−97年−

 97年に思いつくままの文章を紹介します。



1997.9 変化  近くの古いお屋敷が壊され、建て売りを4軒たてている。
 その前ではいつも不動産やさんの若い女性がひまそうに本を読んでいる。
 1階がクリーニング屋だった古い古いぼろアパートも壊され、冷たい色の壁の新しい家になった。おかげでクリーニング屋が遠くなった。
 その近くのとっておきたいような古い看板の文房具屋も人が留守の間に壊され、同じく冷たい色の壁の家になった。
 さらにその近くの家は古い木造の平屋だったが、葬式のあとすぐにこわされ、コンクリート壁の家になった。
 気がつけば町並みがかわっていく。日々の小さな変化がいつのまにか町並みをかえていく。
 明治生まれのお年寄りたちはたくさんの変化をみてきただろう。まるで別の国にでもやってきたように。
 たぶん僕たち若者がが2度と味わえないような。それとも僕たちも同じような思いをするのだろうか。
 日本という国が立て替えの文化をもっているとしても、すこしさみしい。
 立て替えられる家をみるたびにそう思う。
1997.9 過去の国  先日なくなられたマザー・テレサのうまれは現在のマケドニアだそうだ。
 しかしうまれた当時はオスマン・トルコ領だった。いまではとうに消えた歴史の国である。が、彼女はうまれたときにその国に存在した。彼女はその時代に生きたのだ。
 なくなった国であってもかつて生きた人がこの世にいる限り、今もその国は存在するのだ。
 彼女はイギリス領インドに行き、独立したインドにとどまり、なくなるまで異国にいた。
 最後にダイアナの死をきいて”神のお考えがわからない”と語った。僕にもわからない。
1997.8 ケイタイ  待ち合わせしながら眺めているとおもしろい。
 ケイタイをもっているとまるで糸電話みたいだ。
 自分は持っていないが待ち合わせするときはさすがにケイタイがあれば便利だなと思うことがある。
 自分が持っている姿なんて想像できないけれど。
 そういえばケイタイを持っている人は自分の居場所についてウソをつく。
 どうして隣の駅の名前をいうんだろう?
 どうして本屋さんにいるのに違う場所をいうのだろう?
 フシギだ。ウソツキとつっこみたくなる。
1997.8 モノを買う  いつも何かを買うときはいろいろしらべる。
 そして検討の結果、最善なものとして買う機種をきめる。
 そして買いに行く。
 そうするといつも違うものを買って帰ってくる。
 なんでだろう?
 PCもそうだった。
 デジカメもやってしもた。
 そういえば会社決めるときも。。。そうだったもしれない。
 これからは検討しないで買いに行こうと思う。 
1997.8 自転車の上  自転車に乗っているとき、僕はキオクがない。
 考え事をしているのだ。
 だからいつもいつのまにか家に着いている。不思議だ。ワープしたみたいだ。
 そういえば車に乗っているときもそうだった。
 いつもいつのまにか家に着いているのだ。
 途中で人をひいているのではないかとよく心配になった。
 やっぱり車の運転には向かない。
 そういえば大学に行っているのに気がついたのは大学3年のときだった。
 はっきり覚えている。ちょうど大学の周りのループでスクーターをとばしているときに思い出したのだ。
 “あ、あれいつのまにここで生活してる”
 そういえば会社に行っていることに気がついたのも2年ほど前だった。
 “あれ、いつのまにこんなところで働いている” 
 で、考えごとしている間になにを考えているかというと、こうして文章を書いていることを考えているのであった。
 病気かもしれない。
 そうしないと心が持たないのかもしれない。
1997.8 マイカンパニー  最近、ひそかに「会社」をつくった。
 といっても別に独立、というわけでない。
 自分だけの会社をつくるのだ。
 これは、ある本がヒントになった。
 自分はその会社の社長になる。そこに永久就職する。
 自分の会社の事業としていまの会社に通うのだ。
 自分の会社は永久にクビにならない。
 で、自分の会社の組織を考えてみることにした。
 やりたいことを全部書き出して全部○○事業部としてみたりした。
 お金の計算は経理部?遊びはリクリエーション部?
 考え出すととまらなくなった。
 毎日組織を変えてみる。
 事業部制にしてみたり、スタッフとラインにわけてみたり、全部なくしてみたり。
 とうわけで自分だけの会社は発足したが組織はまだ決まらない。
 といっても全部組織の役職は自分なのだが、、、
1997.7 散髪屋  理容店の雰囲気は好きである。
 タオルは臭くおじさんはへだだけども。
 3台も散髪用の椅子があるのに、なぜおじさん一人でやっているのか、
 昔は複数の人でやっていたのか、奥さんは手伝わないのか。
 いつもきこうと思ってやめている。



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