記念すべき第1回のオリンピックが開催されたのは、1896年のことです。古代ギリシャのスポーツの祭典を現代によみがえらせようという、クーベルタン男爵の提唱がきっかけでした。開催地はアテネ。まさに古代の大会が行われていたその地で、近代オリンピックは幕を開けたのでした。日本が初めて参加したのは、第4回のロンドン大会のときです。1908年(明治41年)といえば、日露戦争で勝利した(明治38年)あと。きっと、欧米列強に追いつけ追い越せの時代だったのでしょう。そういう情勢のなかでの選手派遣でした。 日本人メダル第一号は1920年の第7回アントワープ大会。テニスの熊谷一弥選手がシングルスで銀メダルを、柏尾誠一郎選手と組んだダブルスでも同じく銀を獲得しました。そして金メダルに到達したのは初参加から20年、第9回アムステルダム大会でのことになります。種目は陸上の三段跳。織田幹雄選手がなしとげた快挙でした。どちらも現在の日本は、強いとはいいがたい種目なのですが…。 ところでオリンピックは、100年あまりの歴史のなかで、二度の中断を余儀なくされています。一度目は第一次世界大戦のとき、そして二度目が第二次世界大戦のときでした。「大戦」という言葉のとおり、世界中がふたつに分かれて争っている状態では、さすがに開催は無理でした。しかし、本来なら1940年は東京オリンピックが開かれていたはずで、もしも実現していれば、日本のスポーツの歴史も少しは変わっていたかもしれないのでした。 自国開催がようやく実現したのは、それから24年後のこと、1964年(昭和39年)の東京大会になります。戦争直後は参加さえも許されなかった日本。しかし、徐々に国力も競技力も復興させ、ついには日本でのオリンピック開催を現実のものとしたのでした。 東京大会を機に、日本の成績は上昇カーブを描いてゆきました。ひとつの大会で、10個は金を獲得していたでしょう。が、1970年代をピークに、日本は金メダルの数を逆に減らしていくようになります。バレーボール、体操…。新興勢力の台頭などもあり、かつてはお家芸といわれたこれらの競技で、日本はほとんど活躍できなくなってしまったのです。 大会自体も、大戦後はすべてが平和に開催された…というわけではありませんでした。1980年のモスクワ大会はソ連のアフガン侵攻に抗議しての西側諸国のボイコット、次のロサンゼルス大会では前回の報復とばかりに東側諸国のボイコットがあり、競技に対する興味は著しくそがれることとなりました。平和の祭典オリンピックは、皮肉にも常に世界の情勢に左右されているのでした。 そして現在の日本は…。正直なところ日本人でいるかぎり、これからも金メダル何十個、なんていう事態は起こりえないと思います。でも、数少ないメダルを国を挙げて賞賛するのもいいものです。それに日本は、決してだめになってしまったわけではありません。メダルなんて思いもよらなかった競技で、力がついてきているものもあります。そのいくつかは、アテネで結果を出してくれるものと期待は大きいのです。 というわけで、そんな日本の軌跡を細かく辿るべく、夏の「なつかしのオリンピック」を書いてみることにしました。ただ、冬季とはちがって競技や種目の数が圧倒的に多く、同じようにはいきそうにないのですが…。しかも、冬季の書きはじめの1980年は運悪くモスクワ五輪の年で、日本は不参加ときています。 また、こちらは資料ビデオなどもあまりないゆえ、「どないしよ〜」というのが現状です。とりあえずは書き始めてみて、そしてそれから考えることにします(笑)。ただ、結果しかないものが圧倒的に多くなるのはご了承くださいませ。 |
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