網走テニス協会


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宮城黎子のテニクラ通信 vol.48

2006.03

 

チャンピオンの涙

 テニスの試合にはいつだってドラマがある。
 グランドスラム大会はたくさんのドラマを積み重ね、2週間をかけて完結する壮大な舞台である。
 主役は優勝者。
 ただし、誰が主役の座を射止めるかは、テニスの神様のみぞ知るところ。だからこそ、グランドスラムはとてもドラマチックで、見る者を魅了するのだと思う。
 ことしのオーストラリアンオープン、大会前から男子優勝はロジャー・フェデラー(スイス)に違いないと誰もが思っていたことだろう。予想どおりの結果には、あまりドラマチックな演出は望めないものだが、そこには新たなドラマがあった。
 03年ウィンブルドン初優勝を皮切りに、過去3年間のグランドスラムで7回決勝進出し、その全てに優勝しているフェデラー。ハイ・レベルな男子ツアーの中にあって、フェデラーの活躍は奇跡とさえ思える。何しろ、王者に対する挑戦者たちは、全員が『負けてもともと』の思いを胸に捨て身の戦いを挑んでくるのである。
 誰もが『勝って当然』と考える戦いを、勝ち続けることがいかに困難か。その苦しみはテニスの神様から選ばれた者が、栄光と引き換えに受けなければならない試練なのかもしれない。
 06年オーストラリアンオープン、フェデラーは4回戦以降、ずっとその試練と闘ってきたように見えた。憎らしいほどに完ぺきなテクニックが影をひそめ、信じられないようなエラーを重ねる王者の表情には明らかな苛立ちが浮かんでいた。
 前回大会、準々決勝でM・サフィン(ロシア)と対戦したフェデラーは、マッチポイントで放ったスマッシュを返され、逆転負けを喫した。誰もがフェデラーの勝利を確信した直後、サフィンがかろうじてラケットに当てたボールは、ネットに立つフェデラーの頭上を力なく越えてベースライン内側に落ちた。まるで運命のいたずらのような1ポイントに観衆は沸いたが、この演出に乗って主役の座を勝ち取ったのはサフィンだった。
 もしかしたら、フェデラーは悪夢のようなあの1ポイントの記憶に苦しみながら、ことしのオーストラリアンオープンを戦っていたのかもしれない。薄氷を踏むような危うい試合を戦いながら、フェデラーは決勝の舞台までたどり着いた。
 一方、王者フェデラーへの最後の挑戦者はマルコス・バグダティス(キプロス)、20歳。03年のジュニアチャンピオンだが、プロツアーでの目立った活躍は、まだない。正に『負けてもともと』の精神で、A・ロディック(米)、I・ルビジッチ(クロアチア)、D・ナルバンディアン(アルゼンチン)などシード選手を打ち負かし、決勝の大舞台へと駆け上ってきた新鋭だ。
 もじゃもじゃのヒゲ面とは対照的に、そのプレースタイルはスマートで、A・アガシ(米)にも似ている。予測能力がすばらしく、高い打点からフラットに打ち込むストレートへのレシーブは彼の真骨頂。フットワークは速いだけでなく、いくら走らされても体勢が崩れない。そして、時速200qを超えるサーブは要所でエースを奪う武器となる。
 バグダティスは、若さと勢いに任せて序盤から積極的な攻撃態勢。第1セットを奪い、第2セットも先にブレークに成功。しかし、このセットを落とすと、流れは一気にフェデラーに傾いた。
終わってみれば、新鋭バグダティスの快進撃も、王者フェデラーの前に屈するという"ありがち"な筋書きで幕を閉じたかと思ったが、表彰式でこみ上げる涙に言葉を詰まらせたチャンピオンの意外な姿に、わたしは新たな感動を覚えた。
 どんな大会でも、優勝するのは難しい。最後まで勝ち続けるには、相応の試練を乗り越えなければならない。それがグランドスラム大会ともなれば、我々の想像を絶する苦しみが伴うのだろう。しかし、優勝という結果で、その苦しみから解放された瞬間の喜びの大きさもまた、チャンピオンだけが知る幸せなのだ。
 勝って当然と思われていたチャンピオンが、表彰式で流した涙は美しかった。なるほどテニスの神様に選ばれしチャンピオンは大したものだと、わたしはフェデラーがまた少し好きになった。