第26回アトランタ大会1984年のロサンゼルス大会以来、12年ぶりとなったアメリカでの開催は、「風と共に去りぬ」で有名なアトランタがその舞台となりました。マラソンコースには、奴隷解放運動でその名を知られるキング牧師の生家?があったり、また、同じアメリカでも南部特有の湿気を含んだ熱い空気が、テレビ画面からでも感じられたりして、ロスとはずいぶん雰囲気が異なっていたのを覚えています。
そして、アメリカ開催にもかかわらず、「ボイコット」という言葉とはほとんど無縁だったのも大きな違いでした。4年前は「独立国家共同体」としての参加だった旧ソ連の国々も、すでにバラバラになっており、東西冷戦が完全に過去のものになったことを印象づけました。
ただ、大会期間中の爆弾テロによって、1名の人命が失われたのは、悲しむべきことではありましたが…。
さて、大会を前にしてがぜん注目が集まっていたのは、「史上最強」とうたわれた女子競泳陣でした。彼女らの持ちタイムは今季世界リスト1位、2位といった高いレベルにあり、しかもそういう記録を持つ選手は1人や2人ではなかったのです。さらには、メダル独占も可能とまでいわれた女子マラソン、「名門復活」がかかる男子体操、柔道で金獲得は確実視された田村亮子選手、テニスの伊達公子選手など、さまざまな競技種目でメダルの期待がかけられていました。
しかし、どこかでほんの少し、歯車は狂っていたのでしょうか。過去最高の成績を期待された競泳陣は、今一歩のところでメダルを逃し続けました。テレビ画面には、選手の落胆したような表情ばかり映し出され、競泳の日本チーム全体を重苦しい空気が包みました。結局、最強とまでいわれた日本勢は、ただひとつのメダルすら獲得することができませんでした。負けたことを責める気持ちはありませんでしたが、実力を発揮しきれなかったというもどかしさは残りました。
また、男子体操陣も、思ったような結果を出すことはできませんでした。前年の世界選手権の団体2位には遠く及ばない、10位という順位が日本に与えられました。そして、田村亮子選手の決勝での思わぬ敗戦は、「まさか」としかいいようのないものでした。
しかし、どんな大会でも、重苦しさから救ってくれる選手たちはいたのです。田村選手が敗れた直後、鮮やかに技を決めて金メダルを手にした野村忠宏選手。柔道勢ではほかに、中村三兄弟の末っ子兼三選手、ダークホース的な存在から一躍頂点まで登りつめた惠本裕子選手が金を獲得し、「やはり頼れるのは柔道」という思いをいっそう強くさせられました。
伊達公子選手も敗れはしたものの、壮絶な打ち合いを見せた準々決勝は胸の痛くなるような凄い試合でした。また、女子マラソンでは有森裕子選手が銅をとり、「自分で自分を誉めたい」という台詞が感動を呼びました。金3、銀6、銅5というメダルの数は、数字だけで見れば決して多くはなかったけれど、そのひとつひとつには、いろんなドラマがあったのです。
そして、私にとってはなによりも、陸上のトラック競技での躍進ぶりに心を踊らされました。直前の日本選手権を観戦していたこともあって、最初から注目はしていたのですが、それでも彼らの戦いぶりは掛け値なしにすばらしいものでした。男子100mでは朝原宣治選手が、200mでは伊東浩司選手が準決勝まで駒を進め、女子5000mでは志水見千子選手が、メダルまであと一歩の4位に入りました。また、女子10000mでは千葉真子選手と川上優子選手が揃って入賞を果たしました。そして、トラック競技の最後を飾る男子1600mリレー決勝、日本チームは1932年のロサンゼルス五輪以来64年ぶりで、その舞台に立つことができたのです。
もちろん、世間一般で陸上競技がそれほど注目されていたわけではありません。期待が集まっていたのは女子マラソンぐらいだったし、マラソン以外の陸上競技にメダルを望む人もいなかったでしょう。また、アトランタの結果は、メダル至上主義の人から見れば物足りないものだったかもしれません。
けれど、ひたすら前だけを向いて、走ることに取り組んでいる選手たちの姿は、いいようのない興奮と感動を与えてくれました。「これから日本の陸上は強くなる」 そう確信させてくれたアトランタ五輪だったのでした。

結果
 陸上競技
 水泳
 アーチェリー
 
バドミントン
 
野球
 
バスケットボール
 ボクシング
 カヌー
 自転車
 馬術
 フェンシング
 
サッカー
 
体操
 
ハンドボール
 
ホッケー
 柔道
 近代五種
 ボート
 セーリング
 射撃
 
ソフトボール
 卓球
 
テニス
 
バレーボール
 ウエイトリフティング
 レスリング

獲得メダル
3 6 

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