹿者と断言する」い や、深い。俺は宮崎ファンでなくて良かった。

 また、同じように『デューン』に於いてもっとも重要な意味を持つアイテム、「麻薬≪メランジ≫」を宮崎が採らなかった理由は明白である。麻薬=資本主義 社会の堕落は子供向きには生々しく堕落的すぎるからである。子供の見る作品で語るべきではないとの判断だろう。

 それからよく宮崎駿は『エコじじい』とか言われるが、明確にエコロジーを打ち出していたのは『ナウシカ』のみであり、宮崎駿は毎回テーマを変えて作品を 作っている。エコロジーというキーワードだけで宮崎作品を語るのは軽率である。(『ロリコンじじい』は正解。『カリオストロの城』でロリコンという名詞を 一般化したのも宮崎。)

これもO氏からの指摘でまんま引用するが:

「宮崎の作品内容は日本の標準的左翼シンパの生活人のもので、
ホルス:労働環境の悪い東映動画での組合委員長を演出に迎えた団結の話。
パンダ・ハイジ:左翼の理屈先行の運動から日常の見直し
コナン・ナウシカ:核というコントロール不能の問題(ルパン第2シーズンの最終回)
ナウシカ:エコロジー
トトロ:外国の思想ではなく、日本人は日本を描かないと
千と千尋:今子供に何を語るのか
と、とても素直です。」

 妥当な意見である。それとは別に筆者の意見としては、宮崎の理想とする世界は原始共産制【*3】なのではないか、というのがある。まぁ要はムラの長老も しくは語り部となって語りたいわけだ。知識人たるべく政治的社会的思想でも、子供に聞かせるべき話でも日本の語り部・知識人としての自分が理想なのだろう と考える。そばに小さい子供でもいれば尚理想で、『ジブリの森』は宮崎が長老もしくは語り部となる小さなムラのような宮崎にとって理想の場所であると筆者 は考える。

 話を元に戻して、『ナウシカ』についてまとめると『デューン』+『地球の長い午後』のプロットとキーワードを換骨奪胎して自らのセンスと左翼的エコロ ジー思想を盛り込み、”メビウス”のタッチで描写したものが『風の谷のナウシカ』なのだ。

 筆者が『ナウシカ』について思うことは、エコでも何でもいいがジブリがトップクラフトを吸収したならば、吸収前のトップクラフト(または旧ビデオクラフ ト)作品をジブリできちんと出す義務があるのでは、ということだ。出せ。

 それから、お前らは宮崎云々言う前にもっと本を読め!SFを読め!

 では、筆者専門のルーニーテューンズに戻ることにしよう。資料どこ、どこ?
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【*1】ここで言う宮崎アニメというのは主に『ナウシカ』以降を指す。

【*2】これは宮崎駿自身が証言していることであり、その影響は『ナウシカ』以前の作品にも色濃く表れている。わかりやすい例で説明すると、『ラムダ』 は、前述スーパーマンのロボット+メビウスのメカ(←クリックで拡大)との融合である。
 スーパーマンのロボットのマンガ的ウソ(プロペラや腕<−>羽根の処理)を多少はウソを残してもリアルかつスマートに解決し、ゴツゴツ角張ったデザイン をメビウス調の楕円をモチーフとしたデザインに作り替えた『ラムダ』のデザイン(本当はデザインの再構築)は、実にいい仕事だと思う。
 色に関しては、あの色で新品というのはヤリスギだとは思うが、宮崎の中ではデザイン中既に、『ラピュタ』時に於ける朽ちたロボットのイメージがあったの ではないだろうかと考える。(まぁメビウスなんだけど)

【*3】「今の宮崎の理想は原始共産制のムラの中で長老となり、処女権を行使することである」と、筆者の暗黒面が発言したが、脱線過ぎるので註とする。