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宮城黎子のテニクラ通信 vol.12

2002.12

2002年シーズン『わたしのテニス10大ニュース』
2002年はヒューイットとセレナの年

 

 2002年シーズンも残りわずか。わたしなりに、この1年を振り返ってみたい。
まず、トップニュースは『L・ヒューイット(豪)の2年連続年間ランキング1位確定』。11月に上海で開催されたマスターズカップで、2位のA・アガシ(米)が敗れたことで決まった1位だが、ヒューイットはアガシを下したF・C・フェレーロ(スペイン)を決勝で破ってみごとに優勝。180p68s、弱冠21歳での王座死守は大したものだ。
 この若いチャンピオンに導かれるように、02年は『有望新人が続々登場』したシーズンでもあった。女子ツアーでは10代プレーヤーが活躍するようになって久しいが、男子ツアーでこれだけ多くの注目新人を発見した記憶はない。イバニセヴィッチ2世といわれるクロアチアのM・アンチッチは84年生まれの18歳。USオープン予選を勝ち上がり、初戦突破のあとM・リオス(チリ)から1セットを奪ったR・ソダーリン(スウェーデン)も同年。バナナボール、大阪スーパージュニア優勝のM・バグダティス(キプロス)17歳、フレンチとUSオープンのジュニアで優勝したR・ガスケ(仏)16歳という2人のジュニアも来シーズンはプロツアーに出てくるだろう。
 着々と進行する世代交代ではあるが、『アメリカ・ビッグ2の頑張り』も大したもの。32歳のアガシがランキング2位、31歳のP・サンプラスはUSオープン優勝で14個目のグランドスラムタイトルを獲得。この2人がプロツアーに登場したのも20歳前だから、もう10年以上もトップ争いにからんでいることになる。
 アジアでもうれしいニュースがあった。
 まずは『日本男子がアジア大会団体戦で金メダル』。快挙とは言いたくないが、実に7大会28年ぶりの優勝だという。この金メダルを自信に、来年はデビスカップでの活躍を期待したい。
 同じアジア大会で個人戦シングルスを制したのはP・スリチャパン(タイ)。ウィンブルドン2回戦でアガシに勝って以来、破竹の勢いでランキングを駆け上るスリチャパンの最終ランキングは18位。01年の最終ランキングが126位だから、何と100人以上のごぼう抜きだ。彼の活躍によってアジアと世界のテニス意識の差が縮まれば、スリチャパンは『アジアテニス界の救世主』となるかもしれない。
 救世主と言えば、日本の『子どもたちにテニスブーム』を巻き起こしてくれたのは、テレビアニメで大ブレークしたマンガ"テニスの王子さま"。ジュニアスクールは順番待ち、子ども用ラケットの生産が追いつかないというから人気マンガの影響力にビックリ。9月23日のテニスの日、有明テニスの森で開催されたイベントには、作者の許斐剛氏も参加。約6、000人のテニスファンが集まった。"越前リョーマ"に憧れてテニスラケットを握った子どもたちが、やがてヒューイットやアンチッチを目標に世界へと羽ばたいて行くことを夢見ている。
 女子ツアーに目を転じれば、やはりヴィーナスとセレナの『ウィリアムス姉妹(米)の圧倒的強さ』が印象に残る。四大大会のうち3大会の決勝を姉妹で戦い、その全てをセレナが勝っていることからも、2002年は妹が姉を追い越した年と言えるかもしれない。
 そんな中、女子ツアーの最終戦であるWTAファイナルで『K・クリスターズ(ベルギー)がヴィーナス姉妹を破って優勝』したのは特筆に値する。1大会で姉妹2人に勝ったのは、1月のオーストラリアンオープンでのM・ヒンギス(スイス)以来の快挙。恋人同士のヒューイットとクリスターズがいい関係を維持して、来シーズンもますます活躍することを期待したい。
 デ杯決勝(フランス対ロシア)の結果は編集時点ではわからないが、『フェドカップでスロバキア初優勝』もビッグニュース。人気急上昇中のD・ハンチコワが安定した活躍でチームを引っ張った。スロバキアといえば、旧チェコスロバキア時代にはI・レンドル、M・ナブラチロワ、H・マンドリコワなどのトップ選手を輩出したテニス強国である。かつてのスター選手たちが亡命してしまった国の事情を考えると、このフェドカップ初優勝がスロバキアのテニスファンに与えた喜びは計り知れない。
 一方、日本女子チームは『フェドカップ対コロンビア戦を棄権』。開催地コロンビアの政情不安、治安の悪化を考えれば当然の判断だろう。テレビや新聞で毎日のように報じられているように、世界には平和とはほど遠い国や地域がまだまだたくさんある。世界中の人々がテニスを楽しめるような世の中になること、できれば日本から世界の人々に夢と勇気を与えられるようなテニスプレーヤーが現れることを祈りながら、わたしの2002シーズンを終わりにしたいと思う。

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