ちょっと こでかけ

−散歩エッセイ−

町歩きにまつわるお話です。



日時 お題 内容

連続

 このまえ散歩が終わった地点から、また歩き出すというのはどうだろう。

富士山

 3連休の初日の夕方、新宿の富士山五号目行きのバス乗り場の前は、リュックを背負った人で満員だった。
 みんな連休を利用して、富士山に行くのだろうか。

東京

 最近あんまり散歩に行っていない。
 川辺にも行っていない。
 飽きてしまったかな。
 旅に行くのは、珍しいモノを見たい。見たことないものを見たいという好奇心からだ。
 最近、その好奇心を東京に失っているのだろうか。
 そろそろ東京にとどまる時間も、終わりなのだろうか。
 でもまだ、見ていないモノもたくさんあるような気がする。

どこか

 どこか行かなきゃ、って思うとどこへも行っても同じさ。
 そんな声が聞こえてきて、どこにも行けなかった。
 たまにはどこにもいくまいと思って休んでみた。
 あまり気負うことはなかったんだ。

町の風景

 意識して見ようとしなければ、街はよく見える。
 今の僕のブームは、そば屋とラーメン屋だ。
 それも意識しないでいると、不思議と目に留まる。
 いつも見ている街なのに、少し角度を変えるだけで、よく見えてきたりする。
 目は実は自分の心に映る映像を見ているのだ。そんな言葉が頭に浮かぶ。

東京のはし

 常磐線で東京へ向かうと江戸川を越える。
 そのあたりであきらかに街の風景が変わる。
 それまで田畑や森が広がっている光景が、川一本を隔てるだけで、街がえんえんと続く光景に変わってしまう。
 ここはまさしく東京の東のはしだ。通るたびにいつもそう思う。
 東京にいるとどこまでも町がつづくような気がする。
 でもそんなはずはない。どこかにかならずはしはあるはずだ。 そのことに気付いて以来、僕は東京のはしをさがすようになった。
 西へは、中央線の途中の車窓で初めて畑を見たとき、東京のはしを感じた。
 南へは、やっぱり川である。河岸段丘を降りているとき、川の向こうが別世界に見えた。
 北も、またまた川である。

ニュータウン

 ニュータウンが、なぜか好きである。それは僕がニュータウン生まれだからかもしれない。
 それからずっとニュータウンにすんできたからかもしれない。
 ニュータウンはよく非人間的とか、潤いがない街とか、言われる。僕もそう思う。
 しかし、ニュータウンに何かを求めて足を伸ばす。
 自分には、すこしふるさとのにおいがする。
 逆にすんだことのない古い町並みにも強い羨望もある。
 自分の中で2つの気持ちが背反している。

川縁(かわべり)

 川縁を歩くのが好きである。
 私鉄に乗り、競馬場の次の終点の駅で降りる。
 そこはすぐ川縁だ。まるで川縁に行くための電車のようだ。
 川縁につく。上流に向かうか、下流に向かうかを考える。
 川の、どこかぽかんと空間のぬけた風景が好きだ。
 ゆくゆくは川べりに住みたいと思う。いつも歩きながら生活を思い浮かべる。
 休みになると本を持ち出し、まっすぐ川べりに歩いていく。そこで1日を過ごすのだ。
 土手に寝転がり、ごろごろしたり、ぼっとしたり、本を読む。
 そんな生活にあこがれる。


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