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年代のちがい
資料によると、3つほどが考えられます。
一つは、『山庄略由来』によると、947年から956年とあります。時代背景を考えますと、940年ごろ平将門の乱があり、地方では、荘園の力が強くなり、中央に従わないという風潮が出始めています。946年に立った村上帝は、天皇親政をかけ声に中央の権力を強めようと、地方に派遣されて、地方と癒着している貴族たちをおさえるため、安寿たちの父正氏のように失脚する人たちもあったとかんがえられます。山椒太夫のような地方に力を蓄えたものが権力をにぎっていたと考えられます。
二つ目は、『説教節』でいう、正氏は、平将門の孫という話でいうと、それより40年ほどは、後ということになります。
三つ目は、鴎外のいう、正氏失脚を1081年としています
ただ、この年代を考える上で、鴎外は歴史の事実にこだわらない(後に説明)といっています。もうひとつは、人身売買、船での大量貿易、などから、時代の様子を察することです。
研究の進め方
1 年代の違い
2 安寿は生きていたか
3 山椒太夫の最後
おしまいにこれらを総合的に検証します。

山椒太夫の謎

森鴎外が1915年に発表して以来、あまりにも有名ですが、その原因をさぐり、中世以来の物語との関連をみながら、現代としての魅力を調べたいと思います。
右の写真は、山椒太夫の屋敷跡と屋敷の中にあったという船着き場の跡および屋敷跡の供養塔

日本児童文学者協会京都支部
北京都担当 三宅正幸

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virtual 北京都童話館
このホームページは、童話の研究のためのコーナーです。