のページはドンファンママの気ままなおしゃべりのページです!
時には独り言、時には詩的に、ママの人生の喜怒哀楽、etc...
皆が少しでも『うん、うん。』 と思ってくれたら嬉しいな・・
 
、このページでは恋愛相談、人生相談など、
ドンファンのママがメールでお答えします。
大っぴらに聞けない事もOKよ。豊富な人生体験で
『ドン』と来いと、もの云わせてもらいます。
遠慮なくメールしてください。(内容は記載されません。ご安心を)
 
 
    鵜呑みに出来ない情報の氾濫  06.2/1

本当にこわ〜い。一体、何が真実なのだろう、どこまで信じたらいいの?
70余年生きて来た私も判断がつかない情報が、洪水のように押し寄せる。
インターネットを通じての情報は、一瞬のうちに広がる。
最近の風説で一番ショックを受けた2つの事。あえて、風説とする。
ニューヨークの9,11のテロ。あれは、アメリカの自作自演であり、
イスラムに対する憎悪を助長させる為の行為という風説。
いくら何でも、自国民を殺してまでそんな事をする?! 私には、とてもとても
信用できない。
もう一つは、中国の農地が、農薬その他で汚染されてしまって、極端な所では、
芝生を緑色に塗り替え、滝ノ水は、赤茶けたどす黒い水となって落ちている。
と、いう風説。 しかもアメリカの話も中国の話も、映像入りでネットで流されている。
勿論それは、個人のブログ等を通じてである。
ブログ、私は、これまた恐ろしい伝達の手段だと思っている。勿論、非常に役立つ場合
もある。
 兎に角、ショッキングな映像や話で、消化不良や、睡眠不足になり、心が痛む。私の
残された時間,寿命は、生きて来た時間の何パーセントも無いのだもの。大事にしなくちゃ。
氾濫し、押し寄せる情報を、自分の中で、いかに処理するか。
先ず、あまりにもあり得ないような事件や事象は、一応、鵜呑みにしないで、
一旦、自分の中で咀嚼し、それから、<いつ><誰が><どこで>
云ったのか、見たのかを、しっかりと確認してから判断しても遅くない。
今、そんな事を考えている。

 

    師走の雲  05’12/13

 ガラス窓越しに見る東京の空も悪くない。
小春日和と云うには当たらない寒さなのだが、めずらしく晴れ渡った今日の空を
眺めていると、ぽっかりと浮かんだ雲は漂いもせず、まるで、時間が止まったかの
ような錯覚がする。
ああ、錯覚でなく、このまま時間が止まってくれないかしら。

 

  涼風    05'9/10(土) 

 『ぼ、く、た、ち。』と、節をつけたソプラノの声がすると同時に、
シルバー席に座っていた小学生が、慌てて立ち上がり、ソプラノ夫人に
席を譲った。夫人は友だちらしき同じような年輩の夫人と、悠々と、優雅に
その席に座り、涼しい顔をしている。
明らかに80代、それも後半に見える。
直ぐに席を立った少年達も、可愛い顔をして、何となく家庭の躾を思わせた。

季節の涼しさだけでない涼風を感じた『時』でした。

なんで、こんな、さもない事を書く気になったかというと、この何年来、
電車やバスに乗る度に焦れったく感じたり、苛立たしい思いをして来た私が
久々に気持ちのいい場面を見たからなんです。同時に、年と共に優雅に自分を
を主張できるちょっと年上のソプラノ夫人への共感もあるからです。
あの場合、自分達が席に座りたいだけでなく、子供達へのさりげない教育を
垣間見て、うれしくもあったのです。

私の場合は、3人席に2人がどかっと座ってる場合、(少しごめんね)と、手
を添えて私が座れる分だけ空けてもらう。精一杯の笑顔を作ってね。
だから私の場合は何の心配もいらないのだけど、それが出来なくて、でも
そこに座りたくて、もじもじと立ってる若者を見ると、ホントに苛立ってしまう。
知らん振りして、いや、悪気もなく携帯に熱中している女の子にもね。

何故言えないの?なんで知らん振りなの?もう少し自分を見たら!?
まわりに気を使ったら!?、、、など、など。
終いには、この女の子、どんな親になるのかなあ。あげくの果ての想像だが
きっと夫とのセックスも最悪、下手だよと、ようやく溜飲を下げる。

人を愛すといっても、本当にちょっとした気配りから始まるのだもの。

可愛く、凛とした年寄り(今でも充分年寄りだけど)にならなくっちゃ。。。



2005年8月2日(火)戦後60年

 あれから60年経つのですね。私が12歳でしたもの。
私自身の気持ちとしては、この半世紀の中で少しずつ少しずつ傷も風化し
父への思いも昇華され、今は、戦争と云う悪も、時の流れを見ているよう
な、静かな心で受け止めています。
けれども、
戦争ほど悲惨なものは無い。戦争だけはしてはならないという事実を、
体験者として、また、大人として語り伝えなければいけないとの思いも
あって、今、昇華された父への想いを鎮魂歌として書きはじめました。
100枚になるか200枚になるか分かりませんが、これは同時に、自分自身
への鎮魂歌なのかも知れません。
  野に咲く花      


2005年7月26日(火) 店、27歳

 昨日7月25日は、ドンファンの誕生日でした。
丁度、丸25年になります。最初、ドンと云う店を任されて
2年やりましたので、それを足すと27年というわけです。
7年前に20周年記念パーティをした時は、カラオケが主で、週末に
1日だけジャズ演奏をやってましたが、それも、土日を休みにして
たので、まあ、土曜日は勝手にやればーと、ひでに解放?したのでした。
2年やったドンで、お客さまが野球チームを作ろうと云う事になり、
俺達ドンのファンだからチーム名をドンファンズにしようと云う事に
なりました。
任されたドンは、2年で閉める事になり、元々日本料理店などをしてた
事だし、また、独立するしかないと、たまたま新大塚駅前にあった店で
ドンの続きをすることになりました。
その時の気持ちは、このまま止めたらドンファンズの皆に申し訳ない
と、それだけでした。だって、ユニフォームは作ったし、土曜の夜は
朝迄飲んでいて、そのまま試合に行く時の少年に帰ったようなお客様達の
顔を思うと、とても、はい、さようならとは言えませんでした。
今迄どうにかドンファンをやってこられたのも、彼等の、いや、そう
いったお客さまに支えられてのものなのです。
さて、新大塚の店の名前ですが、そんなわけで、ドンファンにしました。
ドンのファンと、よか男たちの意味を込めて。
折からの好景気もあって、毎日毎日面白い程忙しかったよ。
15年そこでやって、手狭になったし、店にピアノも置きたいと、現在の
所に移りました。新大塚駅から5分の所だし、みんなみんな、移動して
こちらに来てくれました。来て下さったのです。
やがて、景気も下り坂。家庭内でも色々な事があり、今の店に移ってから
2年位した時に強力な助っ人店員しのぶちゃんがやって来ました。
今では皆さん御存じのとうり、私は彼女におんぶされて楽してます。
本格的にジャズの店にしてから丸7年になりました。
本当にお客さまとミュージシャン、スタッフには感謝しっぱなしです。
特にドラマー原大力、大ちゃん無しには今のドンファンは無かったかも
と、感謝しています。大ちゃんありがとう。ついでにひであきにも。
3年後、30周年パーティをやらなくちゃね。ママも切りよく75才だし。
まなさん、よろしくお願いしま〜す、です。

 

2005年6月19日(日)父への手紙

   中武俊顕さまへ
今日は6月19日父さんの命日です。あれから早や六十余年になります。
 昭和20年ですから、終戦の2か月前の事です。
あとちょっとで戦争が終わったのにと、その悔しさは言い表せません。
戦死の広報を母が手にした時の悲しさ、無念が、昨日の事のように胸を
しめつけます。
父さんは、フィリピンのマニラから、よく、手紙や葉書をくれましたよね
子供達一人一人の名前を書いて。でも、一番沢山貰ったのは私だった。
長女だったし。母さんの手伝いをしてる私の様子が見えてたんだと思う。
どんなことがあっても戦争だけは否定しなければならないが、父さんも
母さんも、お国の為という気持ちは誰よりも強くあったと、子供乍ら理解
してました。陸軍であり乍ら、海軍の訓練をしてたんだよね。それも、
潜水艦に乗るという、その頃10才位だった私でさえ何故?と思ったもの。
きっと陸軍と海軍の仲が悪くて、功名争いをしてるのかなと子供心に思ったよ。
   広島の宇品から潜水艦の隊長として南方へ出発する前家に帰ったのを
のを覚えています。6人の子供達と寝ながら、『よーそろー』とか云って船
の話をしてくれたよね。朝になると昔のように、起きる頃必ず大きなおなら
をして子供達が『わあ〜っ』と布団から飛び出して逃げるのを喜んだりとか
そんな光景を思い出しては涙が溢れて来ます。
父さんが戦死した後の母さんは、父さんのように矢張り学校の先生になって
私達を育ててくれたんだけど、体が弱くて常にお手伝いさんに頼りっきり
だったのが、その後の母さんは、それはそれは偉かった。立派だった。
勿論お手伝いさんは居ないし、益々生意気きかんぼうになっていく4人の弟
達はいつも母さんを困らせた。なのに広報を手にしてからの母さんはガラリ
と変わった。今もハッキリ覚えているよ。父さんの写真の前に正座して、私も
もあなたの妻です。6人の子供をきっと立派に育てて行きます。と、誓った
母さんの横顔は本当に美しかった。
その母さんも10年前に父さんの所にいきました。うまく二人は会えたかな?
一緒に幸せに暮らしているかな?  いや、きっと二人で6人の子供達を
見守ってくれているよね。 私も今年で72才。39才で戦死した父さんの年を
とっくに追い越してしまいました。あまりにも父さんが偉大で大好きだった
ので、私が離婚したのも間違いなくファザ−コンプレックスが原因だったと
思うこの頃だけど、要約すると、今は幸せです。
あと何年したら父さんの所へ行くのか分からないけれど、朝に晩に父さん母
さんの写真に語りかけ、何歳になってもお二人の域を越える事は出来ないなあ。
と、感嘆しきりです。あー、なつかしい父さん母さんに会えたらなあ。
            平成17年6月19日    美恵子より

   

 

2005年6月10日 (金)   はや、梅雨入り?

 愛しのサラブレットの最大の祭典ダ−ビーは、
天馬の出現により、いやが上にも盛り上がり、秋の菊花賞が待ちどうしい。
10年前の平成10年、武豊が初めてダービーを勝った時あー、もうダービーは今後、
豊ちゃんが勝ちまくるわと、つまらないような、でも豊大好きの私は、
ダービー優勝10回ジョッキーになると当然のように思っていた。案の定、今回で4勝。7年の間に!
走るのは馬だし、また、いい馬に乗っての優勝だから当然と云えば当然だけれども、やはり勝つことは凄い。
天才の一言で片付けてしまっては失礼だよ。
彼の凄さは偉さは、その努力と飽くなき向上心の上に、ファンに喜んでもらいたいと云う
優しさにもある。競馬の世界であろうと音楽の分野であろうと同じだよね。
豊は、海外にも毎年行って腕を磨いているが、英語は勿論の事、近年はフランス語も勉強
して、もう会話できるようになったという。紳士的でソフトなイメージから、俳優だと
いってもいいくらいだけど、矢張り彼は勝負師なんでしょうね。
どの世界であろうと先ず才能のある人間は素晴らしいと思うけれど、
その顔の裏に人の何倍もの苦労や努力を秘めていると思うと、
本当に抱き締めたい程愛しくなって来るのです

       

 

2005年6月1日(水)

   ゆったりと、時は流れてゆく
何故だろう?どうしてだろう?ゆったりと、時が流れて行くのです。
良く考えてみれば、今年も、もう半分が終わろうとしてるのですね。
待ちに待ってた桜が終わり、若葉はもう黒みさえ感じる程の深緑と
なって夏を迎えようとしています。なのに、あ、どうしよう、もう
夏が来るの?という切迫感が湧かないのですよ。いや?あれって
年のせい?それとも何だろう?
大袈裟に云えば、去年、生還して、落ち着き、以前のように元気に
なってからのような気がします。
若い時から世界一の短気な人、と、つき合った男友達皆に云われて来た
私には、自分でさえ捕まえられない、このゆったり感に、ゆったりと
浸っています。若しかしてこんな気持をしあわせと云うのかもね。

       

 

2005年3月9日(水)  桜に懸ける思い

  毎年桜の季節になると、私は、櫻に対して特別の思いが錯綜する。
でもそれは、まったくの個人的な思い入れと感傷にすぎない。
先日、NHKのアーカイブスという番組で、全人生を櫻に懸けた佐藤良二さん
という人を知った。15才で国鉄バスの車掌となった彼は、自分は何の為に
生きているのか、何を目標に生きていけばいいのか、悩んだ挙げ句、
武者小路実篤を訪ねたという。君が決めた事をやり遂げる事だといわれた
佐藤少年は(本当にまだ少年だよね。15才は。)決意する。
大平洋と日本海を桜で繋ごう!と。
それには訳があった。ダム工事で水没した村で、樹齢400年の2本の荘川桜
だけは埋没させるにしのびないという声を受けて、移植が敢行された。
誰もが無理だと思った桜は、翌年見事に咲いたのだ。
それに心を動かされた佐藤少年は、計り知れない程の感受性をもった人だと、
思うが、まさか、実行するとは!!
樹齢400年の種を蒔いて7年目!!!に小さな芽を出した桜を大事に
大事に育て、他に給料の中から毎月苗を買っては、日本海沿岸に植えて
行った。彼の熱意に動かされた友人の運転手や、彼の家族、殊に母親代わりに
なっていたお姉さんは、良二さんの死後、涙を流しながら苗の一本一本を
植えておられた。
国鉄に勤務し乍ら、来る日も来る日も植えていった桜は、植えた順に少しずつ
花を付けていた。最初の頃の木々は、見事に咲いていた。これが、50年、100年
経ったらどれほどの桜になる事か!400年経ったら、、、。そう思ったら涙が
溢れて来た。
わずか47歳で逝ってしまわれた佐藤さん。一生かかって30万本を植えようと
決心した佐藤さんは、2000本の植樹が終わった頃、病気で亡くなられたのだった。
地位や名誉は勿論の事、名も無く貧しいひとりの佐藤良二さん、あなたは桜と云う
すごい記念樹だけでなく、その一途な純な心の宝物まで後世に残して下さったのです。
桜は老木になればなるほど艶やかに、ため息が出る程美しく咲きこぼれる。
貴方の桜も、もう40年くらいになるのですね。400年経って、世の中がどのように
変わろうとも、佐藤さんの桜はますます美しく咲き誇るに違いありません。
佐藤さんありがとう。
同世代である私は、一度その桜を見たいと思う。

     

 

2005年3月3日(水) ひな祭り

 今日 はお雛祭り。大昔の女の子ちゃんのお雛様は今は無い。
父の度々の転勤と戦争の為に倉にしまいっぱなしの私のひな壇は
お雛様もろとも、取り出した途端、崩れ去ってしまったのだ。
名状しがたい悲しみだけを覚えている。終戦の年。
女の子が生まれたら、脳裏に残っているお雛様を飾ろう。男の子が
生まれたら鯉のぼりを立てよう。と、切ないほどに願望しながら
とうとう二つとも実現しないまま、本当にとうとう、二人とも
いい大人になってしまった。
ひな祭りが来るたび、お節句が来るたび、来年こそ!ね!と、まだ
この年になっても思っている。

       

 

11月18日(木) 憂鬱な秋

 また今日も雨ですね。被災地の方たちを思うと気が沈んでしまいます。
拉致も含めた災害の問題は余りにも大きすぎて、これはもう為政者に
解決してもらうしかありません。一刻も早く。
気持ちが晴れないと競馬も嬉しくありません。例年今頃は秋競場で
大盛り上がりのはずなのに、なんか、胸の奥に滓みたいなものが溜まって
いて、心から楽しくは成れないの。ターフを駆ける馬達を見るのが私の
一番の慰みなのに。
最近アン.リンドバーグの海からの贈り物というのを読みました。
若い人は知ってるかな?大西洋単独横断飛行のリンドバーグの夫人なのだけ
けど、とても示唆に富んだ読み物。彼女とはまるっきり意味が違うけど
私も一月ぐらい誰も知らない島に行って、砂浜で貝殻を拾ったり、波に
足を捕られそうになったりして来なくちゃダメかもねー
      
  店を一生懸命やってくれてる若いもんにどやされそうだわ。
  元気出そ〜っと。

 

11月12日(金)  少年少女時代に帰った。

 高鍋高校と云ってもほとんど知らないと思うけど、ママたちの時代は
野球が強くて宮崎県代表で甲子園に何回か出たりして、結構知られたのよ。
その時代の紅顔の美少年や美少女?達が麹町会館でクラス会をしたのだけど
皆まあ、すっかりいいおじさんおばさんになってたわ。当たり前よね50数
年前以来だもの。胸に名札をつけるんだけど、名前が2つ書いてあるの。
旧姓と現在の名前。みんな勿論旧姓を見なけりゃ分からないわよ。中には
少女時代の顔が皺いっぱいになったママなんか直ぐ分かっちゃったけど。
ま、旧姓も今もおんなじ姓だしね。
どんなに盛り上がったかはわかるでしょ?
ほんとうに、楽しく嬉しかったわあ。
今日は鬼怒川観光に行き一泊する組と、はとバス一日観光する組に分かれて
行動したのだけど、いずれにしても九州や大阪、札幌から来たんだから旅費
だけでも大変よね。
司会者のママとしては大変じゃったねえとしか言えなかったわよ。帰って来
た返事に妙に納得。『70年も生きてりゃもうけもんよ。あとはおまけ』
あっぱれ!あっぱれ!
おまけの人生を若いもん達にあっぱれ!!と言わせるこれからを大切に
歩いていかなくっちゃと思いました。 なあ〜んちゃってね。

   

 

11月2日(火) 樋口一葉と5000円札

 今日新しいお札が出た。まだ本物にはお目にかかってないけれど
何故か一葉の物が無性に読みたくなって『にごりえ』を読み返して
みた。
すっご〜い!凄すぎる。天才。一葉についての賛辞は同時代の一流
と云われた作家達も惜しみなく贈っているし、今さらママが云うのは
野暮というもの。ただ、5000円札になったのを機に日頃あまり
活字本を手にしなかった若い人たちが一葉に関心を持ってくれたら
いいなと思いました。
凄っご〜いと思うのは、一気に読ませてしまう研ぎすまされた文章
の後ろに、物語りを名優が演じているかという錯角を覚えてしまう
ような絵が見えるのよ。

ま、今日は新札を契機に一葉を読み返してみたのですが、少女時代に
感銘を受けた読み物が、妙に懐かしく思い出される今日この頃なんです。

 

11月1日(月)  

 トム 願いを込めて(富む)と、つけたんだよ。
    星になって3年だけど、今でもママの最高の奴。
    これは、トム2歳  息子のチャ−リ−生後2ヶ月。
    トムの、何と云う誇らし気な、堂々とした男っぷり。
右側の写真は、それから7年後。なんと、チャーリーが、ボスに
なったのです。一週間、ボス争いの熾烈な戦いの挙げ句、息子が
勝ったのです。あー可哀想なトムの顔。
親を離れてミーミー鳴いて、トムのおっぱいを吸って
(トムは父親なのに、じいっ〜と吸わせてたんです!)
甘えていたのに!! でも、これが、動物の、掟なのよね。
それから五年後だった。トムが行ってしまったのは。

今は、チャーリーと二人暮しですが、とてもトムのようなデキタ猫ではない
ないけれど、事ある毎に語りかけるのは変わりません。

   

 

10月21日(木)

 最近の韓国ドラマブーム、すごいね。実は、冬のソナタって云うドラマ、
一度も見た事がないのでストーリーも知らないし、あんまり興味もなかった
んだけど、たまたま見たホテリア−(ちょうどいい遅め午前中のテレビ)と
云うドラマ、面白いんだわ〜。人間関係が実にドラマチックなんだけど、
これを不自然に思わせないストーリー構成と、歯切れのいいテンポ。
ママは男として全然興味が湧かない、というよりも、なんであんなに大騒ぎ
するの?というヨンも主役で出てるよ。
いや〜いや〜、韓国や中国、最近色々と凄いねえ。

同郷のイケメンミュージシャンとごきげんのママ

 

高〜い空だよ 10月15日(金)

 久しぶりの秋空です。私の気分も晴れています。
勿論、いいお天気のせいでもあるけど、素晴らしい女性、最高の女性、美智子皇后の、
わたくしに出来ること、するべきことは、祈りと継承です。と、
おっしゃったと云うことを偶然聞きました。
目からウロコです。微力ではあるけれど、私も世界の平和を祈念しない日は一日たりともありません。
祈り、強き祈り、強盛な祈りの中から何をしたらいいのか、智慧が湧いて来るのよね。
いつまでもセンチでいるわけにはいかない!!もっともっと強くならなければ。
強く祈念して行こう!平和を。  
私に出来ること、することは、それなんだ、それしか無いのよと思った瞬間、
心も今日のような秋晴れになりました。
さあ、元気になったぞ〜。 皆さんを心からの笑顔で迎えられるママになったぞ〜待ってるからね〜

 

 

皆様いかがお過ごしですか!? 10月12日(火) 

 天高く〜なんて御挨拶の季節なのに、一向にすっきりした秋晴れが見られません。
本当に今年は台風が多く、その被害と爪痕は、とても何億円とか何百人とか、一まとめに
出来るものではありませんよねえ。今朝のNHKでも3ヶ月たった新潟三条市の町工場の人の
その後をやってたけど、とってもとっても、お見舞いを申し上げますなんて口に出せません。
戦争でも、被害が幾ら、戦死者が何人と伝えられるけど、個人個人の事情と喜怒哀楽
は違うんだもの。とてもとても数字で表せば済む問題じゃない。まして戦争は人為的な悪
の行為。ゆ、る、せ、な、い!!!
こんなことばかり考えてたら、憤死しそうになりました。
一体私は何をしたらいいの? 微力も微力、何の力もない私に出来ることは? せいぜい
一部のジャズファンにjazzをお届けする事?
きっと、お天気のせいよね。メランコリックな気分から抜けられません。