常盤台バプテスト教会 信仰告白の神学的潮流
2002年8月28日(日)常盤台バプテスト教会 地区教師会発題

 今日は「バプテストの信仰について」というテーマでご一緒に学ばせていただけることを感謝
しております。去年も「バプテストの信仰について」ということで、去年は「教会の約束」について取り上げさせていただきまして、お話させていただきました。それで、今年は、「常盤台バプテスト教会信仰告白」を取り上げさせていただこうと思っております。私たちの教会の信仰告白はご存知の通り、バプテスト連盟結成時に作られた47年信仰宣言と同じものですけれども、同じといいましても、常盤台教会として主体的に連盟の47年信仰宣言を教会の信仰告白として告白しているわけであります。各個教会主義と申しましても、必ずしも各個教会で独自の信仰告白を作らなければならないということではなく、いくつかの教会で共同で作った信仰告白や信仰宣言などを主体的に自分の教会の信仰告白にする、ということは、歴史のバプテスト教会においてよくあったわけであります。そこで、今日は私たちの教会の信仰告白にまでいたる、歴史上重要なバプテストの信仰告白、信仰宣言をとりあげさせていただきまして、比較検討することによって、その神学的な流れ、変遷を確認したいと思い準備いたしました。そして、私たちの教会の信仰告白はどのような信仰の流れの中にある信仰告白なのか、その源泉は何かということをご一緒に確認できれぱ幸いです。さて、早速ですが資料@を見ていただけますか。

資料@「近代における教会の主な流れ」

これは、近代におきえる教会の主な流れを簡単に図にしたものです。上の古代教会から、東方西方教会に分かれて、やがてカトリックとプロテスタントに分かれていくことがお分かりだと思いますが、そのプロテスタントは大きく、アナバプテスト、ルター派、カルバン派、英国国教会に分かれるわけです。その英国国教会から、分離したピューリタン分離派の人々の中から、イギリスの長老派、会衆派、バプテスト派が生まれてまいりました。バプテストもご覧になると二つの流れがあることがお分かりだと思います。一つがジェネラルバプテストといわれる、普遍救済主義の信仰を持つバプテストの群れで、もう一つがパティキュラーバプテストといわれる、特定救済主義の信仰をもつバプテストの群れが誕生いたしまして、この二つの流れは現在にまで至っているわけであります。

さて、そのように、バプテスト教会は、もともと英国国教会から分離していったピューリタン分離派によって誕生していったわけですが、英国国教会に対して信仰の自由を求めて分離したピューリタンたちは、大陸の改革派の影響を受けているといわれるわけであります。カルバンの神学の影響を受けて、ピューリタンの人たちはイギリスにおいて純粋な信仰を求めて分離していったわけですが、彼らが影響を受けた改革派の流れにも、実は二つあって、もともとのカルバン派と後から出てきたアルミニウスという神学者の唱えたアルミニウス派という二つの流れがありまして、イギリスのピューリタンにもこの二つの神学の流れを受けた群れがあって、やがて、国教会から分離していった初期のバプテストも、その流れをそっくりそのまま引き継いで、二つの神学的流れをもつバプテストの群れができていったわけであります。改革派の中の二つの流れ、アルミニウス派とカルバン派は、その後のバプテストのジェネラルバプテストとパティキュラーバプテストという神学の流れになります。その神学的な強調点の違いをごく簡単に抜き出して並べてありますので、資料Aをごらんください。

資料A表(ジェネラルとパティキュラーの違い)

 ジェネラルとは、一般という意味ですけれども、つまり、キリストの恵みは、信じる一般の人々に与えられるとといたアルミニウスの神学にたつバプテストであり、それに対して、パティキュラーとは、特定という意味ですから、キリストの恵みは神に選ばれた特定の人々に与えられているとといたカルバンの神学に立つバプテストですが、その特徴がよく現れていると思います。見てお分かりの通り、アルミニウス派というのは人間の自由意志というものを積極的に考えるわけですね。人間は神様の救いの恵みを受け入れることも、拒むこともできる存在として、人間の自由意志が大変強調されるわけですが、それに対して、カルバンは人間の自由意志については消極的で、神様の主権や栄光が絶対的とされるわけです。ゆえに、神様が与えるその恵みは、人間の意志でどうにかできるものではない、神様に選ばれた人間が神様の恵みを拒否することは不可能であるわけです。このように一見全く対立する考え方ですが、このどちらも、聖書が語っていないことを作り出しているわけではなく、かえって、聖書に忠実であろうとするゆえに、このように二つの見解が生まれてきたといえるわけですけれども、この二つの神学の流れを、初期のバプテストもそのまま受け継いで、二つの神学の流れ、ジェネラル(普遍救済主義)バプテストとパティキュラー(特定救済主義)バプテストというた二つの神学の流れが生まれていくわけであります。それで、よく取り上げられる歴史上一番最初のバプテストたちの信仰はどちらの神学の流れだったのかというと、彼らはジェネラルバプテストの信仰でした。1600年代の初頭にイングランドからオランダに渡り、またロンドンに帰ったトマス・ヘルウィズたちが最初のバプテスト教会を作ったといわれますが、彼らが作った、バプテストとしての最初の信仰告白をみますと、確かに、普遍救済主義的な信仰であることがわかります。参考として、バプテストの一番最初の信仰告白といわれる、「オランダのアムステルダムに寄留するイギリス人の信仰告白」(1611年)から特にそのジェネラルバプテストの特徴が出ている項目の内容を抜き出しましたのでご覧ください。

資料B「オランダのアムステルダムに寄留するイギリス人の信仰告白」(1611年)より1〜7まで

資料には、特に特徴的なところにアンダーラインをしましたが、ご覧の通り、人間の自由意志が強調された信仰告白になっていることがお分かりだと思います。さて、パテキュラーバプテストの群れは、ジェネラルバプテストに遅れて30年ほどあとに発祥したといわれます。その発祥の詳しいことは、複雑な経緯があって一言で説明することはできませんけれども、1642年ロンドンで浸礼を実施した、53人の群れが最初のパティキュラーバプテスト教会といわれます。その後、この53人の小さな群れは、2年後には7つの教会にまで増加し、最初の合同の信仰告白を作ります。これが歴史上最初のパテキュラーバプテストの信仰告白で、「第一ロンドン信仰告白」と言います。その告白のカルバン主義的な部分を抜き出したのが資料Cであります。

資料C「第一ロンドン信仰告白」より

ざっと簡単に二つのバプテスト教会の発祥と、一番最初の信仰告白から、その神学的特長を確認いたしましたが、実は、今日このあとは、特に、パティキュラーバプテストの信仰告白を取り上げて時代を追ってご説明させていただきたいと思っております。なぜジェネラルバプテストを取り上げないのかと申しますと、実は、私たちの教会の信仰告白にまでつながる流れは、ジェネラルバプテストではなく、パティキュラーバプテストであるからなのです。イギリスにおいては、その後、ジェネラルバプテストはパティキュラーバプテストに吸収合併されてしまいます。また、アメリカにバプテストはわたっていくわけですが、アメリカの地で飛躍的に成長したのは、ジェネラルバプテストではなく、パティキュラーバプテストの群れでありました。今でも、ジェネラルバプテストは「自由意志バプテスト」という名前で存在してはいますけれども、教派的には小さなものでしかないわけです。アメリカでもイギリスでも、パティキュラーバプテストが大きく躍進して主流となりました。アメリカではやがて、パテキュラーバプテストは北部バプテストと南部バプテストに分かれていきますが、その南北のバプテストから宜教師が派遣されて、日本にもバプテスト教会ができていきます。第二次世界大戦で、一度全てのプロテスタント教会は教団に統合されてしまいますけれども、戦後、南部バプテストの影響を受けて、教団からの16教会が離脱して、日本バプテスト連盟が誕生するというわけで、連盟にいたるバプテストの流れは、パテキュラーバプテストの群れであったわけです。そこで、ここからは、資料5にございます、パティキュラーバプテストの代表的な信仰告白の項目を比較した「信仰告白項目比較表」をみながら、各、信仰告白とその背景について、順番にご説明をさせていただき、連盟の信仰宣言にいたる流れを確認したいと思います。

資料D「信仰告白項目比較表」

 一番左側の上に第ニロンドン信仰告白とありまして、その横にフイラデルフイア信仰告白、ついで、ニューハンプシャー信仰告白、そして、南部バプテスト連盟信仰宣言(1925)ハワイバプテスト連盟信仰宣言(1945)最後に、日本バプテスト連盟信仰宣言(1947)と並んでおります。これはパティキュラーの大切な信仰告白を時代順に並べ、各信仰告白の項目と番号を抜き出したものです。この表をみた第一印象でお気づきになるかと思いますが、実はパティキュラーの代表的な信仰告白は大体、一番右の第ニロンドン信仰告白の枠組みをべ一スにして、途中から簡易なものになっていますけれども、大体の枠組みは第ニロンドン信仰告白というものに準拠していることがお分かりになるのではないでしょうか。枠組みが共通しているからこそ、このような表がつくれるわけですけれども、そういう意味で、この第ニロンドン信仰告白というものは、重要な意味を持った信仰告白といえると思います。実は、パティキュラーの一番最初の信仰告白は、先ほど見た、第一ロンドン信仰告白なのですけれども、第一ロンドン信仰告白は、項目の内容や順序がまたっく違う枠組みなので、この表の中には納まらないんですね。そういうことからいうと、第一ロンドン信仰告白は確かに一番最初のパテキュラーバプテストの信仰告白ですけれども、実質的には、この第ニロンドン信仰告白によって、47年の日本バプテスト連盟に至るまでの信仰告白の枠組みができたといえますので、今目は、第ニロンドン信仰告白以下の流れを追って、ご説明させていただきたいと思います。さて、最初にその第ニロンドン信仰告白について、少々説明させていただきます。これは、1677年に作られました。表を見てお分かりの通り、この信仰告白の枠組みが、その後のフィラデルフィア信仰告白以降の、アメリカ、日本の信仰告白の基本的な枠組みを提供しているという意味で、大変重要な信仰告白でございます。その重要な信仰告白が作られた背景には、当時のイギリスの王政復古という状況がありました。そのなかで、イギリスの国教会の力が強くなっていき、非国教会に対する迫害が激しくなった時代でありました。迫害が強くなってくるなか、その反動として、非国教会の長老派や会衆派やバプテスト派の団結が強くなったわけであります。そして教派を越えての教理の一致点を見出そうとする会合などよく開かれるようになりました。そして、議論が積み重ねられていく中で、重要な役割を果たした信仰告白があったわけであります。それが長老派の「ウェストミンスター信仰告白」でありました。これは今でも改革派などでは大切な信仰告白でありますけれども、この「ウエストミンスター信仰告白」をもとに、会衆派もバプテストも、自分たちの主張を織り込むために、それを多少修正して、自らの信仰告白を作ったわけであります。つまり、この第ニロンドン信仰告白は、非国教徒に対する迫害に対抗するために共同戦線を張った長老派,会衆派(組合派),及びバプテストが教派を超えた一致点を見出そうとする、そういうエキュメニカルな努力の結果から生まれた信仰告白ともいえるわけです。そういいますと、何だ、長老派の信仰告白じゃないか、そんなものバプテストといえるのかという気もいたしますけれども、逆を言いますと、修正加筆した部分にこそ、バプテストの特徴が明確に現れているわけでして、その点を確認してみたいわけですが。

参考資料E「加筆修正された部分」

 お分かりのように、第ニロンドン信仰告白とは、改革派の信仰告白の同意できるところはそのままにし、同意できないところ、特に、教会論と礼典論については、バプテストとしての主張を明確に明記した告白が、この第ニロンドン信仰告白だったわけであります。さて次に大切な信仰告白であるフィラデルフィア信仰告白の背景ですが、イギリスからアメリカに渡ったバプテストが、大きく成長したのは、アメリカの中部植民地で、イギリスからやってきたベンジャミンキーチという伝道者が、1688年から4年間、フィラデルフィアを中心に伝道したのですね。そして、やがてそこに5つの教会が出来るわけですが、この5つの教会がフィラデルフィアバプテスト連合を組織します。これが、アメリカにおけるバプテストの最初の地方連合となりました。この福音の種をまいた、ベンジャミンキーチという人は、イギリスに帰ってしまうのですが、彼はイギリスで自分が牧会していた教会の名前をつけた信仰告白を印刷するわけです。それは、第ニロンドン信仰告白に、会衆賛美の項目と、按手礼の項目を加えただけで、あとはまったく同じ告白なのですが、その告白が後に、アメリカのフィラデルフィアのバプテスト連合の信仰告白として採用されていきます。これが「フィラデルフィア信仰告白」といわれるものです。この信仰告白はその後多くの地方連合で採択されまして、18世紀のアメリカのバプテストのスタンダードな信仰告白となっていったのであります。この信仰告白は、当時の様々な教理的な問題を解決するために用いられたり、バプテストの協力と連帯の基礎として、この信仰告白が用いられていったといわれます。そうしてアメリカのパティキュラーバプテストの群れの中に、教会論と礼典論を修正した、カルバン主義神学がこの信仰告白を通して浸透していったといわれるのであります。さて、次に重要な信仰告白として、「ニューハンプシャー信仰告白」についてご説明いたします。その前にこのときの背景ですけれども、1730年代にアメリカで信仰復興、大リバイバルが起こるのですね。会衆派のジョナサン・エドワーズという神学者が中心人物なのですが、その結果、アメリカの会衆派教会は、大衆伝道賛成派と反対派に分裂してしまうわけです。そして、熱心な賛成派の人たちは、教会から離脱しまして、その中の多くはやがて幼児洗礼反対者となりバプテストに転向するわけです。やがて、ケンタッキーやテネシーなどの西南部に移住するようになって、その後、1770年〜1800年の間に、ほとんどの地域で、そこにいた、パティキュラーバプテストの群れに吸収されてしまいます。そして、1800年代の中ごろまでには、合併したバプテストたちは南部バプテストと呼ばれるようになるわけです。何で彼らはスムースに合併できたのかというと、もともと会衆派教会は、イギリスのピューリタンや分離派出身ですから、神学的背景としては同じカルバン主義だったわけですね。なので、パティキュラーバプテストもおなじカルバン主義ということで、合併しても神学的な摩擦がおきなかったわけです。そのようなリバイバル、合併という流れの中から、必要に迫られて1833年にニューハンプシャー信仰告白が生まれるわけですが、この信仰告白は、実にアメリカのバプテストの歴史において非常に重要な信仰告白と言われているわけであります。信仰告白の比較表を見ていただけばわかりますが、ニューハンプシャー信仰告白は、それ以降の信仰告白の雛形となった信仰告白であるわけです。私たちの常盤台教会の信仰告白は連盟の47年信仰宣言と同じですが、その基本的な信仰告白の枠組みが出来たのは、このニューハンプシャー信仰告白であったわけであります。第ニロンドンは体系的で全てを網羅しようとするような告白ですが、ニューハンプシャーはぐっと簡易になりまして、神学的な綴密さよりも、信仰の宣言的な特徴を持つ告白になったわけであります。それから、もう一点重要な点は、第ニロンドン信仰告白そして、フィラデルフィア信仰告白と、厳格なカルバン主義神学を継承してきたパティキュラーの流れが、ここにきて厳格さを捨てて、穏健なカルバン主義になったということです。表を見ていただけばわかりますが、一番下のところに、「穏健な選びの教理」という枠組みを造りましたけれども、第ニロンドンにはない穏健な選びの教理の項目が加えられているわけであります。この6項目と9項目は資料として抜き出しましたので、そちらをご覧ください。

資料Fニューハンプシャーの6,9項目

このような穏健なカルバニズムになっていった背景には、ニューハンプシャーの地域に、ジェネラルバプテストの牧師による伝道が開始されて、そのメッセージが大きな影響を与えていったということがあるのであります。全ての人に開かれているキリストの贖罪、そして、信じるもののみが救われるという条件的選び、人間の自由意志で神の恵みを受けたり拒んだり出来る自由意志の肯定、信仰の決心のあとに信仰を捨てて減びる可能性など、ジェネラルバプテストの説く神学的教理が、その地の多くの人々の共感と支持を獲得するようになって、議論が沸き起こり、第ニロンドンよりも温和な信仰告白を作る必要がでてきて、作られたのがこのニューハンプシャー信仰告白だったわけです。この告白は、アメリカ全土のバプテスト教会に注目されるようになりまして、多くの教会がこの告白を白らの教会の信仰告白として採用していったわけです。1900年代に入って、南部バプテスト連盟は、1925年に信仰宣言を作りますけれども、その際にも、このニューハンプシャー信仰告白を修正加筆して、自らの信仰告白にしましたから、この告白がアメリカのバプテストに対して、大変大きな影響を与えていることは間違いないわけであります。さて、アメリカのパテキュラーバプテストは、1845年に北部バプテストと南部バプテストに分裂いたします。それは、奴隷を保有するということに関しての分裂だったわけですが、北部にあるバプテストは奴隷保有に関して批判的で、南部はそうではなかったわけですね。やがて、国内外の宣教師に、奴隷保有者はなることができないという見解が出るようになって、いよいよ南部のバプテスト教会の代表たちが集まって、新たに「南部バプテスト連盟」を結成して、自分たちで外国、国内の伝道局をつくってしまったわけです。これをもって南部と北部は完全に分裂するわけですけれども、その南部バプテスト連盟の信仰宣言が1925年に出されます。この信仰宣言が出された一つの背景には、進化論との論争があったといわれます。スコープス裁判というのが有名ですけれども、テネシー州の高校の生物教師が、テネシー州の法に反して進化論を教えたことで罪に問われた裁判があったわけですけれども、この時代は進化論と教会の信仰をめぐって大変激しい議論があった時代であるわけです。そういう時代背景があって、信仰宣言を出す必要があったのと、もう一つは、「ニューハンプシャー信仰宣言」だけでは、包括できない時代の諸問題というものが持ち上がってきて、それらに明確に使信を提供する必要があったのであります。そして、ニューハンプシャーに10項目ほど項目が追加された信仰宣言が作られていったわけですけれども、そうはいっても、やはりべ一スはニューハンプシャー信仰告白でありました。

 さて、次に、ハワイ・バプテスト連盟信仰宣言というものがございます。この信仰宣言は表をご覧になればわかると思いますけれども、実は、ほとんど日本バプテスト連盟の47年信仰宣言と同じ内容なのであります。それにはわけがありまして、日本の連盟の信仰宣言は、実はこのハワイ・バプテスト連盟の信仰宣言を基礎資料として起草された宣言だからなのであります。ハワイのバプテスト連盟は1943年にオリベット教会など4教会によって協力伝道のために組織されました。そして、連盟を組織した際に、連盟憲章が起草に当たったのは、E.Bドージャー師でありましたが、この時、ドージャ師は日本で宣教しておりましたが、日米開戦のため日本での宣教ができなくなってハワイに来ていたわけです。そのドージャー師がハワイ連盟の憲章を起草したわけですが、その信仰告白も、主にニューハンプシャー信仰告白を基礎資料として、ドージャー師が起草した信仰告白でありました。そしてやがて終戦になり、戦争中は日本の教会はみんなキリスト教団に組み入れられたわけですけれども、終戦後、E.Bドージャーなどが南部バプテストから派遣されて、その働きかけもあって、16の教会がキリスト教団を脱退して、1947年に日本バプテスト連盟が結成されるわけですけれども、その際、採択された日本バプテスト連盟の信仰宣言は、そのE.Bドージャー師が、自らが起草したハワイバプテスト連盟の信仰告白を紹介し、日本のバプテストの先達は、それを基礎資料として47年信仰宣言を作っていったわけであります。ですから、連盟の47年信仰宣言、ひいては私たちの常盤台バプテスト教会の信仰告白は、もとをたどれば、ニューハンプシャー信仰告白そして、ハワイ・バプテスト連盟信仰宣言そして、日本バプテスト連盟信仰宣言という線上で、バプテスト主義を継承しつつ起草されたものだということがお分かりいただけたかと思います。この連盟の「信仰宣言」は、戦後長い間、連盟に加入する際に、加入する為に添付される各個教会の信仰告白の基礎資料として、用いられてきたといわれます。資料として、ハワイバプテスト連盟信仰宣言と日本バプテスト連盟の47年信仰宣言を並べて、特に変更があったと思われるところにアンダーラインを引いた資料がありますので、参考にしてください。

資料G「ハワイバプテスト連盟信仰宣言と日本バプテスト連盟の47年信仰宣言」

 私たちの教会の信仰告白はまさに、この連盟の47年の信仰告白、ハワイバプテスト、そしてニューハンプシャー、果てには、第二、第一ロンドン信仰告白にまでその源流をたどることのできるパティキュラーバプテストの系譜の中に位置づけられる信仰告白であったということがお解かりいただけたのではないかと思います。最後に、今回、信仰告白の比較検討をしてみて感じた感想を一言申し述べて終わりたいと思います。

 まず第一点は、当たり前といえぱ当たり前ですが、私たちの教会の信仰告白にも、ある神学的な流れの中にある信仰告白であったのだということであります。バプテストというと神学よりも聖書が先に来るわけで、ある特定の信条や神学を絶対化するようなことはないわけですが、そうはいっても、やはり何らかの神学の枠組みの中に位置づけられるわけで、私たちにとってそれは、どうやら穏健なカルバン主義の神学の流れの中にいるのではないかということであります。それからもう一点は、歴史のバプテスト教会が必ずしも各個教会で独白の信仰告白を作ったわけではなく、その時代時代で良いと思うものを主体的に自らの教会の信仰告白として採用していったということの意味であります。ともすると、各個教会主義ということのなかで、信仰的に孤立していったり、中にはカルトのように異端といわれる信仰になってしまう可能性さえありうるのがバプテスト教会の各個教会主義ということの中にある危険性でもあるわけですけれども、パテキュラーバプテストの先達たちを見ると、同じ聖書から学んだ他の群れの信仰告白についても、それらを尊重し、あるときはそれを基本資料とし一部を変えることで、自分の教会の信仰告白を作ったり、又はそのままそっくり自分の教会の信仰告白にしてきたという歴史があったことを知るわけであります。つまり、バプテストは各個教会主義だから、聖書の読み方もまったくの自分たちの読み方でいいわけでありますけれども、だからといって、先達たちの神学的努力を全く無視したり、捨ててしまうということを、すくなくとも、歴史上のバプテストはしてこなかったということであります。それらの他の信仰告白を肯定的であっても批判的であっても検討し、参考にし、それをべ一スに自分たちの主張を加えて信仰告白を作ってきた。そこに信仰的な健全さやバランスを失わなかった、バプテストのしなやかさを感じたわけであります。それは今後、もしも私たちが新しく信仰告白をつくるということがおこる際にも参考になるあり方のように思います。もちろん各個教会主義の原則から言えば、全くの白紙の状態から聖書のみを頼りに信仰告白の作業を始めていいわけですが、しかし、一方で、ここまで私たちの教会が受け継いできた、神学的な潮流を確認するということも必要ではないかと思わされたのであります。もちろん、それが聖書の上にくるべきものではありませんが、限界をもつ人間が聖書から信仰を告白するわけですから、謙虚になって、先達たちの神学的努力に聞き、その上で、聖書からその時代時代に即した教会の信仰を告白していくことが大切なことではないかと思ったしだいであります。

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