日本の旅

−98年の散歩編−

1998年に町を歩いた話です。



−98年12月−

お台場

 新橋からゆりかもめに乗る。
 窓からは東京タワーとレインボーブリッジ、お台場。夕方には見せ場になる。
 お台場駅で下車。
 ショッピングモールの喫茶店で一休み。
 そのあと徒歩でフジテレビに向かう。この季節だけ夜遅くまでやっているのだそうだ。
 それにしても風がおそろしく強い。歩くのもたいへんなくらい。さすが海に近いせいか。
 風にとばされそうになりながら、友人が切符売り場をさがしだす。ちょっとわかりにくいぞ。
 ようやく球体展望台にあがる。
 しかし球体展望台から観ても、あんまりレインボーブリッジや対岸の風景は変わらない。ちょっと不思議なかんじがする。
 そのあと下まで降りてスタジオ見学。
 生のスタジオを上から見下ろす。でも今のフジテレビにそんなに入れ込む番組がないので、いまいち。韓国から来た友人もいまいちそう。そりゃそうか。番組知らないしね。でも「踊る大捜査線」の織田裕二は知っていた。昔みたドラマに出ていたそうだ。

新横浜ラーメン
博物館〜中華街

 JR新横浜駅からはちょっとわかりにくい。
 地下鉄の出口をたよりに外をでる。そこからはすぐだった。
 ラーメンの形のライトが見えた。
 日曜の昼間だけに博物館は満員。博物館は満員、というのはちょっと変か。
 300円の入場料を払って中へ。地下1Fに降りると改札がある。改札?中へ入るとそこは昭和33年の世界だった。昭和33年の世界だと改札のあんちゃんが話してた。階段が既に30年代。これはいい。電車の案内図も30年代のフンイキ。これはよい。
 地下1Fは2層になっている。空はずっと夕焼け色。ラーメンは夕暮れ時にというわけらしい。だから博物館らしく薄暗い。
 階段で下りた下の層ににラーメン屋が6件。上の層にもラーメン屋が2件。いずれも人が並んで長蛇の列である。さらには綿菓子、カタヌキ、駄菓子、アイスクリーム、タチのみの屋台が出ている。それからパン売り。なるとの模様のなるとパンを売っている。上の層の奥には駄菓子屋も。駄菓子屋も待ち行列ができるほど混んでいる。
 実はラーメン屋だけではない。映画館も3つ見える。理容店などラーメン屋の合間に見える。しかしいずれも外だけ、中はラーメン屋である。
 上の層には30年代のパブもいっぱい。もちろん開業はしていない。すべてドアには押すとかかれている。このあたりはゴールデン街にちょっと似てる。せっかくなのだからいくつか開業してもいいのにと思う。
 他には人相書き、占い師など。
 それにしても、、、これらのものが博物館にとじこめられ、ここでしか再現できないのが悲しい。もし中華街が博物館になって1つの建物に閉じこめられていたら?やっぱり悲しい。
 ところでメインはやっぱりラーメンである。
 ラーメン屋は1点季節限定。今回は和歌山ラーメンである。しかし話題モノらしく、60分待ちであった。すごい。九州系が2店、東京系が2件。あとは京都。もう1点は忘れた。
 今日は京都の新福菜館の新福ラーメン+玉子にする。
 実はどんぶりは特別に小さいものだと思っていた。ラーメン博物館だからいくつかはしごできるようになっていると思っていたのだ。そりゃできないことはないけどね。
 1Fにあがる。
 そこには日本中のラーメンのどんぶりがそろっていた。その数に驚く。これを集めた人はそうとう好きな人に違いない。かなり昔のどんぶりもある。昔のどんぶりが小さいことにラートモが気付く。なるほど。
 このほかにはラーメンの歴史のパネル。過去のカップヌードルのカップ。世界中のカップヌードル。上のモニターでは過去のカップヌードルのCM。さらにはラーメンのクイズコーナー。奥にはお土産グッズ。もちろんなるとやれんげがメイン。
 2時間弱で外にでる。まだ外には人だかり。

 ラー博のあとは中華街に行く。地下鉄関内駅から歩いていく。
 こちらもラー博に負けないぐらいの人並みだった。
 考えてみればひさしぶりだった。
 店の前のあちこちで肉まんを売っている。ここに来て食べないわけにはいかない。
 フカヒレまんとタピオカ入りココナツミルクをいただく。
 このあたりは中華料理屋しかないのに、どうしてこんなに人が多いのだろう。
 みんな肉まんに惹かれるのかな。フンイキに惹かれるのかな。

月島〜佃

 銀座の三越前に集合。行くと三越前に場違いの集団がいた。
 近くにキリスト教団体らしい「悔い改めよ」の看板がたつ。
 バスで勝どきに向かう。どきとはどんな字?話題となる。もうすでに住居表示上では「勝どき」だ。どきとはそんな難しい字だろうか?門構えかな?と思っていたら「鬨」という字でした。でもそんなに難しい字ではないよなあ。住居表示ではよくこういう変更があります。まだ地名が消えないだけでもよかったのかもしれない。ちなみにいまでも橋は「勝鬨橋」。
 そのまま歩いて月島商店街へ。ほんとうにもんじゃ屋だらけである。時間があればここでおひとつといけるのだが。まだあんまり食べたことないし。
 時々路地を入る。あんまり来られては迷惑であろう。心配になる。
 途中に巨大な空き地があった。すわりこんで話していた老人たちが、もうすぐ歯抜けのように残っている家もあと3日で取り壊されると言う。マンションになるそうだ。実はすぐ近くに地下鉄の駅があるのだ。こうやってもと工場地帯はマンションに変わっていくのだ。
 普通の家のようなお稲荷さんに立ち寄る。
 大きな通りを渡って佃へ。佃3丁目あたりは明治以降の埋め立て地である。ちなみに月島も勝鬨もそうであるらしい。
 途中にレバーフライのお店を見つける。レバーフライ?食べたことがない。さっそく立ち寄ってみる。
 1本130円。串にさしてある。ほのかにソース味で、あまりレバーくさくない。おやつにおいしい。

 藤村が滞在としたという海水館跡に立ち寄る。堤防に囲まれてもう海は見えない。
 そこからちょっと路地にはいったところにアパートがあった。外見はまったくかえず、扉と窓だけを新しくしている。ヨーロッパ的な残し型である。うーんこんな路地に住んでみるのもいいかな。ちょっと家賃が高いのが難だが。しかしこんな風にいいかんじでフンイキを残したまま手頃のアパートをつくってくれたら、このあたりに住むのがブームになるに違いない。
 また細い路地に入る。こんどは小さな稲荷さんがある。どうしてこんなところに稲荷が?外に出て教えられて気が付いた。大きな大きないちょうの木のたもとだったのだ。

 佃小橋の向こうに、煙突のついたマンションがある。まさか銭湯付きのマンションが?期待したとおり、1Fには銭湯があった。銭湯付きマンション。あるではないか。実現できないことはない。表にあるカギ付きの傘入れがしぶかった。
 佃の向こうは大川端リバーサイドシティ。バブルのイメージ。でも大都市の工業地帯の跡地で中心部に近い場所が再開発されいままでと違う階層の人たちが住むことは地理学的に現象としてとらえられているらしい。
 スーパーがあるらしい1つの建物に入ると、ちょうどIHIの資料館があった。石川島播磨の歴史がパネルであった。さらに当時ここにあった工場の暮らしの再現。工場長は毎日渡り船に乗ってやってきて、佃の飲み屋でいっぱいやって、帰っていったのだ。


−98年11月−

渋谷〜新宿

 時は夕方。混んでいる渋谷駅の方には歩きたくない。新宿の方へ歩く。
 渋谷公会堂の前を通り、代々木競技場の横の公園の道を歩いていく。公園の出口にはクレープやらやきそば屋が出ている。道には音楽系の若者のグループ。歌ったり踊ったりしている。ときどき奇声が聞こえる。しょうしょう場違いながら、その横を通り過ぎる。
 代々木競技場に近づくと、さらに人の波。思い出した。今日はバレーボール世界選手権の決勝戦なのだ。TBSの中継車が何台も見える。ダフ屋もいっぱいいる。こんなにバレーボールを見に行く人がいるのに驚く。
 やはり人の波である原宿駅の前を通り過ぎると、急に人がいなくなった。
 ここからは僕も歩いたことがない。皇室専用の原宿駅を通り過ぎると、もう普通の住宅街の路地である。
遠くに見える高島屋新宿店を目指して歩いていく。
 でも途中で腹の具合が悪くなる。ちょうどサブウェイがあったので立ち寄る。コーヒー1杯を頼んで、20分ぐらい粘る。ここで「ビック・リボウスキ」の解説書をえへらへらへら読みふける。むかしはこういうところに寄るのは苦手だった。慣れたのは海外でである。
 線路を横切って代々木駅前へ。ここには20年前にもよく来た。そのころから見ると駅前がすごく小さく見える。当たり前か。
 ちょうど小田急の踏切の前の右手に階段が見える。高島屋新宿店のJRをはさんだ向かいの道にいく階段だった。開かずの踏切など待っていられない。階段を上る。
 階段を上るとそこは光のイルミネーションの道。もう完全にカップル御用達の道である。キレイだし一緒に歩きたい気持ちはわかるけどね。でもそんな道を一人で通るのも慣れてしまった。何とも思わない。悲しい。「何でも一人で楽しんでそう」といわれたことを思い出す。
 甲州街道を渡る橋を渡り、新宿駅に到着。およそ1時間ぐらいの散歩だった。


−98年10月−

御成門〜神谷町

 横断歩道を過ぎるとがらんと空き地がありました。家がたっていた土台のあとだけ残っています。それから電信柱が役目をなくして所在なげに立っていました。再開発されて、やがてこんな光景も消えてしまうのでしょう。何度繰り返されたことか。神谷町は小さな印刷会社や雑貨屋がある普通の町の中に外資系の支店があって西洋人が歩いている不思議に入り組んだ町でした。こんどこのあたりを歩いてみよう。ひさしぶりに散歩心がうずきました。


−98年9月−

池上

 池上本門寺に行く。最近その存在を知って、ちょっと行ってみたくなった。五反田から東急池上線。池上、と名前がついているぐらいだから池上がメインなのだろう。
 鉄道はよく名所仏跡と縁が深い。京成は成田山へ向かうため(今は空港だが)だし、京王は高幡不動に高尾山、小田急は大山参りに箱根である。これもそうだったのかも知れない。
 五反田駅から約20分弱。池上駅に到着。
 目の前にバスターミナル。大森方面に何本も出ている。その奥に本願寺商店街が見える。そちらに向かう。
 人はあんまり多くない。いまはシーズンでないのかな。
 くずもち屋が何軒かある。こちらの名物らしい。帝釈天もそうだけれど。あれは近くに葛が生えていたことと関係があるらしい。こちらもそうだろうか。多摩川はしいていえば近いともいえるが。
 商店街をぬけて右手に曲がると、道の先に森が見えた。
 急な石階段を登る。登り切ってしばらくすすむと両方に仁王様の立つ門。上空にはカラスがいっぱい飛んでいる。
 門をくぐると大田区の中とは思えない広い空間が広がっていた。
 東京でもこの空間は大きい方ではないだろうか?
 家族連れがちらほら戯れている。巨大な犬を3匹連れた人が通り過ぎる。犬を連れた人が多い。かと思うネコがあちこちでそのへんの地べたでくつろいでいる。そして上空にはカラス。下にはカラスの羽とフンがいっぱい。
 手を清めて本堂へ入る。金網の向こうに金色の大きな下がり物が見える。セルビアの金色の聖堂を思い出した。宗教的なものは共通性があるらしい。奥にあるのは国宝の日蓮の木像(銅像だっけか)。なんでも日蓮宗3代目の人が作らせたそうだ。日蓮宗にとって大事なお寺らしい。やはり知らなかった。
 このお寺は高台にある。このあたりではひときわ高い。池上会館の屋上からも、帰り道でも実感する。多分お寺ができる以前から高台になっていて、おそらく宗教的な意味合いをもつ場所であったのではないか。
 帰りは不動産屋のアパート情報を眺めながら帰る。


−98年8月−

恵比寿

 夕方、恵比寿でシゴトが終わる。せっかく恵比寿だし、ラーメン&ガーデンシネマで映画でも。
 まず映画館に急ぐ。東口から細い道を行き、右に曲がって坂を登ると加計塚小学校。ここの元々の地名である景丘とも関連があるという。「加計」も「景」も同じ意味のようだ。日陰あるいは崖を意味するらしい。加計塚小学校も建て直しの看板。どこにでもあるような建物だが,
 恵比寿ガーデンプレイスの前にあると映える。これもなくなってしまうと思うとさみしい。
 ガーデンプレイスには2000年までの日にちと時間を表示。シゴトでも2000年が問題になったばっかりだったので、ちょっと気になる。

目黒

 野外見聞会で目黒を回る。同じコースは2度目。だからさほど目新しさはない。
だいたい覚えていた。やはり階段を上って見える目黒不動はあっかんである。
林試の森は緑豊か。ヨーロッパの公園みたい。今度ゆっくり歩きたい。
ひさしぶりの寄生虫館。やっぱりカップルが多い。以前より売り場が充実していた。実物のアヌサキスのキーホルダーをあつくおねえさんに進められる。おねえさんは1日中寄生虫に囲まれてすごしているのだ。たぶん好きに違いない。


−98年7月−

日暮里−南千住

 日暮里駅の南口を降りる。「もみじばし」というらしい。
 東口を一周する。どうもあやしげである。活気があるというのでもない。人がいないというわけでもない。
 元のもみじばしを降りた地点から、右に折れていく。
 芋坂というらしい。途中に団子やがあり、看板に正岡子規がよく立ち寄ったとある。
 しかし「坂」というほど、坂ではない。もしかして勘違いしているのかも。
 それにしても、正岡子規はこのあたりに暮らしていたらしい。
 この前読んだ司馬遼太郎の「坂の上の雲」を思い出す。
 やがて地名は「根岸」に。
 大通りに出ると、左手にかなり古い建物が見える。鶯谷アパートだ。おそらく戦前からのアパートである。
 人も住んではいるようだ。思わずデジカメのシャッターを押す。
 たまには大通りを歩くのもいいものだ。
 大通りの終点には豆富(豆腐ではなく)や「笹の雪」。これも看板によれば正岡子規ゆかりとある。
 やはりこのエリアを拠点としていたらしい。
 横断歩道を渡る。

 根岸小学校の前には庚申塚がひっそりとある。
 そこから路地へ。左手の小学校のグランドは完全にテニスコートになっていた。
 私の好きな路地である。露地の奥に洋食屋やうなぎやが見える。
 道なりに右にぐるっとまわってつきあたりへ。方角の見当をつけて右へ曲がる。
 西蔵寺というお寺があった。西蔵といえばチベットだな。変な連想をする。
 お寺には極彩色の垂れ幕がかかっていた。お寺の横には下谷病院。
 下谷という地区にきたらしい。そういえば昔下谷区という区があった。
 上野の山に対して、下の谷の方という意味だろうか。

 ここまで、ずっと人通りは少ない。
 そのまま金杉通りに出て、北に上がってみる。今日は三ノ輪の方に向かおう。そのまま都電に乗って帰るのもいいな。
 そう思っていた。
 この通りは地図では商店街だが、日曜日を換算に入れても、人通りはない。
 しばらく歩いていたが、あまり変化がないので、もう少し奥に入ってみることにした。
 金曽木小学校前の交差点を右に入る。すると今度はまた大通り。昭和通りである。
 今日2つめの横断歩道を渡る。
 見晴らしがいい。ずっとずっと先が見渡せた。しかし高所恐怖症であるので、すぐ降りる。
 竜泉という地区に来た。むかし竜泉寺というお寺があったらしい。
 また次の大通り。国際通りである。地図のこの名前にひかれ、やってきた。
 ここからまっすぐ北にあがると、三ノ輪である。
 南は浅草。そのあたりで名前おをきいた覚えがある。
 どうもふだん車に乗らないので、道路名が新鮮だ。

 ここでも三ノ輪に向かおうか迷った。都電にもそそられる。
 でも見知らぬ奥にも入って見たい。
 もう一つ、そそられものがあったのだ。吉原である。
 ここまで歩いてきて思い出した。意外と近くではないか?
 さらに竜泉を奥に進む。
 こんどは一葉の旧宅跡の碑に会う。今日は子規といい一葉といい、明治の作家に縁がある散歩である。
 一葉が吉原の近くに住んでいたことを思い出した。地理的に実感する。
 果たして道のつきあたりに、それらしいお店が見えてきた。タクシーが何台も何台もそちらの方に向かう。普通は最寄り駅からタクシーで来るらしい。どこの駅なのだろう?
 おなじみ(いや僕はおなじみでは、、、)の白いシャツ、黒いズボンを着たあんちゃんが、僕を見て遊んでいかないかと声をかけてくる。
 今日はお金もないしその気はないからとことわる。
 そっちにいくと高くなるよと注意される。
 ちょうど吉原の地区の端を歩く。ちなみに公式な地名で「吉原」は残っていない。ふつう?の住民に敬遠されたのだろうか。
 今はただの「千束4丁目」である。
 ちなみに戦後直後の地図では「江戸町」「揚屋町」「角町」「京町」と吉原の昔の町の名前がみられる。
 その吉原の、北の端を歩く。道の左側はふつうの住宅街。道の右側は歓楽街。情報喫茶などというものが見える。
 情報って、その手の情報なのだろう。まさかインターネットカフェはあるまい。
 最近読んだ本では、吉原は女性に比べ人口比で多すぎる男性対策でもあったらしい。
 この中では江戸時代でも身分差別はなかったという。

 せっかくなので、吉原の中央を歩いてみようと思う。ぐるっとまわって吉原大門の前まで来る。 ここにだけ、吉原の地名がある。
 実はここは初めてでない。いや遊びに来たのではなく、前は地理の巡検で通ったのだ。
 青年が呼び込みのあんちゃんの後ろをうれしそうに歩いてた姿を思い出す。
 吉原大門から道は右斜めの方に曲がる。中を見通せないようにするという配慮である。
 しかし曲がったところには、さきほどのような白黒のあんちゃんが大量にたむろして通る人に声をかけているではないか。
 突破する勇気はなかった。そこできびすを返して引き返す。
 大門の向かいには古い古い営業中かわからないような天ぷらや。でも中はたくさんの人が見える。
 馬肉屋などがある。むかしの歓楽街のなごりだろうか。
 人が集まるところには、メシ屋ができる。エッチな店ができる。

 地名は日本堤。商店街に入る。
 お酒の自販機の前でおじさんがたむろしてビールを飲んでいる。
 閉まった店の前に、段ボールをひいておじさんがすわっている。
 ときどき段ボールをもったおじさんとすれちがう。
 安い食堂がにぎわっている。店の前におかずの盛り合わせを安く売っている。
 どうもここは山谷に直結する商店街らしい。
 吉原とは違う緊張感におそわれる。
 商店街をぬけると、あちこちにごみのかたまり。たむろするおじさん度が高くなる。
 早足で大通りへ。吉野通りというらしい。
 角に山谷地区交番。やはり山谷だ。これも公式の地名にはない。

 大通りを北に向かう。
 大通り沿いには、安い旅館がたくさん見える。空室情報、たくさんの注意書き。
 やがて南千住の駅が見えた。
 疲れた足をひきずり、ここで今日は終わろうと思う。
 ここからバスを待つ。バスは先ほどから浅草松屋行きやら、秋葉原行きが見える。
 ええい来たのに乗ってしまおう。
 そしたら東神田行きが来た。東神田?どこにいくのやら。
 でも経路を見ると、浅草と浅草橋が見えた。浅草橋まで行くのも悪くないな。
 そのまま東神田行きに乗り込んだ。

浅草−上野

 浅草が見えたら、バスを降りてしまった。
 久しぶりに隅田川を見る。
 吾妻橋の上で涼む。ちょうど水上バスが南に向かったところだった。
 橋のたもとではおじさんが2人、びろんびろんとギターをひいている。
 心にしみるメロディだった。沖縄のほうかな。みんなけっこう立ち止まっている。
 船に一人で乗るのも悪くないな。
 でも浅草を歩きたい。足はつかれているのに、風が気持ちよすぎるのである。
 新仲通りの商店街を行く。浅草が過去の歓楽街とはいえ、人通りは多い。
 角の和菓子屋にみんなたむろしている。思わずそそられるまま買ってしまおうかと思った。
 新仲見世。商店街が交差しているのがいい。
 やがて浅草ROXの前へ。ブロードウェイというらしい。そんな洋風にしなくても、江戸の昔から道が広くなったところは広小路という。意味も同じだ。
 浅草演芸ホール。ここでちょいと寄席でものぞいていくのもいい。あいまの名の知らぬ芸人の漫談もよさそうだ。
 TVでおなじみの人がたくさんでているというふれこみだが、しかし誰も知らなかった。
 その横はフランス座。こちらをのぞいていくのもいい。まだ行ったことはない。
 むかし浅草にある古い映画館が一つ閉鎖になるというので、見に来たことがある。いい雰囲気の映画館だった。
 2階席で「第3の男」を見た。その映画館はあとかたもない。屋内サッカー練習場なんかになっている。

 それでも今でも残る六区映画館街へ。でも悲しいくらい封切り館が少ない。
 ここで新宿が舞台の「不夜城」を見ていくのも、悲しくていいかも。「ゴジラ」もなかせる。
 しかしほかは名画系とポルノばかり。
 ロック座もある。なぜか女の子が前をのぞいている。人気あるのだろうか。
 道で若い人がひきがたりをしていた。
 リクエストでなんでもひいて歌ってくれるらしい。
 古いフォークが町にひびく。
 なぜか立ち去らない人が多い。
 この町も疲れたおじさんが多い。
 でもなぜか安心するのである。やっぱり東京は東に来るほうが安心する。
 妙な気取りがないからだろうか。自分が東の人間であることを実感する。
 自分の出身ははるか西のほうだが。

 それでもこの町にもイタリア料理の店や。ロシア料理の店、インドカレーの店などが見える。
 マクドナルドもあるし、クレープやもある。ごま、という字もみえたが。

 だいぶ浅草の奥まで来たので、地下鉄の浅草まで戻る気がしない。
 まだ日が落ちない。地下には潜りたくない。
 とりあえず地下鉄銀座線の田原町駅を目指す。
 でも池袋行きのバスに見かけて心ひかれる。
 しかし行きと帰りと経路が違うらしい。池袋行きのバス停を発見できず。
 また田原町駅方面に向かう。
 でもバスで上野に向かってもよかった。
 しかしバスの姿がない。地下鉄もやめて、歩き出す。
 ふいに右の奥にお寺を発見。東京本願寺らしい。
 「菊屋橋」の交差点。合羽橋道具街の看板が見える。ここもそそられる。こんどきてみよう。
 角のビルの上に大きな大きな人間の上半身があった。
 次の稲荷町駅までやってきた。入り口がとても雰囲気がある。さすがに戦前に開通した地下鉄である。
 ふいに右手に祭りの姿が見える。浴衣を着ている人が急ぐ。
 右手には鳥居。入谷神社だ。こちらのお祭りだろうか。
 しばらくしてこんどは雰囲気ある教会。入谷教会というらしい。あいた入り口から見える明かりにそそられる。
 デジカメのシャッターを押す。
 ちなみに「田原町」も「稲荷町」も「菊屋橋」もいま公式の地名にはない。
 意外と交差点の地名は昔の名前を残している。これは発見であった。
 あんな大きな駅の近くにこんな地区がと思いながら、上野駅に到着。
 それには秋の空のような美しい雲が見えた。

大森〜馬込

 山王を通り、ジャーマン坂へ。大きな道はふだん歩かないが、名前にひかれてジャーマン坂を下る。
 ラーメン屋が多い。大きな道だからだろうか。
 馬込銀座を通り山王銀座商店街へ。しかし日曜日なのでしまっている店も多い。
 少しさみしい気がする。商店街の子らが道端で遊んでいた。
 店の名前に「相州屋」「石狩屋」など。お店の地名は出身地を示すことが多いという。


−98年6月−

恵比寿  

 映画館を出ると、夕日がきれいだった。ガーデンプレイスはいつも夕方がきれいだ。思わずデジカメにおさめる。
 アメリカ橋の上から、行き交う山手線もデジカメに。おじいさんにのぞかれる。
 橋を渡る。廃屋に近い団地の向こうに、紅色のうろこ雲が広がっていた。これもデジカメに。
 途中で右に曲がり、うなぎ屋、泰国料理屋の横にして坂を下りた。


−98年1月−

柴又

 昼に家をでて東京の初詣。柴又の帝釈天へ。
 途中高砂駅でコロッケうどんをたべる。コロッケそば、うどんは東京の味である。
 柴又につくとかなりの人手。歩けないほどにぎわう。
 どうも日本各地から来ているらしい。
 団体の幟、なまりが聞こえる。
 男子トイレもおばさんでいっぱいである。
 題経寺に着く。手を洗って参拝。真剣に祈る。
 持ってきた古いお守りを納める。
 最近まで古いお守りは捨てると言うことをしらなかった。
 20年前の受験と交通安全のお守りも感謝しつつ納める。
 新しいお守りを買う。すこしフンパツする。
 甘酒1杯であたためて最近できた近くの寅さん記念館へ。
 寅さん記念館というよりは男はつらいよ記念館である。
 こちらも老若男女でにぎわう。
 セットにはいる。セットの模型などをみる。
 そういえば全シリーズはみていないのだ。
 残りの寅さんもせつにみたくなった。レンタルビデオ屋にあるだろうか。
 館内には男はつらいよの名場面やポスター、トランクの中味などが展示される。
 コンピュータソフトらしい分類データ、クイズなんてある。ソフトにすれば売れると思う。
 それにしてもたいへんなにぎわいである。
 名場面の一部をみて即座に第何話とタイトルをあてる寅さんフリークおじさんもいた。
 博物館の横の江戸川にでる。
 まるで雪国のようにいちめん真っ白だった。
 踏みしめにいきたい衝動に駆られる。


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