−98年−

98年に思いつくままの文章を紹介します。



1998.12 プリントン  プリントンというプリンターの名前。すごい、、、
1998.12 一人で楽しむ  よく一人で楽しんでいるね、といわれる。
 この前もいわれた。
 そうなのかな。
 むかしも「一人で東京ディズニーランド」に行きそう、といわれた。
 そうなのかな。
1998.12 日産CM  橋をパンタグラフのない電車が渡っていく。
 うーんどこかで見たことがある。あの車両。
 雰囲気は中国ぽい。
 そのうち思い出した。パリの地下鉄だ。
1998.12 12歳から  最近時々子供になる。
 特に年上の女性の前では、子供になってしまう自分を感じる。
 これじゃあ12歳とかわらん。
1998.11 ときめき  恋愛運は調子がいい。
 でも最近ちっともときめかない。
 かわいいとは思うことはある。でもそれだけで通り過ぎる。
 意識することもある。でもそれはきらわれたくないだけ。
1998.11 くまとライオン  くまが別にライオンにならなきゃっていうことはないんだ。
 くまはくまのままでいいんだ。
1998.11 工事現場  駅ビルの工事をしている。
 その工事の模様をずっと見ている人がいるのに気が付く。
 たしかポルトガルでもそんな人がいた。
 することがないので日がな眺めているのだときいた。
 それがついに日本まで波及したらしい。
 日本でも1日中みられているのだろうか・。
1998.11 トイレ  小学校の時、むかし大きな方のトイレにいくいのは恥ずかしかった。
 一度みつかって、男子便所に女の子まで見に来たことがある。ショックだった。
そのときの現場を、いまだ覚えている。
 だから流すのも恥ずかしかった。そのままにしてしまったこともある。
 ところで1つ、記憶がある。
 そのみつかった便所は和式だった。
 でも僕はどうもそのとき逆むき、、、つまりキンカクシを後ろにして座っていた記憶があるのだ。
 だいぶながいこと、和式は逆向きにすわっていたような気がする。
 気が付いたのは中学の時だった。キンカクシの役割に気が付いたのは。
 だってだれも教えてくれなかったし。
 どうして逆にすわっていたか?考え見るとどうも洋式が「はいって逆向きに入る」からだったらしい。知識とはおそろしい。 
1998.10 流れる  1日、たくさんの気持ちと考えが僕の心の中を通り過ぎる。
 まるで流れる川のように。
 いちいち全部ひっかかっていたらたいへんだ。
 川のように、たくさんの気持ちを流してみよう。
 気持ちいいことだけ、ひっかけてみよう。
1998.10 僕は電車に乗り続けなければならない  僕はずっと電車に乗り続けなければならない。
 途中で乗り換えてもいいから。
 時に駅のベンチで休んでもいいから。
 電車に乗り続けなければならない。
 どこかを目指して。
1998.10 僕がむかつくとき  僕が一番むかつくのは、公平にあつかわれていないと感じるときである。
 きょうビデオをかえすとき、受付の女性が僕よりあとにきた人を先に受け付けた。日頃から苦手な受付の女性だったので、よけいむかついた。
 どうも僕は他人から公平にあつかってほしいらしい。
 たとえば3人組で動くとき、ひとりだけ無視されたと感じるときがある。
 あるいは2人でいるとき、自分の方だけ無視されたと感じるときがある。
 そういうときに頭にくる。
 どうも僕はとっても他人から公平にあつかってほしいらしい。
1998.10 変化  不思議な先週だった。
 きっかけは週末に読んだエッセイのせいかもしれない。なんかええかげんでもええんやなと思った。わがままに生きてやろうと思った。なんとなく。
 そうするとすっかり人目が気にならなくなってしまった。シゴトバでも外でも、それはそれでだいぶ楽になった。人にどう思われるかもどうでもよくなってしまった。どうでも思え、と開き直ってしまった。これはこれでよかったのかもしれない。
 寝る時間も気にならなくなったので、夜更かしするようになった。眠くなったら眠くなればいいやというかんじになった。シゴトも10時前でいけばいいやと開き直った。シゴトもさぼりたければさぼろう、そう思った。健康面もそう。多少体調が悪くてもいいや、不健康で行こう。いままで神経質過ぎるぐらいの気の遣いをすっかりやめてしまった。
 たぶん思ったしばらくはすこし興奮している。新しい気分でいられる。なので割と落ち着いた気分でいられる。それは新しい心の本を読んだときと同じだ。問題はそのあとである。日が経って落ち着いて来たとき、あんまり変わらない自分にがっくりくる。
1998.10 逃走  木曜日、逃げました。
 シゴトをサボリました。
 初めてです。
 どうしてもシゴトバヘ足が向かいませんでした。
 電車の中で眠りこけてました。
 朝の早くに行き場をなくしました。
 地下鉄に乗りかえて、バスに乗りました。
 映画館をはしごしました。
 街を歩きながらも「俺はさぼったんだ」頭の中で連呼してました。
 もう居場所がなくなってしまったのかもしれない。
 僕のいるべき居場所はどこなんだろう。
 身体はいまのままでいることをキョヒしている。
 どうしたらいいんだろう?
1998.10 はらぐろ  このホームページだと僕が腹黒い印象を持つ人もいるようだ。
 なにか隠しているようにかんじるのだろう。
 たしかに少し演技している。
 知っているごく周りの人も見ているから、書けないこともある。
 もっと泣き言を書きたいよ。でも日記に書いて他人に救いを求めたくはないからね。本当は求めていても。
 嫌われたくないという気持ちもある。本音をさらさせない弱みもある。
 僕は腹黒い悪いことを考えているだろうか。
 僕もまったくの清く正しい人ではない。でも善人であるように演技しているところはあるかもしれない。
 人を嫌ったりねたんだりすることもある。
 でもここでは出さないようにしている。書いてどうなることでもないからね。
 ときどき本音を書きたくなるけど。
 やっぱり嫌われたくないからかな。
1998.10 むかつくとき2  僕がむかつくとき。
 それは列に割り込みされることである。
 電車に乗るときでもそう。レストランでもそう。
 他にどんな寛容なときでも、列に割り込まれるのは頭にくる。
 やっぱり公平ではない。
 レジでお金を払うときもそうである。
 まだお金を払っている段階でかねの人間がお金をだそうとする。
 それも腹が立つ。ちゃんと待てないのかと思う。
 こういう点で僕はすごく心が狭い。
 公平、というところに敏感すぎるのかも知れない。期待しすぎているのかも知れない。世間など不公平であふれているのに。 
1998.10 お金の心配  もしお金の心配がなかったら、僕はなにをしたいんだろう?
 シゴトのあいまにふっと考えてみました。
 本をずっと読む。
 毎日散歩にでかける。
 外国に旅にでる。
 地名をしらべて歩く。
 ずっとホームページをいじる。
 あれ、そんなものかな?
1998.10 まだ  あと3年しかないより、まだ3年と考える方が元気が出るよね。
 あと3週間しかないって考えるより、まだ3週間もあるって考える方が余裕があるよね。
 こういうのってプラス思考っていうのかな。
1998.9 肯定的に  食べちゃいけない。してはいけない。お金使ってはいけない。。。。
 そうやって「、、、しちゃいけない」指向でいるとあんまりうまく行かない気がする。
 あれとこれを食べよう。
 あれをしよう。
 あれにお金を使おう。
 そういう風に肯定的に考えてみる方がいい気がする。
1998.9 帰り道2  帰り道を歩いていたら、さみしい自分が横を歩いていた。
 いつもは邪険にするけど、今日は一緒に帰ることにした。
 嫉妬深い自分も、愚痴を言う自分も、わがままな自分、スケベな自分も、いやな自分もそ のうちみんなみんな連れて歩こう。
 邪険にしたら行き場をなくしてぐれてしまうもの。
1998.8

夜バス

 昔から、夜バスが好きである。
 夜更けて、バスに乗る。
 バスの中はお客もさほどいない。薄暗い。みんな黙りこくっている。
 外からさす明かりだけまぶしい。
 そんなバスを外からみているだけでもいい。横を通り過ぎるだけでもいい。
 なんか違う国へ行ってしまいそうな気がする。
1998.8

ノート

 久しぶりに実家に帰った。
 すると妹が押入からたくさんのノートを出してきた。
 母が実家にある僕のすべてのノートをヒモでくくり、あはや捨てようとしていたのだ。それを妹が機転を効かせて押入に避難しておいてくれた。
 ひとつひとつ、ノートの束をほどく。
 そこにはあらゆるノートがあった。
 小学校時代ノート。小さい国語のノート。漢字練習帳。
 それから中学高校時代のノート。
 表紙にいろんなマークが書いてある。それも苦手で嫌いな授業のノートには特に綺麗なマークが書いてある。当時こだわった「自分のマーク」である。授業中かなりひまだったらしい。
 かと思うと「生きていてもいいですか」という文字。これは当時傾倒していた中島みゆきのLPのタイトルだ。
 歴史のノートにはH先生の写真が貼ってあった。これも全然記憶がない。たしかに先生の授業は面白かった。まわりには試験に出さないというところを出して不評だったが、僕はその「出さない」といった記憶がない。大学院生だったが、大学の口が見つかってすぐやめてしまった。
 生物のノートにも授業中の実験の写真。協力、T氏とある。彼とはまだつきあいがある。アホである。
 高3の歴史ノートには表紙の裏に番付表。どうも小テストの結果を相撲の取り組みと考えてつけていたらしい。これもかなりヒマである。
 そんなアホアホなノートは、すべて捨てることにした。またヒモでくくった。
 でもあまりにもアホアホなノートは、表紙だけ残すことにした。とっといてどうなるものでもないが。
 それにしてもどのノートにもいっぱい文字がうまっている。しかし今は内容は何一つ覚えてない。
 どうも覚えることより、ノートに記録することにとらわれていたような気がする。

 続いて出てきたのは幼稚園の時から小学校4年ぐらいまでの日記。
 今日誰と遊んで、何を見たのか、自分の過去の日々が残っているのだ。
 書いた記憶はないけれど、数十年前の自分がこの日に何をしていたかすべて分かる。これは不思議な気分である。
 よく女の子と遊んでいる。なんだ昔からそんなに女の子が好きだっけ。
 覚えのない名前も出てくる。ミユキちゃんて誰?記憶からこぼれおちた友達はどこへ行ったのだろう?
 あとはいくらのおもちゃを買ってもらったとか、それにくらべ妹はいくらのおもちゃを買ってもらったとか、どこそこへ行く話ではたどり着くまでの駅の名前が全部書いてあるとか、どうもしょうもないことにくわしい。 
 これではこのホームページと変わらない。
 これはもって生まれた性格かも知れない。
1998.8

再びの東京

 ひさしぶり?といっても1週間ぐらいではあるが、東京に戻ってきた。
 いつもように新幹線で山手線の車両を眺めながら、東京に戻ってきたのは何度目だろうかと考えていた。
 また、東京での生活が始まる。
 東京を離れる前は、どこか東京の生活に飽き飽きしていた。自分でも自覚していた。
 また同じような生活にしたくないな。
 しかし、人が多いのにはほんとうに参る。
 ひさしぶりだからだろうか。
1998.8 円盤  心の中で、円盤みたいなものがが回っているような気がする。
 縁にはぎざぎざのひっかかりがある。
 この円盤は、速く回りすぎると上に上がってしまって、何も感じられなくなってしまう。
 ゆっくりと、下の方で回っているほうがいい。
 でも自分の意志でもって下にしようとしても下がらない。
 ゆっくりとしようとしてもゆっくりにならない。
 自然と円盤がゆっくりと下がるのを待つしかないのだ。
1998.8 「マインド」  「マインド」とうモノが自分の心にあるらしい。
 考えすぎるマインド。
 心配症なマインド。
 時に過剰反応し、時に誤解し、時に暴走してしまうマインド。
 僕はそのマインドをそのまま認め、活動を見守り、うまく制御して行かなきゃならない。
 マインドを生み出したのも他ならぬ自分だから。
1998.7 ヒッチハイク  TVのヒッチハイク番組を見て、うちの両親のことを思い出した。
 僕が中学生のときのことだ。家族みんなで郊外の山の方へドライブに出かけた。
 その途中だった。山の中のバス停の前を通りかかった。そこに荷物を抱えた一人の青年が待っていた。
 「乗せてあげようか、バスは来ないだろうし」母が父に言った。父もすぐ同意した。
 青年はお礼を言いながら助手席に乗った。
 それまで助手席でさわいでいた僕は後部座席にまわっておとなしくなった。そのことを母はからかった。ふだん口答えする僕は、青年の手前、何も言葉を返せなかった。
 青年と父母もたいして話しはしなかったと思う。ふもとの駅で、青年は降りた。
 、、、今思い返しても、この出来事は自分には不思議である。
 両親は決して外向的な方ではない。家にはほとんどお客さんなど来なかった。
 親切な方ともいえない。2人ともボランティアなどにいそしんでいた記憶はない。
 それなのに、この時だけ2人はとても親切であった。ごく自然に親切を見せた。
 子供の手前だろうか。しかしあとにも先にも親切だったのはこの時だけである。
 昔、2人は独身時代もよくドライブしていたという。その時もこんなことがあって、それを2人はなんとなく再現させたのだろうか。
 今、2人に聞いてみても覚えていないだろうな。
1998.7 直す  きょう、ビデオデッキが直った。
 やっぱり、直るのは気持ちよい。
 まだまだ動くものを捨てるのはしのびがたい。
 自転車もそう。
 直してくれる人の顔を思い浮かべると、やっぱり捨てられない。
 新しいものを買うのも、楽しいけれどね。
1998.7 参議院の格差  参議院の選挙区の定数はおかしい。
 人口600万の千葉県の定員が2、人口180万の鹿児島県も定員が2。
 これでは格差がありすぎる。
1998.7 甲子園の格差  埼玉は西埼玉と東埼玉、千葉は西千葉と東千葉、神奈川は東神奈川と西神奈川、愛知は西愛知と東愛知、大阪は北大阪と南大阪、兵庫は東兵庫と西兵庫。
 今年は記念大会だからだそうだ。来年からまた元に戻るそうだが、いままで記念大会を過ぎて元に戻ったことはない、と思う。
 だから来年以降もこのままではないだろうか。
 以前より都道府県別では格差がありすぎると感じていた。これで少しは是正されるかも知れない。
 それにしてもこの境界線に興味がある。むかしから境界線をみると血が騒ぐのだ。これはもうビョーキかも。
1998.7 東京の重さ  ビルがたくさん増えてって、東京は相当重くなっているのではないだろうか。
 東京の地面はささえきれるのかな。
 ある日重さに耐えかねて、全部地盤沈下したりしないのだろうか。
1998.7 状態  その状態は突然やってくる。自分ではどうしてそうなるのか分からない。
 心がゆっくりまわっている感じ。すべてがゆっくり新鮮に見える感じ。
 その状態を維持しよう、ゆっくりしようとと思った段階で、すでにその状態にはなれなくなる。
 だから維持しようとしてはいけない。でも維持しようとしてはいけないとしてもいけない。
 働きかけてもいけない。でもはたらきかけてはいけないと思ってはいけない、って思ってもいけない、、、
 、、、なんというか、そのままなんである。
 目に留まるもの。耳に聞こえるもの。頭に残るもの。みんなそのままなんである。
1998.7 いろんな気持ち  うーんでも自分にもいろんな気持ちがあってもいいんじゃない?
1998.7 どこにもいけない  どこかに行きたい。遠い遠いどこかへ。
 でも逃げて逃げて遠いところにいっても、のがれられない気がする。
 自分の世界を大きくする以外には。
 それでも何もない地平線に立ちたいと願う。
 モンゴルの草原でもウシュアイアの果てでも。
1998.6

油とり紙

 今、一番使ってみたいもの。それは油紙である。
 たぶん、こってりとしぼれるぐらいの油がとれるんじゃないだろうか。
 でも、あんまり男性が人前で使うのを見たことがない。
 それともみんな、家に帰って油とり紙をあてているのだろうか。
 駅のコンビニで、人を誘うように油とり紙が揺れている。
 もう価格もチェック済み。
 でもどうしても、手が出ない。
1998.6

目を上げる

 電車の中で、やがて本をとじ、眠りこける。
 駅に着くたびに、顔を上げる。
 おなじように眠っている、女の子がいた。
 3度目ぐらいに顔を上げると、目が合った。
 次にまた顔を上げると、また目が合った。まん丸の目をしていた。
 その次に顔を上げると、また眠っていた。
 さらに次に顔を上げると、彼女は電車を降りていた。
 やがてこんなことも、自分は忘れてしまうだろう。
 そのときの気持ちも、相手の顔も。
 なのでここに書いておく。
1998.6

スタイル

 よくあの女性はスタイルがいいね、ときく。
 そういうものかと思う。
 悲しいかな、僕にはそのスタイルがいい、ということが全く理解できないのである。
 わからないのだ。
 関心がないのか、能力が欠如しているのか。
 しかしこの欠如は僕の人間関係上の障害の一つになっている気もする。
1998.6 彗星  食べたいものを、がまんする。
 でももう飽きてきた。
 せっかく生きているのね。
 毎日、したいことをしないと、損な気がした。
 あと40年後に、彗星が地球にぶつかるという。
 そのころはもうじじいだ。どうでもいい。
 でも、そのころ、今のままで、自分は自分の人生に満足しているだろうか。
 生きたいように生きるべきじゃないかな。
1998.6 旅の途中  家で風呂に入っていても、旅の宿で風呂に入っても、何も違いやしない。
 いつだって旅の途中。
 この世にいることに代わりはないんだ。
1998.6 太陽のまわり  たかだか、数十回しか、僕は太陽の周りを回らないのだ。
 既にもう何十周してしまった。
 無為に過ごしていると思っているうちに、太陽の周りを1周している。
1998.6 飽きる  飽きた。いつも同じの休み。
 映画に行く。本屋へ行く。コンピュータショップへ行く。
 気が付けば、東京の人波の中を、同じ所をぐるぐるまわっている。
 飽きた。完全に、飽きた。
 自分が、自分の過ごし方に、飽きのだ。
 たぶん逃げ続けることにも、飽きたのだ。
 飽きたから、飽きたってわかったから、もうやめよう。
 いままでの過ごし方を、すべてやめてみよう。
 さて、今後はどうしよう?
 日曜の帰りの電車で、横の女性が数学の教材を開いていた。
 思わず声をかけたくなった。
1998.5 お休み  休みとなると映画と本屋ばっかりだ。
 なんか飽きてきて、ちょっとブルーになる。
 本屋に行って、映画をみればまた元気になるのだけれど。
 あまり休みの日に、その日の予定のことを考えて行動すると、それもつまらない。
 なんか予定をこなしているだけみたい。
 飽きてきたなら、ちょっと違う休みにしてみようかな。
 楽しい気分を忘れてないようにしよう。
 楽しくなれることを、してみよう。
1998.5 帰り道  帰り道によく「ひらめく」。
 「ひらめく」というより「納得する」「気がつく」。
 この前にひらめいたのは、「いいかげんで、いいやん」ということ。
 降りる前の駅のホームに電車がはいろうとしたとき、なぜかそう思った。
 何事もカンペキ主義を求めてしまう自分に、自分が自分に「いいかげんで、いいやん」と ささやいた。
 本で読むより、自分の中から起きる声だった。
 きょうは駅に向かう道で、思った。
 「自分流で、ええやん」
 休日どうすごそうと、どうシゴトしようと、どう生きようと、ぜんぶ自分流でええやん。
 心配するのも不安になるのも、自分流で行けばいい。
 たぶん一種の開き直りだろう。
 でもなんか、このまま生きていける気がした。そのぐらいのチカラがわいてきた。
1998.4 いつも楽しい気分で  シゴト中は、そりゃおもしろい文章が思いつくんである。
 でも家に帰って、PCの前にすわると、さっぱりでてこない。
 やっぱり楽しい気分じゃないと、自分でおもしろい文章がでてこないんだろうね。
 シゴト中はシゴトから逃げて楽しい気分で考えごとをしているから。
 家に帰ったら、さあ楽しい文章をかかなきゃ、ってなっちゃうからなんだろうね。
 いつも楽しい気分でいられたらいいな。
1998.4 髪型  シゴトバの後輩の女の子の髪型が変わった。
 ほめていいのか、感想をいっていいのか、迷った。
 あまりいうと、セクハラかもしれない。
 むかし別の女の子だが「クレオパトラ」と感想を述べ、思いがけず傷つけたこともある。
 結局、「変わったね」にとどめておくことにした。それも小さな声で。
 ああむずかしい。
1998.2 携帯(2) 独り言をいって歩いているな、と思ったらケイタイである。
自転車にのりながらしゃべってるやつもいる。
電車ではかならずだれかがベルをならす。
しかもいろいろなメロディがなる。
友人はJRの案内のメロディを入力して自慢していた。
映画の最中にならすやつもいる。これは言語道断だけど。
映画の最中にしゃべってるやつもいた。
しかしどうしてそこまでみんな連絡をとりたいのだろう?
1998.1 カラオケ  何で自分のへたな歌を、他人に聴かせなければならないのか?
 歌うなら一人で好きなだけ歌いたい。
 しかも僕の歌いたい曲は誰も知らない韓国の歌か(わざと反応を楽しむこともある けど)、陰々滅々した歌ばかり。つまり他人がきいて楽しいものではない。そういうのが好きだという人ばかり集まれば別であるが。
 しかしカラオケというのは、たくさんの人数で行く場合、上手な人以外はみんなで歌える歌の方がいいらしい。
 というわけでやはり自分は不向きである。そのかわり他人の歌の時に画面の歌詞を眺める。
 ふだんききながしている歌詞をじっくりと読む。意外とおもしろい。
1998.1 心の回転速度  心には、回転速度があると思う。
 はやくまわっているときは何も感じない。何も見えない。何も聞こえない。
 おそくまわっているときはいろんなものがみえる。きこえる。あらゆることを感じることができる。
 こんな時に映画でもみれれば、どんなシロモノでもどこかおもしろい。
 できればいつもゆっくりしていたい。いろんなことを感じていたい。
 でも自分からゆっくり回そうとすると、ゆっくりならないのである。
 このあたりがむづかしい。
 ある日突然に、歩きながら、自分の心がゆっくり回っていることを感じる。
 でもどうしてそうなったのか自分でもわからない。
 そのうちにまた心がぐるぐるまわっている。
1998.1 忘れ物  電車の手すりにハンケチが、まきつけてあった。
 まるでなにかのしるしみたいに。
 バス乗り場にはマフラーがかかっていた。
 だれかがそこにおいておいたように。
1998.1 自転車  今の自転車は今年で14年目である。もともとは友人から譲り受けたものだ。
 それから、前と後ろのタイヤを交換した。
 サドルもかえた。
 ペダルもかえた。
 スタンドもかえた。
 鍵もかえた。
 ライトもくさったのでとった。
 しばらく片目だった。しかしついに両方いかれ、中古だがいいのにかえた。
 かごも交換した。
 ブレーキなんて1年に数度吹っ飛ぶ。そのたびになおしてもらう。
 もうオリジナルなんてボディぐらい。
 でもここまでくるともう捨てられない。
 まだまだ十分走る。
 自転車屋へもっていくたびにおじさんの目が輝く。
 いわないでも悪いところをすべてなおしてくれる。
 「がまんできないんだよね」と笑う。
 再び快適になった自転車に乗る。
 いつも直すという作業の喜びの結果を味わう。
 譲ってくれた友人の子供も大きくなった。
 最後に彼の家までその自転車でいき返してやろうと思っている。
 これがお父さんが学生の時に乗っていた自転車だよと見せてやりたい。
1998.1 きめごと  年末年始と個人的に決めごとが多い。特に決める必要なんてないのだけれど。
 守らなくて誰かにおこられるわけでもない。
 でもここ数年ずっと守ってる。
 一つ、年末には最後に山田洋次ものをみる。
 二つ、年始には実家の近くの神社に初詣に行く。
 三つ、東京の最初の休みには柴又に初詣に行く。
 四つ、年が明けてからカレンダーと手帳を買う。
 別に守らなくてはならない理由はないけれど。


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